136.剣呑-Hazardous-

1991年6月10日(月)PM:12:58 中央区人工迷宮地下一階西ブロック


 多数転がる、緑の肌の小鬼(ゴブリン)の亡骸。

 大半が、たくさんの何かが貫通したかのような状態だ。

 無数の小さな傷口が複数ある。

 しかし、周囲には刃物の類いは見当たらない。

 まるで風の針か何かが、突き抜けたかのような感じ。


 迷宮へ入って早々に、彼等に遭遇した二人。

 古川 美咲(フルカワ ミサキ)は見ているだけ。

 一条河原 鎮(イチジョウガワラ マモル)一人で殲滅していた。


「それが試験中のデバイスか?」


「はい、そうです。二人の三井の、風の能力を参考にしました。まだ試作段階なので、射程が短いのと、魔力の消費が激しいのが難点ですがね。射程はともかく、魔力の消費は何とかしなければ、使える相手を選ぶ事になってしまいますし、誰にでも容易に使えるようにするというのは、難儀なものですね」


「まぁ、そうだな。せめて非能力組の自衛が出来る程度には、なればいいのだが」


「出来うる限り善処はしますが、中々厳しいですね」


 古川と鎮は、緑の肌の亡骸には何の痛痒も感じてないようだ。

 この二人はそれだけ、このような状況に慣れているという事だろう。


 迷宮内、歩みを進める二人。

 突然響く何かの音。

 音は反響して、聞こえてきたようだ。

 はっきりと何の音かは特定は出来ない。

 数瞬思考した古川は、推測を口にする。


「爆発音か!?」


 少し怪訝な表情になった彼女。

 だが、その音とは別。

 ほんの微かに聞こえてきた、いくつかの音に即座に注意を振り向ける。

 しばらくそのまま音を聞いている古川。


 鎮はその音にまでは気付いていない。

 その為、古川が何に意識を割いているのか、わからなかった。


 古川の耳には、追う者と追われる者のような、足音にも聞こえている。

 彼女は突如、何の説明も無しに音の方に走りだした。


「しょ・所長?」


 突然走り出した古川。

 音に気付いていない鎮は一瞬唖然する。

 だが、後を追いかけない訳にもいかない。

 渋々走りだした。


 彼には、古川の走り出した意図がわかりかねている。

 だが、そんな事を斟酌してくれる雰囲気ではない。

 その為、ただただ追いかけるだけだ。


 鎮の瞳にも見えた光景。

 通路のかなり奧。

 無数の光点のようなものが、闇に飲まれていくのが見えた。


 訝しげな表情になる鎮。

 だが、古川は走る速度を緩めない。

 しかしその理由はすぐわかった。


 闇の中から不安定な足取りで進む何か。

 時折、左に右に、ふらふらしている。

 まるで泥酔して、千鳥足になっているかのようにも見えた。


 突然古川は、その場に立ち止まった。

 ますます彼女の行動がわからない鎮。


≪集紫電≫


 古川の眼前から、前方に迸る無数の紫の雷光。


≪狙撃≫


 こちらにフラフラと向ってくる何かを避ける様だった。

 歪み、曲がり、その更に後方の、複数の何かを飲み込んでいく。

 一瞬の紫の光。

 手前の二人が、人間である事を鎮も理解した。


 一人がもう一人をおんぶしている形だ。

 何処かで、見た事あるような人物の気がした鎮。

 おんぶしている方の人物が、前のめりに倒れた。


「紫藤と由香だ。鎮に二人はまかせる。元魏の所へ運べ。私は奴らの残りを殲滅してから、当初の目的を果たしに先に進む」


 古川の言葉に、何となく状況を把握した鎮。

 深くは追求しなかった。


「わかりました」


 倒れた紫藤 薫(シドウ カオル)と間桐 由香(マギリ ユカ)。

 二人の側を走り抜ける古川。

 鎮は紫藤と由香の側に屈みこむ。


「これは重症どころじゃないかもしれない」


 どちらも血塗れで、傷だらけだった。

 一箇所二箇所は骨折もしているだろう。

 見た限り、戦闘で追うような怪我とも思えない。


 そんな事を考えながら、懐から二枚の札を取り出す鎮。

 何かを呟きながら札を投げた。

 札が輝き、現れたのは二匹の蜘蛛。

 比較的ずんぐりむっくりしており、毛で覆われている。


 一匹は青と白の色合いで、もう一匹は黄と白の色合いだ。

 蜘蛛としてはかなり大型の部類に入る。

 毛の色も相まって、些か現実感を欠いた存在にも見えた。


「カロリーナ、リオネッラ、頼むよ」


 そう語りかけた鎮。

 まるで、意思疎通しているかのようだ。

 カロリーナ、リオネッラと呼ばれた二匹の蜘蛛。

 その場で、円を描くように回った。


 鎮が、紫藤と由香を、静かに床に寝かせる。

 微かに呻いた二人。

 心配でもしているのだろう。

 しゅんとしていた二匹の蜘蛛。

 鎮の頷きにより動き出した。


 まるで、体を保護膜で包むかのように、糸で二人の体を覆っていく。

 そうして、体の骨折してそうな所や、傷口の酷い所を糸で固定していった。

 仕事が終わると、二匹は鎮の体を駆け上がり、彼の肩で止まる。


「カロリーナ、リオネッラ、ありがとう」


 鎮の言葉に反応するかのように、肩の上で回る蜘蛛二匹。


≪空気固定(エアフィックス)≫


 紫藤と由香の体が、まるでその下にベッドがあるかのように浮き上がる。

 ある高さまで浮き上がると、停止した。


「消耗が激しいけどしょうがないか」


≪空中浮遊(エアリアルフロート)≫


≪空中移動(エアリアルムーブ)≫


 立て続けに唱えた鎮。

 更に少しだけ上に持ち上がる二人。

 紫藤と由香の体が、ゆっくりと前方に移動を始める。


 鎮の肩に乗っていた二匹の蜘蛛。

 それぞれの前方に、空中を駆け上がり移動した。

 まるで、空気が固定でもされているかのようだ

 周囲から見れば、二匹の蜘蛛と二人が空中に浮いている形だ。


 一人前方に進んだ古川だが、戦闘はすぐに終結したようだ。

 鎮の耳には、遠ざかる足音だけが聞こえてきた。

 言葉通り一人で先に向ったのだろう。

 振り返る事もなく、進んできた道を戻り始める鎮。

 しかし左の横道から、緑肌の彼等が二十程の群れで現れる。


 だが相手が悪かった。

 実際にはただの八つ当たりであった。

 本来ぶつけるべき相手は違う。

 だが、鎮はこの時点で、二人に何が起きたのかはわからない。


 所属は違えども、同じ研究所で働く仲間を傷付けられたのだ。

 彼の表情には出ていないが、内心では怒っていた。

 緑肌達に取っては、いい迷惑だったのかもしれない。

 どちらにしても彼等は鎮達に襲い掛かっただろう。

 だから、結果的には、同じ結末にはなったとは思われる。


 鎮達が通り過ぎた後、残されていたのは亡骸。

 ズタズタに切り裂かれた躯。

 押し潰されたかのように拉げた屍。

 粉々に砕け散った遺骸。

 全て、緑肌の成れの果ての姿。


 医術の心得があるわけではない鎮。

 彼には、出来る事は限られていた。

 二人の手首から脈拍を確認する。


 紫藤と由香は一応呼吸はしている。

 しかし、微かに弱くなりはじめ、体温も低下し始めているのがわかった。

 鎮は進む速度をあげざるを得ない。


≪空中加速(エアリアルアクセラレート)≫


 二人が、移動する際の加速の振動に、影響を受けないのかはわからない。

 だが、ここで止まっているわけにもいかなかった。


-----------------------------------------


1991年6月10日(月)PM:13:11 中央区人工迷宮地下一階西ブロック


 暗がりの迷宮の中、壁を進む赤と白の蜘蛛。

 鎮がアグワット・カンタルス=メルダーとアリアット・カンタルス=メルダーの追跡に放った蜘蛛だ。

 彼女は想定外の事態を目撃。

 追跡を中断し、状況を報告する為に戻る途中である。


 たが、迷宮内を熟知しているわけでは無い。

 その為、出口までの道はわかっても、古川の居場所がわからなかった。

 出口に戻りながら、周囲を警戒しつつ進む。


 しかし彼女はここで一つミスをしていた。

 想定外の事態を引き起こしかねない人物。

 相手がその後、どう行動するのかを考えていなかった。


 その事に気付いていない。

 ひたすら古川を求めて、辿って来た道を遡る。

 そしてやっとの事で、目当ての人物に遭遇する事が出来た。


「赤と白の蜘蛛? 鎮の式神か。アンジェラだったか?」


 少し遠くにいる古川の声が聞こえた。

 このままでは、見たものを彼女に伝える事は出来ない。

 アンジェラと呼ばれた蜘蛛が光り輝いていく。

 その光が、人型に変わっていった。


 歩いて近づいてきた古川。

 彼女の表情が、若干引きつっていた。

 しかしアンジェラには、その理由はわからない。


「鎮の趣味か!? 人の趣味をどうこう言うつもりはないが・・。これはいくら私でも、言葉が出ないぞ。本当何考えるんだ?」


 古川の言葉もお構いなしだ。

 アンジェラは、彼女の耳元に顔を近づける。

 知りえた情報を囁き始めた。


 アンジェラの服装に、若干引き気味だった古川。

 その顔が、徐々に真面目なものに変わる。

 最後には、剣呑なものに変化していた。


「場所は何処だ? 案内を頼む」


 アンジェラは頷いて、蜘蛛型に戻らないで走り出す。

 しばらく走ると現れた五体の緑肌。

 アンジェラの放った炎に斬り裂かれ、床に倒れ伏した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る