122.逃走-Escape-

1991年6月10日(月)PM:12:32 中央区菊水旭山公園通


 制服姿のまま歩いていく銅郷 杏(アカサト アン)。

 古びたアパートの一室に入っていく。

 部屋の中には塩辛、藻岩早苗。

 赤子を抱える麦藁がいた。

 銅郷は、軽く手をあげ挨拶とする。


「カゲロウさんどうしたのだ?」


 突然の彼女の来訪に、驚きの表情の三人。

 代表して問うた塩辛。


「イーノムが、私達には何も言わないで動いたみたい。それとやはり中里は因子持ちだったわ。予想通りね」


「そうですか」


「ところで薄羽黄はどうだったの?」


 藻岩早苗に、目線を向けた銅郷。


「イーノム配下の、特殊技術隊の一人でした。第二小隊に所属のようです」


「そう。それじゃあ私達の監視役ってところ、だったのかしらね」


「はい。そのようです」


「まんまと騙されてたってわけか」


 少し自嘲気味に零した銅郷。


「一旦手を引く事にしましょう。何がどう動くのか予測が立たないし。イーノム達の、本当の目的もわからないしね。他のハーフ達の為にも、どうするのが最善かもう一度考え直しましょう」


「それでは一度戻るのですか?」


「そうね。麦藁。その方がいいと思うわ。彼女が因子持ちなのが確定した以上、学校に通う理由もなくなったしね」


「わかりました。それでは他のメンバーを呼び戻し次第、撤退いたします」


「塩辛、よろしくね。それといろいろとごめんね」


「いえ、予定外の事態が起こりすぎたのです。カゲロウさんが気に病む事はありません」


「ありがと。ところで麦藁の抱いている赤子は?」


「この娘は亞眞奈。久下 眞彩(クゲ マアヤ)の実子です」


「そう。出来れば彼女達も保護したかったわね・・・」


「申し訳ありません。私のミスです」


「塩辛が気に病む事じゃないでしょ。それこそ予定外の事態の一つよ。それじゃあ私は先に戻るから。藻岩早苗、護衛お願いね」


「はい」


 藻岩早苗を伴い、その場を後にした彼女。

 まるで妹とでも接してるようだ。

 他愛の無い話を振りながら歩いていった。


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1991年6月10日(月)PM:12:40 中央区環状通


 気だるい体を動かして、歩いていく一人の男。

 その瞳は若干血走っている。

 時折思考も明滅。

 集中する事もままならない。


 自分が本来向おうとしていた場所。

 そことは異なる方向に進んでいるのはわかっている。

 しかし彼は、進む方向を変えない。


 自分を呼ぶ声に、何故か惹かれているのだ。

 その心に響く声。

 少女のようにも、年老いた老女のようにも聞こえる。


 でも何故か、自分にはとても心地良い。

 そう感じているのはわかった。

 だから歩みは止めない。


 辿り着いた場所。

 所々崩れており、窓も割れ放題の古びたマンション。

 かつて長谷部 和成(ハセベ カズナリ)と悠斗が遭遇。

 三井 義彦(ミツイ ヨシヒコ)と悠斗の接点が出来た場所だ。


 義彦が長谷部と激闘を繰り広げた。

 竹原 茉祐子(タケハラ マユコ)と義彦。

 二人が再会した場所でもある。


 埃が積もっていたり、備品が破壊されていたりしている。

 コンクリートの破片が散乱と散々な状態だ。


 彼はその光景に何の痛痒を感じる事もない。

 声に従うままに階段を昇り始めた。


 蓄積していく疲労。

 けだるさの増して行く体。

 それでも一歩、また一歩と足を振り上げる。


 やっと辿り着いた十階。

 廊下を進む。

 お札の貼られた扉の前に辿り着いた。


 ドアノブに手を掛け回してみる。

 鍵が掛かっていた。

 開ける事が出来ない。


 扉を開ける方法。

 思考の定まらない頭で考えてみる。

 再び頭の中に響いてくる声。


『わらわはこの扉の奧じゃ。はやくその手にわらわを抱きしめて欲しいのじゃ』


 重い頭でほぼ無意識に、彼は力を行使する。

 マンションを覆い尽くしていく。

 爛れた複数の太い蔓植物。


 その一つが、彼の目の前の扉を粉砕。

 屋上まで突き破った。

 彼は吹き飛ばされ壁に叩きつけられる。

 立ち上がり前に進む。


 目の前の触手の如き蔓。

 二つに割れて行く。

 その内側は禍々しい色合いで脈動。

 彼が通過し終わると再び接合された。


 部屋の中に進んだ彼。

 黒地のお札の貼られた、一振りの刀を見つける。

 刀の鞘を右手で握り、左手でお札を剥がしていく。


『わらわはここじゃ、わらわを抱きしめておくれ』


 お札を剥がし終わる。

 刀を抱く事もなく、顔を左に向けた。

 そこには鏡台があり、お札が貼られている。

 手前にはお札を貼られて、なお禍々しい雰囲気を纏っている刀。


『わらわを抱きしめておくれ』


 彼は鏡台のお札を剥がす。

 禍々しい雰囲気の刀のお札も剥がした。

 一瞬鏡台に写された、瞳の色を失った少女の顔。


 禍々しい刀のお札を剥がすと消失。

 刀の禍々しさが更に膨れ上がる。

 彼は刀の鞘を、左手で握り締めた。

 右手に別の刀を持っている。


 左手の刀。

 まるで少女を抱きしめるかのように、胸に抱いた。

 禍々しい雰囲気が彼を満たして行く。

 そうして彼は、刀の少女と出逢った。


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1991年6月10日(月)PM:12:46 中央区大通公園一丁目


 テレビ塔で繰り広げられている激闘。

 今だ続いていた。

 生物である以上、疲労と限界。

 二つの切り離せない制約がある。


 それは、そこからさほど離れていない建物の一室。

 眺めている二人にも当てはまる。

 もっとも、その上限値。

 それは、人とは比べ物にもならない値になる。


「アラシレマ、一つ質問だ」


「あーら? アナイムレプが質問なーんて珍しーいね」


「イーノムは確か、十三時になれば、彼らの命は刈り取られると言っていたな?」


「んー? そーだーねー。そうらーしーよー」


「それならば何故、わざわざ行ったのだ?」


 怪訝な表情のアナイムレプ・シスポルエナゼム。

 アラシレマ・シスポルエナゼム。

 珍しくそんな表情をしている彼女に、笑いそうになる。

 何とか笑いを堪えきった。


「簡単なこーとだーよ? 十年おもちゃーにした相手なんだーよ?」


「死に様を見るためだけに行ったと言うことか? イーノムが、それだけの為に行くとは思えないのだが?」


「そーだーねー? たーぶんだーけどね。十三時になる前に、真実を突きつけて、絶望さーせるつーもりーなんじゃーない?」


「真実?」


「ほーらー、十年前にアグワッタ? あれ? アグワッカ? ワグワッカ?」


「アグワットの事か?」


「あーそうそうー。その団長さんの奥様とか、仲間達を惨たらしく惨殺したのって誰だっけ?」


「その真実を伝えるって事か?」


「人の絶望すーる顔、大好きさーんだからねー。アナイムレプだって知ってるでーしょー?」


 苦々しい顔になったアナイムレプ。

 過去に何度もイーノム・アルエナゼム。

 彼の悪趣味な話しを、聞いたり見たりしてきた彼女。

 だがこんな表情になったのは始めてだ。


「アナイムレプが、まーた珍しーい顔してるーね」


 言われて気付いたアナイムレプ。

 だが、何故自分がこんな表情になっているのか。

 彼女自身、理解出来なかった。


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1991年6月10日(月)PM:12:46 中央区大通


 大老より送られた地下区画の資料。

 その中の西口側に向う一台のZZR1100BM。

 突如襲い掛かる二つの影。


 巧みな運転技術で、車の合間を通り抜けていた古川 美咲(フルカワ ミサキ)。

 その影に怯む事もなく巧みな機動で躱す。

 襲撃者と相対する為に一度ZZR1100BMを停車。

 しかしこれこそが相手の狙いであった。


「ちっ。さすがと言うべきか」


「アグワット・カンタルス=メルダーとアリアット・カンタルス=メルダーか」


「その通り。十年間【殺戮の言霊乙女】貴様を殺す事だけを目的に生きてきた。その悲願を今から達成させてもらう」


 狼化していく二人。

 そして出来上がった人狼。

 アグワは赤毛、アリアは明るい金毛だ。


 突然の出来事。

 周囲にいた一般人は、しばしの空白。

 その後に、一気に大混乱に陥った。


 ほとんど何処の公的機関も、何も対処する事が出来ていない。

 一部のメディアにて、断片的に情報を得ている市民はいる。

 しかし、その絶対数は圧倒的に少なかった。


 電話回線が不通。

 それだけの事。

 だが、それだけで情報の伝達を、大いに阻害している。


 車の中で恐怖に怯える者。

 車から降り、逃げ出す者、その場に崩れて驚愕している者。

 その場にいる市民の反応も様々だ。


「これだけ一般市民がいる中で、不用意に言霊は使えまい。強力な言霊であればある程、一般市民を巻き込みかねないからな」


 その言葉を聞きながら、ZZR1100BMから降りた古川。

 ハンドル近くのボタンを一つおした。

 車体の一部が真横に跳ね上がる。

 彼女はそこから何かを取り出した。


 襲い掛かってきたアグワとアリア。

 二人の爪撃を弾き飛ばしす。


 その手に握られていたのは二本の刀。

 ただし、普通の刀身ではない。

 刃の部分は、鮮やかな橙色のエネルギーで構成されていた。


「そんな事は百も承知だよ」


 近くには一般市民が多数。

 無闇に戦闘を続けるわけにはいかない。

 もちろん彼女はわかっている。


 周辺の建物のうち、屋上に人のいない所へ移動。

 それが一番いいのだが、果たして相手が許してくれるかどうか。

 古川は、そう考えていた。


≪閃光≫


 突然全方位に放たれた強烈な光。

 強烈な光に、誰も対処する事は出来ない。

 それはアグワとアリアも同様だ。


 唯一光を発生させた古川。

 彼女だけが動く。

 ZZR1100BMのアクセルを吹かし走りだした。


「逃げるつもりかっ!?」

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