072.店主-Owner-

1991年6月2日(日)PM:19:21 中央区環状通


 スポーツ刈りの男を真ん中に歩いていく三人。

 両隣の少女二人にあわせてるかのように、歩みは比較的ゆっくりだ。

 左側の銀髪の少女が右側を向いて口を開いた。


「柚香ちゃん、今日は何を教えてくれるの?」


「何にしようかな? 義彦さん、何がいいですか?」


「また俺に聞くのかよ・・・」


 義彦と呼ばれた少年、三井 義彦(ミツイ ヨシヒコ)。

 やれやれと言った感じで考える。

 銀髪の少女、銀斉 吹雪(ギンザイ フブキ)の料理上達の為のはずの集い。

 しかし、彼自身がそんなに料理が得意なわけではない。

 なので、聞かれても何がいいかなんてわからなかった。


「うーん、野菜炒めとかでいいんじゃないのか? 時間も時間だしあんまり手の込んだ物は無理だろ?」


「そうですね。それじゃ今日はそれで」


 十二紋 柚香(ジュウニモン ユズカ)の言葉に吹雪は頷くだけだ。


「というかさ。吹雪に教えるのが目的なわけなんだし、柚香が決めるべきなんじゃないのか? なぁ、吹雪?」


「教えてもらう立場な私は柚香ちゃんに従います」


「俺も料理が得意なわけじゃないんだから、何がいいのかなんてわからないし」


「義彦さんの言う事もごもっともですね。それじゃ基本的には私が決めますけど、義彦さん、吹雪ちゃん何か食べたい物あったら言って下さいね」


「わかったー」


「・・・わかったよ」


 素直な吹雪と、若干納得のいかなさげな義彦。

 そのまま料理の話しをしながら歩く三人。

 吹雪の家に向って、歩いているのだった。


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1991年6月2日(日)PM:19:47 豊平区白石藻岩通


 駐車場に車を停めた三井 龍人(ミツイ タツヒト)。

 車から降りて目的の場所まで歩く。

 喫茶店ローズソーンのこげ茶色の扉。

 クローズの文字が見えている。

 大きい窓も全てカーテンが閉まっていて、店内は見えない。


「少しはやく着いたか」


 腕時計をみてそう呟いた龍人。

 扉のドアノブに手をかけて開けてみる。

 電話で言われたとおりに、開いているようだ。


 少しゆっくりと扉を開けて、彼は中に入る。

 浅田 未空(アサダ ミク)が、カウンターの向こう側にいるのが見えた。

 彼女の目の前まで歩いていった龍人。


「申し訳ありませんでした」


 彼は開口一番そう言って頭を下げた。

 龍人が来た事を確認していた浅田。

 彼のその行動を半ば予想していたのだろう。

 特に驚く事もなかった。


「気にしないで下さい。とりあえず頭を上げていただけますか?」


「――はい」


 若干躊躇したものの、龍人は頭を上げた。


「夕飯は食べましたか?」


「えっ? はっ!? いえ、まだですが?」


 彼の予想もしていなかった質問。

 一瞬唖然としたが、思わず正直に答えていた。


「それは丁度良かったです。実はマスターがメニューを増やすのに、試作したのがいくつかあるんですが一緒にどうですか?」


「え? 約束を忘れていた相手にいいんですか?」


「構いませんよ。マスターに許可ももらってますし、是非感想を聞かせてもらえますか」


「それじゃ、お言葉に甘えさせていただきます」


「それでは、そこのテーブルに座ってお待ち下さい」


「わかりました」


 龍人は、浅田に指定されたテーブルに座る。

 座るのを確認した浅田は奧に入っていった。

 そこはおそらく厨房になっているのだろう。


 浅田の声と、男性の声が微かに聞こえる。

 さすがに何を言っているかまでは聞き取れなかった。

 少しして戻って来た浅田。


「三井探偵、コーヒーでいいですか? もちろんお代はいりませんよ」


「え? そこまでしてもらっていいんですかね?」


「大丈夫ですよ」


「それじゃ有難く。ブラックでいいので」


「わかりました」


 少ししてコーヒーを二つ持ってきた浅田。

 一つは龍人の前に、もう一つはテーブルを挟んで龍人の反対側に置く。

 角砂糖の入った瓶も一緒に置いた上で、浅田はその席に座った。


「少し時間かかると思いますので、その間に先にお話ししますね」


「わかりました。お願いします」


 彼女は、角砂糖の入った瓶の蓋を取る。

 二つコーヒーに入れて、掻き混ぜて一口飲んだ。


「電話でもお話しましたが、長谷部さんの奥さんと娘さんが行方不明になる、一週間位前の十八時半位に来店したと思います。注文を頂いて持っていった時に、資料のようなものを見ながらブツブツと呟いていました。偶々聞こえたのがタイマキョクとトンボケンのという部分でした。珍しく何かに思い悩んでいるようにも見えました。知る限りはそんな事は初めてでしたね」


「そうですか」


 聞き取った事を、スケジュール帳のメモ欄に記載していく龍人。


「常連だったんですよね? その時も含めて何か気になる事を言ってたとかありますか?」


「気になる事・・・ですか・・」


 浅田は少し思案顔になり、当時の記憶を思い出しているようだ。

 その間に二口、龍人はコーヒーを飲む。

 しばらく無言になったままの二人。


「また何か思い出す事があればご連絡をお願いします」


 これ以上の情報はすぐには出てこないだろうと判断した龍人。

 彼はそう浅田に言って、事件に関わる話しはしない事に決めた。


「そう言えば料理の試作って事ですけど、何が出てくるんですかね?」


「パスタとスープですね。それとタルトが二種類のはずです」


「結構なボリュームな気がするんですが? いいんですかね?」


「いいんじゃないですかね? 私達としては是非感想を聞きたい所ですから」


 そんな話しをしていると、奧の部屋から声が聞こえてきた。


「未空。出来たから運んでもらえるか?」


 比較的高音の、柔らかい感じの男性の声だった。


「はぁーい」


 少し大きめの声でそう言った浅田。


「龍人さん、お持ちしますので少しお待ちくださいね」


「は・はいわかりました」


 立ち上がり奥に消えていく浅田。

 何となく目で追っていた龍人。

 しばらくしてトレーに、パスタとスープを載せて戻って来た。

 そこには二人分なのかパスタとスープが二つずつある。

 一つは龍人の前に配膳され、もう一つは浅田が自分の席に置いた。


「ごめんなさいね。手が離せないみたいで」


「そう言えば以前来た時も、いる間は顔見せませんでしたね。嫌われてるんですかね?」


「んー、そんな事はないと思うんですけどね。あ、パスタの方がカルボナーラでスープはパンプキンスープになります」


「食欲をくすぐるいい匂いですね。それじゃ頂きます」


「どうぞ、それじゃ私もいただきます」


 奧から出てこないマスターを放置して、龍人と浅田は食事をはじめた。

 感想を求められているので、龍人はなるべく味わって食べる。

 正直かなりうまいし、自分の好みにあっていると感じていた。

 量的に浅田のよりも龍人の方が幾分多い。


「おいしいですね」


 一度口の中にあるものを飲み込んだ龍人。

 その後はどちらも言葉を交わす事なく、三十分程食事の音だけが店内に響く。

 先に食べ終わった浅田に見られながら、少しだけ居心地悪く食べている龍人。

 それでも、それから程なくして彼も食べ終わった。


「ごちそうさまでした」


「おそまつさまでした。それじゃ片付けてきますね」


 浅田は慣れた手付きで、トレーに皿を載せて奧の部屋に消える。

 戻って来た浅田の手には、トレーに先程と違う小さめの皿が二枚。

 角度的には見えなかったが、それぞれにタルトが載せられているのだろう。

 龍人の前に置かれた二枚の皿には、予想通りタルトが載っている。


「左側がパンプキンタルト、右側がグレープフルーツタルトになります。龍人さん、コーヒーのおかわりはいかがですか?」


「あ、それじゃありがたく頂きます」


 カウンターでコーヒーを入れて戻ってきた浅田。


「それでどうでした?」


「どちらもおいしかったですね。ただ個人的好みで言うならもう少しベーコンがカリカリの方が良かったかなって所ですね。味付けとかは充分満足でした」


「そうですか。マスターには後で伝えますね」


 手元に視線を戻した龍人の前には二種類のタルト。

 左側は表面が黄土色の、しっとりとしたパンプキンタルト。

 右側は、輝くような黄色と、橙色の鮮やかな色合いのグレープフルーツタルト。

 おそらく二種類のグレープフルーツを使っているのだろう。


 浅田の入れたてのコーヒーが配膳される。

 龍人は、それを待ってから、パンプキンタルトをフォークで切って一口食べてみた。

 しっかり味わってから、次にグレープフルーツタルト。


 どちらも感嘆するほどおいしかった。

 知らない間に緩む口角、たぶんうまいと顔が表現している事だろう。

 食べきれるか不安だったのも最初だけ。

 龍人は、あっさりと完食してしまった。


「どうでしたか?」


「感嘆するほどおいしかったです。こんなおいしいタルトははじめて食べたかもしれません」


「ありがとうございます。あの人も喜びます」


「約束すっぽかしてしまったのに何だか申し訳ありません」


「いいんですよ。結果的に私達も、他の方のご意見も聞く事が出来ましたし」


 彼女は、龍人が食べ終わった二枚の皿を手に持ち奧へ向かった。

 戻って来た浅田の手には、袋に入れられている浅めの白い箱が二つ。

 その箱を見て、龍人の頭の中は疑問符満載になった。

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