10話 ウメばあの昔話

「ええい、今更ぐだぐだ言ったって遅いんだよ!」


 いつもの駄菓子屋では、ウメばあの怒号が響いていた。

 ぎょっとしてお互いの顔を見合わせる。


「あんたみたいなのにやる家はないよ! 貸した金返してから言ってみな!」


 ウメばあの自宅の玄関側から、中年くらいのおじさんが追いだされていた。

 玄関先で喚いているウメばあに何かばらばらしたものを投げつけられている。塩だ。


「このクソババアが! とっととくたばっちまえ!」


 おじさんもまた悪態をつくと、ぺっと唾を吐きかけた。それからまた何か言いたげにしていたけれど、あたしたちが茫然と見つめているのに気が付くと、舌打ちをして向こうへと歩きだした。


「なんだ、ありゃあ?」


 ナツキ君もしばらく困惑したような表情だった。


 朝ごはんを食べたあたしたちはウメばあの駄菓子屋へとやってきた。ウメばあの駄菓子屋は、道に面したところが入口になっている。けれど、その後ろにある自宅には玄関が別にある。そっちは正面から見て右側に存在しているのだ。

 妙な空気が漂いかけるなか、アキト君は何事もなかったかのように駄菓子屋側の扉を開けた。

 音に気付いたのか、ウメばあが奥の座敷をばたばたと踏みつけてやってきた。一瞬ぎろりとこっちを睨みつけたが、あたしたちの姿をじろじろと見ると鼻を鳴らした。


「なんだ、あんたたちかい」

「ウメさん、今の人は?」


 アキト君が単刀直入に聞く。


「甥っ子だよ。あたしからすればただのロクデナシだね。あんたたちに貸したあの家、勝手に自分の物になると思ってたみたいでね」

「家? 家って、ひょっとしてゆうれいやし……」


 ナツキ君が言いかけたのを、シュンスケ君が口をふさぐ。

 ウメばあにじろりと睨まれたが、それ以上はなにも言ってこなかった。


「あの家は元々、ウメさんが管理してたんだよ」

「えっ、そうなの?」

「ほら、雨の日に一緒に帰った時があるだろう。あの時、ウメさんに挨拶に来てたんだよ」

「あのとき!?」


 いったいいつ――と聞きかけて、あたしはさっきの玄関の件を思いだした。

 あのとき挨拶のために玄関から入ったなら、あたしが最後になった後でも駄菓子屋側から出て来ることができる。


「途中から買い物帰りのお客がいっぱい来てて、しばらく奥の部屋で待ちぼうけをくらってたけど」


 そう考えてみれば、なにも不思議なことはなかった。

 でも、そうなると……。


「もしかして、ウメばあがあの屋敷の噂をされるのを嫌がるのって……自分の管理している家だから?」

「どこのガキどもが言いだしたかわからないけどね、あそこは〈フランス館〉であって、幽霊だの妖怪だの出るようなイカレた屋敷じゃない」


 ウメばあは吐き捨てるように言った。


「へえ! そうだったんだ……」


 フユが目をぱちぱちさせながら言った。


「ついでに写真撮っていいですかね! 今、ゆうれい――」


 今度はシュンスケ君の口をフユがふさぐ。


「それにしても、ウメばあから〈フランス館〉なんて言葉が出るとなあ」


 ナツキ君が意外そうに言った。

 確かにそれはちょっと思う。

 ウメばあは生粋の日本人だし、あんまり外国には興味がなさそうだ。そんなあたしたちを睨みつけると、ウメばあはふんと鼻を鳴らした。


「あそこは〈フランス館〉なんだよ、あんたたちが何を言おうとね」


 妙にこだわる。

 そこまでいうのは何か理由があるのかな。


「ウメさん、ちょっと耳をいいですか。あそこのもとの持ち主は――」


 アキト君はウメばあの耳に顔を近づけると、何事かこそこそと内緒話をした。

 ウメばあの表情が目に見えて変わったのがわかった。


「さすが、あたしが見込んだだけあるね!」


 そのまま背中がばっしと叩かれた。

 イタッ、と小さな声がしたのを聞き逃さない。


「いや、その息子の方だったね。そうだよ、だからあそこは家具を動かしちゃいけないんだ。それを最近の奴らは、家具は変えていいかとかせっかくだから売れとか、好き放題言いやがって!」

「もとの持ち主って、ウメばあが住んでたの?」


 フユが小首をかしげた。

 ふん、とウメばあの鼻息が荒くなる。


「住んでたのはあたしの兄様だよ。年は一回りも上だったけどね」


 ウメばあにお兄さんがいたなんて初耳だ。


「兄様はねえ、それはそれはステキだったのよ」


 ウメばあは唇を舐めたあとに、うっとりして続けた。


「ふらんすかぶれだなんて言う人もいたけどね、あの黒い――しるくはっととかいう帽子に、片眼鏡をして、口ひげをつけるととてもステキだったわ」


 ウメばあは話し出すにつれてニコニコと笑いだした。

 私はぽかんとしてしまった。

 あのしかめっ面のウメばあが、こんなに自分のお兄さんを自慢するなんて……。


「では、あの家もお兄さんのご趣味で?」

「もちろん。戦後しばらくしてからじゃけんね、前の家は戦争には耐えたんだけど、やっぱりガタが来て」

「しかし、あの広さなら前の家もずいぶんなお屋敷だったのでは?」

「そりゃあね、元はここいら一帯の大地主だったもの。それよりももっと前は山も持ってたからね。今の家がある場所も、昔は森に囲まれていたし。そりゃあ、地下に防空壕があったくらいだもの」

「ボウクウゴウ?」


 あたしたちは首を傾げる。


「戦時中に、空襲から逃げるために隠れた施設のことだよ」


 フユがこそっと教えてくれた。

 あたしははっとして口をおさえる。


「そのとおり。少しずつ土地を売り払って、今ある場所に家を建てたのさ」

「穴はふさいでしまったんですか? 見たところ、それらしいものはありませんでしたが」

「さぁ、そのころにはあたしもこっちにお嫁に来てたしね。何度か行ったけど、防空壕をどうしたって話は聞いてないね。ふさいじまったのかもしれない」

「そうですか……」

「ただ――」


 ウメばあの言葉に、全員が顔をあげた。


「秘密の部屋があると言っていたよ。兄様は最期まで教えてくれなかったけど」

「それって、屋根裏のことじゃねえのか?」


 青い色の水アメを持ちながらナツキ君が尋ねた。

 い、いつのまに。

 顔色ひとつ変えずに代金を受け取って、ウメばあは首を振った。


「なぽれおんがどうとか……。あたしにはさっぱりだったけど」

「ナポレオン……」


 やっぱりあの書斎には何かがあるのか。

 書斎の様子を思いだしてみるけど、何か変なところはあったっけ。

 隣でナツキ君が水アメの棒を割って、舐めながらぐるぐると水アメを柔らかく回している。青い色に段々と白が混じっていくのを眺めながら、あたしは考え込んだ。


「ところで、あんたたちは何も買わないのかい」


 ウメばあの言葉に、はっと我に返る。


「そういえば、お菓子も買いに来たんでしたね!」


 シュンスケ君が途端に陳列棚に目をやった。写真はどうするつもりなんだろう。

 とはいえ、あたしも何か買いたい。ぐるりと駄菓子を見回す。ナツキ君もまだ買うつもりらしくて、水アメを口に突っ込みながら違うものを見ていた。

 何を買おうかと思っていると、不意にフユが隣に立った。


「ねえ、シキちゃん。あの書斎にあるナポレオンって、なんか変だよね?」

「え?」


 思わずキョトンとしてフユを見てしまう。


「どこが……って、わかんないんだけど……違和感があるっていうか……」

「あっ、青野さんもそう思います?」


 シュンスケ君まで。


「違和感っていわれても……」


 あのナポレオンに何か違和感があるなんて、考えたこともなかったけど。

 でも、二人もそんなことを言いだすと、もしかしたら変なところがあるのかもしれない。馬なのか、ナポレオンなのか、それとも絵画そのものなのか……。


「二人とも、ちょっといいか?」


 アキト君が急に二人に話しかけた。それから、シュンスケ君に何か聞いている。フユにも同じようなことを聞いたけれど、フユは渋い顔をした。


「じゃあ、僕がやりますよ。でも、何でですか?」


 やばい、聞こえなかった。

 でもこれは、進展の気配がする。

 じっさい、アキト君はこう続けた。


「幽霊の謎が解けそうだ。だけどその前に」


 そ、その前に?


「オレもお菓子買ってく」


 がくっと崩れそうになった。

 ……あたしも買おう。

 そしてあたしたちはようやくそこで、落ち着いて駄菓子を買う事になったのだ。この五人で日曜日に駄菓子屋なんて、なんだか変な気分。それに、午前中のまだ早い時間だったせいか、他にお客さんがいないのも拍車をかけていた。

 ナツキ君も普段見ないような、店の隅っこにあるようなビー玉を手に取っている。あたしも何か普段は買わないようなものを買おうかな。

 そんな風に夢中になっていると、店内にアキト君がいないことに気がついた。ぐるりと店内を見回すと、駄菓子屋のガラス戸の外でどこかに電話しているのが目に入った。


「――あ、母さん? もしもし、聞こえる? ああ、よかった。実は……」


 そのあとは聞こえなかった。

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