1話 いつもの駄菓子屋

 ウメばあの駄菓子屋は、あたしたち小学生の〈いつものばしょ〉だ。

 〈社交場〉だなんて気取った言い方をする子もいるけど、たいていは〈いつもの〉とか〈いつものばしょ〉だ。日差しのきつい暑い日でも、今日みたいな雨の降りそうな天気でも、それは変わらない。

 そんなあたしたち的場小学校の子供たちの〈いつものばしょ〉は、ゆるやかな坂をのぼった先の角にあった。

 古い家がたちならび、お寺が二つも近くにある静かな一角は、下校時間を過ぎたとたんににぎやかになる。ともだち同士はとうぜんとして、たとえ一人でもふらっと駄菓子屋に来るのは、あたしたちにとってごく普通のことだ。


 そういうわけで、今年で十一歳になる小学校五年生にして駄菓子屋歴五年の〈あたし〉こと土原シキも、こうしてのんびりとしているわけ。


「ウメばあ、お会計!」


 店主のおばあちゃん――みんなウメばあと呼んでる――は愛想が悪くてお会計にキビシイ。

 駄菓子屋の方も、薄暗い店内の壁は黒ずんでいて、ガラス戸は今にも外れそうにガラガラ音を立てている。それでも、昔風の広い土間にずらっと並べられているお菓子は、宝石みたいにキラキラしていて、よりどりみどりだ。

 色とりどりのグミや、キャンディ、水あめ、小さな四角いお餅に、大きなエビせん。ひとくちサイズのチョコレートの山にガムの入ったアメ、カツ味のフライ。それからオレンジ色の蓋の容器に入っているのは、串の酢イカ。

 それだけじゃなくて、ビー玉とか、あたりのついたクジだとか、アイドルのブロマイド、やさいやくだものの形のケシゴム。スーパーボールやカードゲームのカードも目を引く。だけど、壁際に立てかけられた売り物の勉強ノートは、すっかり色あせてしまって、勉強好きの子ですら中々手に取りそうにない。そういうお店だ。


「あ、シキちゃん」


 そうそう、忘れちゃいけないけど、こうやって学校の外でクラスメイトと会うのもちょっとフシギな感じ。


「ユカリちゃんだ。来てたんだね」

「シキちゃんは、ひとり?」


 声をかけてきたのはクラスメイトのユカリちゃん。ふだんはちがうグループにいて、あんまり話をしたことはない。そういう子たちと外で話をするのは、なんだか気恥ずかしいようなくすぐったいような変な気分だ。


「うん、誰かいないかなって思って。ユカリちゃんはどうしたの?」

「これから塾だから、その前にみんなとちょっと寄ってみたんだよ」


 そういえば、ユカリちゃんたちのグループは塾仲間でもあったんだっけ、とおもいだす。


「塾に行くまで、降らないといいんだけど」


 ユカリちゃんはすりガラスの向こうに見える空を見て言った。

 降りそうで降らなさそうで、やっぱり降りそうで……。


「朝の予報だと、いちにち曇りの予定だったんだけど」


 あたしが言うと、向こうからユカリちゃんを呼ぶ声が聞こえた。


「ナナちゃん呼んでるから、またね、シキちゃん」

「うん。またねえ」


 学校から離れて、他愛のないおしゃべりをする、ちょっとほっとする時間。

 ただ最近この平和が、少しずつ崩れつつあるのが小さな悩みだ。


「ウメばあ、当たり出た、当たり!」

「ああ? 本当にうちで買ったものだろうね」

「ほんとうだって! さっき買ったの見たろ!」


 ウメばあはお父さんが子供の頃からおばあちゃんだったと言わしめるくらいで、もう百歳を超えてるんじゃないかという噂まである。

 たぶん、単なる噂なんだろうけど、ウメばあを見てるとまんざらウソでもなさそうなのが怖いところだ。緑色のナベをかきまわしてグルグル回してたって言われても、信じてしまいそう。

 ……って、そんな事はどうでもいいんだった。

 あたしは店のすみっこにある古いベンチに座りこんで、とりあえず買った水アメを舐めながら他の子たちの話に耳をかたむけた。


「なあ、知ってるか? 幽霊屋敷の話」

「しっ、ウメばあに聞かれたらどうすんだよ」


 あたしは反射的に、ウメばあの方をちらっと見つめた。

 ウメばあは土間の奥、一段上がったところにある畳の座敷に座っていた。あそこはウメばあの個人スペースで、たいていお会計でもなければあそこでテレビを見ていた。だけど、ピキッと音がしたような気がする。

 それには気が付かなかったのか、話を振った黄色いシャツの男の子は話を続ける。


「なんで? お前も気にならないのかよ、幽霊屋敷のユーレイの話!」


 黄色シャツの子の声が大きくなる。


「また出たんだってよ。白い影とか、女の人の悲鳴とか……」

「やめろって。ウメばあ、そういう話キライなんだよ」

「ウメばあ、ユウレイ怖いのか?」


 ウメばあの弱点得たり、とばかりに黄色いシャツの子はにやっと笑った。


「そうじゃなくて、ユウレイキライなんだってさ」

「何それ、ユウレイ怖いのとキライなのとどう違うんだよ」

「どうって言われても……」


 もう一人の男の子は返答に困っていた。

 そりゃあ、あたしだって、ピーマンは苦手なのかキライなのかどっちなのかって言われると困る。あたしは水アメの棒をバケツに捨てると、お菓子を選ぶふりをしてそっと男の子たちの方から離れた。


「ウメばあ、ユーレイ怖いんだろ~!」


 いつも不機嫌なウメばあの苦手なものを見つけてやった、という悪戯心が、その一言からひしひしと感じられる。


「ああん?」


 ウメばあの機嫌がますます悪くなっていく。


「ちょ、ちょっとお前……」

「近所にユーレイ屋敷あるんだぜ、知ってるか?」


 沈黙が降りたあと、あたしを含め、男の子たち以外の全員が耳をふさぐ。

 間一髪、巨大なカミナリが落ちたのはわかった。


「そげなくッだらないこと言ってんでねえ!」

「う、うわああっ!」


 男の子たちがお菓子を放り出して半泣きで出て行った。

 ちょっと可哀想だけど、これは〈洗礼〉のようなものだ。


「ふん!」


 そう。

 ウメばあは幽霊がキライらしい。

 別に幽霊が怖いわけじゃなく、幽霊なんて信じていないからバカバカしいという理屈だ。だから、怖がったりウワサしていると、すぐに駄菓子屋から追い出されてしまう。

 でもここ半年くらい、とくにみんなが〈幽霊屋敷〉の噂をしだしてからというもの、どういうわけかよりピリピリしだしている。

 それはウメばあが幽霊話がキライだから……というのがみんなの一応の見解だけれど、それにしたって限度ってものがある。だいたい、それまでだって学校に出る幽霊の話くらいはしていた。だけど……。


「まったく。近頃のガキどもは……」


 ウメばあはやっぱり不機嫌だった。

 ここまでくるとみんな慣れたもので、硬直状態からじょじょに回復しつつあった。


「ウ、ウメばあ、お会計……」


 誰かがお菓子とお財布を手に、おずおずと声をかける。


「あいよ」


 不機嫌の極みながら、お会計にはきちんと対応するウメばあはさすがだ。

 だけど、やっぱり妙なことには違いなかった。

 こういうわけで、あたしたちの平穏は少しずつ変わってしまっていた。

 しばらくしてみんなの空気が元にもどると、今度は遠くの方で本物のカミナリが鳴り始めた。いつの間にか暗くなっている。

 人数も一人減り二人減り、いつの間にかユカリちゃんたちもいなくなっていた。たぶん、急いで塾に向かったんだろう。

 まだ残っている子たちも雨の気配をビンカンに感じ取っているらしく、次々とお会計をして出て行ってしまった。あたしも急いで目的のお菓子を持って並んだけど、気付いたときには一番最後になってしまっていた。こういう時だけみんな早い。

 慌ててビニール袋を持って出て行こうとしたけど、ついに降ってきた雨は、見事にあたしの帰り道を邪魔してくれた。大粒の雨が目の前に降り注いでいる。

 まわりを見ると、駄菓子屋の軒先に取り残されたのはあたし一人だった。


 ――ツイてないなあ、こんなときに。


 傘、持ってこればよかった、と思ってもあとのまつり。

 あたしは溜息をつきながら、軒先から雨の様子を見る事にした。


 ザアアアァァ――


 雨はやむ気配もなく降り続いている。勢いが強いからすぐにやむかと思ったけど、どれだけ待っても雨はやまなかった。時計を持ってこなかったからかもしれないけど、ひょっとするとまだそんなに時間は経ってないのかもしれない。

 これはもう走っていくしかないか、と思い始めたとき、突然後ろでガラガラと扉が開く音がした。


 ――あれ?


 瞬きをして、あたしはぱっと振り返る。


 ――ウメばあ?


 という予想は、見事に砕かれた。

 その子は、手に持っていた傘をぱっと開いた。

 見た事のない男の子だった。

 もう六月だっていうのに、暑そうな黒いシャツに黒いズボン。年の頃はあたしと同じくらいだけど、クラスメイトでもない。ちらっと見たぐらいだとなんだかかっこいいけど、隣のクラスの子でもなさそうだ。


 ――誰だろ?


 あたしがそんな事を思っていると、不意にその子と目があってしまった。

 というより、その子が急にあたしの方を向いたのだ。慌てて目を逸らそうとしたけど、先にその子の方が話しかけてきた。


「ウメさんが、一緒に帰ってやれってさ」

「えっ?」


 その子は困惑するあたしに、男の子はさした傘をちょっと傾けた。入れ、ってことらしい。あたしはちらりとすりガラスの向こうを見たけど、ウメばあの姿は見えなかった。奥の方でぼんやりと黒く動くものが見えるだけだ。


「え、えっと、ありがとう」


 あたしは戸惑いながら、傘の中に入る。なんだか、一緒に帰るというこの状況そのものが恥ずかしい。


「家、どっち?」


 けれど、その子はしれっとそう聞いてきた。指し示した方向にもちゃんと歩いてくれる。自分だけ駄菓子の買い物袋をさげているのも、食いしん坊みたいで拍車をかけていた。


 ――それにしても……。


 この子、どこから入ってきたんだろう?

 最後に駄菓子屋を出たのは確かにあたしだった。駄菓子屋に用があるなら、どうやってもガラス戸を通ってくる必要がある。ウメばあのことをウメさんだなんて呼ぶのも、ここ最近じゃ聞いたことない。

 確かにウメばあは、このあたりの子供の学年もしっかり覚えてる。けど最近は、あの機嫌の悪さもあいまって、毎日ピリピリしているはずだ。そのウメばあに、一緒に帰ってやれとまで言わせるなんて。

 もしかしてウメばあのお孫さんとか?

 そもそも小学生なの……?


「あのう、もしかして中学生の人?」


 無言で帰るのも決まり悪くなって、あたしは思わず聞いてしまった。


「いや、同い年だよ。同じ五年なんだから連れてってやれって」

「えっ? そうなの?」


 連れてってやれ、って言ったのはウメさんだとして……でも、隣のクラスにもこんな子、いたっけ?

 あたしがぽかんとしていると、その子はそっけなく「転校生だよ」と言った。


「あ――そっか!」


 転校生!

 その可能性に気が付かなかった。


「的場小学校だろ?」

「うん。じゃあ、一緒のクラスになるかもね!」


 うちのクラスに転校生が来るかもしれない!

 あたしの頭はすぐにそっちに切り替わって、わくわくしはじめた。

 最近の駄菓子屋の雰囲気はちょっとおかしかったけど――こういう事もあるなんて!

 しかも、結構優しそうな男の子だ。

 べつにロマンスとかを信じてるわけじゃないけど、こういう出会い方をするなんて、なんだかドキドキしてしまう。


「ね、名前は? あたし、土原シキ」

「スザキアキト」


 ”須崎”君かな、とあたしは思う。


「たぶん、思ってる漢字とは違うと思うけど」

「えっ?」


 あたしの考えてることを見透かしたように言われてしまった。でもよくよく考えてみると、同じような事を常に言われるのかもしれない。スザキって須崎しかないような気もするけど、スザキ君はクールに続けた。


「まあ、よろしく」


 スザキ君は住宅街の道をすいすいと歩いていった。住宅街といっても木造の古い家も多くて、入り組んだ道も多い。だけどそんなことはお構いなしに、知っている道を行くみたいに歩いていく。

 本来、転校生なんだからあたしが案内しなきゃいけないんだろうけど、逆にあたしが案内されてる気分だ。

 もしかして前もこのあたりに住んでたのかと思って、聞いてみる。


「いや。今日がはじめてかな。一週間くらい前に……一度、家を見にはきたけど。街中を歩き回ったのは今日がはじめてだ」


 あたしは感心するしかなかった。

 スタイルも良くて、クールで、頭も良さそうで……って、ひょっとしてかなりカンペキなヒトなんじゃないの? 普段、ふざけたような事しかしない男子ばっかり見てたから、まるでマンガかアニメの中に出て来る、主人公が惚れちゃうかっこいい男の子を見ている気分になる。


「雨、やみそうだな」

「えっ? あ、ほんとだ」


 気が付くと、傘に当たる音が小さくなってきている。歩きやすくもなっていて、ぴったりくっついているのが余計に恥ずかしくなってきた。


「通り雨みたいな感じだったから、すぐやんだのかもな」


 あたしは結構待ってたけど……。と、心の中だけで苦笑する。

 次第にポツポツと小雨になって、傘からは音すらしなくなった。


「また降りだすかもしれないし、早く帰った方がいいぞ」

「うん、ありがとね」


 空はまだ曇ってるけど、確かにスザキ君の言う通りだ。

 あたしは足早に傘の中から抜けた。スザキ君が傘をたたむのを待って、ちらちらと自分の帰る方角を見ながら言う。


「あたしはあっちなんだけど、スザキ君は?」

「オレはあっち」


 見事に違う方角だ。残念なような、それでいいような。


「今日はありがとね。また!」


 あたしが笑うと、スザキ君は薄い笑みを浮かべた。


「またな」


 そう言って、スザキ君はきびすを返す。

 やっぱり、クールだ。

 あたしはスザキ君が歩いていくのを見ながら、帰る前に少しだけ興味をひかれた。


 ――もしかして、新しい家かな。


 どこに入るのか、ひょっとしてまた通りを曲がってしまうのかと思って、足を止める。いったいどこの家に入るのか、興味がわいたのだ。

 でも、この辺りで工事をしていたなんて聞かない。むしろこの通りは、別の事で有名だった。

 それは……。


「……へっ?」


 あたしは自分でもばかみたいな声を出してしまった。

 なぜって?

 そりゃあ、自分の目が信じられなかったからだ。


 スザキ君は、まっすぐ、例の〈幽霊屋敷〉に入っていったのだった。

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