2話 幽霊屋敷の転校生

 次の日、空は今にも降り出しそうな天気だった。


 相変わらずどんよりとした、ゆううつで、不気味な空模様。灰色の絵の具ばっかりをぐちゃぐちゃに混ぜたみたいだった。

 けれど――なにかある。

 そう思わせる空気がただよっていたし、じっさいみんな浮足立っていた。それが何なのかはっきりしたのは、クラスのお調子者軍団の一人でもあるナツキ君のおかげだった。


「おい、転校生が来るらしいぞ!」


 教室に飛びこんでくるなり放った一言に、それまでグループに分かれて昨日のテレビのことでおしゃべりしあっていた子たちも、いっせいに転校生の噂にかじりついた。


「このクラスなの?」

「男の子? 女の子?」


 六月も半ばになっての転校生に、みんな興味津々だった。どんな子なのかはとても重要だ。


「ねえ、シキちゃんはどんな子だと思う?」


 同じ班のフユが、そっと聞いてきた。フユ――青野布由は、長い髪にワンピースの似合う大人しめの女の子だ。引っ込み思案気味だけど、悪い子じゃない。

 あたしは、そうだなあ、とだけ言っておいた。

 予感はあった。

 予鈴が鳴って、担任の桜田先生が手をぱんぱんと鳴らしながら入ってきた。


「ほら、みんな席についてー」


 先生の一言に、みんな緊張した。みんな黙っていたけど、先生がいつ言いだすのかそわそわしているのが手にとるようにわかる。日直を確認して、欠席がないことを確認する。たったそれだけのいつもと変わらないことなのに、妙に長く感じた。


「それじゃあ、今日は転校生を紹介します。入って」


 先生に促され、ガラリと音がした。開いた扉から入ってきたのは、見覚えのある男の子だった。クラスの女の子たちが、いっせいにザワザワしはじめる。無理もない。だって顔はかっこいいんだもの。

 男の子は――スザキ君は――そのまま教卓の隣まで来て、あたしたちの方をしっかりと見た。


「スザキアキトです。よろしくお願いします」


 黒板に書かれた文字は、〈須崎〉じゃなかった。


 朱雀秋人。


 変わった名前だ。

 正しい読み方はスザクだった気がするけど、朱雀でスザクじゃないらしい。同じ漢字で違う読みをする名前って確かにあるけど、スザキ君の場合は漢字だけ見るとすごくオメデタイ名前に思える。

 あたしは、そういう事を一生懸命に考えて、自然と昨日の事を頭から追いだしていた。

 本当にあの幽霊屋敷に住んでるんだろうか?


「土原さんの隣が空いてたわね。そこに座って。教科書、隣で見せてあげてね」


 スザキ君がこっちを見たせいで、少しだけ目があった。

 クラスメイトの女の子たちが、みんなあたしの方を羨ましそうに見ていた、突き刺さった視線がちょっと痛い。ただ、あたしはそんなことより、もっと気になる事があった。

 スザキ君はあたしの席に歩いてくると、すとんと隣の席に座った。


「また会ったな」と小さな声で言う。

「よ、よろしく。スザキ君?」


 あたしはどぎまぎしていた。


「教科書、見せてくれるか?」

「うん」


 あたしの気を知ってか知らずか、スザキ君はそれだけ言うとさっさとノートだけを取り出す。


「ええと、そこは六班か」


 先生が付け足すように言う。


「六班は学級新聞担当だったっけ。班のみんなはあとで教えてあげてね。それじゃあ、一時間目の授業をはじめまーす」


 桜田先生は早々に黒板に書かれた名前を消して、国語の教科書をとりだした。

 あたしは教科書をとりだしたあと、スザキ君側に置いた。スザキ君が自分で机をくっつけてくる。既にみんなが時々チラチラとスザキ君の方を見ているのがわかる。あたしを見ているわけでもないのに、なんだかちょっと恥ずかしい。

 早くこの時間が終わればいいのにと思って、先生の話もあんまり頭に入らなかった。


 それでも一時間目が終わると、予想通りにみんなが一斉にスザキ君のところにやってきた。

 「お前、すごい名前だなぁ」とか、「どこから来たの?」とか、いろいろなことを聞いている。

 今まで転校生なんてひとりもいなかったから、みんな興味津々だ。ユカリちゃんなんか席が遠く離れているにも関わらず、わざわざやってきたらしい。見た目もすごくカッコイイから、女の子たちがキャーキャーいってる。


 ――でも。


 昨日のあの瞬間から、スザキ君はあたしの中で〈クール〉でも〈かっこいい〉でもなく、〈ミステリアス〉だ。

 あたしが聞かなくても、誰かが〈その質問〉をするだろうとなんとなく思っていた。その瞬間を聞きたいような、聞きたくないような妙な気分になって、隣の席でありながら自然と話の輪から離れる。


「朱雀ってカッコイイ名前だよねー」

「そう。ありがとう」

「変わった名前ではあるよなあ」

「よく言われる」

「どこに住んでるの?」

「ええと――」


 ついにきた、と思った。

 あたしは次の時間の教科書を出すふりをしながら、その言葉にじっと耳を傾けた。


「洋館って言えばわかるんじゃないかな。フランス館っていう」

「えっ……」


 誰かの声が固まった。

 みんなが顔を見合わせる。


「そ、それって、あの幽霊屋敷……?」


 おずおずと誰かが聞いた。


「幽霊屋敷」


 スザキ君はその言葉をかみしめるように、もう一度繰り返す。

 そしてあたしをチラリと見た。

 あたしはどうこたえていいのかわからなくて――スザキ君にだけわかるように、ちょっとうなずいた。


 〈幽霊屋敷〉。住宅街の一角にある洋館のことだ。


 洋館は白くて重厚な色の外壁に、黒い木骨が縞模様状になっている、おしゃれな作りだ。フランスの――たしか、ノルマンディー風だか、様式だかいった気がする――家だか建築だかを取り入れて作ったもので、そのまま〈フランス館〉というこじゃれた名前がついていた。

 けれど、そんな名前で呼んでいる子はいない。

 もっぱら〈幽霊屋敷〉と呼ばれている。

 それというのも、人が住まなくなってからまったく手入れされていない庭は草ボーボーで、壁面を這っているツタは茶色く変色してしまっている。カーテンは灰色によごれてすり切れかけているし、夜になるともっと不気味だ。

 通路から見える景色も、柵から好き放題に伸びた樹の枝がはみだして余計に薄暗くなってるし、とにかくいいところがない。

 幽霊じゃなくても、いつか火事になったりしたら大変だと大人たちが話しているのを聞いたことがあった。


 けれども、幽霊屋敷と呼ばれていたのは、ほとんどその見た目が原因だ。洋館というだけでも不気味なのに、遊園地にあるような洋館風のお化け屋敷そっくりなのだ。本当に幽霊が出るという噂は、一度も聞いた事がない。


 ただ、最近はそうじゃない。

 幽霊の目撃証言がいくつかあがっている。

 女の人の甲高い悲鳴を聞いたとか、窓の向こうで白い光を見たとか、そういう話がいくつかながれてきている。

 特に有名なのが、見回りのお巡りさんが体験したという話。


 あるとき、屋敷に近づいてみた時に、まっくらな中で、カーテンが動いていたらしい。

 なんだろう、と思って近づくと、白い人影がふっ……と通り過ぎた。

 ああいう場所だから、イタズラで入ったんだと思って、懲らしめてやるつもりで近付くと……だーれもいない。

 部屋の中を照らしても、扉が開いた気配もなかった。

 おかしいなぁ、と思ってると、女の人の甲高い悲鳴が――


 ああ、やだやだ!


 気付くと、クラス中がシーンと静まり返っていた。

 廊下がざわついていたから気のせいだったかもしれないけど、確かに〈幽霊屋敷〉という言葉はあたしたちから言葉をなくすのに充分だったのかも。

 チャイムの音が鳴って、ガラガラと桜田先生が入る。

 みんな、一斉に桜田先生の方を見た。


「ほら、チャイム鳴ったんだから、みんな席について!」


 先生の声が、救いのように思えたのははじめてだった。


 その日のうちに、噂は隣のクラスまで広がってしまったらしい。

 休み時間がくるたびに、廊下に小さな人だかりができるまでになってしまった。


「ああ、ほら、あれ」

「へえ、あいつが?」

「あの幽霊屋敷に引っ越してきたんだって!」


 見た事のない顔までいるから、たぶん六年生とか、下級生もいたんだと思う。

 転校生って普通、こんなに騒がれるものだったっけ?

 ……なんだか、すごいことになってる。

 けれど、当のスザキ君はというと――相変わらず平然としていた。本当のところはどう思っていたのかわからないけど、自分が幽霊屋敷に引っ越したなんて思ったら、あたしだったら怖くてそれどころじゃない。

 ユカリちゃんたちなんて、朝はあんなにきゃあきゃあ言ってたのに、すっかり怯えて近づきもしなかった。


「ねえシキちゃん。シキちゃんはどう思う?」


 フユがこそっと聞いてくる。


「どうって?」

「スザキ君のこと。本当に幽霊屋敷に住んでるのかなあ……?」

「うーん……」


 本人がそうだって言ってるんだから、たぶんそうなんだろうけど。

 大体、〈フランス館〉って名前の幽霊屋敷なんて、一つしか知らないし、たぶん一つしかない。


「おい、転校生!」


 急に近くでした声に、あたしは振り返った。

 ナツキ君――本名は黒田夏樹。そういえば、朝に転校生の情報を入れたのもナツキ君だ。クラスの中でも結構目立つ方ではあるけど、それ以上になにより、他ならぬあたしやフユと同じ班なのだ。

 スザキ君は顔をあげた。


「なに?」

「今日の帰り、残れよ。朝聞いたろ、学級新聞の班だって。他の奴らもみんな残りだから」

「わかった。何をやるのかは決まってるのか?」

「まだ、これからだ。でも俺の中では大体決まってる」

「大丈夫。残れるよ」

「そっか。そんだけだ。あ、お前ら!」


 ナツキ君は急にあたしの――というか、あたしとフユの方を向く。


「お前らもちゃんと残れよ」

「わかってるよ」


 あたしはそう言い、フユは隣でうなずいた。

 だけどこの時はまだ、ナツキ君が何を企んでるのか、あたしは知る由もなかった。

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