ライクアチャイルド

片織もゐ

第1話 少年ほたる

  



「ここが・・・」


一匹の白い毛並みの猫を胸に抱え、少年は荘厳な雰囲気を持つ屋敷の前で置き去りにされた。

置き去りと表現するには少し物悲しいが、少年はこの世に生まれてから今までの十年間、衣食住を与えられていただけの人形にも等しい生活を送ってきただけだった。

屋敷の前まで送ってくれた黒塗りの高級車から運転手の白井は悲しい表情を浮かべたが、少年が車から降ろされるまで隣に座っていた『父親』は無表情で、少年を振り向きもしなかった。


「出せ」

「…。かしこまりました旦那様。坊ちゃま、どうかお元気で」

「あ…」


いつも少年は生まれ育った家では一人だった。

腹違いの兄弟からは疎まれたし、車に乗っていた父親らしき人物と会話をしたこともなかった。

唯一、少年を見かけたときは会話を交わしてくれる年配の運転手の白井は、本当の孫のようにかわいがってくれた。


そんな家族と呼ばれるものから遠く離れてしまう。


車は静かにエンジンがかけられ、少年の前から走り去る。


「おとうさん。白井さん、またね」


また会えるのか、もう会えないのか。


別れの挨拶もされないまま、少年はため息をつき、目の前の屋敷を再び仰ぎ見る。


今まで育ってきた屋敷は純和風のものだったが、今この時より、洋風の建物に住まわざるを得なくなった少年。


ツタの絡まった錆びている門は、嫌な音を立てながら、少年を導くかのように開く。


胸に抱える白猫は、一つ欠伸をするだけで、少年の不安を一切感じ取っていない。

思えば、この白猫は名前こそ付けていないが、いついかなる時も出会った時から、少々いやかなり態度が大きかったように思う。


「漉萌(こすも)寄宿学校…」


当て字なのか、この学校の校長か何かの名前なのか。

学校案内の書類など何にも見せてはもらえなかった。





ある日。


記憶のある中で聞いたことのない父親の声が、自分の名前を初めて呼んでくれた日。

異母兄弟たちに嫌がらせをされて、何もやり返すことができなくて悔しくて、一匹の白猫と、大きな木の根元で眠ってしまっていた時だった。


優しく揺り起こされて「ほたる」と名前を呼ばれる。


うっすら目を開けると、厳しい顔をして自分を見つめる、遠目にしか見たことのない父親。


「おとうさ、ん?」


厳しい顔に潜んでいる、どこかほっとしたような優しさに、思わず微笑んでしまう。

だが、その微笑んだ顔を見た父親は逆にもっと険しい顔になってしまった。


「ほたる、学校に行きたいか?」

「え・・・?」


学校。


朝や夕方になると制服に身を包まれた子供たちが、ランドセルやキルティング生地のバッグをもって、屋敷の前を通りかかるのを見たことがある。

笑い声、荷物が重いと苦い声。

みんなどこへ行くのだと、重いと言いながら笑顔なのは、どうして、と白井に聞いたことがあった。


『あの子供たちは、学校という勉学を励むための場所へ向かっているのです。夕方になっても通るのは、勉学の時間が終了し、家路についているのでしょう』

『がっこう・・・。僕は行かなくてもいいの?』

『・・・ぼ、坊ちゃまは、週に一回、家庭教師の方がお見えでしょう。学校に行かずとも、このお屋敷でも勉学は励むことはできますよ』

『・・・。』


週に一回来ていた家庭教師はいつの間にか辞職していた。

白井に聞いて憧れを抱いてすぐに閉ざされた、その学校に。


「僕、行ってもいいの?」

「あぁ。来週の月曜日の朝から登校だ、準備しておけ」


初めてつないだ大きな手は冷たくて硬かったけど。


屋敷に入って部屋に入っても。



初めてつないだ手と、初めて呼んでくれた名前。


どれもが宝物のようだった。



この日までは。



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ライクアチャイルド 片織もゐ @kto_moi_

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