第10話『目覚まし時計』

 彼は引っ越すことにしました。

 10年来住んでいたアパートでしたが、さすがに老朽化が目立つようになってきたからです。

 引っ越すにあたり、知人の手を借りることにしました。

 休日に来てもらって、大きな家具は一緒に運び出します。

 それもほぼ終わって、あとは小物だけです。

 残りは自分一人でもできるだろうと、知人には帰ってもらいました。


 小物をせっせと段ボール箱に入れていきます。

 思えばこの10年いろいろありました。

 彼はそれを思い出しながら、箱に詰めていきます。

 大学卒業、就職してここでの一人暮らし……一人では辛いこともありましたが、結婚はしませんでした。

 必死に仕事に打ち込み、そのうち給料も上がって、この古びたアパートを出るに至ったのです。

 思えば、幸せな人生でした。

 ちょっとした問題は多数ありましたが、深刻な問題はありませんでした。

 平凡ながらも幸せだったな……彼はそう思いながら、目覚まし時計を手にしました。

 その時計はここに来る時に購入したもので、今でも使い続けていました。

 白かったはずの表面は黄ばんでいましたが、彼にとっては大切な物です。

 故障もせずによくもってくれたな……そう思った時、あることに気付きました。


 10年間、一度も電池交換した覚えがなかったのです。


 もちろん、電池交換なしにそんなに長く動くはずはありません。

 そして、よく考えてみると、目覚まし時計だけではありませんでした。

 蛍光灯も替えた覚えがありません。


 目覚まし時計は動き続け、蛍光灯は切れることがない……つまり……誰かが…………。


 彼は背筋が冷たくなるのを感じました。

 彼の10年間は本当に平凡なものだったのでしょうか?

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