第4話『カッターナイフ』
夕方、彼は古びた文房具屋に立ち寄りました。
鉛筆を削るのに使うカッターナイフが欲しかったのです。
鉛筆を削るのなら鉛筆削りでよいと思われるかもしれませんが、画材として使う鉛筆は別です。
用途に応じた任意の角度や太さに削るには、自分で刃物を握ってするのが一番よいのです。
彼は絵を描く人間だったので、そういった理由から自分で削りたかったのです。
夕日に照らされてセピア色になった店内には、いつ仕入れられたのかも分からない古そうな物が並んでいます。
彼はその中から比較的状態の良さそうなカッターナイフを手にしてレジに向かいました。
店主は頑固そうな老人でしたが、それを手にして時、少し顔をしかめました。
「何かあったら、言ってくれ」……老人は一言だけ言うと袋に入れて手渡しました。
その時は、彼にはその意味が分かりませんでした。
その夜、自宅に帰った彼は早速、そのカッターで鉛筆を削ってみました。
どうやら切れ味は上々のようで、鉛筆に何の抵抗もないように刃が入っていきます。
それはあまりに簡単で、面白いように削れます。
気が付くと、思っていたよりも削りすぎていました。
彼は少し余計に削ってしまったことに短く悪態をつくと、2本目に取り掛かりました。
2本目もやはり、面白いように削れます。
気が付くと鉛筆の大部分を削っており、残った部分を指先でつまむように持っていました。
しかし、彼はもう気にしませんでした。
もっと……もっと切りたい……何か……。
彼はスケッチブックを手にすると、その表紙に切りつけました。
大事にしていた物でしたが、その時には気にしませんでした。
表紙を切り刻み終えると、中のスケッチ用紙も切り刻んでいきます。
絵を描いた上から、カッターの切断する線が描かれていきます。
自分が熱心に描いたはずの絵を、何のためらいもなく切り刻む――それはもう、正気とは言えませんでした。
スケッチブックを切り終えた彼は、もっと切るものはないかと探します。
その時、携帯の着信音が鳴り響きました。
彼はとっさに正気に返り、自分が何をしていたのかとあたりを見渡します。
周囲には、無残に切り刻まれた紙の切れ端が散乱していました。
彼が呆然としている間に、携帯は鳴りやんでいました。
彼はカッターを袋にしまうと、その上からガムテープを何重にも巻き付けて封をしました。
翌朝、寝不足の彼が袋を手に例の文房具屋を尋ねました。
まだ店は開いていませんでしたが、何度もシャッターを叩いていると返事がありました。
シャッターを開けた老人は、彼の顔を見ると全てが分かったようでした。
老人はゆっくりと説明しました。
古来より刃物というものは、多かれ少なかれ人を惑わす力を持っているそうです。
それは工場での量産品も例外ではなく、数万本に1本程度は強い「力」を持った物が生まれることがあるとか。
もっとも、必ずしも惑わされる訳ではなく、あまりに希少なので、今では刃物を取り扱う人間の間でも知っている人の方が少ないそうです。
「まあ、悪いことばかりではないがな。使いこなせれば……」老人の話はそれで終わりでした。
彼はガムテープを巻いた袋を無言で差し出すと、老人はすんなり受け取りました。
その後、彼は時々夢を見るようになりました。あのカッターナイフに関する夢です。
夢の中で、彼は自分の絵の個展を開いています。
その絵の多くは鉛筆画や色鉛筆画で、それを見つめている彼の胸ポケットにはあのカッターが入っているのです。
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