第16話 存在しない人


神様は残酷だ……。あんなに一途に愛した大切な人を軽々と奪って、そしてやっと立ち上がれた僕から、また大事な人を奪ってく。本当にずるいよ……。


「俺はどうしたらいいんだよ……。やっと、やっと立ち上がれたのに、彼女と向き合えたのに、なのになんで!!くっそくそくそ!!!」


僕は事務所のトイレで一人、ドアに拳をぶつけながら嘆いた。はたから見たらガキの反抗期、二十歳超えた大人がほんとみっともない。

今朝から仕事も上手く行かず、莉帆とも上手く話せず悪循環ってのに陥っていた。

このスパイラルを抜け出す名案を思い付くこともなく、僕はきっと今日を終えるのだろう。

そんなマイナス思考な俺を励ましに来たのか、僕のいるトイレの個室を誰がコンコンと叩いた。


「入ってます」


僕はノックの主に素っ気なくそう言った。


「そんなの分かってるよ。こんなけ叫んでドア叩いてたらな!どうしたんだよ!お前らしくない」


ノックしてきたのは同僚の青木だった。

いつも冗談しか言わない奴なのに、今回はなんだか真面目なトーンで話してきて違和感を感じる。

でも、僕はそれに救われた。

青木は落ち着いたトーンで続ける。


「荒木さんから聞いたよ、彼女泣いてたぞ。俺が女を泣かすなんて最低なやつだなって言ったら、荒木さん『私が悪いの』の一点張りでさ。お前もこんな感じだし……ここは俺が一肌脱いでやろうと思ってさ!」


最後のセリフがダサい、相変わらず青木らしい。

僕ら二人の問題だからって言いたくもなったけど、これは青木なりに気を使ってくれたって気づいて言いだす前に飲み込んだ。


「ありがとう」


飲み込んだ言葉を言い換えたら、自然と感謝に変わっていた。

それを聞いた青木はもう一度ドアをノックすると、僕のいる個室の前でこう呟いた。


「荒木輝さん、『約束』を果たしてください。それが貴方の愛した二人の願いなんです。それともうそろそろタイムリミットです。」


僕はそのセリフを聞いて、全身に鳥肌がたった。

ドアの前にいたのは、青木じゃない。

声は青木だった。でもあいつはあんな話し方しないし、僕と里穂との約束も知らないはずだ。

僕は急いでドアを開けたが、さっきまでそこに居たはずの青木の姿はなく、窓だけが少し開いていた。

僕は窓から顔を出して一応下を確認する。落ちたわけではなくて安心した。


「青木が何で約束を知ってるんだ?なんだよ、皆んなして約束だ何だって、うるさいんだよ!!そんなの僕が一番分かってて悩んでるんだ!!!」


僕は酷い顔のままトイレを後にした。

事務所に入ると青木のデスクを見る……いや、見ようとしたはずだった。でもそこにはデスクどころか、書類も椅子もパソコンもない。いや、何もなかった。そこに何かがあったであろう痕跡ごと、全て消えていた。そこに青木のデスクがあるのを知っている人だけが違和感を感じる。そのぐらい、その場の雰囲気に溶けんだ空きスペースになっていた。

僕は急いで赤塚さんの元へ向かった。


「赤塚さん、青木がいないんですけど?」


「青木?誰だそれ?荒木、頭でも打ったのか?」


赤塚さんは笑いながら僕の頭を書類でポンと叩いた。


「同僚の青木ですよ!ほら荒木莉帆の席の横にいた。今は空きスペースみたいになってるんですけど、さっきまで机ありましたよね?」


「荒木……今日は早退するか?熱とかで幻覚とか見てるのかもしれない、帰った方がいいぞ。青木も荒木莉帆も聞いたことない名前だ。この会社で荒木は君だけだ!」


え?って顔になって僕はその場に固まってしまう。

青木がいない?いや、待てよ。莉帆がいない?そんなはずないだろ。ついさっきまで気まずくしてたのに、何でだよ、何が起きてんだよ……。

考えれば考えるほど、頭を縛られているよな頭痛が襲う。


「荒木莉帆なんて聞いたことないだって?この会社で荒木は俺だけ?ふざけんなよ!今の今まで一緒に仕事してたんだよ!この前の他社契約も二人で行ったんだよ!赤塚さんも褒めてたじゃないですか!!」


いきなり怒鳴りだした僕を見て、赤塚さんは驚いて一歩下がった。


「何を言ってるんだ。あれは君一人で頑張ってたじゃないか……。取り敢えず今日はもう帰れ。」


僕は赤塚さんに背中を押されながら、会社の外まで出された。赤塚さんは車道近くまで行くとタクシーを拾って、僕を乗せるとそそくさと会社に戻っていく。


僕は何をやってるんだ……。

何のために葛藤して、何のために頑張ってきたんだろう。進み出す日に進んだはずの歩幅は、何故かプラスではなくマイナスになっている。

進んでると思い込んで少しずつ後ずさりをしていたんだ。僕は桜木莉帆にふられて荒木莉帆に出会い、そして莉帆と過ごすうちに僕は桜木里穂の代わりとして荒木莉帆と付き合い続けた。本当に最低だ……。

でも荒木莉帆から秘密を聞かされて彼女が桜木里穂だということを知ると、その罪悪感は自分の中で正当化された。桜木里穂の代わりとしてが代わりではなく、本人だったからだ。僕は桜木里穂との約束を果たして、里穂のことはそれで諦めて進み出そうと思っていたのに、その諦めは別の方向を向いていた。

『進み出す』が『立ち止まる』に変わっていた。

きっと僕は今のこの状況に満足していたんだ……。

このままずっと莉帆と幸せに暮らせたらいいと、そんな満足に浸っていたんだ。でも、それがずっとではないと聞かされた途端に、進むことを止めた僕はついに、彼女との約束すら放棄してしまった。

約束を放棄したことで桜木里穂と天使の契約も消えて、荒木莉帆は消えてしまったんだろう。

これは、今まで事を後回しにしてきた僕への罰なのかもしれない。


僕は帰りのタクシーの中で、もうこの世界にはいない荒木莉帆を思い出していた。

僕の我儘のせいで消えてしまった彼女に、僕は一体なにをあげられただろうか。

ボーッと眺めた車の窓から、飛行機雲が目についた。


僕は少し期待した。


このまま桜木里穂のときのように別の世界へ行けて、そこで莉帆ともう一度話ができるんじゃないかと……。

僕は見つめ続けた。飛行機雲がビルの谷間に消えていくまで、ずっと見つめ続けた。

そして、飛行機雲がビルの谷間に消えてなくなりかけたときグッと目を瞑る。

うっすらと目を開けると、そこはタクシーの車内だった。そうだ、あのとき僕を導いた飛行機雲の魔法が、もう一度僕に奇跡を見せることはなかった。


僕は深い、とても深いため息をついた。

するとそれを見て運転手がひとりでにこう言ったのだ。


「お客さん、奇跡っていうのは起こるのを待ってちゃダメなんだよ……自分から動かないと、お客さん見るからによ。」


僕はボーっとしていた目を見開いた。

「なんで……」聞こうとしたとき勢いよく大音量で携帯が鳴った。


僕は急いでバックを漁ると携帯を取り出す。

携帯を開いて着信履歴を見た僕は、すぐに状況を理解できなかった。

どうなっているんだ!と三回自分に問いかけてからもう一度画面を見る。幻覚でも寝ぼけて見ている夢でもなかった。

着信履歴には姿を消したはずの荒木莉帆の名前がハッキリと表示されていた。




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