第11話 走り始める日々

助手席でアイスを頬張る女の子、この子は今何を感じて何を考えているのだろうか……。

「アイスが美味しい」とか思ってるのかな?

「幸せだな」って感じてるのかな?

聞いてみたくもなるけど、妄想で納得することにする。


僕らは無言のまま会社へ向かっていた。

莉帆はアイスを食べていたし、僕から切り出すような話題もなかったからだ。

でも、それを苦だとは感じない……なぜなんだろう。

先日付き合ったばかりなのに、彼女からは「ずっと前から」一緒にいた様な、安心感を与えられてしまう。

真剣に考えたことはなかったけど、この「安心感」がこのときは引っかかってしまった。

今思い返すと荒木莉帆は少し変わっている。

一般的な女性の感覚からずれてるっていうか……。

普通なら未練タラタラのこんな男について行きたい、付き合いたいって思うだろうか?

そこに「特別な理由」がなければ別だけど。普通なら思わないだろう。

特別な理由……。

考えれば考えるほど、自分がおかしな疑問を抱いていることを痛感する。

何を馬鹿なこと言ってるんだと、自分自身に説教を入れてハンドルをぐっと握り直す。

会社に着くまでの間に、僕は「彼女には何もない、荒木莉帆はただの一般人で、僕の新しい恋人で、頑張り屋のただの女性だ。」を呪文の様に頭で唱えていた。

何だか心に幾つか引っかかっていた疑問と答えを、繋げたくない忘れたいって言っているみたいに……。


僕ら二人は無言のまま会社に着こうとしていた。帰り道の道路で事故があったらしく、渋滞で予定より遅く会社に帰ることになってしまった。

助手席に目をやると莉帆はスヤスヤと眠っていた。

「なるほどな、静かなわけだ」と無言の理由が分かって納得する。

起こすのは少し可哀想だけど、僕は莉帆の頬をツンツンして耳を軽く引っ張った。


「ん…んんうはぁ〜!」


両腕をグーーッと伸ばし大きなあくびをしている莉帆を見て、不意に笑みが漏れる。


「ああ、今笑ったでしょ!」


「笑ってないよ、笑ってない」


僕の表情と発言が噛み合っていなかったが、莉帆は納得してくれたようだ。


「もうすぐ着くよ」


「長かったね〜!」


渋滞に捕まってから2時間は軽く経っていたから「長い」と感じるのも無理ないか。

僕はさっきまで頭に浮かんだ「疑問のおかげ」と言っていいのか分からないが、退屈せずに運転できた。

会社の駐車場に車をつけると二人揃って深呼吸をし、気持ちを切り替える。

今は私用じゃない、仕事だ。と自分に言い聞かせる為だ。

僕らは少し天狗気味だっただろう。「宣伝が上手くいきました」って報告を待っているみんなに「契約成立しました」って言うんだから、社内は必ず大騒ぎになるはずだ。


ロビーへ着くと階段を上がって、いつもの事務所の扉を開く。いち早く僕らに気づいたのは、上司の赤塚さんだった。

予定より2時間遅れてきた僕らを見て、赤塚さんはソワソワしている。

普段から冗談を言うものの仕事となれば落ち着いている赤塚さんのそんな表情を見て、思わず笑いそうになる。


「2人とも遅かったな、何かあったのか?」


赤塚さんは明らかに悪い知らせを身構えた立ち振る舞いをしてくる。


「アクシデントは何もなかったですよ!」


「そ、そうかぁ……。宣伝上手くできたみたいでよかったよ。」


ホッとした様子の赤塚さんに莉帆が不意打ちのセリフをぶつける。


「宣伝で終わらなかったんですよ!契約まで結べました!」


「え?契約までいったのか?」


赤塚さんは疑いの目を向けてくるが、莉帆は繰り返す!


「ほんとなんですよ!」


「本当なのか?」


赤塚さんは確認するように僕にも聞いてくる。


「本当ですよ!」


僕は契約書をヒラヒラとさせながら言った。


「そうか、衝撃的すぎて嘘かと思ったよ!2人ともくやってくれた!!あそこの社長は頑固で、なかなか契約内容を受け入れてもらえなかったから大手柄だぞ!」


「そうだったんですか!」


「でも、30分か40分ぐらいで終わりましたよ?」


莉帆は笑いながら言ったけど、すぐにハッとなって黙る。

僕も莉帆を見て、「やっちまったな」って顔をした。

この発言で僕らが仕事を終えてプライベートな時間を過ごしていたことがバレなければいいが、ことはそんなにうまくはいかない。

案の定、赤塚さんの耳に引っかかった。


「あれ…?それにしては帰り遅かったよな?もしかして……デートしてたのか?」


「「してないです!」」


莉帆と僕の声が完璧に一致した。

こうなると、ますます否定に疑わしさが増してしまう。

すると赤塚さんはニヤッと笑って、からかってきた。


「いいんだ、いいんだ!皆まで言わなくても分かる。お前たちの関係は、この会社のほとんどが知ってるぞ?」


僕はとっさに同僚の青木を睨んだ。

僕らの関係は青木以外に話してないから、犯人はあいつで間違いない。

青木は僕の目を見て、顔の前で手を合わせて頭を下げている。僕は今後、こいつには何も言わないと誓った。


こうなったら包み隠さず最低限のことは話したほうが良いと思った僕は、赤塚さんに事の経緯(いきさつ)を話した。

怒られると思ったけど、赤塚さんは案外キョトンとしていて。「いいんだ、いいんだ」と繰り返していた。

そして最後に忠告もされた。


「あ、でも何度もやるなよ?このことが社長にバレたら俺もクビになるかもしれんからな!」

赤塚さんは少し冗談気味に笑って見せた。


「なんか、ほんと、ありがとうございます!」

僕も微笑しながら頭をさげ、つられて莉帆も頭をさげる。

そんな僕らの肩を叩いて、赤塚さんは社長室へと消えていった。


赤塚さんが居なくなると、すぐに社員のほとんどが僕ら2人の周りに集まってきて「よくやった」や「すごいじゃないか」なんて事を、口を揃えて言ってきた。

「そんなことないですよ」と謙虚な態度で返すものの、内心めちゃくちゃ嬉しいってのが本音だ。

莉帆も同じ気持ちだったと思う。


この日の僕らは、何処ぞのアイドルかってぐらい社内で人気者だった。

通路やロビーを通る度に、誰かしらに声をかけられる。

アイドルの気持ちなんて考えたこともなかったけど、あいつらも大変なんだな……そんな上からな物言いで、共感の言葉が頭をよぎった。

沢山の人から声をかけられるせいなのか、その日はなんだかソワソワして落ち着かなかった。

休憩時間は、アイドル的な振る舞いを受けていたが、一度仕事が始まろうものなら、やはりみんな社会人だ。

しっかりと仕事を、自分のノルマをこなし始める。

僕らもソワソワしていた気分など取っ払って、いつも通り通常業務をこなした。

お互いしっかり集中して取り組んだおかげか、2人とも定時に上がることができた。

時間もあるし打ち上げをしようと決めた僕らは、駅前にある居酒屋に入る。

料理とお酒を頼むと、すいていたのか直ぐに注文した料理が届く。


「なんか今日ついてるね!」


ただ料理が早く来ただけなのに莉帆は嬉しそうにしていた。そんな単純な彼女を見てとても愛おしくなる。


お互いにグラスを持ち上げてぶつける。


「乾杯!今日はお疲れ様!!」


「お疲れ様!」


合わせたグラスが「キンッ」といい音をたてた。

まるで僕らの活躍を祝福するかの様に、店と僕の耳の中で気持ちよく反響していた。

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