第9話 最後の青春

桜木(さくらぎ)里穂(りほ)とは大学からの付き合いだった。

同じ経済学部で顔を会わせることが多く、よく隣の席に座って一緒に授業を受ける。たまにお昼も一緒に食べることがあるほどの仲だった。


明るく気さくで、周りもよく見れていて空気もきちんと読む。僕が彼女に惹かれるのに、そう長くはかからなかった。

でも2人で遊びに行ったり、そういった予定を決めたりする機会も訪れないまま2ヶ月の時が過ぎた頃だ。

こんなどうしようもないチキン男子にも、神の手が降りてきた。それは、大学仲間が主催した合コンに人数合わせで無理やり連れて行かれたことだ。

あまり乗り気になれないまま少しずつ女性陣が揃っていく、男5人と女4人……あれ、1人足りない?


「あれ……そっち1人足りなくない?」


大学仲間の三輪(みわ)健吾(けんご)が異変に気づいて切り出す。


「あぁ、桜木さん遅れるみたい!」


僕の耳が自分の意思とは関係なく、なにか聞き慣れたくすぐったい音を聞いた時みたいにピクッと動いた。


「え、桜木さん?」


思わずトーンが上がる。


「そうだよ、桜木里穂さん!」


「そ、そーなんだ」


少し上げた腰を元の位置に下ろす。

「なんだ?桜木さん狙いか?」っと健吾が小声で囁いてきて思わず「ち、違うよ」と否定してしまう。


口では否定したが健吾の言う通りなんだ……僕はここにいる4人の女性になんて、これっぽっちの興味もない。

遅れてくる桜木さんこそ、僕のシンデレラなんだ。

彼女の繊細で透き通る足にガラスの靴を履かせるのは僕だ。さっきまでの乗り気の無さはどこえやら……僕の頭の中は桜木さんのことでいっぱいだった。

「今日こそは必ず桜木さんをデートに誘う。」僕はそっと心に誓った。


それから30分ほどして桜木さんが合流してきた。

やっぱりいつも通りの飾らない笑顔が、僕の胸をくすぐってどうしても不自然な会話になってしまう。


「桜木さん、これ取ろうか?」


「うん!ありがと。」


「桜木さん、飲み物何飲む?」


「烏龍茶でお願いします!」


桜木さん……桜木さん、桜木さん。いったい何度名前を呼んだだろう。

なかなか前に踏み込めない僕を見かねて、健吾が切り込んでくれた。


「桜木さんって休日とか何してる?」


僕がなかなか聞けないでムズムズしているセリフを、健吾は最も簡単に吐いてしまう。


「家にいることが多いかな?」


答えながら少し首を傾げるところが可愛い、これを狙ってやっていたらかなりの小悪魔だけど……彼女の場合は全てが素だ。恋愛経験の少ない僕でも分かるほどに、彼女は多少気の遣いはするものの、誰に対しても素で接していた。

「誰に対しても」ってとこが少しネックだけど……。

彼女を見ていると、どんな表情もどんな仕草も「独り占めしたい」っていう独占欲に支配されてしまう。

まるで猛毒に侵されたように……上手く話そうとすると舌に毒がまわって痺れて話せない。

うつむいたままお酒を一口飲む、顔を上げると健吾が「お前も混ざってこい」とアイコンタクトしていた。

とっさに声が出る。


「趣味とかあるの?」


ナイスと言わんばかりに健吾の片眉が少し上がる。


「読書とか……映画鑑賞とか好き!!」


「ふーん、映画かぁ……俺分かんねーわ。」


健吾がすかさず切り出す。


「ちょっとトイレ行ってくるわ!」


後は上手くやれよって顔でニコッと笑って去っていく健吾に、僕はすこしドキッとした。これはどんな女も直ぐに落ちるはずだ……ズルいほどかっこいい。

健吾の救いの手を無駄にしない為にも僕は全力でぶつかることに決め、人生初の攻めに入る。


「僕も映画と読書好きだよ!最近だと……雲間の光たちって映画面白そうだった!」


「それ!!私も見に行きたいと思ってた!」


「じゃあさ、一緒にどうかな??」


「うん!私でよければ!」


「桜木さんと行きたい!今週日曜日空いてる?」


「うん!大丈夫!」


「連絡先も一応教えて欲しい」


「うん!」


あっという間の出来事だった。健吾の後押しがないと僕はここまで踏み込めなかっただろう。あいつには感謝しても仕切れないほどの貸しを作ってしまった。


合コンが終わってみんな解散になる。それぞれバラバラと帰路につくのだけど、ここで思いもよらない偶然が起きた。

桜木さんと降りる駅も帰る道も同じだし、家まで近所だったのだ。1年間も同じ学校に通っていたのに、今の今まで気づきもしなかったことに、すこし悔しくなる。

でも、その悔しさがスッカリ消えてしまうほどに、僕は桜木さんと沢山のことを話して帰った。

僕はこの夜道の間で一体何歩、彼女に近づいたのだろうか……2人の距離が確実に近くなったことを実感して、胸が踊る。

僕の家に着く手前の曲がり角で桜木さんと別れる。

家まで送るって言ったけど、さすがにそれは断られた。

彼女の背中が小さくなっていくのを見て僕も帰路に戻る……ふと空を見上げると、雲ひとつない紺色の空に光の線が横切った。流れ星をこんなにも完璧に見たのは初めてで、胸が少し高鳴る。すると後ろからパタパタと足音が聞こえてくる。

それはだんだんだんだん近づいてきて、ついには僕の直ぐ後ろまで追いついてきた。

振り返ると息を切らした桜木さんが、目をキラキラさせて口を開く、それと同時に僕も開く。


「「流れ星!!!」」


完璧にハモった。

その、重なり合う声の波長が紺色の空に小さくなって消えていく。


これが僕にとっての最後の青春となる、桜木里穂との最初の出会いだった。

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