第8話 飛行機雲が導く
旅立つ日の前日の夜、身支度をしながら僕は初デートの場所を思い出していた。
今思えば酷い雨だったなぁ……っと物思いにふけてしまう。
いよいよか……今日の朝からいったい何度この台詞を言っただろうか。口癖になってしまうほどに繰り返していた。
眠たくならない瞼を無理やり閉じると眠りに落ちる。
その日はなぜか雲の夢を見た。ただひたすら真っ直ぐに伸びる飛行機雲の夢を……。
パラパラと降る雨の音で目が覚めた。
ベランダ側の窓を開けるとジメッとした湿気が、部屋に侵入してくる。
旅立ちの朝は生憎の天気だ。ほんとついてない……でも彼女との初デートも小降りの雨だったことを思い出して、その偶然に笑みがこぼれる。
そのままキッチンへ行き、朝の支度を始めた。
いつも通りのメニューを作り終えると、食べてスーツに着替える。
私用で出掛けるせいなのか分からないけど、なんだか仕事って感じがしなかった。
身支度をすべて終えて時間を見ると朝の8時過ぎ、待ち合わせの時間が9時だったから急いで家を出る。
最寄り駅まで小走りで行った。電車にのり彼女の家がある高津駅へ向かう。その頃には雨は降っていなかった。
「初デートの日を完全再現できなくなるなぁ」そんな事を想いながら車窓から空を見上げて、飛行機雲を探す。
曇っているせいで見つからなかったけど、1つ思い出したことがあった。
それは彼女のセリフ……
「私たちって飛行機雲みたいだよね!」
「え!なんで??」
「なんかブレないで真っ直ぐな感じが!」
「あぁ、そう言われたらそうなのかな?」
「そうなの!私、遠距離になって寂しくなったら飛行機雲さがす!!」
「なら俺も、寂しくなくてもいつでも探すよ!」
「「約束」」
そう、僕は約束していた。無意識に飛行機雲を毎日探していたけれど、これは彼女との約束だったんだ。
こんな大事なこと忘れてたなんて……でも習慣として身につくほどに僕は彼女に染められていた。
『高津、高津です。』
駅員のアナウンスが聞こえて慌てて降りる。
駅のホームまで行くと莉帆が立ってスマホを触っていた。
僕は少し幼さを宿した目をして、彼女の背後から近づくと耳に息を吹きかけた。
「ひゃ!!」
少しやらしい声で莉帆が叫ぶ。
「おまたせ!!」
「酷いなぁ、背後から近くなんて!」
「ごめんごめん、ついしたくなってさ」
子供みたいに笑ってみせ、手を握る。
「アイス奢ってくださいね!」
その手を握り返して莉帆も子供っぽくお願いしてきた。
「いいよ!ほら行こう!」
2人して小走りで駅のホームから出る。
外に出ると雨は完璧に止んで、雲間からは光がさしていた。
「あれ?会社から借りてきた車ってどこ?」
「あぁ、私の家の前に置いてます!駐車場代かかるから、家近いし家に置こうかなって!」
「そーか、なら急ごう!」
僕は莉帆の手を握ると雲間から射す光の中へと駆け出した。こんなに走ったのなんて学生時代以来だな……少し息を切らしながら車へ向かう。
車に着くと莉帆が運転席に腰を下ろす。
「莉帆が運転するの?」
「行きは私で帰りは輝くん!交代でいい?」
「うん、大丈夫!」
返事をすると助手席へ腰を下ろす。
エンジン音とともに車が動き出した。ふと横を見ると莉帆がハンドルを握っていて、なんだか新鮮な気持ちになった。「横顔かわいいなぁ」莉帆に聞こえないように心の中でつぶやいた。
まずは手紙探しより先に、広報の仕事を終わらせることになっていた。他企業の事務所に着くと応接室でプレゼンを始める。思ったよりすんなり契約は成立した。
会社を出て車へ向かう途中、僕ら2人の口角はゆるゆるだっただろう。なんたって宣伝のみで終わるはずの案件を、契約まで持って行ったのだから。僕たちの評価はまたもやウナギのぼりに違いない。
車に戻り、お互い所定の位置に腰を下ろすと、ホッとため息をついて笑いあう。
「やったな。」
「だね。」
僕らにはそれ以上言葉はいらなかった。
喜びの共有はプレゼン中に終わっていたからだ。
「じゃあ、本命に行きますか!」
「ああ、よろしく」
再び車が動き始めて地下の立体駐車場から出ると、2人の目を眩しい太陽の光が射した。
今朝の天気はなんだったんだってぐらいだ。さっきまで暗い部屋にいたせいか、眩しくて空を見ることができない。
「行き先はこの先の右手にある映画館だったよね?」
「うん、そうだよ、!」
車は直進を続けて、2つほど信号を過ぎたところで映画館は姿を見せた。
映画館の駐車場に車を止めると館内に入る。
2年も前に来た映画館なのに、なぜか風景に変化がなかった。
「じゃあ、さがそうか」
「うん」
2人がかりでしらみ潰しに映画館を探した。
どれくらい経っただろうか、そこまで広くない館内を2時間あまり探していた。
「なんでないんだよ……。」
思わず弱音が漏れる。
「きっと見つかるよ!ヒントみたいなこと書いてなかったの?」
莉帆に言われて、最初に届いた手紙を読み返す。
「いや、場所以外は何も書いてない…。」
「そっか」
「もしかしたら嘘かもな、あいつのことだし僕に迷惑かけようと……」
そこまで言いかけたときだ。バチッと弾けるような音が頭の中まで響いた。
一瞬何が起きたのか分からなかったけど、すぐに状況を理解した。莉帆に叩かれた。
莉帆はなぜか泣きそうな声で小さく叫んでいた。
「そんなことするはずない。好きだったのにそんなことしないよ!!!」
それだけ言うと走って行ってしまう……僕はあの時と同じようにその場に立ち尽くしてしまった。
数秒後ハッと我に帰り、莉帆を追いかける。これじゃこの前と同じ、もう逃げたくない。心で叫ぶとからだを奮い立たせる。
走って外に飛び出したときだ。さっきまで眩しくて見れなかった空が視界に入ってくる。
その空を……いや雲を見て、僕は驚いてまた止まってしまった。
そこには真っ直ぐ伸びる飛行機雲が浮かんでいる。
「輝くん!!遅いよ、映画始まっちゃう!」
背後からした声に心臓も背筋もドキッとする。
この暖かく包み込まれるような声に僕は聞き覚えがある。
でもその人はこの世にいないはず、でも振り向かずにはいられなかった。恐る恐る振り向くと女性が1人こちらに向かって手を振っている。
思った通りだった。
そこにあったのは、荒木莉帆ではなく……。
桜木(さくらぎ)里穂(りほ)の姿だった。
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