第5話 僕と君のブレンド
ミンミンと五月蝿い蝉の声で目が覚める。まったく…なんとも嫌な目覚めだ。
少し不機嫌な顔で起き上がるとコーヒーを注ぐ。
一口飲むといつも通りの表情に戻っていた。嫌なことや落ち込むことがあってもコーヒーを飲むと忘れてしまう。未練たらしいけど、このブレンドは彼女特製のものだ。
付き合い始めた頃に入れてくれて、それからはずっとこのブレンドで飲んでいる。だからかもしれないな、コーヒーを飲むと穏やかな気持ちになるのは……。
今日はいつもよりのんびりしていた。まあ、休日だからのんびりするのが当たり前なんだけど。今日はいつものスタイルから外れてるって言うか……。
いつもは昼まで寝て、それから動き出す。
それが僕の休日スタイルだ。
でも今日はお誘いがあった!それも女の子。
デートって言って浮れる年でもないって頭で分かっていても、やっぱり異性とのお出かけは意識してしまう。
いつもの心持ちではいられないものだ。
僕はこの世にはいない「彼女」に少し罪悪感を感じながらも、今日を楽しもうとしていた。
集合場所は最寄駅から2駅先の高津駅の噴水前になっていた。家を出てバスで最寄駅まで向かう。バスの中から見た空は晴天とまでいかないが、雲がまばらにある晴れた空って感じだった。でもそれもつかの間、駅へ着くと空模様が一変していた。今にも泣き出しそうな……悲しげな灰色の空に変わっている。
電車に乗り高津駅に着いた頃には雨が少し降っていた。
「しまった……傘持ってきてないや」
「そこのお兄さん!入って行きますか?」
聞き覚えのある声が後ろから聞こえた。
僕は笑いながら振り向く、いつもとは違う莉帆の姿があった。私服だとこうも印象が違うのか……思わず感心してしまう。莉帆の私服は一言で言うと「好み」って感じだった。ノースリーブシャツのワンピースに丈白スカートを履いている。派手すぎもせず落ち着いた清楚系な雰囲気を醸し出していた。
「雰囲気違うね、凄い似合ってる」
「あ、ありがとう」
莉帆は頬を赤らめた。その表情を見てから自分の言ったことの恥ずかしさに気がついた。体温が少し上がるのを感じる。
「雨降っちゃったね……」
恥ずかしさを紛らわそうと絞り出した言葉がこれだった。
なんて情けないんだ……。でも莉帆は合わせてくれた。
まるで不器用な僕を知っているかのように……。
「そうですね……私雨女かもしれない!」
「いやいや、たまたまだろ」
莉帆が雨の街に歩き出して、つられて僕も歩き出す。
「そんなことないんだって!小中高と遠足とか行事は雨だったし……。修学旅行だって雨だったよ!」
「それはかなり強めの雨女だな」
僕は思わずクスッとしてしまう。それを見た莉帆はムスッとして僕の頬を摘んでくる。
「輝くんのほっぺた柔らかい」
「太ってるってか?」
お互いに笑いあう。違和感とか少しも感じさせないぐらい自然に、2人の距離は縮んでいった。
いつの間にか敬語もなくなって、呼び方も変わって……。
端から見たらバカップルにも見えるぐらい、打ち解けあっていただろう。
僕は雨の話の流れで本題を切り出した。
「でも雨だしな……これからどうしようか!」
「家来ます?この近くなんですよ!」
ちょっと驚いて固まってしまった。
会ったばかりで早すぎやしないか……あぁ。いや、そう言う意味ではなくて。知り合ったばかりの異性を家に招き入れるのは幾ら何でもガードが緩すぎる。
でも他に良い案も思いつかなかったから、ここはお言葉に甘えることにした。
「じゃあ、お邪魔しようかな」
そう言って歩き出してから僅か5分足らずで莉帆の家に到着した。5階建てのマンションの3階らしい。
階段を上って3階へ着くと、莉帆が早足で前へ行き鍵を開ける。
「どうぞ!いらっしゃい!」
「お邪魔しまーす」
服の印象と同じように部屋も落ち着いていた。白で統一されたインテリアが僕の感性を擽(くすぐ)る。
「そこに座ってて今からコーヒー入れるから」
僕は言われるがままその場所に腰を下ろす。
莉帆が使っているのだろうか、電子ピアノが窓際に置いてあった。そう言えば彼女もよくピアノを弾いていたな……ふとそんなことを思ってしまう。
「ピアノ弾くんだね〜!ちょっと聴いてみたいかも」
「あ、うん。へたっぴだけどね」
少し照れたような焦ったような素振りを見せて莉帆は入れたてのコーヒーを持ってきた。
「DVDとか見る?明日の朝返さないといけないのに見れてないんだ!もしよかったらなんだけど……どう?」
「見ようか、何借りてきてたの?」
「恋愛ものがほとんどだけど大丈夫かな?」
「大丈夫、大丈夫!恋愛もの好きだよ!」
「本当?なら入れるね!」
莉帆はDVDを持ってテレビの下をゴソゴソやっている。
ディスクをはめる読み込まれたのだろう、テレビ画面が切り替わった。
広告をチャプターで飛ばす。邦画だったので細かい設定はしなくてすんだから、映画はすぐに始まった。
僕は一息つくとコーヒーを一口飲んだ。
コーヒーが舌に触れるや否や僕は言葉を失った。映画を見てるってことを忘れて、少し大きい声で聞いてしまう。
「なんでわかったんだ?この味…。」
「え、何が?」
お互いに言葉と表情が噛み合っていなかった。
でも僕は引けなかった。問い正さないとムズムズして今日眠れなかったと思う。
「コーヒーの味だよ、僕がいつも飲んでる味と全く一緒なんだ。」
「え?ほんとに!?よかったよ……美味しいってことだよね?」
莉帆は嬉しそうに笑いながらDVDを一時停止した。
リモコンを置くとこちらに体を向ける。
「美味しいんだけど……。」
今この話題を出すのは場違いだと思って、喉まで来ていた言葉を飲み込んだ。
「だけど?」
莉帆は嬉しそうに返答を待っている。
「僕だけが知ってるブレンドだと思ったからさ、莉帆も知っててなんか悔しいって言うか!」
笑いながらそう言うと、莉帆もクスッとしてコーヒーを一口飲んだ。
「私もこのブレンド好きなんだ!なんか落ち着くというか……辛いことがあっても穏やかな気持ちに戻してくれる」
その言葉を聞いた途端、涙が止まらなかった。
こんなことしてはいけないって分かってるのに……どうしても、死んだ彼女と莉帆を重ねてしまう。
そんな僕を見て莉帆は、驚きもせずにただ切なそうな目で僕の涙を拭っていた。
莉帆が近くにいるせいか、それとも肌に触れられているからなのか……。
なんだかコーヒーを飲んだときよりずっと穏やかで暖かいものに、包み込まれている気がした。
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