第3話 出会いの予感

気づけば6月だった。

ジワジワと焼けるような厚さが部屋の中まで浸透してくる。僕は夏が嫌いだ、というか暑いのが苦手だ。

どちらかと言うと冬や秋の方がいい。


今日の朝はいつもと違っていた。気のせいかもしれないけど何かに出会う予感がした。こういう事はたまにある。素敵な本と出会ったり、美味しい店を見つけたり。

オシャレなカフェで美味しいコーヒーを飲めたり。

そういう事がある時はたいてい朝の段階で予感ってのがやってくるんだ。


素敵なものとの出会いがあるって思ったら、何だが朝からやる気が出た。


会社へ着くとデスクへ向かう。パソコンを立ち上げて仕事の準備をしていると赤塚さんがこちらに来た。


「おはようございます」


「おはよう、いきなりなんだが教育係に頼みたい仕事あるんだよ!」


「はい、どんな?」


「新人さんが12時頃に出勤してくるから、その子に仕事を教えてあげてくれ。」


「わかりました」


そう言えば僕はプチ出世ってので教育係になった。

なったはいいものの、1ヶ月は誰も新入社員が来なかったのであってないような係だった。


来ると分かれば先に仕事だ。昼までに自分の仕事を終わらせて昼からは新人の子に時間を裂いてあげたい。

いつにも増して集中していた。青木に声をかけられたが聞き取れないほど仕事に集中した。


時間が経つのを忘れる。程なくして青木がまた話しかけてきた。無視したが、今度しつこかった。終いには書類で頭を叩かれる。これには僕も驚いて仕事をやめた。


「なんだよさっきから」


少しイラっとした口調で青木を睨む。


「時間見とけよ、もう12時!集中しすぎ!あと、新人さんもう来てるから……ほらあそこ!」


青木が指差す方を見ると1人の女性が立っていた。

凄く感じのいい美人な人だ。やりづらいな……。

女性だったとは、完璧にノーマークだった。


赤塚さんから預かった書類に目を通す。

名前は……。荒木 莉帆さんか。


「荒木さんですか?初めまして。」


「荒木です。よろしくお願いします」


イメージ通りの声のトーンだ。黒髪のショートヘアーで新しく買ったのだろうか、レディーススーツがよく似合っている。名前を聞いただけで親近感が湧いた。


「じゃあ、さっそく仕事を教えます!」


「はい、お願いします。」


1時間ほど仕事の説明をした。彼女は理解も早く覚えにくいところはメモをとる。雰囲気を見る限り出来る人って感じだった。


「以上かな……これさえ覚えてたら大体の仕事を出来ると思うから!明日から頑張って」


僕は緊張気味の彼女を少しでもほぐそうと笑ってみせる。

すると彼女は急に吹き出した。


「ええ、そこまで笑う?」


「今の笑ったんですか?ニヤってしてる変態にしか見えなかったです!ふっ……。」


変態ってのは腑に落ちなかったけど、笑った彼女の顔は素敵だった。


「笑ったんだよ!まあ、ウケたから良しとしよう!」


しばらく笑いあった後、荒木さんを自分のデスクへ行かせて仕事に戻る。

その日は久々に残業をした。定時にあがれなかったのは初めてだったから、何だが新鮮な気持ちになる。


「荒木さんか……可愛い人だったな。」


「私がなんですか?」


思わずデスクから飛び退く。


「いやいやいや、なんでもないよ!てかまだいたの」


「まだいたのかとか酷いですね!います!」


気持ち悪い汗で背中が濡れているのがわかる。

落ち着け……ゆっくり息を吸って吐く。


「で、どうしたの?」


「先輩の名前教えてくれないですか?」


「あ、言ってなかったっけ?」


「聞いてないです!」


「荒木 輝です。よろしく、、」


恥ずかしかったが言うしかなかった。実はわざと名前を名乗らないでいた。なぜなら、苗字が同じだから。


「先輩も荒木なんですね!なんか親近感」


「そーだよ、だから呼びづらい」


「じゃあ、莉帆でいいですよ?」


「なら、僕も輝でいいけど……それはキモいか。」


照れ隠しで笑ってしまう。


「輝先輩!ぜんぜんキモくないですよ!」


「そっか、じゃあ今度からこれで!」


「輝先輩!」


「ん?」


「美味しいコーヒー飲めるお店!連れてってください!私の歓迎会ってことで!」


「まあ、いいけど……僕の行きつけのとこでいい?」


「いいですね!行きましょう!」


多分朝から予感していたのはこれだ。

行きつけのカフェでコーヒーを飲みながら色々と話した。

話してみると実は完璧に見える雰囲気とは裏腹に、抜けているところがあることや努力家ってことが分かった。

他にも色々なことを聞かされた。お酒は弱くて飲めないことやタバコが嫌いなこと。彼氏がいて、なかなか上手くいってないことなんかも話してきた。

僕はどっちかって言うと自分の話をするより聞く方が得意だから、彼女の話をとことん聞いた。


話が終わり駅まで送る。彼女は満足そうに笑ってからありがとうと言って改札を抜けた。


僕は久々に暗い夜道を帰っていた。

空を見ると夜空には星が見える……そこで1日の終わりを実感した。今朝感じたあの予感はきっと……。


ふわふわとした妄想を膨らませながら、僕は一歩づつ踏み出して歩く。この道と進み出す日に向かって。

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