第2話 特別ないつも通り
4月の清々しい朝。朝靄の中で鳥や草木の音や香りが僕に朝を知らせてくる。
あの手紙が届いてから。僕の生活にこれといった眩い変化はなかった。仕事や家事、今の僕にはそれをして1日を終える。これで精一杯だった。
でも目指す目的のようなものは定まっていた。
昨日読んだ手紙の内容のせいか、スッキリって感じの朝ではなかったけど。いつも通り布団を畳んでからトーストを焼く。焼けるまでの2分間に僕はいつもと違うことをしていた。仕事用のペンケースからボールペンを取り出す。
「これでよしっと」
とても綺麗とは言えない字で7月のカレンダーにこう書いた。
ー 進み出す日 ー
書き終えてからスーッと息を吐くと「よしっ」と気合を入れる。トースターから香ばしい香りが漂いチーンと出来上がる音がした。コーヒーを注いで、テレビをつける。
僕はまた、いつも通りの日常へもどった。でもただのいつも通りではない。『進み出す日』の準備をする特別ないつも通りなんだ。
目標ができてからの僕は生き生きとしていた。
たぶんそれは、唯一の気がかり、心残りだった彼女の真実を知れたことが大きい。
デスクに座ると上司の赤塚さんが電話で話ながら書類の束を机に置く。片手で手刀を作って小刻みにふっていた。
おそらく、すまん!これよろしく!ってことなんだろう。
書類に目を通し変更点を洗い出してから仕事に取りかかった。
ここで働いてからもう1年たった事もあり職場の人間関係や、誰がどんなミスをするかなんてことも大体わかるようになっていた。担当が誰か分かっているからミスも見つけやすく、赤塚さんが持ってきた書類訂正は難なく終わった。
ついでに自分の仕事も終わらせ、2つまとめて渡しに行く。すると赤塚さんが驚きと疑いが混じり合った顔で書類を凝視した。
「はやすぎないか?ちゃんと訂正できてる?」
「はい」
俺はなんでそんな疑われるのか分からなかった。
すると赤塚さんは立ち上がって社長秘書の久保さんに訂正済み書類を渡す。
「久保さん、ちょっとチェックしてくれ」
「わかりました」
久保さんは一枚一枚丁寧に目を通していく。
ロボットかよってぐらいのスピードで瞳孔が動く。赤塚さんが書類を渡してから僅か5分と経たない内にチェックが終わった。
「完璧ですね」
「だから言ったじゃないですか!」
僕は食い気味に吠える。
「いやいや、すまん!余りにも早かったもんだから一応確認をしただけだよ」
赤塚さんが微笑しながら肩を叩いてきた。
「でも最近見てて思うけど……。仕事効率上がったな!なんかコツでもあるのか?」
一人一人のしがちなミスを全て覚えてます!なんて言えない……。
「慣れてきたんじゃないすかね?」
「そうか、そうか!なら社長に掛け合って見るからさ、教育係ってのになってみないか?」
「教育係?なんですかそれ?」
首を傾ける僕に向かって赤塚さんは話を続けた。
「読んで字の如くだよ!この会社辞める人多いから新入社員雇用するんだけどな、それの教育をする係!」
「僕でよければいいですけど。」
「なら決まりだな、社長に話して了承が出たらまた詳しく話するから。」
「はい。」
これはプチ出世ってやつか?なんか頼りにされてるのを感じて口角が緩む。
自分のデスクへ戻った俺に向かって同僚の青木がスルスルと寄ってくる。
「なんだよ、もう出世コースか?」
青木が茶化すように肘で突いてくる。
「いや、まだ分かんないけど……多分出世?」
俺は少し自慢げに言ってみた。青木の表情はつまんないって感じだ。僕はデスクに体を向けて仕事を始める。青木はまだ僕の仕事を見ていた。
「ほら、もう仕事に戻れよ」
「はいはーい」
中身のない返事をして自分のデスクへ戻っていく。
みんな集中して目の前の仕事をただこなしているだけなのに対して、僕は他と少し違う考え方を持っていた。
ただ仕事をするだけじゃなくて、ミスした時の対処シュミレーションも同時に、頭でイメージすることだ。
ミスすることばっかり考えてたら本当にミスしてしまうぞっ!なんて言われたことがあったけど、常にミスに対するイメージを持っていることで、危機感が生まれて自ずとミスが減っていった。
ミスが減り仕事効率が上がったおかげで、僕の社内での評価はうなぎのぼりだ。
「おつかれさまでしたー!」
仕事が早いこともあり業務を終えて帰宅する時間が誰よりも早かった。任された仕事も全てこなしているので、誰よりも早く帰る僕を責めるものは誰もいなかった。
帰宅した俺はカレンダーにバツ印を書く。今日も1日が終わった。刻一刻と『進み出す日』へと近づいていく。
スーツを脱いで布団へ倒れこむと深い眠りについた。
その日、僕はとてもいい夢を見たと思う。起きた時の気分の良さからの勝手な推測だけど…。
薄っすら覚えてるのは女性と話していたことぐらいだ。なんだか懐かしく心地よいその人の声が、夢の中で響いていた。
ジリジリとなる目覚ましの音で目が覚めた。
体を起こしてカレンダーを見る。キッチンへ行きトーストを焼いた。コーヒーを注いでトーストを食べる。
また僕の特別ないつも通りが始まった。
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