9 死後の世界
1
犯罪者を隔離するための収容所に着いた私は、奴がいた現場に立っている。
部屋のベッドには、真っ赤な染みが着いていた。
「どうやら、昨晩の食事で出されたトマトケチャップのようです。血液ではありません」
先に来ていた小梅が簡易チェックの結果を告げる。
「監視カメラの映像が残っています」
柳さんに呼ばれ、監視室に移動する。そこで、昨晩の映像が流された。
映像の始まりはリリスがベッドに血を流して倒れているところから始まる。
異変に気付いた警備員が、室内に入る。倒れる彼女に近づいた瞬間、リリスは起き上がると同時に、警備員の首の骨を折った。
倒れた警備員から装備を奪い、脱走したところで、奴が映る事はなくなった。
「警報システムは作動しなかったのですか」
犯罪者を隔離している施設にして、こんなにも大胆な脱出劇は未だかつてない。警報システムの作動で見つかるはずだ。
「それが、警報システムにクラッキングされた痕跡があります」
小梅の言葉に私は協力者がいる可能性を疑い、すぐさま、クラリスを取り調べ室に連れてこさせた。
「奴が脱走した。あなた、協力しているんじゃないでしょうね」
単刀直入に彼女を問い質す。机を叩いた事に怯えたのか、少し声が震えながらも力強く返答する。
「していないわ。私が収容されている部屋とDDの部屋は真反対の場所にあるし、助けられるわけないじゃない」
確かに奴とクラリスの部屋は離れている。しかし、それだけでは証明にならない。
「クラッキングのためのプログラムをあなたが隠し持っていた可能性もある。受け渡す方法もあるはずよ」
彼女は頑に否定する。そこで私は質問を変えた。
「あなた達が隔離区画で住んでいた建物の場所を教えなさい」
彼女はそこで黙り込む。
「時間がない。あなたは自分が英雄だと思っていた女に見捨てられたのよ。分かっているでしょう」
彼女は俯いた。しかし、また私の目を見る。
「もし話したとして、私にメリットはあるの」
「私があなたの今後について上に掛合うというのでどう」
具体的な内容は考えていなかったが、彼女の罪を軽くできるように話し合うことはできるだろう。
「できるの、そんなこと」
「分からない。でも、やってみなくては、あなたはこの収容所からいつ出られるかも分からない。決められた時間に餌を与えられ、狭い空間で自由に好きなこともできないまま過ごすのか、少しでも自由になれるチャンスがある方。どちらが魅力的かしら」
彼女は、あまり考えるのに時間を取らなかった。
場所を聞き出したので、去ろうとした私に彼女が頼み事をする。
DDを生きて連れ戻せとのことだ。
それに関しては約束をきちんとはしなかった。
私は部屋に彼女を戻すように言って、収容所内の休憩室に行く。
煙草の火を点け、気持ちを落ち着かせる。
奴が何を企んでいるのか。様々な思考が繰り広げられる。
そこに、アレンが入ってきた。
「焦っているな」
私にミルクの入ったコーヒーを差し出してきた。私はそれを少しだけ口に含む。「何か仕出かすに決まっている。急がないとまた犠牲者が増えてしまう」
「分かっている。だが、そう簡単に捕まるものでもない。冷静さを失うな」
私は立ち上がって窓から外を見る。
「街のどこかにまだ奴は潜んでいるのだと思う。少なくとも遠出をするには時間を要するはず」
「認証の通らない人間じゃ、県外への移動は――」
私はその言葉を言い切る前に否定した。
「これは私に対する奴の挑戦かもしれないのよ」
「どういうことだ」
「奴が監視カメラの映像までクラッキングしなかったのがおかしい」
半分は私が奴に求められているのではという自惚れに過ぎない。
「本気で逃げるつもりなら、映像だって残さないはず」
休憩所から出る私にアレンが着いてきた。何処に向かうのか、車の助手席で彼が問う。
「隔離区画にある、奴の拠点よ」
クラリスから聞いたビルは隔離区画の中心に近い場所にある。
着いた私達は、中に誰か残っている可能性を考え、ハンターをホルスターから引き抜く。
ビルは四階建て。電力がまだ通っているようなので、一階から調べていく。
そして、四階を調べた時だ。部屋が幾つかある。アレンと手分けしてリリスが使っていた部屋を探す。
途中、扉が少し開いている部屋を見つけた。
ゆっくりと中に入ると、部屋の中央には何やら大きな箱がある。
もしかすると、これがあの警視庁の展望台で奴が語っていた女性の棺桶なのか。
流石に開けはしないが、周りを見るだけでこまめに手入れされているのが分かる。
リリスや他の仲間にとって、この女性はそれほど大切な存在だったのだろう。その棺桶に触れて、私は思った。
隣の部屋に入る。
そこが恐らく奴の部屋であった。確証が在る訳ではないが、本が大量に置いてあったためだ。
物語だけではない、医学、工学、統計学などの専門書まで置いてある。
奴の知識の源であろう本が、棚、床へと大量に置かれていた。
しかし、奴の部屋にしては随分と質素だ。華美に見せるようなタイプではないだろうが、集団を率いるのならば、作戦を練るような机などがあっても良いはず。
私は壁に並ぶ本棚の列を見る。
以前読んだ本に出てきた部屋に雰囲気が似ていると思った。
棚の本を何冊か手に取り、適当な場所に置いていく。
本棚を一つ、何もない状態にして軽く押す。
すると、奥に動いた。
本棚はまるで扉とでもいうかのように動く。
そこは少し大きな部屋だ。
しかし、先の部屋とは明らかに違う。本が置かれている事は変わらない。
ただ、大きな机の上に幾つものモニター、電子機器が置かれていた。
電源が点けられたままで、映るのは二三区。
奴はここで外の動きを監視していたのか。
だとすれば、奴も監視しているシステムのようではないかと思った。
背後の部屋から差す明かりとモニターだけでは、まだ充分に明るいとは言えない。
扉のすぐ側にボタンを見つけた。それを押すと、天井から下がる電灯が点く。
部屋の中を見回すと、壁にはいくつもの紙が貼り付けられている。
今までの事件の計画書のようなもの。その中にはこの前の警視庁襲撃事件に関するものも出てきた。
それのすぐ側だ。港に着く国外輸出入用の無人貨物船の時間が、詳細に記された時刻表の紙が貼られていた。
日本は海外に技術の輸出を行う。その代わり、国外から様々な物資をその対価として受け取るという貿易を行っている。もっとも、日本はあまり海外の物を必要としていない。
相手が技術を欲しいというが、交換できるものがそれしかないため、行っているのだ。
貨物船は無人で動かされ、港には人間よりも機械の方が多い。
奴が何故こんなものを持っているのか。背後から声がかかる。私の隣に来たアレンに紙を見せる。
「行き先はイギリスの貨物船か。一体何のために」
貨物船は一週間の内に二回、港に着く。それは今日の夕方であった。
「国外に逃げ出すためかもしれない」
推測に過ぎないが、急いで本庁に戻らなくては。そう思った矢先だ。
私の端末に通信が入る。
相手は、キルアの側近、和久井さんであった。
私が何かあったのかを問うと、彼の声は少し焦りを感じさせた。
「秋月さん、ボスと会っていませんか」
「会っていませんけど」
「昨日の夜から行方が分からないんです」
私はすぐにそっちに向かうとだけ告げ、通信を切る。
貨物船の時刻表をアレンの前に出す。
「キルアの行方が昨日の夜から分からないらしい。お願い、アレン。それを」
反対されるかと思ったが、彼は何も言わずにそれを受け取った。
「彼女の家まで送ろう」
車に乗り込んで私は言った。
「反対されるかと思った」
「そうしようと思ったさ。でも、俺はお前を止める事はできそうにないからな」
ごめんなさい、と謝る私に彼は言う。
「らしくないな。いつもの秋月リゼでいてくれた方が、落ち着くよ」
車をキルアの家に向けて走らせた。
2
キルアの豪邸は相変わらず圧巻だ。
そんなことに驚いている暇はないので、和久井さんの元に急ぐ。
扉を通してもらってすぐに彼が駆け寄ってきた。
話を聞くと、彼女は昨日の夜に出かけていたのだが、それ以降車も護衛の役割で付き添っていた部下も戻っていない。出先から帰宅しようとした時間は記録されていたそうだ。
リリスが脱走すると同時に行方をくらましたキルア。
関係ない事とは、考えにくい。
しかし、奴が脱走した時間とキルアが出先から家に戻ろうとした時間を照らし合わせると合わないのだ。
私が考えている時、
「何かあったのか」
低い老人の声が頭上から聞こえた。それはキルアの父、神代ギンジである。
私の隣にいた和久井さんが、体を強張らせて真実を伝えるか迷っているようであった。
助け舟を出す訳ではないが、私が素直にキルアの行方が分からない事を話す。
応接室に通された私は、リリスの事を話した。
「娘は、その女性に誘拐された可能性が高いのですか」
彼の言葉に、可能性でも低いものだと答えた。
「私達も協力しましょう」
彼は自らの部下を一係に協力させようと言った。
「早速部下に車を出させますので、秋月さん。娘をお願いします」
私は、しっかりと頷く。
彼の部下が用意した車に乗り、東京と世界を繋ぐための港に向かう。
その道中、係長から連絡が入った。
『秋月、私達は港に向かうことにする。弓月から詳しい話は聞いた』
「了解。こちらも、港に向かっているところです。リリスだけでなく、私の友人もそこにいる可能性高いかと。彼女の父が協力してくれるそうです」
『本当か。相手の戦力はこの前で大分削られただろうが、油断はするな』
後一時間程で港に着く。貨物船が来るまで残り二時間。
暗く大きな倉庫の中で私は椅子に縛られたまま、奴の拳を受ける。
何発目かは分からないが、私達の周りに立つ私の部下は助ける気配がない。
昨日のことをようやく思い出した。
私をここまで連れてきたのは、部下であった。
出先から戻る前に水を飲んだ。
その後、車中で突然睡魔に襲われ、眠りについた。
そして、目が覚めてから今、私は奴からの攻撃に抵抗できないでいる。
「やっぱり、つまらないわね。一方的な暴力って、つまらない時は本当につまらない」
「なら、私の拘束を解除して戦うか」
だが、奴の拳を何発受けても余裕であった。
「前に言っていたけど、あなたの体が随分と頑丈なのは本当なようね。その体のメカニズム、とても気になるわ」
奴は楽しそうに私の胸の中心をゆっくりと人差し指で突く。
「でも、止めておきましょう」
リリスは身を翻す。
「あなたは餌だからね」
「私なんか使わなくても、リゼはあなたを捕まえに来るわよ」
「そうかもね、でも」
顔の半分をこちらに向けながら、
「私がこの国を離れる前に殺しておきたいのには、あなたも含まれているから」
私はその言葉に笑う。
「おもしろい。楽しみにしているわ」
殺すのを楽しむ者と殺すと言われて楽しむ者を眺める他の部下達はその場にいるだけで気分が悪かった。
「後、一時間と少しで私は国外に行ける。それまでに秋月リゼが来なかったとすれば、あなたを殺して彼女に精神的な復讐は出来るでしょう」
「どうかな、リゼはもうその内来るから」
私の言葉に奴は問う。
「何故、そう言い切れるの」
「なんと言ったらいいかしら、体が頑丈以外にも人の動きというか、例えるには難しいものが、うっすらと分かるのよ」
満面の笑みで答えた私に奴も笑っている。
「ねえ、私についてこない。あなたを殺すのを止めるわ」
私は奴の提案を断る。
「私は今の日本が嫌いでもないし、リゼといる方が楽しいからお断りだわ。あなたじゃ、私を従わせるのは無理よ」
私の返答を既に予想していたかのようで、奴はやはりと笑みを浮かべながら述べる。
懐から取り出した銃口を私の額に当てる。
「あなたのような人間を殺すのは惜しいけど、仕方ないわね」
引き金に指がかけられた。
しかし、それと同時に奴の部下が港の入り口に車が停まった事を知らせに来た。
私の元部下何人かと、奴の本来の部下数名に応戦する指示を出す。
「あなたはまた後で相手をしてあげる」
そう言うと、応戦の指示を出された者以外。私の元部下をこの場に残して去った。
3
キルアの父の部下と港に着いた私、と同時に一係の仲間も着いた。その中には蘇芳さんの姿もあった。
さっき一係に戻ってきたばかりだと言う。
「退院してすぐに仕事とか、私をどれだけ働かせるつもりなのかな」
笑いながら話す彼女に係長は、無茶をしないように告げる。
車のボンネットの部分に端末からの情報を展開した。
「この港には倉庫が全部で一五あります。運搬用無人機三〇、警備用無人機が二〇。ただ、これは二年前のデータで現在では、使われている倉庫は一〇にまで減らされ、その分必要のなくなった無人機は使われなくなった倉庫にしまってあるそうです」
小梅が、ここに来るまでの間に作り上げた情報をホログラムで投影している。彼女の情報収集能力は以前から認めていたが、この前の事件で雰囲気も随分と変わってしまった。
そんなことを考えながら、資料を見る。
無人機は全て自律稼働(スタンドアロン)仕様。
警備用には、軽機関銃が取り付けられている。
もっとも港にいる人間と言えば、そこで仕事をする者以外いないはずなので、そんなものを取り付ける必要はないようにも思える。
奴が隠れられるとすれば、勿論使われなくなった倉庫だろう。
係長が班を三つに分ける。
私とアレン、蘇芳さんと係長、柳さんと小梅。そこにキルアの父の部下達がおよそ四人ずつ、各班に加わる。
私達の班は使われていない倉庫を目指して移動を始めた。
そこは港でもより奥の方になっている。急いでその場を目指そうと走っている私達の目の前に警備用無人機が三機立ちはだかる。
咄嗟に私は横の資材に隠れるよう叫ぶ。
私達の立っていた地面に、無人機に取り付けられている軽機関銃の弾が遅れて着弾する。
「なぜ、確認もせずに発砲を」
部下の一人が叫ぶ。
「恐らく、クラッキングされている。入ってくる者は、無差別に撃つように設定されているんだわ」
無人機からの銃撃が止んだところで私は、資材の影から少し顔を覗かせる。
ハンターの炸裂弾は無機物が相手でも効果を発揮する。
近くにあった石を無人機の前に投げた。三機同時にその石を撃つ。
しかし、標的ではないことを認識したのか、銃撃が止む。
同時に私は身を乗り出し、一機に向かって引き金を引いた。
命中した無人機は、爆発する。それに伴い、もう一機誘爆した。
残る一機から発砲されたので、私は再度身を隠す。
私に気を取られて発砲していた一機を反対側にいたアレンが撃つ。
全てを制御不能にしたところで、私達は、再び倉庫を目指して走る。
別の場所からも爆発する音が聴こえる。
他の無人機も当然クラッキングされているようだ。
一刻も早く、奴を捕まえなくては。
爆発音が近くで聞こえた。ここには、私の元部下が三人、見張りとして残っている。
「あんた達、何故裏切ったのか教えてくれたなら、まだ見逃してあげるわよ」
突然言葉を発した事に驚いたのか、三人は顔を見合わせる。
言っていいものか悩んでいるのだろう。
すると、一人が二ヶ月前だと切り出す。
「自分達はボスの元にいる事ができて良かったと思っています。ですが、下っ端は下っ端。このまま上に上がれる見込みのない場所に居座る事に不安を隠せませんでした」
別の一人が口を開く。
「システムの存在がある限り、ボスの元を離れても俺達はまともな仕事になんて就ける事はできない。そんな時、彼女に会いました。彼女は自分達と同じ考えを持つ他の仲間も紹介するように言い、連れて行きました」
最後の一人が口を開く。
「彼女は俺達を平等に扱うと言ってくれました。仕事を同じように割り振り、同じように報酬をくれる。システムの破壊に失敗し、彼女を助けたのも俺達です」
私はそこまで聞いて、笑った。
大声を上げて笑う私に先程以上に動揺する元部下達。
私は笑うのを止め、無表情で告げる。
「くだらない」
その言葉に裏切った部下達への全てを込めて言った。
「暇つぶしにもならない話を聞かせてくれたお礼をしないとね」
私は腕を開こうと力を入れる。拘束している鎖から音が鳴る。
元でも部下達は私の強さを知っている。だからこそ、私を早く仕留めておくべきだったと後悔する事になるのだ。
自分を拘束していた鎖が切れた。
元部下達はその光景に後退るが、ホルスターから拳銃を取り出す。
私は手に巻き付いていた鎖を鞭のように振るい、その手に叩き付ける。
痛みに銃を取り落とした元部下の首に、鎖を巻き付け、力任せに引くことで首の骨を折った。
残りの二人も同じように銃を取り出したが、撃たれる前に私は走り出し、一人の腹部に掌底を当てる。前屈みになったところで、首の後ろに手刀を振り下ろす。
また一人再起不能になった所で、残りの一人の元に歩み寄る。
銃を構えたまま後退る元部下に、私はさっき殺した二人から奪った銃を向けて撃つ。
体に二発撃ち込んだ所で、倒れた元部下が何か言いたげに口を動かしていたが、額に最後の一発を撃つ。
「今までご苦労様」
私は、その場を後に倉庫から出た。
あの警視庁のビルで私は奴の策略により負けた。その日から、寝る度にあの嫌な夢を見る。
前からよく見る夢だが、あれ以降更に酷くなっている。
奴をまた逮捕すれば、私の気持ちは安らぎを取り戻し、またいつものように戻れるのか。奴の手下とキルアを裏切った部下を相手にしながら考えていた。
こちらにいる部下としては元仲間を殺す訳で流石に最初は戸惑っていた。
しかし、裏切り者はもう仲間ではないと言い聞かせるかのように銃撃戦を始めてしまった。
夕日が昇り始めている。
後、三〇分で港に貨物船が到着してしまう。さっきから、敵との撃ち合いも拮抗しており、このままでは埒が明かない。そう思った矢先だ。
横から誰かが発砲した弾が敵の一人に当たり、体が爆散する。
係長の班が応援に来たのだ。
「リゼ、お前は先に行け」
アレンが、私の隣に来て叫ぶ。
「でも、この状況で――」
「いいか、奴を捕まえられるのはお前ぐらいだ。ここは俺達が何とかする。係長も来たんだ、安心しろ」
逡巡したが、彼らにその場を任せて、係長達に気を取られ始めた敵の脇を抜け、先を目指す。
4
後、二〇分。リリスは貨物船が停泊する予定の桟橋に立つ。
持っていく荷物を置き、中を確認する。無人機やその他の機器の動作を停止できる“遠隔クラッキングプログラム”のリモコンを持っているため、堂々と侵入できるという訳だ。
もう少しで、この国から出ることが出来る。そして、またいずれ帰ってきた時には、次こそシステムを破壊してやるという思いを胸に、海を眺めるリリスの背後で撃鉄が起こる。
「あなたが先に来るとは意外だったわ」
振り返った先には、拳銃をこちらに向けるキルアの姿があった。
「残念ね、リゼでなくて」
「いえ、別にいいのよ。さっきも言ったでしょう。あなたを殺すだけでもいいって」
キルアは一発だけ奴に向けて撃ったが、当たりはしなかった。元から当てるつもりはないのだ。
「死を目の前にして堂々としていられるあなたと私は、どこか似ているのかもね」
リリスの言葉にキルアは笑ってみせる。「あなたと似ているだなんて、あまり嬉しくないわね」
海風が強く吹き、髪が靡く。
キルアの後ろからゆっくりと一人が歩み寄ってくる。
「やはり来てくれたのね。秋月リゼ」
キルアの横に並び、ハンターの銃口を向けるリゼに笑いかける。
「キルア、血が出てる」
リゼが心配したようにハンカチを取り出し、渡す。
彼女は礼を述べて受け取り、口元の血を拭う。
「前にもあったわね。こんなこと」
彼女は平気なようだが、リゼはリリスを睨む。
「あんたを逃がしはしない」
リゼの言葉に彼女は関心したように口笛を吹く。
「大した執着心ね。まるで獲物を追う狩人のよう」
「私達が追うのは、犯罪者という人間だ。動物を追うのとは違う」
「表現に使ったまでよ。でも、そこに大した違いはないのでは。人間だってただの動物に過ぎないのだから」
リリスは後ろ手に持つリモコンのボタンを押す。
リゼの持つ、ハンターの光が消える。
「何をした」
リリスに向かって叫ぶ。
「なに、ちょっと使えなくしただけよ。それにあなた、私をそんな銃ですぐに殺すのじゃつまらないんじゃないかしら」
奴はもう一度、互いの体をぶつけ合う戦いがしたいということだ。
ハンターをゆっくりと地面に置く。
腰のホルスターを取り外し、出来る限り身軽にしたリゼはキルアの前に立つ。
「下がって。手出しは不要よ」
「協力はしないでくれってやつかしら」
リゼはその言葉に首を縦に振る。キルア自身は平気そうだが、さすがにケガをした状態ではリリスとまともにやりあって勝てるかは分からない。
それに、リゼとしては、この前の借りを返したいところでもあった。
「始めようか。船が来るまで残り一〇分。あなたは私を殺せるか」
「上等よ。私は警察として、あなたを逃がさない」
桟橋の上で、二人は構える。
同時に走り出した。
互いに腕を突き出す。どちらも早かった。
どちらもお互いには当たらず、髪を掠めて何本か切れた。
先に行動に出たのは、リリス。
突き出した腕でリゼの肩を掴みに行こうとする。彼女はそれを回避すべく、体を逸らし、肩を掴めないようにした。
だが、次は襟を狙ってくる。
その手を左手で弾き、一旦離れた所で再度走り出し、今度はリゼが掴みにかかる。
左手で掴もうとしつつ、フェイントをかけての右足からのローキック。リリスはそれを受けたが、足の筋肉でダメージを軽減させる。
そして一瞬で態勢を低くし、リゼの足を蹴り払う。
倒れた状態は不利だ。すぐさま地面を転がり、その場から離れて跳ね起きる。
「いい反射神経だ」
「今回はあんたの小細工もないからね」
不思議とリリスは楽しそうにしている。私が勝てば捕まり、この国で然るべき処置を為されるというのに。そんな事はないという絶対的な自信の表れか。
リリスの拳を掴み、腕を引く。それと同時に肘打ちを繰り出すが、同じようにリリスはそれを受け止める。
『CQC』、軍隊や警察が敵との近距離戦闘を目的として開発したもの。
リリスがリゼの肘を掴み、握力に任せて折ろうとする。
リゼは掴んでいた手を放して体を半回転させ、逆からの肘打ちを顔に叩もうと試みる。
リリスは片方の腕を、顔の防御に使う。そのまま、リゼの背中に膝蹴りを放つ。それを受けた衝撃を利用して、リゼは掴まれていた肘を振り払う。
奴に向き直ると、目の前に指が迫った。目潰しを狙う気か。リゼは咄嗟に口を開いて指を挟む。
そのまま食いちぎることはせず、首を縦に振る事で骨を折った。
リリスは指を強引に引き抜く。
その際、少し切れたようで、口に入った血を勢いよく吐き出す。
力が拮抗している。決着が中々つかない。
折れた指を抑えるリリスを掴みにかかる。
態勢を低くし、飛びかかる。
だが、この前と同じだ。
リゼの飛びかかりを避けたリリスは指の折れていない腕で、彼女の腕を掴んで地面に叩き付ける。
すぐさま、仰向けになり、跳ね起きようとしたリゼの動きを阻止して馬乗りになる。
「なんだ、秋月リゼ。何も成長していないな」
折れた指の骨を無理やりに戻そうとしながら苦笑するリリス。
だが、リゼは笑う。
「いや、これでいい」
その言葉と同時に、両足を上半身に持ってくるように上げた。
リリスの顔に足をかけ、そのまま引き戻す。
そう、これによりリリスが倒れ、リゼが起き上がる。
瞬時に形成が逆転した。リゼがリリスに馬乗りになる。
同じ事をされないよう、リゼは上半身を屈め、足が届かないようにする。
二人の横にキルアが歩み寄ってきた。
手に持っていた拳銃をリリスの頭に向ける。
引き金を引けば彼女はその生を終えることになる。
リゼは、キルアの持つ銃をゆっくりと掴んだ。
「これは、私の戦いなの。お願い」
キルアは、握っていた銃から、二人から何も言わずに離れる。
船の汽笛が聞こえてきた。
「この前とは違うな」
リリスの全身から力が抜けるのが分かる。
「ええ、そうね。もう終わりよ」
この状況においてまだリリスは笑っている。
「何故、躊躇う」
まるで心が読まれたかのような気分だ。「私なら、躊躇はしない。すぐにでも殺す」
「口を閉じなさい」
「自分の命が危ないからな」
「喋るな」
「あなたは、どうなのかしら。秋月リゼ」
「黙れ」
リゼは叫ぶ。今まで生きてきて初めての感覚だ。
何かが、この女を殺せと囁いているようだ。
「また、私のような人物が現れた時、あなたは追うのでしょうね。狩人のように」
冷酷な目でリリスの顔を睨んだリゼは疲れた声で言う。
「もう二度と会いたくないね。あなたのような犯罪者には」
それを聞いてリリスは笑い、続ける。
「死んだ先には何があると思う」
リゼは答える。
「天国、地獄なんてものはまやかしよ。向こうは“無”の世界。何もない」
その言葉にリリスは瞼をゆっくりと閉じる。
「そうか。なら確かめてくるとしよう」
瞼を閉じた彼女の暗い視界に、誰かが映る。
優しく微笑む彼女、イノリが手を差し出している。
「そこにいるのね。イノリ」
リリスが言い終わると同時に、リゼはゆっくりと引き金を引いた。
果物を割ったかのように綺麗な赤い液体が飛び散る。
終わったのか。
そう思ったリゼは立ち上がり、銃を投げ捨て、煙草に火を点けた。
その隣にキルアが立ち、二人は落ち行く夕日を何も言わずに眺める。
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