8 殺人者の回路


リリス・カーライルが逮捕されて三日。リゼは未だに目を覚ましていなかった。

 リリスの方は昨日意識を取り戻したところだ。蘇芳も既に目を覚まし、今日は念のために一日安静ということになっている。

 今回の事件で警視庁に出た被害は大きかった。

 ほとんどの人員がリリスの陽動作戦のために外にいたのだが、残っていた者から死傷者が数名出た。

 鑑識課、医療課、局長室など無事な所はいくつかある。

 会議室で以前のように治安維持課の一係から三係まで全てが集められていた。

「今回の事件、皆よくやってくれた。局長である私の責任は大きい。本当に申し訳ない。これからは事後処理にあたってもらいたい」

 局長が壇上で謝罪とこれからの動きを指示し、解散となった。

 その間も、アレンはずっとリゼの容態が気になっていた。

「もう三日ですし、流石に不安になりますよね」

 小梅も浮かない顔をしている。

 警察病院に移され、無菌用のガラスに覆われたベッドに横たわる彼女を廊下の窓から眺める。

 入室禁止なため、入り口と真反対にある廊下の窓からしか見れない。

「本当に、良いパートナーですね」

 横からリゼの友人だという女性が歩いてくる。

 あの日の事件の全てを知っている一人、神代キルア。

 アレンは彼女と廊下に備え付けられているベンチに座る。

「俺は何もしてやれなかった。あいつの側にいて助けてやれなかった。今回だって俺がしっかりしていれば蘇芳さんも負傷せずに済んだはずだ」

 後悔の念を語る彼の隣で、キルアは本を読む。リゼが読んでいる時とそっくりだ。そんな彼女を見ていると、本を読むのか問われた。

 アレンがあまりない、と答える。

 すると、本を閉じた彼女は、

「なら読んでみるといい。相棒のことを知るためなら、一緒にいるだけでなく、その人と同じ事をしてみるのがいい。でも、それで仲間と同じようになれるか分からないけどね」

 言い終わると同時に本を彼の膝に置いて立ち上がる。

「それ、リゼのお見舞いに持ってきたのだけれど、まだ目を覚まさないようですし、先に読んでみてはいかが」

 キルアは踵を返し、歩いていく。

 アレンはその本を手に取る。タイトルは『殺人者の回路』。


 事後処理もいよいよ落ち着いてきたので、少し早く帰る事ができた。

 最近は帰るのも遅い時間なので、妻にも迷惑をかけていた。

 今日は早く帰れるという約束を守れた。

家の扉を開けると、廊下の隅から誰かが走ってくる。

 娘のセリナだった。その目線に合わせて屈んだ俺に抱きついてきた彼女を抱きかかえる。

「おかえりなさい」

 後から遅れて来たのは妻のイリヤであった。

「ただいま」

 久しぶりに起きている娘を見た気がする。娘の方も俺の姿を見たのは久しぶりだろう。

 イリヤは俺と同じ高校で同じ部活に入っていた。彼女の方が一つ上だ。

 その時から交際していた俺は、刑事になると同時に彼女と婚約した。

 夕食を済ませた俺とイリヤは久々にじっくりと話す。

「大丈夫、疲れているようだけど」

 無理もない。ここ最近ずっと動きっぱなしなのだ。だが、それは他の皆も同じ事だ。

「ああ、ありがとう。もう事件は解決したんだ。今は事後処理をしているんだけど、それもその内終わるから」

 俺の言葉に彼女は少しだけ安心したような表情を見せる。

「同僚の人は大丈夫なの」

 まだ目を覚まさないと伝えると、再び不安になる。だが、リゼがこの程度で負けるとは思っていない。

「パパががんばってるから、へいわなんだよね」

 俺の足下でセリナが笑顔で言った。

 彼女を抱き上げる。

「そうだな。パパはママとセリナのために頑張るからな」

 自分にも言い聞かせるよう、セリナに言った。

 前よりも重い娘を抱えると、これが背負っているものの重さなのかと再確認する。

 寝る前になって、俺はリゼの友人からから借りた本を手に取る。

 紙の本を読むのは初めてかもしれない。インクの匂い、紙の感触。電子では味わえないものだろう。

 電子書籍も、もうしばらく読んでいないが。

 読み始めようとした所で、イリヤが寝室に入ってきた。俺の横でベッドに入った彼女も紙の本に驚いていた。

「あまり、無理はしないでね。おやすみなさい」

 そう言うと、俺の背後でベッドに入った。彼女に挨拶を返し、本を開く。

 『殺人者の回路』。

 主人公は精神科医で様々な殺人犯と対話をすることになる。

 一人目の男性は殺人を犯したというのに罪悪感を微塵も感じなかったと話す。彼が殺したのは仲の悪かった隣人であった。

 二人目の女性は殺してしまった後に後悔していると言う。彼女が殺したのは喧嘩をした交際相手だった。

 三人目の男性は何も覚えていないのだという。それは彼が一〇人もの人間を殺した殺人鬼だからだ。

 ここで精神科医は思った。殺人者とはみなパターンに当てはめられる。その思考回路によって類型を作れるのではないかと。

 それが本のタイトルの由来。もちろんフィクション。まったくの作り話なのだが、論文でも読んでいるかのようだ。

 気がつけば二時間程で半分近くまで読み進めていた。

 俺は本を電気スタンドの側に置いて、眠りについた。



 まただ。大歓声の中、中央の壇上に立つ女性。私の隣に座る男性。いつ思い出しても嫌な光景だ。

 だが、今回は違った。男性とは反対側、少し離れたところにリリス・カーライルの姿があった。

 それになによりも、幼かったはずの私の体が大人になっている。

 私は特に身構えることもせず、壇上を見直す。

 しかし、そこには既に何もなかった。

「人を殺すとは、罪か否か」

 リリスの言葉に私は奴の方を向かずに答える。

「いかなる場合であろうとも、命を奪うという行為は等しく罪よ」

「果たしてそうかしら。あなたは自分を襲う人間を前にして無抵抗で死ぬのか」

「殺さずとも対処できる」

「それは人による。君は出来ても、か弱い少女ならどうする」

 奴の言う事にも一理ある。

 しかし、それは正当化させるための言い訳ではないだろうか。

「秋月リゼ、あなたはもう何人も殺しているじゃない。正義の名の下で殺すのは、悪にならないのかしら」

 理由もなく殺している殺人犯とは違う。私達、治警は法を守るために誤った行いをした者に裁きを与えるだけだ。

「それはあなた達のエゴイズムに過ぎない。神の使いにでもなったつもりか」

 違う。私は耳を塞ぎ、奴の声が聴こえないようにした。しかし、耳からではなく、まるで脳内に直接語りかけているかのように頭に響く。

 そこでゆっくりと目を開ける。

 ガラス越しの照明の光が視界に入り込んでくる。眩しさで瞼が重く感じる。

 体も鉛のように重い。

 ここは恐らく病院だろう。警視庁にキルアが来たところまでは覚えている。

 私の覚醒に気付いた医療システムが電子音声で担当医に連絡を入れたのがわかる。何とか首を動かして横に向けると、私のことを心配そうに見つめるアレンの姿が窓に在った。

 

 目を覚まして一時間後にはもう話せるようになっていた。

 奴からもらったダメージが想像以上に大きかったようで、体中の痛みが引かない状態ではある。

「今は安静にしていろ。事後処理は俺達で進めている」

 アレンの言葉に私は天井を見上げたまま返事をする。

 彼は仕事に戻ると言って、立ち上がった。その際に、本を置いていった。

 彼が本を読む所などみたことがない。私にとキルアが持ってきていたそうだが、先に貸してくれたと言う。

「おもしろかった」

 私の問いに彼は、夢中になっていたと返して病室を出て行った。

 しばらくして、私の元に来たのはキルアであった。

「意識が戻って何よりね。無茶をするのは控えなさい」

 私の隣で説教をする彼女。私も早く本が読みたい。

「そういえば、あなたをそんなにした女の手下も逮捕されたわよ。体が復帰したらあなたも取り調べできるんじゃない」

 彼女は端末を弄りながら笑って話す。


 次の日には、私は体を起こしても平気なほどに回復していた。

「いくらなんでも、早すぎじゃないか」

 アレンが驚くが、一度深い眠りから起きてしまえばこんなものだろうと私は言う。

「取り調べは」

「リリス・カーライルはお前よりも早く意識を取り戻した。だが、全快はしていないから、取り調べはまだだ。もう一人は昨日行った」

 彼は資料を私の端末に転送する。

 クラリス・エアハート。リリスと同じイギリス人。年齢は二四。クラッカーとして彼女の右腕とされる程の技術を持つ。テミスシステムの破壊を目的としたプログラムを作成したが、キルアの手によって作動を阻止された。

「奴については何か言っていなかった」

「いいや、何も」

 私の言う奴とはもちろんリリスの

事だ。

「奴の取り調べはリゼ、お前がさせられるだろう」

 私としてはその方がいい。そのためには早く体を治さなくてはならない。

「ありがとう。事後処理、大変でしょう」

「確かにな。でも、こうしてここに来れるぐらいには落ち着いてる」

 彼の声はどことなく力がある。

「なるべく早く戻るわ」

「頼むから、無茶はしないでくれよ」

 アレンは仕事に戻ると言い、病室を出た。私は出て行く彼を扉まで見送った後、本を読み始める。



 二日後、私の目の前には手足を拘束され、白い囚人服を着て椅子に座るリリスの姿があった。

 彼女は骨を折られていたが、医療技術の発達により開発された、『体組織急速修復治療』を用いる事で傷の治りが早い。骨折なら個人差はあるが大体四日程で動かせるようになる。

「秋月リゼ、また会えて嬉しいよ」

 奴は相変わらずの笑みを浮かべる。

「私もよ。リリス・カーライル」

 私も同じく笑顔で返す。

 お互いの名を呼び合う私達の姿は隣の部屋にいる一係の捜査官にもマジックミラー越しに見られている。

 ただ、今回は私の無理な頼みで音声は聴こえないようにしてもらった。

「じゃあ、取り調べを始めよう」

 私はファイルを開く。最初の事件。違法ドラッグ密売。死体による人形を扱い、私達を襲わせたあの事件。

 そんなこともあったかという態度で、罪を認めるリリスを睨みつけ、次の事件の内容を話す。

 係長の同僚を殺したかつての殺人犯に人殺しを促した事件。

「彼、また殺したそうだったから手助けしてあげただけよ。でも、あんなに簡単に捕まるなんて思わなかったけど」

 小梅と同じ絵画教室に通っていた青年。奴の手下であったその青年が起こした連続殺人事件。

「エリスの作品は素晴らしかった。でも、最後に私を失望させた今では、何も感じないわね」

 最後だ。今回の警視庁襲撃事件に加え、龍崎コーポレーション社長の殺害。

 奴は全てを認めた。罪悪感のかけらも感じさせない様子で。

 私はファイルを閉じて元に戻す。

 ここからは個人的、奴と私の思想の話し合いになる。

「あなたの求めた、理想的な世界とは何」

「それは刑事としてか。それとも個人的な質問かしら」

 奴を真っ直ぐに見据えたまま、答えずにいる。

 少しの間をおいて口を開いた。

「システムによる認証を必要としない世界」

「何故、そんなものを」

「言ったでしょう。間違った方向に進む人間を正すって」

 奴は語り続ける。

「二四年前のあの混乱から何も学んでいない。あの人が世界の平等を謳うシステムを破壊してくれたというのに、あなた達警察も同様に、自分の様々な情報をシステムに監視させている。前にあったあのシステムとは違い何でも管理してくれる訳ではなく、治安を守るための警察の捜査簡略を計るためのシステムと言っても監視されていることには変わらない。結局人間はシステムに頼り切って生きている」

「人の在り方は変わるのよ。システムに頼るのだって、人間が時代の流れとともに変わってきた証だわ」

 奴は鼻で笑ってみせる。

 そこで取調べの時間が終了した。再度、牢の中へと連れて行かれる奴はうっすらと笑みを浮かべていた。

 

 私は続けて奴の部下、クラリスの取調べも行った。

「あなたにとって、リリス・カーライルはどういう存在ですか」

 私の問いに俯いていた彼女は、しばらくの間をおいて答えた。

「彼女は英雄よ。私達を獰猛な獣から救ってくれた」

「確かに奴はあなた達を救ったでしょう。だが、公正な裁きを為されていない人物を殺したことは変わりない。それに今回は、まったくもって関係のない人間を巻き込んでいる。それは悪でしかない」

「私達のように社会に認証をされない者達は皆、システムに監視される事を何とも思わず身を委ねる者は、皆悪だと考えている」

 彼女は話し続ける。

「テミスシステムは神のシステム程の機能はない。しかし、認識されていないと生活する事もできないという仕組みに、また戻ってしまった。そうしてしまった者達の全てが悪だ」

 

 彼女達の取調べを終えた私はとても疲れた気がした。

「ご苦労だったな」

 係長が私の隣に座る。

「いえ、無理を言ったのは私です。申し訳ありません」

 私の謝罪に彼女は否定する。

「いや、いいんだ。私では、彼女等の思想を理解する事は出来そうになかった」

 といわれても、私も奴らの思想に関しては完全に理解できていない。

「彼女達は、システムに認識されないと生きていけない世界をまた創り出した者達、その全てが悪だと言っていました」

 係長はそうか、とだけ返す。

「確かにあのMOGシステムに人類は頼りきりだった。私はそれでも良かったのではないかと今でも思います。犯罪がなかった、理想的なシステムに任せられた世界」

 私の言葉に係長の返答は意外なものであった。

「私は、今の方が人が人らしく生きられている気がする」

「なぜ、そう思うのですか」

「犯罪が無くなる事は、いいことだと思う。だが、それは人間が何もかもを放棄したりしない限り訪れないだろう。だからと言って、罪を犯す事が人の意志が生きている証というのも嫌なものだが。それに」

 彼女は少し言葉を区切る。

「MOGシステムの時も罪を犯した人達はいた。だから、あのシステムは崩壊に導かれたのではないかな」

 完璧なシステムとされていたMOGシステムですら、万人に受け入れられなかった。

 そのため、不満を持つ者達により崩壊に導かれたのだ。

「そうかもしれませんね」

 私は彼女の言葉に少し納得がいった。だが、心の底からはできない。

 その日は、家に着いてすぐベッドに転がった。いくら傷を早く治せる技術が進歩しても病み上がりなのは変わりない。せめて服だけは着替えようと気力だけでそれを実行し、死んだように眠りについた。


 翌日、端末からの通信音で目が覚めた私は、まだ重い瞼を閉じたまま通信に応じる。

 アレンからだ。何やら焦っているようだ。彼のひと言で、私はすぐに目が覚めた。

「リリス・カーライルが脱獄した」


 目を覚ました私は、椅子に縛り付けられ、水をかけられたことで目を覚ました。

「お目覚めかしら」

 その声には聞き覚えがある。

 顔を上げると、目の前には、あの端麗な金色の髪に深く青い瞳をした女がいる。

「なるほどね」

 私は自分が置かれた状況を即座に理解した。

「状況を判断するのが早すぎるわね」

 私の目線に合うよう体を曲げた女は、爪を立ててゆっくりと、私の頬を滑らせる。

「あなたとこうしてお話しできて嬉しいわ、神代キルアさん」

 私は奴と同じく笑みを浮かべた。

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