6 深淵に踏み込む


 警視庁治安維持課一係のオフィスに私達は集まっていた。

 ただ、一人、小梅エリを除いて。

 セラピーを担当する香澄は、彼女の自己嫌悪によるものが強いという。自分が仲の良く接していた人物が犯人ということにも気付かなかったこと、その犯人に少しだが好意を抱いてしまったことも大きい。

 彼女のいない一係の部屋の中で私達はスクリーンの前に立つ鑑識課の川内課長を見る。

「解析結果だ」

 私達を集めたのは、この間の不可解な連続事件の犯人の情報が集まったからだと言う。

「今回逮捕された犯人、名前はエリス・シュルツ。イギリス人だ。奴の情報を探すのには苦労したよ。MOGシステムの残留ファイルを引っ張り出してきたことでようやく分かった」

 残留ファイル。MOGシステムの崩壊後、登録されていたデータの全てが消えたわけではなかった。今でもそれは警視庁の秘匿情報として残されている。捜査のためとしても調べるのはかなり制限される。課長もそれを調べるためには様々な申請を踏んだと思う。

「外国人か。でも、MOGの残留ファイルから見つかったってことは、あれが存在してる時には、もう日本にいたってことですよね」

 アレンの質問に可能性が高いと頷いた課長は、画面を切り替える。

 犯人のコートに入っていたものとして小さなリモコンを映し出された。それは機器を狂わす事の出来る電波を出せることが確認され、カメラを狂わせていたのはこれが原因だと言う。

 次に映るのは、犯人の喉から出てきた物だと言う。これも小型のマイクだった。

「こんなものが喉から出たときは驚いたが、今回の事件の仕組みが何となく分かった」

 課長は更に画面を切り替え、文字の羅列を見せる。

 少しして、それがプログラム言語だと分かった。

「なるほど、そういうことですね」

 私が言うと、彼は笑みを浮かべた。

 どういう事かと言う、アレンの問いに課長が答える。

「犯人は自分の喉のマイクから発する言葉で電子義手、義足の回路から脳へと命令を下せるようにしていた」

 私は彼のもとで授業をいくつか受けたことがある。何となく課長の考えることは分かる。

「そしてこのプログラムの名前を考えた」

 私が問うと、彼は落ち着いた声で言う。

「“言霊プログラム”」

 あの本のタイトルから取った名前であるというのは明白だった。

「こんなものを開発できるなんて奴は相当な天才だ。しかし、プログラムは出来ても、肝心の小型マイクやその他の機器が必要になる。それをどこで手に入れたかだ」

 課長が退室した後、私達は係長から仕事を言い渡される。

「小梅がいない今、私達五人は二つの班に別れる。単独行動はさせられないからな。柳さんと蘇芳、弓月のA班。私と秋月のB班だ」

 A班は犯人の情報を引き続き捜索、それとMOGシステムの残留ファイルに残っている者のリスト作成を鑑識と共に行う。

 B班の仕事はDDの手がかり、マイクの出所を掴むことだ。

 私は早速係長とあの場所へと向かう。


 中古ショップの扉を開けた私達を見た彼は、ゆっくりと立ち上がると、奥へ来いと首で示し、客室に通す。

「私達がお客としてくるかもしれないじゃないですか」

「その可能性は零に等しいだろう」

 彼はポケットから煙草を取り出し、一服すると、何が知りたいのか問う。

 ここのオーナー、風見は表向きでは中古ショップのオーナー、裏では情報屋という物語にでも出てきそうな人物だ。

 係長は風見に犯人であるエリスが持っていた機器の写真を見せる。

「この機器をまとめて取り扱ってる人物はいるのでしょうか」

「この手の機械を作るための素材を扱う奴は結構いる」

 彼はこめかみに手を当てて、困った顔をする。しかし、何かを思い出したように目を開く。

「一四区だ。そこに俺と同じように店を開いてる奴がいるんだが、機材なんかを扱っている。数種類じゃなく、何百とな。情報屋はしてないが、裏物は扱っている。訊いてみるといい」

 私達は彼に礼を述べ、一四区にあるという、教えられた店に向かう。

 そこは昔の機材を扱っている店で、マニアなどがよく来ているそうだ。

「あなた達のような方は初めてだ」

 とそこのオーナーである初老の男性は答える。私達は刑事であることを明かしたが、目的は店の摘発でないことを伝え、該当する商品を探してもらう。

 同じものを店の奥から持ってきた彼は、一ヶ月前に一つ売れたと言う。

 それを買ったという人物について話す時、エリスの写真を見せると彼で間違いないと言った。

 彼がDDなのだろうか。だとすれば、あまりにも呆気ない。

 一旦警視庁に戻ろうと車に乗り込んだ時だ、端末に通知が入る。事件を知らせるものだ。


事件が起きたのは一五区。店からすぐの場所だった。

 現場は私達治警とは別の一般刑事が既に保持していた。

「治警一係、係長の御堂です」

「同じく、秋月です」

 現場の前に立つ警官挨拶をしてホログラムで作られたテントに入る。

 被害者は男性。発見された時には既に亡くなっていたという。

 ここは、某企業のビルの前だ。

 自殺の線が濃いだろう。

 しかし、遺体には全く外傷がないのだ。

 まだ鑑識が来ていないため、正確な死因は分からない。

 テミスシステムによる簡易チェックを端末から行うと、目の前の企業に勤めている情報が表示された。早速話を聞きにいこうとした所に鑑識課が到着した。

 テントに入ってきた川内課長が部下に指示を出し、調査を始める。

 私と係長は害者の勤めていた会社に入る。


『龍崎コーポレーション』、社長である龍崎ヨシカゲが設立した、システム提供会社だ。

 生活支援システムもここが開発したものである。

「お会いできて光栄です」

 そう言って、握手を求める私の目の前に立つスーツ姿の厳つい顔をした男性。この会社の社長だ。

「まさか、刑事さんとお話をすることがあるとは思いませんでした」

 彼と向かい合ってソファに座った私と係長は早速事件の話に入る。

「秘書からも先程聞きました。亡くなったのは我が社の社員だそうですね」

 ええ、と私は答えて座る。

 まさか、社長に会うとは思わなかった。会社の屋上と亡くなった害者の机を調べさせてもらえれば、それで良かったのだが。何か後ろめたいことでもあるのだろうか。

「何故、社長自ら私達に面会を」

 係長の質問に社長は答える。

「自分の部下が亡くなった調査をしてくれる刑事さんに挨拶するのは不自然ですかな。捜査に協力するにあたって気をつけてもらいたいことがあるのです」

 気を付けろというのは、この会社に迷惑をかけるなということだけ。

 具体的にと私が聞くと、利益を落とすことに繋がるようなと、笑っているが、目は笑っていない。

「社員に不安を与えないようにお願いします」

 私達は充分に配慮することを約束し、害者の男性のデスクを調べに行く。


 害者の所属していた部門はプログラム開発。提供する場所に合うプログラムを組む部門だ。

 彼の机は綺麗に整理されている。無駄なものはあまりないと言った感じに。

 彼のPCを点けようとした所で呼び止められた。

「社長の秘書を勤めている茅場(かやば)メイコと申します。社長からあなた方の捜査を見守れと言われて来ました」

 “見守れ”、つまり監視役だ。

「早速ですが、当社の職員のPCは当社が調べるという義務を設けています。警察の方でもそれは守って頂かなくては」

 失礼、と私は彼女の目を見た。

 若いのに凛々しく、随分と鋭い目をしていると思った。

「屋上は調べて頂いても構いません。私も同行させていただきますが」

 茅場を連れて屋上へとエレベーターが上がっていく。

「秘書をされて長いのですか」

 私の純粋な質問には彼女も優しかった。

「もう五年目ですね。前任の方が辞めてすぐ、プログラム部門にいた私が選ばれました」

「随分と急に仕事が変わりましたね」

「社長は秘書の資格を持たない者でも、自分が任せたいと思った社員を秘書としてつけるそうですか。そろそろ着きますよ」

 屋上に着いた私達は全景を見渡す。

 ヘリポートの役割も担っているこの場所は、外部の人間が来るためでもあるのだろう。

 私は乗り越えるのを防止するための手すりに触れる。

 その手すりの先にもまだ地面があるのは、ヘリポートになっている部分が少し小さいからだ。

 手すりを越えてもすぐに落ちないためというのもあるのだろうが。

 恐らくこの先から落ちると、害者の倒れていた場所に落ちることが出来る。

 手すりを越えようにも秘書が見ているので、止められるだろう。

 私はその手すりの先を手首の端末から写真に収めていく。

 署に戻って川内課長に調べてもらうためだ。

「もうよろしいのですか」

 私は充分調べたと秘書に述べ、エレベーターに戻る。

 プログラム部門、私は下に下りる最中のエレベーター内でその名前を頭に浮かべる。

 斜め前に立つ秘書の顔を見ると、後ろからだから分かりにくいのか、無表情だった。それともう一つ、彼女は耳にイヤリングをつけている。

 私は先程、正面に立っていた時の彼女を思い出そうとしたが、エレベーターから到着したことを知らせる音が鳴る。

 秘書がビルの出入口で私達を見送った。

「怪しいな、あの秘書」

 署に戻る最中、係長が助手席で私に言った。

「社長もですね。二人とも何か隠している」


 署に戻った私は、早速鑑識課に向かう。

 写真を調べて欲しいと彼に課長に頼んだ。

 私が端末から彼のパソコンへとデータを送信する。

「なんだ、屋上か。これがどうしたんだ」

「さっき起きた事件の害者が、勤めていた会社の屋上です」

「なるほどな。しかし、部下から来た資料だと、外傷はなかったそうじゃないか」

「確かに屋上からの転落が死因とは考えられません。ただ、念のためです」

 分かった、と課長は早速写真の解析を始める。

 時間がかかると言われた私は休憩所に赴く。 

 煙草に火を点け、一服する。

 秘書の顔を思い出す。初めて会った時、私のほぼ真正面に立った彼女の髪に少し隠れた耳。

 イヤリングが見えたのは正面の私から見て、右にあたるはずだった。つまり彼女の左耳だ。そして、戻る最中のエレベーターでは私は彼女の右側。つまり彼女の右耳を見ていた。そこには確かにイヤリングがなかった。

 片方しかしていないのは不自然だ。

 私が考え込んでいると、灰皿を持った手が目の前を横切る。

 見上げると、そこにはアレンの姿があった。

「灰、落ちるぞ」

 短いその言葉で私は自分の持っていた煙草の火が手に迫っているのを察し、灰皿に灰を落とした。

「ここで話すのも久しぶりね」

 隣に座った彼は私の言葉にそうだな、と曖昧に返す。

「何かあったの」

 アレンとも長い付き合いだ。声だけで何かあったことぐらいは察する事ができる。詳細な部分までは分からないが。

 私の問いに、アレンは灰皿を眺めて言う。

「お前、最近妙じゃないか」

 その言葉に私は少し表情が曇る。

「どういう意味よ」

「係長とばかり行動している」

「あれは、御堂係長が決めたことじゃない」

「だから、おかしいんだ」

 少し口調を強めてアレンが言った。

「前までお前と一緒にいたはずの俺は、何も変わらない。同じ事件を追っていたはずなのにだ。だけど、お前はどんどん俺の知らない所に行ってしまう」

 彼の言わんとすることが何となく分かってきたが、最後まで何も言わないでおく。

「このままじゃ、お前はもう戻ってこない気がする。俺はパートナーとしてそんな結末は嫌だ。もうこれ以上、深追いするのは止めた方がいい」

 彼は私のためを思って言っているが、自分のためでもあるのだろう。

 相棒である自分だけが置いていかれている、そんな思いにかられているのだろう。しばらくの沈黙の内、口を開いたのは私だった。

「やっぱり親子ね」

 私の言葉に疑問を抱く声を挙げる彼の目を見て話す。

「私も両親に置いていかれた。あの人達はいつも私の追いつけない所にいた。必死で追いつこうと勉強して、強くなって、でもそれでもあの人達の考えていることは分からなかった」

 私は立ち上がり、灰皿を置いて続ける。

「知ってはならないような気がするのよ。多分、巻き込みたくなかったんだと思う、私を。母は四歳の時にいなくなったし、父は私が警察学校に入学を決めて、治警になれた二〇歳の時に財産を残して自分の持っていた会社を畳んで姿を消した」

 これはアレンにも話したことのない私の過去だ。

「あの親と似ていると実感するのは嫌だけど、やっぱり逃れられないのよ。私もあなたを巻き込みたくない」

 私は自分でも分からない内にアレンを、この世界の闇に触れようとしている自分に付き合わせたくないと思っていた。だが今ならそれが確かであると言える。

「あなたは守るものがある。だから、知るのは私だけ充分なのよ。これは、私自らが知りたいことだから」

 DDと呼ばれる人物が何を考えて行動しているのか、刑事としてではなく、人として気になるのだ。

「それは、ただの自分勝手じゃないのか」

 彼の言葉に私は笑って、そうねとだけ返す。

「私はあなたの思っているほど遠くにいないわ。まだまだ、追いつける場所にいるのよ」

 その言葉に彼は大きく息をついて立ち上がる。

「そうだな、ただでさえ、一係は大変なんだ。こんなことで凹んでいられねえな」

 頬を勢い良く叩いたアレンは、それでと続ける。

「今回の事件、どうなんだ。また例の奴が関わっているのか」

 DDが関わっているのかはまだ分からないとだけ言っておく。

そこで、私の端末に通信が入る。川内課長からだ。

『さっきの屋上の写真から、面白いものが見つかった。すぐにでもいいから来てくれ』

 私はアレンに課長からの通信で呼ばれたと言うと、一緒についてくることになった。

「一体何が写っていたんです」

 私の問いに、課長はホログラムディスプレイの一つに表示されている写真をズームして見せた。

さらにカメラの向きを無視したかのように反対側から、見えるように。

 写真の技術も向上し、私達治警の使っている端末で撮影した写真はその場から三六〇度回転させることも出来る。

 そして、更にズームする。

 映像が補正されてようやく見えるようになった所に映し出されたのは、イヤリングだった。

 私はすぐに秘書の茅場のしていたものだと気がついた。

「こんなところに落ちてるなんて、実に不自然じゃないか」

 早速、係長にもこのことを伝える。

 私はアレンを加えて、係長と龍崎コーポレーションに再び向かった。

「秘書が犯人だと言うのか」

「まだ、断定は出来ません。彼女に問いつめる必要があります」

 車内の通信機が鳴り響く。鑑識課が検死の結果を報告してきた。男性の死因は劇薬によるもの。首に注射痕があったという。これも茅場に問い詰める必要がある。

 会社に着いた私達は、受付にいる女性社員に秘書の茅場を呼んでもらうように頼んだ。少し待つように言われた私達の背後から声がかかる。

「リゼじゃない。こんな所で何をしてるの」

 よく知るその声に振り返ると、そこには私の親友である神代キルアが部下である和久井と一緒に立っていた。



 リゼと御堂が会社から去った後、社長室にはまた新たな人物が訪ねていた。

「お元気かしら、社長」

 満面の笑みで社長室を歩くのは、神代財閥の令嬢、神代キルアであった。表向きは財閥令嬢、裏は海外で言う所のマフィアと変わらないその組織の長を父に持つ彼女。そんな彼女自身も自分の組織を拡大している。

「アメリカはどうでしたかな」

 龍崎はキルアと向かい合って座れるようにソファに移動した。

 つい先程もここで客の相手をしたところだが。

「MOGシステムがなくなってから、世界はまた元通りというのは本当だと実感しました。あちらに比べると今の日本は平和過ぎます」

 世界を統制していたシステムがなくなり、世界は昔に戻ったと言われている。

「それで、今回の分のシステムソフトは」

 キルアの言葉に社長が頭を傾け、ソファについているボタンを押す。

 二人の間にあるテーブルが中央から開き、下からジュラルミンケースが上がってきた。

「どうぞ、中を拝見してください」

 キルアの横に立っていた和久井が順番に開いていき、キルアに中が見えるよう開けた。

 多数のディスクが入っている。

「確かに」

 和久井はケースを閉めると、そのジュラルミンケースを持つ。

「あなたの会社が開発したシステムは、向こうでも好評でしたよ」

 その言葉に龍崎は素直に喜びを浮かべる。キルアが受け取ったのは、彼の会社が作成している生活支援システムだ。外国に輸出するにあたって仲介役を担っているのが、キルアの組織である。

MOGシステムを開発後、日本の技術確信はめまぐるしく、他国を凌いだ。そのMOGシステムが崩壊後も一番に持ち直したのは、やはり日本であった。

 前と同じように他国は日本の技術の導入を望んでいる。しかし、中には国の意志ではなく、個人で買うことを希望する金持ちもいる。

 キルアのしている事は、要するに密輸だ。

「不思議なものですな。マフィアが海外にシステムを送るなど」

「不思議な事でしょうか。昔から裏での取引には私達のような悪が関わっている。後ろめたい事、知られたくない事をやるのは悪の仕事です。至って自然の成り行きでしょう。それにこの仕事は私達としてもありがたいのです」

 どういうことかと問う龍崎に彼女は話す。

「技術の進歩がめまぐるしくとも、日本だけで今の組織を維持するのは限度がある。だから、あなたの作るシステムを売ると同時に他国にも私達の組織の名を広めることができる。昔のような協力体勢がいるのです」

 彼女の考えに龍崎は拍手を送る。

「やはり、親子共々素晴らしい方々です」

 ところで、とキルアが別の話に切り替える。

「ここの社員が亡くなったそうですね」

 まだ、ニュースにもなっていない事を何故彼女が知っているのか問うと。

「超能力ですよ」

 と笑ってみせた。冗談だろうと疑う龍崎に、

「信じるかどうかはお任せします。とにかく、警察には気をつけることですね。裏での取引が漏れてしまうかもしれないですから」

 と話す。

 キルアの言葉に龍崎はご心配なく、と強気に出る。

「あなた達との関係まで知られることはないでしょう」

 その言葉にキルアが笑い声を上げながら立ち上がり、背を向ける。

 何がおかしいのかという問いに、彼女は首だけを龍崎に向けて言った。

「この関係のことではありません。もっとも、警察に知られた所で私は気にしませんし。私が言っているのは、あなたが個人的に行っている出資の事ですよ」

 その一言に龍崎は表情が変わる。なぜ彼女がその事を知っているのか。

 出来る限りの平静を保つよう努力したが、彼女の顔からはもう何もかもお見通しだと言いたげなのが分かる。

「まあ、気をつけてください。では、私はこれで失礼します」

 キルアは社長室を出た。

 まさか本当に超能力とでも言うのだろうか。 

 しかし、そんなことがあるはずもない。この秘密だけはなんとしても守らなくてはならないのだ。

 そんな龍崎の元に、治警が再度訪ねてきたという連絡が入る。



 私は久しぶりに再開した友人に歩み寄る。

「あなた、こんな所でなにを」

 キルアは私と同じようにスーツを着ている。恐らく仕事の途中だろう。

 「久しぶりね、リゼ。ちょっとここの社長と話があって。そうだわ、これ返しておかないと」

 思い出したように懐から、以前貸したハンカチを取り出してきた。

「いつも持ち歩いてた訳じゃないわよ。ただ、今日は何故か、あなたに会いそうな気がしたから。本当に会えて良かったわ」

 彼女のその言葉に反応した訳ではないが、怪訝な表情を向ける。

「それで、なんの用事かしら」

 その問いに彼女は、秘密とだけ言って、身を翻す。

「それよりも、お目当ての人が来たみたいよ」

 彼女の言葉に振り返ると、エレベーターから下りてこちらに向かってくる茅場の姿があった。

「じゃあ、私はもう行くわ。また電話するわね」

 キルアに声をかけたが、彼女は後ろ手に手を振り、和久井さんは私に頭を下げてビルから出て行った。仕方なく、私は茅場の方へと歩み寄る。

「私に話があると聞かされたのですが、どういったご用件でしょうか」

 私は、屋上へとまた着いてきてもらうよう言い、半ば強引に彼女をエレベーターに乗せた。

「さっきの、一体誰なんだ」

 屋上に向かう最中、アレンが訊いてきたのはキルアのことだ。

「中学の時からの友達よ」

 私に友人と呼べる人物がいることの方に驚いていた彼の腹に肘を打つ。

 そんな私に次は茅場が声をかける。

「一体、あそこに何があるというのです」

「この事件を解く鍵です」

 私の言葉に溜め息をつく彼女を気にする事なく、エレベーターが到着するのを待つ。

 下りた私は早速、今日写真を撮った場所へと走り、手すりを勢い良く飛び越え、ヘリポート外の地面へと降り立った。

「何をしているのですか」

 背後から茅場の厳しい注意がなされても気にかけず、私は例のイヤリングを探す。

 彼女はしばらく注意していたが、諦めたようで何も言わなくなった。

 うるさいのが黙った所で私は探すのにより専念する。

 しかし、そこからイヤリングが見つかることはなかった。

「もう、気が済みましたか」

 無表情で告げる彼女に私は、ええと答えて謝罪を述べる。

「今日はお引き取り下さい。社長には不要な心配をかけたくないので、このことは内密にしておきます」

 ビルから出た私達は車に乗り込んだ。

「結局、あのイヤリングは見つからなかったな」

 私と一緒にアレンも探していたが、何も見つからなかった。

 しかし、そんなことは想定内だ。

「当然よ。回収しているに決まってるじゃない」

 私の言葉にアレンは、どういうことだと問う。

「犯人がイヤリングを落とした事に気付いて回収する所までは、私の想定内。本当に見つけたかったのは、これよ」

 私が見せたのは、ハンカチに包んでいたボタンだった。

「これは」

「スーツの袖についてるものよ」

「こんなもの、どこで」

「鑑識課でこれを見せられた時にね、イヤリングの写っていた部分の隅に影と重なって何かあるのが見えたの。そこは死角になっていたから、入念に探さないと見つからない」

 そこで、気付いたようだ。

 これを調べて、害者の着ていたものと一致すれば、害者が屋上にいたことが照明できる。

「イヤリングは写真であそこにあったことが照明できるから、このボタンと一緒に落ちているのが不自然ってことになるわね」

「茅場と害者が屋上にいたってことか」

 私はそれともう一つ調べなくてはならないことがある。


 鑑識課に例の証拠品を私、調べてもらう間に私は、和泉局長の元へ行く。

「最近、一係は随分と多忙なようだが、大丈夫かね」

 私は問題ないことを伝え、今日訪ねてきた要件を話す。

「“ハッキング許可”の受理をお願いします」

 捜査において必要な情報が入手困難であり、極めて特殊なケースのみ認められる、ハッキングによる情報の取得を認めるものである。

「なぜ、それを」

 局長が理由を問うので、今行っている事件の捜査、龍崎コーポレーションのPCを調べる事ができないと伝えると、あっさり許可証を申請し、通ってしまった。

「君は優秀だと評価が高い。悪用などしないだろうという、テミスシステムの意思だよ」

 局長から渡された許可証を受け取り、退室した私は、早速署内の各申請書受け取り機関にそれを提出した。

 これで、私が龍崎コーポレーションにある害者のPCにハッキングをかけることができる。

 まずは防護壁の突破だ。会社のPCには外部からの不正アクセスを取り締まる厳重な防護壁が存在する。

 しかし、この程度なら数分で抜けることができるだろう。

 PCの操作は昔からよく好んで自ら行っていた。

 防護壁を突破した私のPCから、今回の害者のPC内部に入っていたデータを見る事が出来る。

 しかし、仕事に関するもの以外見つからない。

 私は害者が何か会社の不利益になるものを持っていたのではと睨んでいる。だからこそ、彼のPCを洗えば何か見つかるかと思ったが。

 私は一度、休憩室に行き煙草を吸う。

すると、そこに先輩である蘇芳さんがやってきた。

「あら、リゼちゃん。捜査はどうなの」

 この状況でも明るい彼女を見習いたいところだ。曖昧な返答しかできなかった私に彼女は、

「PCの中に見つからないなら、どこか別の場所に移しているんじゃない」

 助言をくれた。

 その別の場所がどこか分からないが、私は彼女の言葉を参考にもう少し別の場所を探してみる。

 もう一度害者のPCの中身を見たが、やはり何も変わったものはない。

 どこか、ここではないどこかにデータを移してある。

 私はそこであるものを思い付いた。

 検索エンジンを運営している会社が提供している機能の一つ、自分のデータの保管場所の提供。

 アカウントさえあれば誰でも個人サーバーを作る事が出来、そこに個人のデータを置いておけるのだ。PCのデータ容量を消費しない

 私は害者のアカウントを乗っ取り、その中にあるデータを探す。

 表計算ソフトで作られた様々なデータが存在した。

 順番にそれを開いていく。

 すると、いくつかパスワードの必要なものがあった。

 それもパスワードを解析し、自動入力で開く。

 毎月の、龍崎コーポレーションの金の動きが詳細に記されていた。

 私はそれを全て確認する。不正に使っているのは違いない。

 何に使ったのかまでは分からないが、これに関しては社長を直接問いただすしかないだろう。

 恐らく、害者が殺されたのはこれを調べていたためだろう。社長が気付いて茅場に命じて殺させたか、または茅場個人が社長にこのことを知られる前に始末をしたのか。

 優秀な彼女のことだ、社員の不審な動きなど分かるのだろう。

 どちらにせよ、犯人は彼女でほぼ確定なのだ。ハンターを向ければ全て解決するだろう。

「何か分かったか」

 アレンが私の座る椅子に手を置いて訊ねるので、例の不正な金の動きを記したデータを見せる。

「こんなものがあったのか」

「大企業なら、こんなのいくらでもありそうよ。問題は、何に使っているのか」

 動いている金額は、一番少ないものでも、一般人にとっては大金だ。

「確かに怪しいな。そういえば、あのボタンな、害者のスーツので、間違いないそうだ」

 私はその報告に思わず笑顔になる。

 これで確定だ。茅場は屋上で害者を殺した。後は何故死体を屋上から落とさなかったのか。

 どちらにしても、明日あの会社に行けば全て分かるはずだ。



 翌日、私と係長、アレンの三人は龍崎コーポレーションに来ていた。

 早速、秘書の茅場を呼んでもらう。

 エレベーターから出てきた彼女は私達を見るやいなや、うんざりした表情を見せる。

「今日はどういった、ご用件で」

 私は笑顔でここではない場所を用意してほしいと言った。

 広い会議室の一つに私達と彼女だけで入る。

「それでは、話に入りましょう」

 会議室の机を前に座る彼女の目の前に証拠品として袋に入っているボタンを置いた。

 これは、と問う彼女に屋上で見つけたと言う。

「そして、これがもう一つ落ちていたであろうものです」

 それは、彼女が身に着けているイヤリングがあの屋上に落ちていたことを示す写真であった。

「あなたの持っていたものですよね。何故、被害者の男性の着ていたスーツのボタンと一緒に落ちていたんでしょう」

 彼女は一言も言葉を発さない。

「あなたは屋上で害者を殺した犯人である。違いますか」

 私の問いに、彼女は反論するかと思った。

 しかし、驚くことに彼女は、

「ええ、そうです」

 とあっさり認めた。

 これには私達も拍子抜けだった。

 彼女は話し始めた。

「もっと、早く気付いてほしかったのですが」

 その先を促す。

「社長が謎の出資をしていることには私も気付いていました。私が彼を殺したのは、社長のその出資について探っていたためです」

 ここまでは私の推測が当たっていた。

「ですが、私は社長に彼を殺すよう命じられた時、戸惑いました。本当に正しいのはどちらなのか。そして、密かに彼に協力することを決めたのです」

「なら、なぜ殺した」

 アレンの言葉に答えたのは私だ。

「それが彼への協力だったのよ」

 その言葉を引き継いで茅場が話を戻す。

「そうです。彼は自分が死ねば社長は安全だと油断するのを狙い、警察にも自分の調べていた不正な出資についてまで探られると思ったのです」

「現にそれは成功したということね。私達はあなたと害者の考え通り、殺された理由を探り、謎の出資をしているデータを手に入れた」

 だが、分からないのは彼の死因だ。なぜ屋上から落とさなかったのか。

「あなたが屋上で殺したのに、そこから落とさなかった理由は、死体の損傷を避けるため」

 私の問いに、彼女は静かに頷く。

「彼が死んでも自殺で片付けられては意味がありません。そして、捜査が困難になり時間を取るようなことも。ですから私は警察が他殺の線でも調べてくれるように彼に提案したのです」

「社長としては、自殺に思わせられるのがベストだったんでしょうけど、秘書のあなたに任せ過ぎたのね」

 彼女は社長が何か危険なことに関与していることを恐れた。そして、私達に彼の身柄の保護を申し出た。

「あなたの罪が消えた訳ではありません。ですが、社長にも話は伺う必要がありそうです。彼は今何処に」

 私の問いに、彼女はまだ社長は来ていないという。普段から来るのは遅い方だが、今日は更に少し遅いと。

「係長、彼女を署に連れて行くのをお願いしてもいいでしょうか」

「私は構わんが、どこに行く」

「社長の家に直接行きます。何か嫌な予感がするんです」

「俺もついていこう」

 私はアレンと外装ホロを纏った車両にに乗り、社長の家に向かう。


 一三区にある社長の家に着いた私達は、車両を停め、門の横にあるインターホンを鳴らす。

 モニターに使用人と思しき女性が映り、私達が警察であることを示すと、門を開けた。

「龍崎社長はいらっしゃいますか」

「ご主人様は、今日体調が優れないとのことで面会は拒否されています。私達使用人が要件を承るよう申し付けられているので、お通ししました」

「社長に直接会わないと意味がないのです。それで、社長は自らあなた達にそうおっしゃったのですか」

「いえ、そういった内容のメッセージが端末に送られてきましたので」

 私は強引に屋敷の中に入る。

 彼の寝室であろう、奥にある部屋の廊下を走る。

「やられたか」

 私の目に飛び込んだのは、荒らされた部屋。そして、その奥の窓が開いていた。



 目が覚めると、龍崎は椅子に縛り付けられていた。

 頭が痛い。微かに血が出ていることが分かる。手すりに両手を固定され、足も同じように拘束されている。

 思い出せるのは昨日眠りにつこうと寝室のベッドに入った所までだ。

「お目覚めかしら、社長」

 龍崎が昨日の事を思い出そうとしているところに声がかかる。

「君は」

 よく知る人物。暗いこの空間にわずかに差し込む光に照らされたのは端麗な金色の髪が光る女性であった。

「DD、これはどういうことだ」

 ジーンズのポケットに手を入れ、余裕の笑みを浮かべる彼女が歩み寄る。

 差し込んだ光から外れたのでその顔は見えなくなってしまった。

「どういうこと、ですか。あなたの部下がミスをしたようなのでね」

 顔こそ見えないが笑い声を上げながら彼女は話す。

「ミス、何のことだ」

「あなたが私にしてくださった出資、あれのデータが警察の手に渡ったようです」

 その言葉に龍崎は驚く。

「馬鹿な、あれは茅場に処理を任せたはずだ」

「その秘書が、ミスを犯したのですよ。あなたの言う通りにしたように見えるようにしていたようですが、警察にも分かるようにね」

 一体なぜ、彼女がそんなことを。理由は何にせよ、この状況は非常に危険だ。打開策はないものか、と考える彼にDDは話しかけてくる。

「それで、あなたをここに運んだのは、もう出資を必要としなくなったことをお伝えしようかと思いましてね」

 龍崎は焦りを抑えきれなくなった。

「ま、待ってくれ。私は君の思想に興味を持って出資をしていたのだ。せめて、君の理想とする世界を見てから――」

「それでは意味がないのよ」

 冷たく放たれる彼女の言葉。

 再度龍崎に歩み寄った彼女が彼の額に何かを押し付ける。彼の死を宣告する冷たい銃口であった。

 彼の目の前にも光が微かに差していたので、彼女の顔が再び視界に入る。

 その顔は、これから人を殺そうとするとは思えない笑顔をであった。龍崎は、そんな彼女を悪魔と呼ぶ。

「そうね、私は人間じゃないのかも。この世界でシステムに認識されないから」

 そう言い切ると同時に引き金をゆっくりと引いた。

 龍崎の額に穴が開く。

「ありがとうね、社長。あなたは随分と約に立ってくれた」

 DDは龍崎の力なく下がる頭を眺めて言った。

「さあ、ご対面といきましょうか。警視庁治安維持課」


 茅場を署に送った係長、他のDDに関連しそうな事件を洗っていた蘇芳さん、柳さんも龍崎社長の家に来ていた。

 鑑識課に現場任せ、私達は屋敷の庭に大きめの簡易テントを建てて、即席の対策本部を作った。

「私と蘇芳さんで調べた、この前の殺人事件の犯人が亡くなった現場で小型の監視カメラを見つけました。データは破損されていたましたが、誰かがそれを通して見ていた可能性が高いことと、音声だけが復旧できました」

 柳さんが、その場にいる一係全員の端末にデータを送信した。開くと、自動的に音声が流れる。

 片方は男性。これは自決したエリス・シュルツのものだろう。そして、もう一つは聞こえ難いが、女性の声だとかろうじて分かる。

「もしかして、DDは女なのか」

 アレンの言葉に私は別段驚かなかった。

「犯罪をするのに性別なんて関係ないのよ」

 私の言葉に彼は少し怯えた顔をする。

「この話している人物は、私達を振り回しているDDという人物の可能性が高い。龍崎社長の謎の出資、誘拐は無関係ではないと思える」

 係長の言う通りだ。私もこの事件に奴が絡んでいると見ている。

 社長の部屋は金庫などの金目のモノが重点的になくなっていた事から、もう社長の出資をなしにやっていける体勢を取ろうと考えているのだろうか。

 そんな奴の動きを探るのに必死だった私達は、翌日社長の遺体を見つけることになり、事件は急変を迎える。

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