4 獲物と狩人


 手に熱い感触が、赤い液体が、彼の体から出ている。

 暗い路地で、息を荒くしている彼の手を握り、私は何も出来ず、その赤い液体の溢れる場所を抑える。

 名前を何度も叫ぶ。

 喉が張り裂けそうだ。

 だが、関係ない。

 私は何度も彼の名前を呼ぶが、遂に目を覚ます事はなかった。


 目を覚ました。端末のアラームが鳴っていたので、それを急いで止める。

 まずは眠気を取るためにシャワーを浴びよう。

 熱い湯が私を目覚めさせる。

 次に朝食を作る。なるべく栄養価を考えて調理していく。

 それを食べた後は、いつものスーツに着替える。もう何度と着慣れた。

 警視庁に勤めることになり、ずっと繰り返してきた朝。今日も無事に一日を終えれることを祈る毎日。

 鞄の中身を確認し、机に目をやる。

 そこに置かれている一輪の花が入った花瓶。その隣に置かれている写真立てには私と一緒に笑顔で写る彼の写真が収まっている。

 行ってくるよ、とだけ告げた。

 私は扉を開けて、今日も治安維持課一係の係長として、警視庁に向かう。


 オフィスに着くと、一係の新入りである小梅が報告書を持ってきた。

 私は、自分のデスクに座り、それに目を通す。

「今回は問題なさそうだな。この調子で頑張ってくれ」

 受け取ったそれを、ファイルに挟むと、

 彼女は嬉しそうに自分のデスクに戻り、次の仕事にかかっていた。

 懐かしい。彼女を見ると、まだこの治警に所属したての頃の自分を思い出す。

 しばらくして、次に私の部下にあたる秋月が入ってきた。

「係長、諏訪タツミの件の報告書をまとめておきました。今から送信しても大丈夫ですか」

 それは、四日前に解決したばかりの事件だ。ここ最近の事件では最も凄惨なものであった。

「構わないが、あまり無理はするなよ。お前はただでさえ、あの事件で最前に立って、辛いものを見たはずだ」

 私の言葉に彼女は慣れています、と軽く笑顔を見せる。

 頼りになる部下だが、まだまだ恐れ知らず過ぎるのには気付いてもらいたい。

 今度は秋月と同期の弓月だ。二人は警察学校時代からよくペアを組んでいたのを見ていた。

「自分も報告書をまとめたので、お願いします」

 私は二人の報告書に目を通す。

 彼も秋月に負けず劣らず優秀だ。特に問題となる部分はなかったので、二人にも報告書は問題ないと伝える。

 そろそろ自分の仕事を始めようと思った矢先だ。

『一五区で殺人事件。治警は直ちに急行してください』

 機械音声で告げられた私達は、四人で現場に向う。


 現場は一五区のとある空き家だった。誰も住んでいないこの家で死体が発見されるとは奇妙だ。

「治安維持課の御堂です」

 私が警察手帳を表示すると、現場を確保している警察官が敬礼して道をあける。ホログラムのテープをくぐり、先に現場に到着していた一般刑事に話を伺った。

「何とも無惨なものです。何やら薬品を使ったようでして、とにかく酷い」

 薬品。私はその言葉が引っかかった。

 そして、遺体のある部屋に入った私は、遺体を見て眉を顰める。

「皮膚がドロドロに溶けているんです。こんな遺体を見るのは初めてでして」

 顔の皮膚が溶けている無惨な遺体が横たわっていた。

 見覚えがある。この遺体には。

 “水酸化ナトリウム”。皮膚などを溶かせる薬品として真っ先に思い付いた。過去に捜査した事件で犯人が使っていたからだ。私はテントから出る。

 秋月が私の顔色を見て、セラピーに行くことを勧めてきた。

 そんなに酷い顔をしていたのか、私は大丈夫としか言えなかった。

「少し気分が悪くなったが、なに、問題ないさ。それよりも、事件の調査にあたろう」

 遺体についての詳しい結果は、鑑識課からのものを待つことにし、本庁に戻って捜査を始める。



 被害者は一四区に住む女性。

 勤務している会社が一五区にあり、電車を使って通勤していた。

 しかし、昨日は会社に来なかったという。真面目な性格だったと言われる彼女が、無断欠勤をしたことで、上司は何回か連絡したそうだが、一度も出なかった。

「鑑識の結果、殺害された予想の時間は昨日の午前中、おそらく昼前だということです。遺体の状態が酷く、正確な時間は分かり難いと」

 小梅が鑑識から聞いてきた結果を報告する。

「また、薬品を使われていたんですが、死因は腹部にある刺し傷。ここから毒が検出されたそうです」

「じゃあ、会社に向う最中の害者を、人目のつかない所で毒を塗った刃物で殺し、それから薬品を使ったってことか」

 アレンが小梅の言ったことをまとめて納得する。

 すると、係長が立ち上がり、

「過去の捜査資料を渡しておくから、みんな目を通してくれ。何かの参考になるだろう」

 この場にいる全員にファイルを送信してから、部屋を出て行ってしまった。

 今日の係長に何か異変を感じると思ったのは私だけではないだろう。

 そこに入れ違いで蘇芳さんが入ってきた。

 今日は午後から夜の担当である彼女に、挨拶する。彼女は、私に返事を返すと、午前中にあった事件について質問してきた。小梅が軽く説明すると、送られてきた資料を見せてほしいと言われたので、彼女の端末に転送した。

 それが受信されたことを知らせる通知が鳴り、すぐに彼女は目を通す。

 少し見た所で、大きく溜め息をはきながら、納得したように椅子に座った。

 何があったのか、という私達の質問に、話していいのか逡巡していたが、その過去の事件について話し始めた。


 本庁のトレーニングルームに来た御堂は、練習用の人型アンドロイドの設定を最高に近い状態にして相手をする。

 練習用アンドロイドは対人格闘訓練のため、様々な格闘技の技をメインPCにプログラミングされており、相手の動きに合わせて最適な攻撃を繰り出してくる。凶悪な犯罪者を捕まえるためには、それなりの腕がいる。

 彼女は所属してから、何かあるとここに来ていた。ストレス発散になると教えてくれた、ある人物の影響が強い。

 アンドロイドは、外装ホロで雰囲気を出すために大柄な男のデザインを選択する。それをまるで本物の人を睨みつける。最初に動いた相手の繰り出す、右のストレートを避ける。と同時に手首を掴み、左膝をその右肘に下から当てる。

 相手が生身の人間なら折れていただろう。今度は胸ぐらを掴みにかかった左手を弾き、そのまま頭突きを相手の顔面にあたる部分に喰らわせる。

 よろめいた敵の胸に肘打ち。そこから、右のアッパーを繰り出す。

 何とも呆気なくアンドロイドが練習の終了を電子音声で告げる。

「ここにいましたか」

 トレーニングを終えようとした御堂に声をかけたのは、先輩である柳であった。

 設けられているベンチに並んで座る。

「川内さんから聞きましたよ、午前中の事件のこと」

 御堂は、そうですかとだけ答える。

「やはり、例の事件と同一犯だと思いますか」

 彼の言葉に頷く。

「こんなことをするのは、奴しかいないでしょう。毒、薬品を使うのが、奴の特徴です」

 確かにと彼は御堂の言葉に上を見上げるように答える。



「“毒殺薬品事件”。連続で四件も続いた事件で、標的は全て若い女性だった」

 係長からもらった資料に目を通しながら、蘇芳さんの言葉に耳を傾ける。

 当時のニュース記事なども、結構な量が貼られている。もう七年も前のものだ。

 その時の報告書に目を通すと、担当捜査官の名前が書いてある。

 御堂マリヤ、蘇芳ライラ。そして、伊崎リオという、聞いたことのない男性捜査官の名前があった。

 私達が知らないのも無理はない、と彼女が苦笑して答える。彼女が配属された頃にはまだいたそうだ。

「私が配属されて、半年を過ぎた頃かな。その事件が起こったのは」



 九年前。毒殺薬品事件の起こる二年前の夏だ。

 私はまだ一係の捜査官になって四ヶ月の新人だった。

 それは彼も同じだった。

「御堂さん、この前の事件の報告書、提出お願いできますか」

 突然呼ばれて、変な声を出してしまった。彼は私に謝り、もう一度ゆっくりと言い直す。

 私達をまとめている柳係長に報告書の提出をする。

 内容もしっかりとしているので、受け取ってもらえた。挨拶をして、席に戻る。すると、隣から小さく笑い声が聞こえる。

「そんなに緊張しなくてもいいだろ。報告書を出すだけだぜ」

 伊崎リオ、私と一緒に一係に配属された同期だ。

「いいでしょ、別に」

 少し恥ずかしくなり、厳しく返す。

「そう怒らないでくれよ」

 申し訳なさそうに手を合わせる彼に怒ってはいないとだけ告げて仕事に戻る。

 いつも彼にはからかわれてばかりだ。

 だが、ふざけているように見えて、捜査の時は誰よりも柔軟な発想をする新人であった。その彼の背中を追うようにしていたのが私であった。

 他の先輩達には、私は新人らしくていいとよく言われる。

 毎日、必死で事件の解決に勤めていた。凄惨な殺人事件を前にしても、逃げずに最後まで向き合っていた。

 しかし、彼と一緒に行動していると、自分の未熟さ、成長を感じないので辛い事が多くなった。

 ある日、リオを探していた私は、彼がトレーニングルームで、アンドロイドを相手に格闘しているのを見つけた。

 終わった所で私は声をかけた。

「体を動かすのは楽しいだろ。鍛えられるし、一石二鳥だ」

 タオルで頭を拭きながら、言う。

 彼が実際にトレーニングしているのは初めて見た。

「本当に楽しいの」

 私はあまりここに来たことがない。別に体を鍛えなくとも、ハンターがあれば、敵を瞬時に捕獲、処分が出来るからだ。

「分かっちゃいねえな。何かにすがりっぱなしじゃ、いつか痛い目を見る。体を鍛えておいて損はない。それに」

 彼が少し間を置くので、続きを促した。「ストレスの発散にもなる」

 何とも想像よりは、迫力に欠けたことを言う彼だったが、それから少しはここに足を運ぶようになった。


 配属二年目にして、初めての後輩ができた。

「蘇芳ライラです。先輩の方々を見習って頑張りたいと思います」

 初々しさと力強さを感じさせる彼女の挨拶に二年前の自分を思い出す。

 今回の新人は女性捜査官一人だけとなった。厳しい試験を通れたのは五人だけで、他の係に二人ずつ。一係はそれほど人員を必要としない程には足りているので、彼女一人だ。

 教育係には私とリオが選ばれ、主に三人で捜査にあたることになった。

 勝手な思いだが、私とリオを足して割ったような子だった。

 彼女が配属されてから、半年が過ぎた頃、不審な遺体が発見された。

 殺された後に薬品で皮膚を溶かされた遺体だ。

 その時、遺体を観たリオは、

「ただごとじゃないな」

 といつにも増して真剣な様子で答えた。彼の言葉の通り、被害者が続出し、ただごとではなくなった。

 四人目の被害者が出た時だ。薬品の出所を掴んだ私達は、その薬品を扱う会社に勤めていた男に狙いを定めた。

 この事件の容疑者、乾カヘイ。

 私達は街を人目を避けながら歩いている奴を街頭カメラで見つけて追っていた。リオの後に続いて、私、その後ろを駆けつけた柳さんが。

 路地を曲がった奴をリオが取り押さえようとした。

 だが、奴は隙をついて、隠し持っているナイフを彼の腹に刺した。

 私が駆けつけた時、奴にもたれかかるようにしたリオの姿があった。

 私を見た乾は、リオを突き飛ばして逃げて行った。

「リオ」

 私は彼の名を叫んで、走り寄る。

 腹部からどくどくと溢れる血を見て私は完全にパニック状態だった。

 すぐに病院へと電話をかける。

 私の手を掴んだ彼は、途切れ途切れの言葉で、犯人を追うように言った。

 彼の手を取り、傷を抑える。血で自分が汚れることなど考える余裕も無く。

 柳さんが走り寄ってきて、リオと私に目をやった後、乾が逃げていったとされる道を走っていった。

 呼吸の弱まる彼の上半身を抱き寄せ、傷口を抑えて出血を抑える。

 病院に搬送され。すぐに手術が行われた。私は手術室の前で祈る。

 乾を追っていた柳さんも、奴の姿がすでになくなっていたことを確かめ、蘇芳と一緒に病院に来ていた。

 どれくらい待ったか分からないが、手術室のランプは消え、中から出てきた担当医に私はすがりつくように訊いた。

 彼はこの程度で死なない。そのために日々鍛え上げてきていたのだ。

 だが、医師は何も言わずに首を横にゆっくりと振った。それで全てを察した私は、その場に泣き崩れた。

 

 三日間、部屋から出なかった。仕事にも行かず、私はずっと部屋に籠っていた。

 突然鳴り響く端末の通信音に眠っていた私は起こされる。

 相手は柳さんであった。出ることはしなかったが、メッセージで彼の声が聞こえてくる。渡したいものがあるから来てほしい。いつでもいいとのことだった。私は、ゆっくりと立ち上がり、スーツに着替え、本庁に向かった。

 泣き腫らした目は酷いものだった。

 目の腫れを誤魔化すように軽くメイクを施しておいた。

 着いて早々、柳さんは私を会議室に連れてきた。

 そこで、スーツの襟につけていたバッジを取り、私の襟につける。

 それは一係の係長を示すバッジだった。私は、なぜ彼がそんなことをしたのかを問い質す。

「部下を死なせたのは私です。私は自らの責任のため、係長という役職を捨てる事を和泉局長に伝えました。そして、次の係長はあなたにしたいと」

 その言葉に私は言葉を荒げる。

「柳さん。あなたは自分がしたくなくなったものを私に押し付けているだけではないでしょうか」

 大切な仲間が殉職したばかりで、まとめ役となり、仲間を引っ張れなど、普通では考えられない。

「そうです。私は弱い人間です。だから、あなたという強い方にお任せしたいのです」

 私が強い。違う、私だって弱い人間だ。リオの方が本当はこの一係をまとめるのに向いていた。

 私は、彼の代替品に過ぎない。

 そう言うと、彼は私の肩を掴む。

「皆が一度として、あなたをそんな風に言ったことはありますか」

 その言葉に私は、自分の考えがいかに愚かなのかを思い知らされる。

 勝手な私の思い込みだったのだ。それでも、私には出来そうにないと思った。そこで、彼はこの話を一旦終えようと提案する。まだ、渡すものがあると。

 彼はある小さな箱を渡してきた。

 開けてみると、中には随分と綺麗な指輪が入っていた。

「それは、伊崎君の自宅から見つかったものです」

 私は驚いて、それを落としそうになった。

「彼には身寄りがないので、警察が荷物の処分などを担当しました。そこで、その指輪とあなたに当てた手紙がみつかりました」

 彼は、スーツの内から出した手紙を渡してきた。受け取った私はそれを読む。

 内容は私達が配属されて、二年が経ったなどと書かれていた。

 そして、途中から、彼の胸の内が書かれていた。また、涙がでそうだった。

 だが、心に誓ったのだ。もう泣いてばかりの姿を彼に見せるようではならない。私はなんとしてでも、リオを殺した奴を、乾を捕まえる。

 そして、一係を率いていくと。

 涙を拭い、凛々しく敬礼をする。


 蘇芳さんはそこまで言い終えると、自分が会議室の外から聞いた話だと言った。

私はそこで、いつも係長が首から下げているチェーンについた指輪の意味が分かった。

 そこに、係長と柳さんが戻ってくる。

「皆揃っているな、さっき渡した資料にもう目を通したか」

 私達の前で、聞こえるようにそう訊ねる彼女に頷く。

 この事件の犯人逮捕を一番に望むのは、係長だろう。

 彼女は、それぞれの仕事を割り振ると、自らも仕事に移った。



 私達が過去の事件から犯人を乾カヘイだと想定して、捜査を進める。

 まずは、犯人が使用した薬品が水酸化ナトリウムであることは確定していた。そしてナイフに塗っていたであろう、毒がどこで手に入るか。

 数々の手がかりを調べる。

「水酸化ナトリウムを置いている工場、研究所などに問い合わせた所、数の減りや盗まれた形跡などはないとのことです。そして、ナイフに塗られていた毒なんですが、七年前と同じものだと分かりました」

「これで、乾カヘイが犯人なのは、ほぼ確定だな」

 後は乾を探すだけだ。私はそう思って、七年前の彼の写真を様々な街頭カメラ映像と照らし合わせ、テミスシステムからも抽出を試みたが、見つからない。

 それもそうだ。七年も見つかることなく過ごしてきたような人物だ。徹底して街頭カメラなどを避けてきたにきまっている。

 なら、なぜ今になってまた殺人を犯したのか。直接問い質す必要がありそうだ。


 隔離区画に近い、古い店に来ていた。

 色々なものが置かれているこの店は、表向きでは中古ショップという扱いになっているが、実体は違う。

「久しぶりだな、御堂」

 厳しい表情をした店主を勤める初老の男性は、私を見てひと言だけ述べる。

 私が入ってくる前から読んでいたであろう、古い本に向き直り、何が欲しいと言った。

「七年前に起こった、“毒殺薬品事件”の容疑者、乾カヘイの居場所」

 しばらく何も言わなかったが、店主は本を置いて、煙草に火を点ける。

「悪いが、もう長らく会っちゃいねえ。会ったとしても奴に協力はしないつもりだった」

 灰皿に灰を落としながら、そう告げる男の前に、私は厚い封筒を投げる。

 彼は、金はいらんと言った。だが、私の目的はもう一つある。

「銃が欲しいの」

 その言葉に、彼は私を少し睨む。

 煙草を吸いながら、奥に来るように言った。

 店の奥には、ありとあらゆる凶器が置かれている。このご時世でも、そんなものを扱えるルートはあるようだ。

 本来ならば、この場所を摘発するべきなのだろうが、今はそんなことはどうでも良かった。

「M92Fだ。使い方分かるか」

 彼が目の前の机に一丁の銃を置いた。予備の弾倉を二つ合わせて。

 銃を鞄にしまい、店の奥から出て行こうとして呼び止められた。

「御堂、お前刑事辞めるのか」

 私はゆっくりと振り返る。

「覚悟はしている」

 それだけを言い残して、店を出た私は自宅へと戻る。


 翌日、リゼが昨日乾の顔を整形したと仮定してモンタージュを作成した。それに類似する人物を街頭カメラから数人見つけ出し、手分けして行動を追った所、犯行が行われた日に一五区に姿を表した男を一人だけ見つけた。その男の行動を追う。他の映像を追うと、隔離区画に入っていくのが見えた。

「係長、犯人と思しき人物を見つけました。隔離区画にいる可能性が高いです」

 一係全員にカメラの映像を見せ、私達は隔離区画へ向かった。

 そこで、班を分けて捜索を行う。

 私とアレン、蘇芳さんが一つの班となり、柳さんと小梅がもう一つの班となった。

「係長は」

 小梅が質問すると、彼女は背を向けて一人で充分だと言った。

 そして、犯人を見つけても殺すなと付け加える。彼女自ら、奴に制裁を与えるつもりだろう。

 ハンターも奴を確保できるよう、麻酔弾が発射されるようになっている。


 警察がこの隔離区画に入ってくるのが、見えた。

 まだ一人しか殺してないというのに、随分と早いものだと不思議に思う。

 ビルの上で、パトカーから降りてきた人物を見ると、懐かしい顔が三人もいる。

「なるほど、あいつらなら俺の事を知っていて当然か」

 男は廃墟ビルの非常階段から降りて、逃走ルートを走る。



 汚れた廃墟ばかりのこの区画。どこまでも続くようなその光景の中に私は奴がいることを願う。

 歩いている最中、彼に言われたことを思い出した。

「俺達の仕事ってのは、ある意味、紙一重だ。もしかすると、俺達が犯罪者になることだってあるかもしれない」

「何よ、急に」

 休憩所でテレビのニュースを眺めながら、突然そんな事を言い出す彼。

「犯罪者を追う余り、俺達の心まで犯罪者のものと同じになっちまう可能性があるかもしれないということさ」

 そんなことが本当にあるのだろうか。だとすれば、おかしな話だ。正義のために悪を追う私達が同じになるなど。

 そう呟くと彼は言った。


「正義とは何か」

 あの時の、彼の言葉を小さく呟き、フッと笑う。私がやろうとしているのは刑事としての仕事だ。ただの殺人などではない。

 奴を探す。曲がり角を、銃を構えてゆっくりと進む。

 狭い路地だ。ここはあの七年前と別の場所だが、何となく似ている。そう考えている時であった。

 空き缶のようなものが蹴られる音が聞こえた。音のした場所まで、一目散に駆ける。曲がり角を曲がった所に男の背中が見えた。

「乾」

 私は奴の名を叫んで、引き金を引く。

 しかし、麻酔弾は壁を削るだけだった。奴がまた別の門を曲がる。

待て、と叫びながら、奴の足下を狙って撃つ。

 しかし、走りながらでは中々当てる事が出来ない。道を曲がる度に、撃つ。そんな追いかけっこも終わりを遂げる。

 奴が逃げたのは、路地の中でも少し開けた場所で、行き止まりだった。息を切らして壁に手を付く奴を追い詰めた。

 こちらを向いた奴の顔は、秋月の作成田モンタージュの一つにそっくりであった。整形手術を受けていたが、私には奴が乾だと分かる。

「あの時の刑事か。仲間の心配なんかせずに俺を追っていれば、すぐにでも捕まえられただろうに」

 黙れ、と奴に怒鳴り、足を狙ってハンターの引き金を引く。しかし、弾が発射されない。

 奴を追いながら撃っている内に弾が尽きたのだ。

 奴は楽しそうに笑っていた。殺す、こいつは何があっても殺さなくてはならない。そう思った私は、銃を捨てる。そして、本物の銃を取り出す。

 奴は笑うのを止め、怯えたように壁にすがる。

 安全装置を外し、試しに足を撃つ。

 警察学校では、今でも普通の拳銃を訓練の時に扱っている。久々に撃ったこの感覚。

 奴は足に穴が空き、地面で喚いている。

 それに歩み寄り、頭を踏みつけて抑える。

「何を喚いている。まだ始まったばかりだ」

 奴は、大げさに騒ぐ。

 そして、懐に隠し持っていたナイフを起き上がると同時に私に刺そうとした。成長がないと思いながら、私はその腕を避け、手首を捻る。

 ナイフを取り落とした所で、再度地面に寝転ばせ、手の甲に力一杯ナイフを突き立てた。

 地面に固定された手を必死に抜こうをする奴の腕を踏みつける。

 肘を砕く勢いで。

 奴を見下ろしながら、頭に銃口を向ける。

 ようやく、終わる。仇を取れると思った時だ。

 誰かが、私の足に何かを撃ち込んだ。倒れる際に背後を見ると、そこにはこちらにむけてハンターを構える柳さんの姿があった。


 乾カヘイは救急車に乗せて運ばれた。係長は、医療課によって警察病院に運ばれる。同時に来ていた香澄が私に声をかけた。

「セラピーの必要な奴がいるんじゃないのか」

 私は、煙草を吸いながら、現場で忙しなく動いている皆を眺める。

「係長なら病院に行ったわよ」

 その言葉に、彼女は溜め息をつく。

「あの人がセラピーの対象になるとは、この仕事を始めて今日まで思わなかったよ」

 同じ気持ちだ。あの係長が追い詰められる程に大切な人がいたのだ。

「いや、失礼な話ね」

 私の独り言に香澄が反応したが、仕事に戻ろうと誤魔化した。



 事件解決から一週間。係長は今も戻ってきていない。

 彼女が所持していた拳銃は、私達が秘密裏に処理しておいた。それは、柳さんからの頼みだ。

 彼は、入院している彼女の元にこの一週間、必ず足を運んでいる。

 今日も一係のオフィスには、二人を抜いた人員しかいない。

 最悪、事件解決には私達だけでもあたれるが、一係の存続にも関わる。

 だが、皆の思いは係長に戻ってきてほしい。ただ、それだけであった。


日の差し込む病室にいる三人。

 御堂は窓を眺め、曇りの空を眺めていた。彼女の側には椅子に座っている柳。そして、ベッドの真正面の壁にもたれかかり、腕を組んでいる香澄の姿であった。誰も何も話さない。

 だが、その沈黙を終わらせたのは、御堂であった。

「夢を見ました。柳さんに撃たれて眠ったあの日、私の目の前に彼が出てきたんです」

 私を見るなり、年を取ったなんて 揶揄う(からか)彼の顔は、昔と変わらないままで」

 柳はその言葉をただ、聞き続ける。香澄も同じように何も言わない。

「そして、言ったんです。私はもうただの捜査官じゃない。仲間の命を預かる大事な役割を持っていると」

 そこで、御堂は柳の方を向く。その瞳はとても力強いものであった。

「ご迷惑をおかけしました。戻れるのなら、私はまた、一係に戻りたいと思っています」

 申し訳なさそうに、しかし、どこか力のあるその言葉に彼は立ち上がり、

「待っています。皆で」

 とだけ言い残し、病室を出て行った。「もう大分治ったみたいですね」

 香澄が少し疲れたような声で話す。

 御堂は、彼女にも迷惑をかけたことを謝る。すると、彼女は後ろでに手を振りながら病室を出る際にひと言だけ述べる。

「あなたには、困った時に助けてくれる仲間がいる。そのことさえ忘れなければ大丈夫でしょう」


 それから、更に三日後であった。御堂は一係の係長として復帰した。

 和泉局長も、彼女の処分は特に言い渡さなかったという。

 彼女をまた一係に戻そうと思った動機をリゼが聞いた。

 彼女は答える。

「ここは、彼がいた場所だから。私はいつか離れるときまで、彼の思う正義を抱いておきたい」

 そう微笑んで。

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