2 中毒者
昼下がり、廃墟ばかりの隔離区画にある工場に、一係のメンバー総出で訪れているところだ。
「こちら秋月、入り口に待機」
「了解、こちらも裏口に待機している」
御堂係長に通信を入れた私は、懐のホルスターから『ハンター』を抜く。
「まったく、緊張するな」
「私、こういうのは初めてで」
「心配しないで、小梅。私達もいるから」
私とアレンと小梅が正面入り口。
御堂係長と残りのメンバーが裏口から。
『よし、慎重に中に入るぞ』
係長からの合図で私達は工場に潜入した。
三日前の夜だった。私が捕まえた二〇区の殺人事件容疑者である青年の事情聴取得を係長が行った。
青年の情報は、小梅がテミスシステムにアクセスして集めたものを係長に渡してあった。
殺害された女性は青年の交際相手だったという。
「なぜ、交際相手を殺害した」
「――彼女は高校の先輩でした。交際を始めて三年ぐらい経ちます」
それで、と係長が先を促した時だ。
「取り調べ進んでるかな」
私達がいる取り調べ室の隣の部屋に入ってきたのは眼鏡をかけ、少し髪が長い鑑識課の課長、川内(せんだい)エニシだ。
「お疲れ様です」
「お疲れ。どうよ、取調べは」
「今、害者の女性との関係を話しています」
なるほどな、と川内は顎に手を当てて、制服のポケットから袋に入った錠剤のようなものを取り出す。
「愛する彼女。まあ、愛してたかは分からないが、交際相手を殺したのはこれのせいだろう」
「なんですか、それ」
小梅の質問に彼は面白そうに答える。
「今、若者の間で出回ってる違法ドラッグさ。最近になってまたこんなものが流れちまってる」
MOGシステムがなくなったことで復活したものの中には違法な物もある。
その一つとして、違法な薬物だ。
服用した際の効力を私が問うと、課長は両手を広げて話す。
「一時的な満足感。幸福感を味わえ、ハイテンションになり、疲れも感じない。だが、代償として薬が切れた時には酷い脱力感や錯乱、嘔吐なんかを引き起こす」
課長が言ったとおり、薬による症状で女性を殺した線は高い。
「たった一錠が地獄の始まりさ。天国と地獄を行き来するようなことになるとは思いもしなかっただろう」
「もう、地獄から抜け出せないでしょうけど」
青年の様子をマジックミラー越しに見て言った。
御堂係長の方も青年がドラッグを使用していた事を自白したので、事情は分かったようだ。
「彼女は僕にドラッグの使用を止めるように言ってきました。薬の効果が切れそうになっていた僕はカッとなって、キッチンにあったナイフで彼女を何度も何度――」
話している内に泣き出す青年。
「お前にドラッグを売ったのは誰だ」
「バーで買いました。教えてくれたのはその店にいた常連客の一人です」
係長がそのバーの場所を聞く。
「一九区と二〇区の境目近くにあります。“BREAK”って名前です」
次に聞くのは薬の入手方法。流石に、店で堂々と置く訳にもいかない。
「合言葉です。その日の客の人数について話して、次に店を何年やっているか、最後に“幸福が欲しい”と言うだけです」
「“幸福感が欲しい”、だと」
青年が言うに、この言葉は先の二つを言い終わった後でない意味がないらしい。
御堂係長は立ち上がると同時に、鋭い視線で青年を睨みつける。
「お前は一生をかけて罪を背負え。彼女は喜ばんだろうがな」
そう言い残し、取り調べ室を出た。
一係に戻った私達は早速、仕事を言い渡される。
「犯人から情報を得た。まずは違法ドラッグを扱うバーから探る。担当は秋月、弓月、そして蘇芳(すおう)だ」
「蘇芳さんなら、まだ来ていません」
私の指摘に御堂係長の表情が少し曇る。
そこへ、大きなあくびを手で隠しながら入ってくる女性。
「すみません、遅刻しました」
「遅いぞ」
彼女が怒りを込めて言うが、私の先輩である彼女、蘇芳ライラは面目ないと笑っている。
彼女は私とアレンの先輩であり、係長の次に長く、この一係にいる。
彼女はいつもこの調子だ。スーツも、ネクタイをせず、胸が苦しいとシャツのボタンは二つ目まで開けているし、だらしない。
だが、私含め一係のメンバーは彼女を邪険に扱う事はない。ムードメーカーとしての存在が大きいのだろう。
「まあいい。とにかく事件の話をするから座れ」
彼女は私の前にある自分の席に座る。係長は先の続きの述べると、仕事にかかるよう宣言する。
私は蘇芳さんに誘われて休憩所に来た。まだ仕事もしていないのに、彼女はコーヒーを飲むという理由だけで来ている。
「リゼちゃん達と組むのは久々だね」
「そうですね。最近はアレンと二人で対処できる事件が主だったので」
たわい無い会話の後に仕事の話を始める。早速、今日の夜に例のバーに行く事を決める。
「OK。じゃあ、三人ともスーツじゃ怪しまれそうだし、私達は着替えた方がいいか」
確かに三人揃って同じようなスーツ姿では、変に思われる。
私と蘇芳さんは私服に着替えてから、アレンの車に乗せてもらい、目的地に向かおうということになった。
その事を報告に行こうと一係の部屋に戻る最中、私は係長と話している男性を見つける。
「では、私と小梅は他にも違法ドラッグを取り扱う場所がないか探してみます」
「お願いします」
二人の会話が聞こえる所に立ち、終わりの頃合いを見計らって間に入る。
係長を呼ぶと、男性の方も私に反応する。
彼は私達一係の中でも最年長の柳(やなぎ)ツカサだ。
「プランは整ったか」
「私と蘇芳さんは一旦帰宅して、服装を変えます。それから例のバーへ行こうかと」
係長はその報告に了承し、一係の部屋に戻る。
残った柳さんは思い付いたように私に話す。
「二〇区の事件解決、お疲れさまです」
私が偶然であったと言うと、捜査資料をしっかりと覚えておくという基本が出来ていることを褒めてくれた。
彼は係長よりも少し歳上だが、何故今も現場に赴く一係にいるのか分からない。もっとも、聞いていいとは思わない。
全部で六人。これが一係のメンバーだ。
前線に立つことが多い私達の係が女性ばかりということで不安要素とされたこともあったが、皆それぞれ相応の能力を持ち、発揮している。
私が家に着いた頃には九時近くになっていたが、バーに行くなら丁度いい時間だろう。
『リゼ様、帰宅なされたのにお出かけですか』
「仕事よ。これから、潜入捜査のために着替えてるの」
『では、こちらの方が向いてるのでは』
「検討するわ」
結局私は自分で選んだ、シャツにシステムの選んだジーンズ、ブーツを履いて出た。
家の前で待っていると、いつも二人で乗っている仕事用の乗用車が目の前で停まる。
「まあ、至って普通だな。似合ってるじゃないか」
車の窓を開けたアレンが笑うので、助手席に乗り込んでから脇腹に軽い拳を一発当てる。
「やめろよ、本心で言ってるんだぜ」
「奥さんに言いつけるわよ」
私と彼のやり取りを先に拾われていた後部座席の蘇芳さんが笑って眺める。
例のバーに着いた私達は車を近くに停めて、準備を始める。
あまり人通りの無い場所で、トランクの中にあるケースからハンターを出し、ホルスターを体に装着する。
ステルス機能をオンにし、ホルスターごと持っているのか分からなくなったところで準備完了だ。
店内はどこにでもあるかのようなバーであった。カウンター席とテーブル席に別れている。客の入りはまあまあと言ったところか。
私達はカウンターに並んで座る。
マスターに注文を聞かれたので、私達がそれぞれ、酒を注文した所で蘇芳さんが例の合言葉を唱える。
「マスター、私達この店始めてなんだけど、客足はいつもこんな感じなの」
「日によってかわりますね。今日は木曜日ですから、明日は仕事を終えて一杯飲みにくる人は多いでしょう」
「ふーん、そんな事が分かるって、マスターこの店長いんだね」
「なに、まだ一〇年程です。それなりに感覚を掴んでるだけですよ」
「そうなんだ。でも、いいね。こういう雰囲気の店。こんな店を開きたかったよ」
蘇芳さんの演技が終わった所で、私が最後の言葉を言う。
「最近疲れてるし、幸福感が欲しいですね」
マスターの横顔を見ながら。
合言葉を言い終わると、マスターはグラスを拭く手を止め、置いた後にカウンターから出た。
「私の仕事が幸福を得られるかは分かりませんが、良い物ならありますよ」
着いてこいと言わんばかりに、他の従業員に店を任せ、カウンター横の扉を開ける。
ビンゴだ。私達はそう思い、彼の後ろに着いていく。
下へと続く階段があった。それを下りていくと、薄暗い電灯の少し広い空間。中央には、一人の男が机に足を乗っけていた。
「新しいお客だ。よろしく頼むよ」
「分かった。じゃあ、あんた等はここに来てくれ」
私達に、それではとだけ言うと、マスターは上へと戻っていった。
私達三人は男に呼ばれて机に近寄る。この男が違法ドラッグの売人だろう。
「あなたは」
蘇芳さんの問いに男は足を机から下ろし、代わりに片腕を置いて顔を見る。
「あんたら、幸福になりたいんだろ。それを実感できる物をやるよ。ただし、お代はいただくぜ」
笑う男に、私は一歩前に出て微笑む。
「そう、ならもっと楽しい場所で話しましょう」
私はハンターのステルスを解除し、男の額に当たる程の近さで構える。
「お前ら」
奴は焦ったように上着の懐に手を入れようとするが、
「動かないで。少しでも妙な動きをしたら殺す」
私の脅しに手を止める。もっとも、今回はまだ調査という段階なので、男が私達に危害を加えない限り、炸裂弾が発射される事はない。
確保、身柄拘束の場合は『神経麻酔弾』となり、撃たれた相手はその場で即効性の麻酔薬により眠る事になる。
「ちょっと、私達警察がそんな言葉遣いだと、イメージダウンになるよ」
蘇芳さんが私に優しく諭しながら、男の両手を拘束する。
「じゃあ、上のマスターも一緒に来てもらおうか」
「何も話さねえぞ」
「安心しろ、ここに置いてある薬が話してくれるさ」
アレンが彼の背後にある紙袋やトランクに入っている大量の違法ドラッグをスキャンする。
「川内課長の言ってたのだ。それ以外にもあるみたいだな」
私はその場を二人に任せ、上にいるマスターの元に戻る。
カウンター横の扉から店内に戻ると、今度は酒の瓶を整理するマスターの姿があった。
「どうです。良かったでしょう」
「ええ、とっても。だから、あなたも来なさい」
私はカウンターの中に入り、客に見えないように銃口を突きつける。
「あなたは」
「抵抗しないで。話は署で聞く」
従業員に店を任せるよう指示を出させ、私達は売人の男とマスターを連れて、他の客達に気付かれないように裏口から、署に連行する。
「ご苦労だった三人とも。あいつらは留置場に入れておく。明日から取り調べを開始しよう」
係長に後を任せ、私達の今日の仕事は終わった。
取り調べ室を二つ使う。
マスターの方を私が、売人の方を係長が担当する。付添人はアレンと小梅だ。
「この青年に見覚えは」
端末を机の真ん中に置き、ホログラム投影されたディスプレイに青年の写真を映す。少しの間を置いたマスターは、ありますと短く答える。
薬を売ったか問うと、素直に答える。
「この青年は殺人を犯した。今この署にいる。あんた達のことは彼が話した」
マスターは、青年が逮捕されたことに驚いた。
しかし、当然のことだろう。薬の服用、所持の時点で犯罪だ。服用などしていれば、更に罪を重ねるのは目に見えて分かる。
私は、誰の指示で薬を売っていたのか問う。一係は最初から、バーはただの販売所として使われていたにすぎないと考えていた。
マスターが重い口を開く。
「それは――」
「お前が売ったのは調べがついてる。で、誰からその薬を売る用命令された。お前達だけであれほどの量を持てるわけない。後ろに誰がいる」
御堂の問いに、後ろ手に手錠で椅子に拘束された売人の男は、顔を見ようともせずに無視をする。
仕方ない、と溜め息まじりに呟いた御堂は、付添人としていた小梅に医療課に行くよう頼む。
「薬なんか使われても吐かないぞ」
男の言葉に御堂は、何を言っているのか、という言葉と同時に薬ではなく、器具を持ってきてほしいと頼む。
小梅は急ぎ足で取り調べ室を出る。
「何をする気だ」
男は少し焦りを感じさせる声で御堂を見る。横目で睨みながら、彼女が答えた。
「薬が嫌だと言うのなら、少し痛い思いをしてもらうしかないな」
彼女の言葉から何かを悟った男がもがく。
「警察にそんなことは許されていないはずだ」
「法を犯した者を裁くためなら、私もしたくないが、仕方ない」
騒ぐ男に話しているところに、ちょうど、医療器具を幾つか持った小梅が戻ってきた。
「これでいいでしょうか」
「上出来だ」
係長はメスを一本手に取り、男の目の前に持ってくる。首元にそれを宛てがう。「言うか」
男は、観念したように分かったと、きつく目を閉じる。メスを机に置くと、安堵の溜め息を漏らしてから、話し始めた。
「ある男に言われたんだ、あのバーのマスターと一緒に薬を広めろと」
男だと。御堂の疑問混じりの言葉に、そうだと答える。
どんな男だと問うと、
「本名は知らねえ。俺達には“DD”と名乗っていた」
“DD”と御堂は繰り返す。
どこで会っていたのかを聞く。
「会うのはいつも、隔離区画の工場だ。俺達が薬を売り切ったのを見計らったのか、電話がかかってくる」
「最後に取引をしたのはいつだ」
男は一週間前だと答える。肝心の場所について聞いたのだが、男とマスターはいつも連れて行かれる時には目隠しをされて車に乗せられていたとのことで、場所までは知らないと言った。
今までに三回の取引を行い、全て目隠しを取られた時には目の前に“DD”という男が仲間を数名連れて、薬の入ったトランクなどを迎えによこした車に詰むという流れだったそうだ。
その時、いつもひと言だけ、彼が述べるそうだ。
『人間の本質を呼び覚ませ』
御堂はそこまで聞いて、男を留置場に戻すよう取り調べ室にいる警官に頼んだ。
御堂の隣に立つ、医療器具を乗せたトレーを持つ小梅にもういいぞとだけ言う。
「それにしても、よく出来てますね」
小梅がメスを手に取る。すると、それにノイズが走り、ボールペンへと形を変える。『外装ホログラム』。物に表面上に情報を書き加え、精緻なホログラムで覆う。ただし、元の物体が必要になる。
始めから小梅は医療課になど行っておらず、この外装ホログラムを用いたペンを用意していた。これは、取り調べを始める前の打ち合わせ通りだ。
「ともかく、奴は情報を吐いた。後の処理は他に任せるとして、私達は裏の人物を探ろう」
一係に戻った私達は早速情報の共有を始める。
「私達もある男の名前が出てきました。“DD”という名前です」
係長の報告に続いて私が言った。
小梅がファイルをスクリーンに映し出す。
「さっき調べてみたものです。隔離区画に大きな工場は全部で五つありました。その中に医療関係の道具を作っていたものがあります」
引き継いで係長が話す。
「犯人はそこを拠点にしている可能性が高い。あの男達に場所を明確にしないようにしていたみたいだが、無意味だったな」
私達は隔離区画のその工場の地図を手ミスシステムに要求し、端末にインストールしておいた。
「犯人確保は明後日行う。それまでに色々と申請がいるからな」
一係全員が使うハンター等の武装、突入のシミュレーションをしておく必要がある。
『隔離区画』。あの“MOGシステム”がなくなった際に起きた混乱により、多大な被害を受け、機能を失った区画である。
しかし、そんな場所は浮浪者等のたまり場になっており、全く人がいないわけではない。
昼下がりに私達は、黒幕である人物がいると思われる工場に来ていた。
テミスシステムの内部スキャン機能を使い、工場内を3D展開した図が映し出される。中に生体反応が見当たらない。しかし、これ以上薬の製造を行わせる訳にもいかないので、工場を押さえる必要がある。
三人一組に別れた私達は表口と裏口から慎重に中へと入る。
工場はかなりの大きさだった。
私達は最初に制御室を探す。壁に取り付けられている工場内のマップと、端末に映し出された自分達の位置情報を照らし合わせて、場所を確認した。
制御室を探す理由は大きく二つ。
ここで実際に薬が作られていたという証拠を探すためと、今でも薬が作れていたということは、工場内のシステムが生きているということだ。監視カメラをハッキングして、工場内を見渡せるというわけだ。
制御室に向かう途中、また着いた時に犯人に遭遇しても対処できるように慎重に進む。
しかし、その心配も杞憂だったようで、誰にも遭遇する事なく、制御室まで来れた。中には誰もいない。
しかし、最近まで誰かが使っていた形跡がある。メインコンピュータと思しきPCの起動ボタンを押す。
すると、制御室にある監視カメラのモニターが全て映し出される。
「どうやら、当たりだったようね。アレン、係長に連絡を」
アレンが係長に通信を入れる。
私はその間に、モニターから犯人を探すために赤外線表示されているキーボードに触れて操作する。
「秋月先輩、今人影が」
小梅が一つのモニターを指差したので、巻き戻す。
確かに誰かが映っていた。
「係長、例の薬を生成するためと思われる場所に誰かいます。至急向かって下さい」
アレンが係長に追加連絡をした所で、私は操作を終える。
「もういいのか」
「端末でこの工場内の監視カメラの、指定したモニターを映し出せるプログラムを構築したから。今送るわ」
二人が驚いていたが、この程度なら造作もない。私は治警に入る前に『サイバーセキュリティ技術者』の資格を取るための試験を受けて合格した。その道に進む事はなかったが、関連する知識を活かす。本来なら、サイバー攻撃を防御する役割のセキュリティ技術者の知識だが、逆を言えば、ハッキングなどの知識も持ち合わせていないと出来ない。
二人の端末からプログラムを受信した通知音が鳴ったところで、私達も向かう。
御堂は柳、蘇芳の二人と裏口から入った。少し歩いた所で、アレンからの通信が入る。
制御室に着いたという連絡と、追加で薬の生成場所に人影が映ったというもの。直ちに向かうと伝え、通信を切る。
御堂達は走って薬の作成場所に向かう。
大きな扉を開けると、幾つもの薬を作るための機材が並んでいる場所にでた。
「別れましょう。慎重にお願いします」
三手に別れ、薄暗い工場内を歩く。地面を歩く度に足音が響く。この静寂が更に不気味だ。
天井近くの窓から日が差しているが、それでも明るいとは言えない。
御堂がゆっくりと歩みを進める。
ふと後ろに気配を感じ、素早く振り返る。
しかし、誰の姿もそこにはない。銃は構えたまま下ろさずに、少し緊張しすぎかと思った。
彼女の額から伝ってきた汗が顎から落ちる。
地面にその一滴が着いた瞬間、側にあるベルトコンベアーの下から誰かが跳び出してきた。
瞬時にそちらに銃口を向ける。
しかし、相手の方が一歩早く、銃を蹴り飛ばされた。
続けて放たれる相手の拳を受け流し、反撃に出る。
敵の腕を引いて、近づく顔面に掌底を放つ。
しかし、首を傾けられた事で、空振りする。
その手を敵が掴んで引いたので、御堂がバランスを崩す。
腹部に迫る敵の膝蹴りを御堂は自らの足を、少し上げてガードした。
そこで、相手に蹴りを入れ、二人は離れる。
何者だという彼女の叫びに、相手は何も答えない。
フードで顔を隠しているため、この薄暗い場所では全く顔が見えない。
御堂と謎の人物が再度、接近しようとした瞬間だった。
相手の眼前を緑の光線が横切る。
それが飛んできた方を見ると、柳がハンターを構えて立っていた。
分が悪いと判断したのか、相手は逃走する。
柳が再度引き金を引いたが、犯人の姿は更に暗闇に紛れていたので、当たらなかった。
「大丈夫ですか。御堂さん」
「ええ、何とか」
遅れて駆けつけた蘇芳に犯人の後を追うように頼み、御堂は蹴り飛ばされたハンターを急いで拾う。
「すみません、柳さん。確保に至らず」
「今は、蘇芳さんを追いましょう。彼女を信頼していない訳ではありませんが、一人では心配です」
落胆する御堂の肩を叩き、柳は蘇芳の後を追う。
『こちら御堂、犯人と思しき人物を発見したが、確保に至らなかった。入り口付近を塞ぐように車両を操作してくれ』
「了解」
私は乗ってきた警察車両を全て、工場の入り口前に停めるように端末を操作する。
支給されている端末は車両の制御システムと連携しており、ある程度の操作なら、遠隔で行う事が出来る。
「係長が確保できなかったって、敵はどんな奴なんだか」
「どっちにしても、ただ者じゃなさそうね。私達も急ぎましょう」
私達は端末の監視カメラ映像を切り替えながら、犯人の行方を追う。
すると、近くの通路から発砲音が聞こえてきた。ハンターによるものだ。
音のした方に走っていくと、広い空間に出た。資材搬入用のトラックが停めてあったであろう駐車場に出た。今は一台も停まっていないが、そこには犯人と思われる人物と蘇芳さんがぶつかり合う。
アレンに自分のハンターを渡した私は犯人に向って走っていく。
蘇芳さんが攻撃を避け、私がそこから相手に向って一発叩き込む。
顔面に拳が当たるが、手応えは薄い。反撃してきた敵の拳を私が受け止め、蘇芳さんが犯人の腹部に蹴りを放つ。
しかし、その蹴りは犯人にもう片方の手で止められる。
私は、掴んでいた腕に関節技をかける。敵の関節から骨の折れる音がする。
だが、声どころか痛がる様子も無い犯人に私は驚きを隠せない。
「二人とも下がれ」
アレンの声に振り返ると、ハンターを構えている。
「蘇芳さん」
私の声に合わせて、掴まれている足を振り払い、私は、犯人の腕を掴んだまま地面に叩き付ける。すぐに犯人から離れる。
次の瞬間、発砲音と炸裂弾の着弾した音が聞こえる。
体が爆散し、その血が私と蘇芳さんの顔に少しかかる。
犯人の頭と下半身がその場に残り、事件は収束した。
3
現場に駆けつけた鑑識課達が工場内で調査している間、私は外のパトカーに寄りかかって煙草を吸っていた。
「いやー、血がかかるって気持ち悪いね。早くお風呂入りたいよ」
蘇芳さんがタオルで顔を拭き、いつもの笑顔を見せる。
アレンに少し非難の目を向けると、
「仕方ないだろ。二人が犯人相手に格闘してたんだから」
と言うので、私は気にしていないと告げる。
血肉がかかった事よりも気になる事があった。
「それにしても、あの犯人おかしかった」
私の言葉に蘇芳さんも確かに、と賛同する。
「違法ドラッグを使って痛覚を遮断していたか」
自分の問いに違うと自分で答える。
「それにしては、他の症状が一切見れなかった。奴は始終何も言葉を発さず、無反応のまま。薬をつかったのならもっと暴れるはず」
「私も秋月と同じだ」
御堂係長が歩み寄ってきてそう言う。私は急いで煙草の火を消し、車内の灰皿に入れる。
「同じというのは」
「あの犯人が一切無反応だったことだ。私が声をかけたのは一回だけだが、その後に柳さんが撃った炸裂弾が目の前を横切っても、彼の方には見向きもしなかった」
確かに自分に向って発砲した人物を見ようともせずに逃げるのは少しおかしい気もする。
「とりあえず、鑑識の結果を待とう。今日はみんなご苦労だった。本庁に戻ったら、私が和泉局長に報告しておく」
私達はパトカーに乗り込む。
「早く家に帰りたいわね」
いつも通りだな、と呟くアレンに今日は特に帰りたいと言う。
「なんで」
アレンが聞くので一言だけ、
「お風呂に入って血を流したいの」
と、蘇芳さんの言っていた言葉を借りた。
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