第8話:疾走
息が切れる。胸が焼けるように熱い。肩に食い込むリュックサックは痛いくらいだし、その重みと私自身の体を支えてる腕も脚も、筋肉が熱く痛んで力を込められない。
けれどそれでも私は雪の上を走った。
「止まらないで!」
珍しく私の後ろに着いたロイがそう言ってリュックサックごと私をグイっと押す。
振り返れば、ロイの数十ヤード後方に大きなシェパードの姿がある。シェパードは明らかに私達を追い立てるように、近づいたり離れたりを繰り返している。
あのシェパードに出会ったのは三十分ほど前。そこで姿を発見された私達は、そのままシェパードに追い続けられてている。
あのとき、私が不用意な悲鳴を上げてしまったのが事の発端だ。
それは今日、歩き始めてしばらくしてからのことだ。
アパートを出た私とロイは、サクサクと雪を踏みしめる音させながら、軽快にゆったりとした斜面を横切るようにに歩いていた。
周囲が危険であることに変わりはない。でも私は、ううん、私もロイも、意気揚々と雪道を歩いていた。
私達の一歩が、未来を変えている。
そう思えば、それは、今までのようにただ逃げていただけの行程とは意味が違った。それに、私達の行く先には必ずゴールがある。
それに向かって、あらゆる可能性を考えながら進んでいけばいいんだ。時には立ち止まることだって必要だろうし、急いで駆け抜けなきゃいけないことだってあるだろう。
私には、そんな覚悟ができていた。
母さんや父さんが死んでしまっているだろう、ってことを理解して自棄になったりしているんじゃない。
私は、ロイの話をすべて聞いて、そして、やらなきゃいけないことを理解できたんだと感じた。生き延びること…ただ、それだけだ。そのためだけに、すべてを賭ければいい。 もちろん慎重にはやっているし、警戒も万全だ。それでもこうまで足取りが軽く、気持ちまですっきりしているように感じられるのは、やっぱり私とロイの目的がはっきりと一致して共有されていると実感できたからだろう。
私たちは、生きて父さんの研究所にたどり着く。目的そのものは最初からそうだったんだけど…今となっては、その意味が違う。
世界のため、はお題目で、私はロイを死なせないように気を付ける。ロイも、私を傷つけないように気を付ける。私達に、これからどんな危険が待ち受けていても、大事なことは、それだけなんだから。
そんなことを思っていた私が見つけたのは、斜面から少し下ったところにあった僅かな雪だまりの前をウロウロとしている黒いネコの姿だった。
「ロイ」
私は小声でロイにそう伝えて注意を促す。
「うん、見えてる」
ロイはそう言って、ショットガンのボルトをほんの少しだけ動かし、機関部が凍っていないことと、そこに弾が装填されていることを確かめる。
それから唇に人差し指当てて
「ちょっと登りになるけど、迂回して行こう」
と声を潜めて言う。
この程度の登りなら、大して苦労はないはずだ。
私はロイの言葉にしっかりと頷いて応えた。
斜面を登って行くと、僅かに眺めが良くなって、辺りが広く見渡せるようになった。そこで私達は気が付いた。あのネコの背後にあった小さな雪だまりの中にアパートの最上階のバルコニーがちょこっと顔を出していて、ネコはその周囲を警戒するように行ったり来たりを繰り返している。
ふと、バルコニーの中で何かが動いたと思ったら、警戒しているやつ比べるとずいぶん小さなネコが、ポテッと雪の中に身を乗り出した。
身体バランスからして、子ネコだろう。それでも…大きめの小型犬くらいの大きさがある。
それはいつだったか、サンフランシスコの動物園で母さんと一緒に触れ合いコーナーで抱っこしたトラの赤ちゃんにそっくりだった。
「あそこに、何匹も…」
ロイはそう呟いて、腰のポーチから残り一握りC4爆薬を取り出してみせた。私は、足を止めたロイの顔をしばらく見詰めていたけど、その顔が、不意に緩んだ。
視線をネコ達に戻すとさらに三匹、大きな子ネコがバルコニーから姿を出しては母ネコに押し戻されたりしている。
数がいるのなら叩いておいた方が良い、ロイがそう考えたんだろうってことは想像が出来る。でも、あんなに小さい命を奪うってこと関しては抵抗がある様子だった。ロイはC4爆薬をポーチにしまって、ギュッと体を引き締めて、私に目配せで
“進もう”
合図をしてくれた。それに頷いた私もロイの後に慎重足を進める。
だけど、そんなときに限って私は、ロイが踏み固めてくれていた場所を踏み外し、片脚をズッポリ雪に埋めてしまっていた。
思わず
「キャッ」
と悲鳴が出て、私は雪に転げしまう。ハッとしてネコを見やるとこっちに顔を向けていた。
ロイがすかさずショットガンを構えるけど、ネコはジッと私達を見詰めているだけで、身動きする様子はない。
私は這い出るようにして雪から脚を引き抜くと、膝立ちから慎重に雪を踏みしめて立ち上がる。
そんな私をロイが小さな声で
「歩ける?」
と聞いて来る。
「うん」
私はそう返事をしてもう一度足元を確かめ、ネコに視線を戻す。
ショットガンを向けているネコは、私達に警戒を向けてはいるものの、襲いに来る気配はない。子ネコ達を放ってあの場所を離れるつもりはないようだ。
でも、その瞬間にネコは私達に、私達はネコに、それぞれの注意を向けていた。それが、行けなかった。
不意に視界の外から巨大な何かがまるで弾丸のような速さでネコに駆け寄って、大きな牙の並ぶその口で、黒猫の首元を背後から一噛みにして雪面に押さえつけた。
その巨大な何か、は、犬だった。しかも、あれは…昨日ロイが追い払ってくれたシェパードだ…まさか、あのシェパード…私達を追いかけてきたの…?
そう思ったのもつかの間、すぐそばでショットガンを構えていたロイが小さく舌打ちをした。みればシェパードは、首の骨を砕いたのかその大きな口に軽々と咥え上げ、ドサッと雪の上に投げ、そして子ネコ達のいるバルコニーの中に、首を突っ込んだのだった。
「やめなさい!」
私は不用意にもそう声をあげて、そして、握っていたグロックの引き金を引いてしまっていた。
真っ白な雪面に銃声が広がって、シェパードが顔をあげ、私達を見た。
次の瞬間、私は
「走って!」
とロイに背中をグイっと押されて、雪深い斜面を駆け出した。
普通に考えれば、あんな場面で声を出して、ましてや銃を撃つなんてことしてはいけない。ネコ達だってイヌ達だって、今の私とロイにしてみたら危険な存在以外の何物でもないんだ。極力出会うべきではないし、出会ったって避けることを優先するべきで、当たりもしないのにグロックを撃つなんてもってのほか。
それでも私はその時の一瞬だけは、自分達が守りたいな、と思った物を奪われるような、そんな感覚に襲われてしまっていたのだ。
そのことを後悔するよりも戒めるよりも、その場所からとにかく走って走って、それで、今、ようやく今、だ。
前のアパートで見つけたまだ電池の残っていた腕時計によるとおよそ三十分は何度も転びつつ、雪道を走ってきたことになる。
その三十分で、今日一日分の体力がなくなってしまったようにも思えた。体が重いし、疲労感を感じていない場所がない。バクバクと脈打つ心臓は耳に届くくらいの大きさだ。
「あっ!」
不意に私は、ガクッと膝の力が抜けた。その拍子にまた雪の上に転んでしまう。すると、すぐさまロイが叫んだ。
「起きて、早く!」
そう言うが早いか、ロイはショットガンを構えて引き金を引いた。カキャンッというサプレッサーの音をさせたショットガンからは、緑色をしたスラッグ弾の薬莢が弾け飛んでくる。
私は雪の上で体を起こしながら、それが10発目のスラッグ弾だった、ってことを確認した。残りのスラッグ弾は、四発。これまでにもロイは、私が立ち止まらなければいけないタイミングでシェパードに威嚇で発砲して来ている。
でも、それはシェパードには効果がない。スラッグ弾と言うのは、狙撃のように散弾ではなく、大きな金属の弾を一つ打ち出すショットシェルだ。その弾頭平たくなっていて、打撃力はある。でも、貫通力は、といえば、例えばライフルの弾とは比較にもならない。これほど距離が開いてしまうと、スラッグ弾はその大きさと空気抵抗を受けやすい形から減速してしまい、当ってもめり込む程度。悪くすると、例えば石を投げた程度の打撃程度しか与えられない、と言う話は、ロイには聞いていた。
脂肪の少ないネコないざ知らず、ネコよりも脂肪が厚く寒さに強いイヌが、ウマよりも大きくなっているんだ。その体はクリズリーか、それ以上の防弾性があると考えて良い。
それでももう少し近寄ってくれれば、スラッグ弾でもダメージを与えられるし、散弾でもブラッドハウンドのときのように接近して急所への射撃を加えれば致命傷を負わせることもできるかもしれない。でも、それはこんなだだっ広い雪原では無理だ。どこかのアパートか、とにかくシェパードが身動きのとりずらいところまで誘導するしかない。
でもシェパードはそれが分かっているかのように、一定の距離からけっして私達に近付いては来ない。もしかしたら、ロイのスラッグ弾が多少は効いているのかもしれないし、昨日のブタンボンベのことを覚えていて警戒しているのかもしれない。
ただシェパードは、今のように私が転んだときくらいだけ、ギリギリのところまで距離を詰めようとして来る。ロイはそれを防ぐたびに、もう何発もスラッグ弾をシェパードに撃ち続けているけど…少なくとも、白い雪が出血に染まるような怪我を負わせることは出来ていないようだった。
このままだよ、いずれ私達の方の体力が先に限界になる。逃げるにしても戦うにしても、隠れる場所を探した方がいいと、私は思った。
「ロイ、近くに隠れられるような建物の跡はないの…⁉」
私の問いに、十一発目のスラッグ弾を発射したロイは、肩で息をしながら
「今探す…もう少しだけ、走って!」
と身をひるがえし、私の背を押しながら、腕元のコンピュータを起動させた。
これまでは、ロイはどこに泊まれる場所があるか、を知っていた。でも、これからは違う。昨日止まったアパートのように、アテを付けてそこを掘って確かめるくらいの時間が必要なんだ。
このままだと、ロイのスラッグ弾がなくなる。そうなったらシェパードはきっともっと距離を詰めてくる。散弾の方が残っていたとしても、この雪原でそんなことになれば、いかにロイでも上手くやれる保証はない。
そんな最悪な状況を避けるためにも、あのシェパードがこっちを警戒して今の距離を保っているうちに、身を隠せる場所を見つけないといけない。
胸が熱くても、脚が痛くても、止まらずに走り続けながら、だ。
私は、ロイに背中を押されてとにかく懸命に雪の上を走る。深い雪に足を取られ、転びそうになりながらもそれを必死にこらえて、斜面を横に、行く先も決めずに、ただひたすらに足だけを動かした。
「あった…この先!」
不意にロイのそう言う声が聞こえた。
「見える⁉ あそこの、三角形のやつ!」
ロイがそういうので、私は一瞬だけ振り返って後ろを見やり、ロイが指さす先を追う。すると、斜面を少し降りたあたりのなだらかになった先に、ちょうど何かの石碑のような、三角…というより、台形に近い何かが飛び出しているのが見えた。
あそこなら、非難ができるかもしれないんだね…私は、そう思いつつも、安心するわけでも気を抜くでもなく、今まで真横に走っていた斜面を斜めに下る進路をとる。
一直線に行けば、それほどの距離じゃない…五百ヤードあるかないか、くらいだ。雪の上でも、十分掛かるかかからないかくらいのはずだ。
そう思った矢先、私は、斜面を下る勢いに足を取られて、雪の上に倒れこんでしまった。リュックサックが上半身にのしかかり、体全体が雪の中に沈む。
「レイチェル!」
「大丈夫…!」
私はロイにそう返事をしながら、横に転がるようにして体を起き上がらせる。
カキャン、カキャンッ!と鋭い音をさせて、ロイが後方に迫るシェパードにショットガンを発射した。
今ので、十二発。残りは、あと二発しかない…!
私は、そのことに慌てて立ち上がろうと脚に力を込めた。でも、膝がガクガクと震えて、いうことを聞かない。
もう、こんなときに! もうちょっと…あと少しなんだから…!
そう自分を叱咤しながら膝に手を付いて体を起こそうとするけれど、お尻がちょっと浮き上がった瞬間には、体が斜面の下の方に向かって倒れてしまう。
再び雪に埋もれた私は、もう一度ゴロリと雪の中を転がって体制を立て直す。
その間に、再びロイのショットガンの銃声が聞こえた。
カキャンッ…カキャンッ!
二発…最後のスラッグ弾を撃ちきっちゃった…!
「ロイ、もう弾が…!」
「わかってる!」
私の言葉に、ロイは言うが早いか、腰のポーチから新しいマガジンを取り出してショットガンに再装填する。そして、三度目の引き金を引いた。
ショットガンから飛び出してきたのは、赤い散弾の薬莢だ。
まずいよ、急がないと…!
そう思って、なんとか立ち上がろうとするけれど、もう、脚が全然動かない。体を持ち上げる力が残っていない。
どうしよう…どうしよう…!
「ロイ…ロイ! 私、もう走れない…!」
「もう少しだけ…!がんばって!」
「でも、立てないんだよ! 脚が動かない!」
私は、必死になってロイに叫んで、そして、首から下げていたグロックをジャケットの内側から引っ張り出した。
でも、そんな私を見て、ロイはなんだか、場に似合わない雰囲気の、まるでお気に入りのスナックが売り切れになってしまったのを見た子どもみたいな顔をした。
「…仕方ない…あきらめよう…」
「ロイ…!」
そんな言葉に、私が胸を詰まらせていたその一瞬、ロイは私のそばにかがみこむと、背負っていたリュックサックを無理やり私から引きはがした。
途端に体が軽くなり、まるで反動のように私は雪の上に立ち上がる。
「美味しいディナーも、生きているからこそ、だからね」
そう言ったロイは、私のリュックサックに腕を突っ込んで、無造作にコンビニエンスフードを一袋、引っ張り出す。
そしてそれを雪の上に放ると、ためらわずにショットガンで撃ち抜いた。あたりに冷たく乾いたビーフストロガノフが飛び散る。
「足止めになるか分からない。急ごう!」
ロイは振り向いて、そう私を急かした。
私は、といえば、リュックサックのポケットに詰め込んでおいた母さんの手帳やらを引っ張り出して、ジャケットのジッパー付きのポケットへと押し込んでいたけれど、すぐに軽くなった体で雪の上を跳ねた。
そして私とロイは転がるようにして斜面を駆け下り、どうにか台形の形をしていた石造りのモニュメントのような物の下へとたどり着く。
そこでようやく後ろを振り返ると、シェパードは、ロイが撃ち抜いたビーフストロガノフの広がっていたあたりの臭いをしきりに嗅いでいた。
あれはどうやら、シェパードをあそこに留めておくための囮だったようだ。
私がそんなことに気が付いて、そんな状況でもないのに感心していたら、ロイがトン、っと背中を小突いてくる。
「ほら、急ごう。近くに入れる場所があると思うんだ」
ロイは肩を上下に動かし、ハァハァと白い息を吐きだしながらそう言って、私を台形のモニュメントの向こう側へと引き込み、シェパードから身を隠すようにその陰にかがみこむと、コンピュータのモニタを私に見せつけてくる。そこには、雪に埋もれる前のサンフランシスコの衛星写真のようなものが写っていた。
「この三角のは、たぶん、この部分だと思う。屋上にカフェラウンジがあったみたいだから、そのための出入り口が近くにあるよ…写真からすると…あのあたりかな…」
そういって、ロイは近くにあった私の背丈ほどの雪山を指さす。
そんなロイに、私はようやく整い始めた息をさらに大きく吸い込んで、体と頭に酸素を取り込んでから聞いた。
「ここは、アパートなの?」
「ここは、ショッピングモールだったはず」
そう答えたロイは、ややあって大きく息を吸い、ふぅ、っと白い息を吐き出してから、ニヤっと不敵な笑みで言った。
「弾の補充と、あと、食料なんかもあるかもしれないね」
***
台形のモニュメントのそばにあった雪山をかき分けた私たちは、その中に非常口と書かれたドアを見つけた。
ロイがショットガンで壊すまでもなく、ノブを回すとギシギシと音を立てながら開いたドアの中へと、私達は足を踏み入れていた。
先に行くロイが、ショットガンの先に付いたライトを灯して、踊り場から階段を下りていく。私も、足音に気を付けながらそのあとに続いていた。
階段を下り切ると、そこは幾分か広い通路のようになっていた。横幅は五十フィートほど。ロイの照らすライトの先にはガラスを使った仕切りがあり、その向こうはどうやら吹き抜けになっているらしく、ぼんやりと暗闇が広がっている。
空調の音や音楽が流れていない真っ暗なモールの中には、ヒタリ、ヒタリという音が聞こえていた。
ロイがそっと足を踏み出し、仕切りからそっと身を乗り出して、吹き抜けの下、階下へと身を乗り出した。私も、ガラス越しに下の方を見やるとそこには、思い思いに寛ぐ無数のネコ達の姿があった。
思わず、ヒュッと息を吸い込んだ私は、かすかな悲鳴も漏れないようにと思わず口をふさいでしまう。
そんな私に気が付いてくれたのか、ロイはショットガンから片手を離してそっと私の頭を撫でると、耳元に口を寄せてきて囁いた。
「静かにね…まずは、見取り図を探してみよう」
そんなロイに、私は口に手を当てたままにうなずいて見せる。するとロイはニコっと笑って立ち上がり、再びショットガンを構えてモール内の通路を歩き始めた。
モールの中の店のほとんどは、格子状のシャッターを下ろしていて店舗の中には入れる状態ではない。きっと、避難勧告が出たときに、略奪が起こらないように、って、閉めて行ったんだろう。
それが普通のことなんだけれど、今の私達にとっては、少し困る。お店のものを使わせてほしいんだけど、中に入るのにあの格子を壊せば、下のネコ達に気取られてしまうからだ。
やがて、しばらく歩いたところでロイは足を止めた。
見ると、ライトの先の壁に、フロア毎の案内図の載った看板が掲げられていた。
ここは四階建てのショッピングモールで、西棟と東棟があるうちの、西側のようだ。このフロアには、銃砲店は…なさそう、だな。
それを確かめて、私はそっとロイを見上げる。するとロイは、その案内図をあの古い手帳に素早く映しとっていた。
「エスカレータと…非常階段が、二つ…エレベータは無視してもいいとして…ここにも階段があるんだ…」
ロイはどうやら、下の階へと通じる場所を確かめているようだった。
まさか、下に降りるつもりなんだろうか?あんなにネコがいるのに…?
そう思った私に、案内図を映し終えたロイは、小さくため息を吐いて言った。
「この階を封鎖して、安全を確保しよう。非常階段と、この西側の階段に、エスカレータ。この四つをふさげれば、下からは上がって来れなくなるから、安心できる」
そう言ってロイは、手帳に書き写した案内図に緑のペンで四か所、丸を付けていく。今言っていた二つの階段とエスカレータのある場所のようだ。
塞ぐと言っても、一体どうするつもりなんだろう?まさか、そのあたりに設置されているベンチや何かでバリケードを作るつもりじゃないよね…?そんなんじゃ、きっと簡単に突破されちゃうと思うし…
そんなことを考えているうちに、ロイは一つ目の印の場所に到着していた。
そこは、ショッピングモールの非常階段だった。
そうか…ここは階段、と言っても、ドアがあるから、塞ぐにはそれほど苦労はしないかもしれない。そう思ったのもつかの間、ロイは細いかぎ針の様なものを二本取り出して非常階段に出るためのドアのキーホールに突っ込んだ。
ロイはしばらくそれをカチャカチャとさせていたものの、5分も立たないうちにカチャリ、とドアにロックのかかる音がした。念のためにロイがそのノブを引いてドアを押したり引いたりしてみるけれど、開く様子はない。
こういうの、なんていうんだっけ…パッキング…?ちがう、ピッキングだ、キー・ピッキング。
ふぅ、と小さなため息を吐いたロイは、いつもの間にか背負っていたショットガンを両腕に抱えなおし
「周り、大丈夫そうだった?」
と私に聞いてくる。
いけない…見張りをしてて、って約束だった。
そう、私はロイと生き残るために、いくつか約束をした。
その一つが、ロイが何かを見ているとき、私はその反対側を見て、危険がないかどうかを確認することだ。
「ごめん、何やってるか、気になって…」
私がそういって謝ると、ロイはふふ、っと笑って
「今度、教えてあげるね」
なんて言って、再びショッピングモールの中を歩き始めた。
そしてロイは、別の非常階段へ続くドアもキー・ピッキングでの施錠を済ませた。今度は私も、息をひそめながら周囲の警戒を怠らない。
施錠を終えると今度は、ショッピングモールの中央にあった階段へと向かった。
そこには当然扉なんてものはなく、大きく口を開いた横幅10フィートほどの階段があるだけだ。これを、ロイはどうするつもりだろう?
するとロイは、たいして迷うでもなく、階段の両側の壁をしばらく確認すると、そこにあった細長い金属性の箱のような物を開いた。すると、中からは同じように細長い金属製の棒が姿を現す。
そうか、と、私は気が付いた。あれは、防火シャッターを下ろすための道具に違いない。
ロイはすぐに階段の天井付近から飛び出していた輪っかに鉤状になっていたその棒の先端をひっかけて、私を振り返った。
「レイチェルは、こっちをお願い」
「えぇっ⁉」
ロイの頼みに、思わず小さな声でそう言ってしまう。こんなの、ただ閉めてしまえばいいだけなのに…
そう思った矢先、ロイがチョイチョイ、と暗闇の向こうを指さした。そこには、動かなくなったエスカレータが真っ暗な中に鎮座している。
「あれだけは、壊すでもしないと撤去できない。残りの爆薬を使って爆破するから、同時にその棒を引っ張ってシャッターを下ろして」
ロイは、落ち着いた様子で私にそう指示を送ってきた。
なるほど…確かに、こういうシャッターっていうのは、下ろすときにはガシャガシャンっと大きな音がしそうな気がする。それを聞きつけてネコ達が襲いに来ないように、同時にやろう、っていうんだ。
私はロイの考えを理解してうなずく。するとロイはまたニコっと笑って、
「ちょっと待っててね」
と言い残し、足早に10ヤードほど先にあったエスカレータまで歩いていくと、ポーチから最後のC4爆薬を取り出してそれをエスカレータの床面に貼り付け、そこからあの電気ケーブルの巻き付けられていた小さなリールを引っ張って私のところまで戻ってきた。
そして、片腕でショットガンを構え、もう一方の手で起爆装置を握ると
「良い?」
と私に確認をしてくる。
「大丈夫」
私が返事をすると、ロイはコクっとうなずいて、
「合図で行くよ。スリー、ツー、ワン、ナウ!」
とカウントをした。
私は思い切りシャッターに引っ掛けられた棒を引っ張り、ロイが起爆装置の電源をオンにする。
とたんにシャッターを下ろす金属が擦れる音と、エスカレータ近くでの大きな爆発音が重なった。
階下からはドタドタと重いものが動き回っている気配も聞こえてくる中で、私はガシャガシャと音を立てながら降りてくるシャッターを引っ張り続けた。
次の瞬間、ギャウっとくぐもった声が聞こえて、階段の下にネコが一匹飛び出してきた。
「大丈夫、そのまま閉めて!」
ロイはそう言いながら、ショットガンを一発、カキャンッと発射した。赤い散弾の薬莢が飛び出して、階段下にいたネコがうめき声とともに身を震わせるようにして床に倒れこむ。
そんな光景を見ながら私は、一気にシャッターを引っ張って私の背丈でも届くほどのところまで引っ張り下ろすと、あとは棒を手放して全身の体重をかけて、シャッターを床まで引き下ろした。
それを確かめたロイはすかさずシャッターの中央まで駆けてきて、そこにあった羽根のついたネジのようなものをグルグルと回す。
あれは確か、床に作られたネジ穴にシャッターを固定するためのネジのはずだ。
そしてほどなくして、ロイは三度目のため息を吐き、
「これで、たぶん下からは上がって来れないと思う」
と安心した表情で言った。
そのときになって初めて、私はあのC4爆薬一発で、この階のと、さらに下にあるエスカレーターも一緒になって崩れ落ちている姿を認めた。
「良かった…うまくいった、よね?」
私がロイは満足そうにうなずいて
「もちろん」
なんて言って笑った。
ガラガラと言う轟音の中で、階下のネコ達が動き回っているらしい鳴き声なんかも混じっている。ガラスの仕切りのそばに近づいて下を見下ろすと、もうもうと煙が立ち込める中を、ネコ達が逃げまどっている様子が見えた。
そんな姿を見て、ふと、私は不安になる。
私達のいる場所から一階までは、25フィートほどの高さがある。でも、ネコ一匹が5フィートを軽く超えようか、っていうサイズだ。
ネコって、自分の体長よりもずっとずっと高くまで飛び上がったりできるはず。もし、ネコのサイズが大きくなっても、身体能力が変わっていないなら、これくらいの高さは飛び上がってきてもおかしくはない。
そう思って思わず後ずさった私は、ドン、と、すぐ後ろにいたロイと衝突してしまった。転びそうになった私を、ロイがさっと支えてくれる。
「大丈夫?」
「ねぇ、ロイ。ネコ、ここまで飛び上がったりして来ないかな…?」
私は、ロイを見上げてそう聞いてみる。するとロイは、あぁ、なんて口にして、吹き抜けの下を見やって言った。
「たぶん、大丈夫だと思う。ほら、鳥にも飛べなくなる種類がいる、って話したでしょ?あれと同じで、体が大きくなれば、小さいときのままの身体能力を発揮するようなことはできないと思うんだ」
確かに、そう言われればそうだ。
鳥が飛べなくなったり、もともと大きかった動物は、さらに大きくなってしまったことで体重を支えられなくなった、って話もしていた。人間もそんな風になってしまうから…ロイは、研究所を目指していたはずだ…私に会いに来てくれたついでに。
それなら…体の大きくなったネコが軽々とここまで飛び上がってくることは、あまり心配する必要はないように思える。
「そっか、そうだよね」
私はそう答えて胸を撫でおろす。でも、ロイは笑顔を浮かべながらも
「まぁ、用心はしておこう」
と答えて、ショットガンのボルトを引いて見せた。
* * *
「銃砲店はないね…」
「うん…たぶん、このハードウェアストアの中だと思うから、後回しの方が良さそう。一階はフードコートか…食品売り場はどこだろう…」
「…あ、ここ。イースト・コートの一階」
「隣の建物か…そこも、すぐには行けそうにないね…ほかに、食べ物ありそうなところは…」
「うぅーん…アロウズにギャップに…クロージングショップとか、バラエティショップばっかり…あ、バッグ売ってるかな?」
「持ち運びしやすいやつを手に入れておいた方がいいかもね…二人で分けて背負えるように」
「うん。でも、バッグに入れる食料がないよ…」
「そうだね…うぅん…ハードウェアストアのアウトドアコーナーにならあるかな…」
私達は、真っ暗なショッピングモールの中、四階の一角にあったファニチャーショップのバックヤードにいた。
お店の方につながるドアをロックして、バックヤードから従業員が出入りしたり商品を運び入れたりするために使う通路へ抜けるドアもロックできた。
そうやって安全を確保した私とロイは、商品だったらしい高級なソファーに腰を下ろして、お店に入ってくる前に見つけたフロアマップの冊子を二人で見つめながらそんな話をしていた。
状況は、あんまり良くない。
フロアマップによれば、一階がフードコート、二階がハードウェアストア、三階がカルチャーフロアで、四階はライフスタイルフロアになっているようだった。
さらに、二階と一階では隣のイースト・コートという建物と接続していて、食料品なんかが売っているお店は、そっちに集まっている。
でもそのイースト・コートは、二階までの建物のようで、すっぽりと雪に埋まっている可能性が高い…もしここへ食料を取りに行って何かがあったとしても、外には逃げ出せないと考えた方が良い。
そんな危険を冒すくらいなら、ここを出て、どこか入り込めそうなアパートを探して、その中でコンビニエンスフードを漁る方がよっぽど安全だろう。
でも、そんなに都合よく私達が休めるようなアパートがあるわけじゃない。それを見つけるためにも、動き回れるだけの食料は必要だ。
それに、ロイのショットガンの弾の補充も考えれば、二階のハードウェアストアには行かなければならない。食料を探すにしても、ショットガンが撃てないような状況になったら、それどころではなくなってしまう。
フロアマップを穴が開くほど見つめた私達が導き出した結論は、ひとつ。
ハードウェアストアに行って、ショットガンの弾を補充して、アウトドアコーナー辺りにあるかもしれない非常食か何かを探すことだ。バッグの類も、アウトドアコーナーなら持ち運びしやすい登山用のものなんかがあるだろう。
あとは、二階にどれだけネコがいるかどうか、だ。
「ロイ、別の場所じゃダメかな?」
私はふと、そんなことを思って、ロイに聞いてみた。
このハードウェアストアに行くのは、危険だ。吹き抜けの下にあれだけネコがいたし、階段のシャッターを閉めようとしたときだってすぐにネコが上がってきた。
たぶん、二階にも確実にいる。それも、少なくない数がうろついていると思った方が良い。
だけど、ロイは静かに首を横に振った。
「食料は捨ててきちゃったし、弾はこれだけしかない…」
ロイは、そう言ってポーチから三本のマガジンを取り出してみせる。一本につき、十発。足元に立てかけてあるショットガンにも何発か撃ったマガジンが取り付けられてはいるが、それでも、四十発には満たない。
昨日までのロイは、散弾でもネコ一匹につき一発で仕留めてきた。でも、それはネコ達の動きや場所がわかっていたからだ。
でも、今日からは違う。ロイは、どこにネコがいるかを知らない。何匹いるかもわかってない。そんな状況では、いくらロイでもかならず一発で一匹を倒せるとは考えにくい。
二発で一匹…ううん、例えば昨日のようにいっぺんに襲い掛かられたら、もしかしたらネコの数の倍以上も撃ち込まなければいけないかもしれない。
そうなったら、二十匹以上を相手にすることはできない。
吹き抜けの下に見えたネコは十匹くらいだったけど…果たして、あれで全部かどうかは、分からないんだ。
でも、だからこそロイは、ここで弾の補充をしようと考えているんだろう。
ここでなら、少なくとも外からネコが増える心配はない。中にいるのを全てとは言わないまでも、私達が安全に行き来する必要がある範囲のネコを倒せばそれで済むからだ。
もしここから逃げ出して、別の場所へ弾と食料を探しに行ったとしたら、ここで戦う以上に未知数のネコやイヌを相手にすることを考えなきゃいけない…
そう考えれば、確かにロイの言う通り、ここでなんとかする方が良い。
「そうだね…でも、じゃぁ、どうやろう…?」
私はロイを見上げて、そう首をかしげる。戦いの知識は、私にはない。それは、ロイ…かつての“レイチェル”が私のために身に着けて来てくれたものだ。いや、かつての、なんて言っても、今からずっと未来の話なんだけれど…
「まずは、三階のネコを排除しよう…そのために必要な準備をしておかなきゃね」
ロイはそういうと、マガジンをポーチに仕舞い、ふぅ、と息を吐いて体をグッと上に伸ばす。それから、フロアマップの一角を指さして言った。
「ここで、ある程度準備をしたから、とりかかろう」
そんなロイが指し示していた先を見て、私はさらに首を傾げた。
こんなところに行って…準備を…?
その意味が分からずに、私は再びロイを見上げた。でもロイは、そんな私に
「大丈夫。たぶん、何とかできると思うんだ」
と笑顔で言った。
* * *
「ロイ、ここでどうかな?」
「うん、それでいいよ。あんまり隠してもあいつらには理解できないと思うから、わかりやすい場所に分かりやすく置いてあった方が助かる」
二時間ほどして、私とロイは、ファニチュアーショップのバックヤードから、従業員用通路に出で、ショットガンを構えたロイを先頭にして、従業員用の階段を下っていき、三階へとたどり着いた。三階の従業員用の廊下を歩いて、少し進んだところにあった“ノーザン・トラベル・グッズ”と書かれたパネルのドアをそっと開ける。するとそこは小さな事務所になっていた。どうやら、お店のバックヤードをこんな風に改造したらしい。
ネコの姿はないようだ。慎重に店舗の方に出てみるとそこには、旅行用の大きなトランクから、登山用のリュックサック、メッセンジャーバッグに、トートバッグ…いろんなカバンが壁に下げられて展示されていた。お店の外にはあの格子のようなシャッターがあるかあら、ネコ達は入ってきていないようだ。
「この従業員用の通路は使えそうだね…全部のお店のシャッターが閉まっているとは思えないけど、閉めているお店が多かったし、万が一この狭いところ襲われるんなら、ショットガンの方が有利だと思う」
狭いと緊張感が高まるけれど、でもさっきのシェパードだってこんな狭いところに誘き寄せられればなんとか倒せたかもしれない、と思う私も、ロイとは同じ意見だった。
「レイチェル、バッグ、選ぼうか」
「あ、うん」
ロイがそういいながら、ショットガンの銃口についていたライトを消した。
中で明かりが動いていて、もし外にネコが通り掛かったとしたら、シャッター越しでもとびかかって来るに違いない。見つからないようにすることは、第一に気を付けなきゃいけないことだ。
私は腰をかがめて慎重に店内を見て回り、リュックサックのコーナーへと向かう。
母さんの大学のシェルターから背負ってきたのは本格的な登山用のリュックサックで、それこそ中には三週間分、三人の食料と、ガスバーナーに予備のボンベを五本。それから、何かに使えるかもしれない、と思って詰め込んであった発煙筒が何本かと、着替えの服に水を入れておく水筒なんかも何本か入れていた。
それだけ詰め込んでしまっていたからあの重さになってしまったけど、今度は無駄なものは極力入れないようにしたい。今日のように、走らなきゃいけなくなったときに、トレーニングをしていない私には、とてもじゃないけど重すぎたからだ。
私は前のよりも少し小さめのリュックサックを二つ選んで、ロイが向かったショルダーバッグの売り場と進んでみる。するとそこでは、ロイは中くらいの大きさのワンショルダーバッグを二つ、片手にぶら下げていた。
「良さそうなの、見つけたね」
最初にそう言ったのはロイだった。私も私で、
「それ、小さいものをしまっておくには良さそう」
なんてロイのバッグを評した。
ロイは腰につけたポーチにマガジンをしまっている。でも、いざっていうときに腰に手を回してマガジンを抜き出すには時間が必要になってしまう。その点、あのワンショルダーバッグを胸側にかけておいて、そこにマガジンを入れておけば、取り出しにかかる時間が短くて済む。
私も私で、あれなら手帳や大事なものだけは、あっちのバッグにしまっておけば、いざ、大きな荷物を捨てなきゃならない場面でも、最低限の大事なものはあっちに詰めておくことで、素早く逃げる体制に入れるかもしれない。
私達は、お互いの発見に満足して、ひとまずは私がリュックサックを背負い、その中にロイの分のリュックサックとワンショルダーバッグ二つを丸めて押し込んだ。重さはさほども気にならないけれど、かさばってしまってほんの少し膨れている。
「脚は、大丈夫?」
ロイが心配げにそう聞いてきた。
そういえば、私はここに逃げてくる間に一度、もうどうしようもないくらいに脚が動かなくなっていたんだった。
でもそれは、さっきのファニチャーショップで安全を確保してからすぐにロイがしてくれたマッサージのおかげでだいぶ楽になっていた。
「うん、大丈夫。この重さなら、走り回るのも大丈夫そう」
私がそう答えると、ロイは少し安心したような表情で笑った。
それから私達は従業員用の通路に引き返す。
バックヤードへ通じる扉には鍵をかけて、すくなくともそのお店からはネコ達が入ってこないようにした。それから、次々とお店の中に従業員通路から入り込み、鍵をかけて、を繰り返して安全をさらに確かにしていく。中には、従業員通路からも入れないように、きちんと鍵が掛かっている部屋もあった。これならこれで、ありがたい。
そんなことを繰り返しながら私達は、もう一つ、先ほどロイがたくさん準備してくれた、仕掛けを設置することも忘れない。
それっていうのは、何を隠そう、消火器だ。でも、ただの消火器じゃない。ファニチャーショップで組み立て式の家具やなんかと一緒になっているネジや棚板を止めるあの出っ張った金属の玉に、小さく砕いたガラスなんかを小さな袋に詰めていくつも貼り付けている、特製の爆弾だ。
ロイがショットガンであれを撃てば、消火器の粉塵と、そして金属のネジが勢いよくはじけることになる。それがちょうど、対人地雷や殺傷型の手榴弾と同じような働きをして、広い範囲にダメージを与えることができるはずだ。
消火器は、ショッピングモールのあちこちにいくらでもある。鍵を確かめながら、私達は消火器を見つけるたびに、この廊下に運んで来て、それをロイが狙いやすい場所に設置していた。
これは、あくまで何かあったときにネコ達を足止めする手段ではあるけれど、それなりに効果はあるだろう。
そして次のお店で、私達はようやく、探していたショットガンの代わりにネコに対抗するための道具を見つけた。
そのお店はバラエティショップで、様々な日用品が所狭しとおかれてる。その一角に、黒い本体に赤い頭の付いた、四角い缶を見つけたのは私だった。
「ロイ、あった!」
「良かった…ないはずはない、って思ってたよ」
私の言葉に、ロイはそう言って胸をなでおろしている。
そんなロイのすぐそばで、私はその缶を全部リュックサックの中へと詰め込んだ。誰でも知っているオイルライター用のオイル缶だ。
何に使うかは、ごくごく単純。火炎瓶を作るためだ。これなら広い範囲を制圧できるし、火が付けばネコ達もその場を離れてくれるかもしれない。ネコは寒がりだけど、直接炎を間近に見れば、きっと怖がるに違いない。
ロイによれば、オイルライターのオイルは燃えるけれど、例えば缶を撃ち抜いても爆発するようなことはないらしい。火が付いたまま飛び散る程度で、ブタンのボンベのような効果は望めないようだ。でも、そもそも缶を爆発させるためにショットガンを使うんじゃ、弾のことを心配してこんな武器を用意する意味がない。
火炎瓶なら、ショットガンを使わないでも火をつければいいだけだから、
火種となる普通の電子ライターもいくつかポケットに押し込んで、私とロイはバラエティショップを出た。
一度四階のライフスタイルフロアに戻って、食器なんかが売っていたお店に入り、そこで抱えるほどのジャム用の瓶を確保した。瓶にオイルを半分ほど入れて、カーテンを引き裂いた布を針金に巻き付け、瓶の中に差し込み蓋をする。
あとは火をつければ、立派な火炎瓶の完成だ。
バックヤードを漁って見つけたビニールバッグに合計6本のジャム瓶を入れて持ち運べるようにもできた。
「扱いには気を付けないと、引火しちゃうからね」
ロイは、私を心配してか、そんなことを言ってくれる。もちろん、それは気をつけなきゃいけない。電子ライターで火を着けようとしたら、自分の手が燃えちゃいました、なんてことになったらネコを追い払うどころの騒ぎではない。
「うん。気を付ける」
私はそう言って、頷いてみせる。そんな私に、ロイは優しい笑顔を見せてくれて、それからすぐに表情を引き締めて、つぶやくように言った。
「さて、じゃぁ、行こう」
私達は、ファニチャーショップにショップを出た。従業員用の通路を行き、階段をゆっくりと降りていく。従業員用のこの通路には、ネコの姿はない。ほとんどのお店にはシャッターが下りているからこちら側に来られないのか、それとも、この幅10フィートもない通路が大きくなったネコ達には狭すぎるのか、理由は定かではないけれど。
でも、だからと言って気を抜ける状況ではない。
一歩一歩進める足が床と擦れて音がしないようにと、慎重に階段を降りて行った私達は、ほどなくして二階へとたどり着いた。
二階は、フロア全体が丸ごとハードウェアストアになっている。バックヤードに入り込んだ私達は、そこにネコが居ないことを確かめて、改めてフロアマップで店の中の位置関係を確かめる。
私達が身をひそめたバックヤードの出口から近いのは、銃を扱っているエリア。アウトドアコーナーは、すこし遠い位置にある。でも、これは私達にとっては幸いだった。
どのみち、弾を確保してからじゃないと安心して食料を探すこともできない。目指すは、銃の販売エリアだ。
ロイが、ショットガンの先のライトを消す。暗闇に目が慣れてくるのを待ってから、
「行けそう?」
とロイが聞いてくる。私はロイの目を見てしっかりと頷いた。
「よし、行こうか」
「うん」
ロイの言葉に、私は小さくそう返事をして、火炎瓶を右手に、電子ライターを左手に構える。
そんな私の様子を確かめたロイは、すっと息を深く吸い込んで、お店の中へと続くドアをゆっくり静かに押し開けた。
ドアの向こうももちろん真っ暗。だけど、さっき落としたエスカレータの影響か、なんだかもうもうと埃っぽい。
私はそんな中を、目を凝らして見渡す。ひとまず、見えるところにネコはいない。棚に並んでいる商品に目をやると、どうやらそこはDIYコーナーの様だった。ポップコーンのバケツのような容器いっぱいに入ったネジやクギ、そのほかの金具なんかが置かれている。
そんな中を、ロイは壁際を伝うようにしてゆっくりと進んでいく。ロイが前を見ている間は、私は約束通りに後ろへ気を配らなきゃいけない。私も、ロイとの距離が開かないように気を付けながら、何度も後ろを振り返りつつゆっくりとそのあとに続いた。
「しっ」
と、不意にロイが微かに息を吐くような声を漏らせた。見上げると、ロイは私に向かって人差し指を立てている。
ロイはその人差し指を進行方向に向けてみせた。その先を追うとそこには、DIYのための作業着らしい服をかき集めたような山があって、その中で身を丸くしている一匹のネコがいた。
それを見た瞬間、私は、背筋にゾワゾワとした感覚が走るのを感じた。
それは、これまでにネコに出会ったどんな瞬間とも違った感覚だった。だって、目の前のネコは寝ているんだ。つまり、ここはネコにとっては巣穴も同じ…きっと、あのネコだけじゃない。周りにはもっとたくさんのネコが、ああして休んでいるに違いない…
ロイも、私と同じことを考えたんだろう、っていうのが分かった。瞬時にショットガンを構えたロイだったけれど、ハッとした様子で銃口を下ろして躊躇いをみせる。
音を立てればネコ達が寄って来る可能性がある…いくらサプレッサーを付けているとはいえ、耳障りな音が消えるわけではないショットガンを撃つのは危険なように思えた。
「レイチェル」
ロイが、小さな声で私を呼んだ。その声に、私はハッとして正気に戻る。見上げるとロイは、私の握っていたジャムの瓶を指さしていた。
私は、頷いて電子ライターに火を着ける。ロイは、そんな私に、ネコではなく、私達の右手に伸びている通路の先に頭を振って見せた。
向こうに投げろ、ってことだね。
もう一度ロイに頷いてみせた私は、電子ライターの火をジャム瓶から垂れ下がった布に近づけた。
ボッと音がして、布にオレンジの火がともる。それを確かめたロイは、素早くショットガンを構えて言った。
「投げて」
テイクバックしようとすると、炎が手に当たってしまう。私は慎重に、砲丸投げの要領で全身をバネにして両手で瓶を通路の方に放り投げた。
オレンジの火がクルっと回転し、ガシャン、と音を立てて通路の向こうの床に広がった瞬間、カキャンッ!と鋭い金属音が聞こえた。
「離れないで、着いてきて」
ロイがそう言って、私を振り返ることなく速足で歩きだす。私も、すぐさまそのあとに続いた。
カキャンッ、ともう一発、床で悶えていたネコに発砲したロイは、潰れたその体をひらりと飛び越えて先へ行く。私は一度チラッと後ろを見やって、他のネコが来ていないことを確かめてからネコの死体を飛び越えた。
耳を澄ませば、フロアのあちこちから何かが蠢いている音が聞こえ始めている。どこからか、なんて程度じゃない。それこそ、そこら中から何かがいる気配が感じられる。
私は、胸のつかえを誤魔化すように、ビニールバッグから新しいジャム瓶を取り出して握りしめた。
「レイチェル。次の通路にもお願い」
「うん」
速足で歩きながら、ロイがそう私に指示を飛ばしてきた。
次に右手側の通路にぶつかるまでに、あと40フィート。私は、ジャム瓶に火を着けて、ロイの後を速足で着いて行く。
通路の角に辿り着いたロイが、素早くその方向にショットガンを向け、すぐさまカキャン、と発砲した。
「レイチェル!」
私は、それが合図だとわかって、通路の方を覗き込むようにしてジャム瓶を放り投げる。瓶が手から離れたのと、炎に照らされて、床に転げたネコを見たのはほとんど同時だった。
私の投げた瓶はネコの体を飛び越えて、ずっと先の床に当たって砕け、燃え上がる。しまった、と思ったけど、そんな私にロイが
「その調子。ガンショップに近づけさせないように」
と声をかけてきた。
そうか、火炎瓶はネコを倒すためじゃなくって、近づけさせないように炎の防衛線を張るために使おう、ってことだね。
「わかった」
私はそう答えて、さらに次のジャム瓶を取り出した。
そうしている間にも、私達はDIYエリアを抜け出して、エクステリアエリアに脚を踏み入れていた。
辺りに並んでいるのは、木製のラティスや花壇用のブロック、芝刈り機に園芸用品なんかになっている。フロアマップによれば、銃用品の売り場はこの先だ。
私は、胸にこみ上げる締め付けるように胸が熱くなって、走りだしたくなるような衝動に駆られていた。ロイも同じような気持ちなのか、いくぶん歩く速度が速くなっている。
そんなロイに着いて行くのに足をさらに速めようとして、ふと私はあたりを見回していた。あんまり大きな足音や動きをしたら、ネコ達に感づかれてしまうかもしれないからだ。
歩き過ぎる右手の通路の向こうを見やり、それから、ロイの背中ばかりを見ていたことを思い出して、チラッと後ろを振り返る。
途端に、私の心臓が跳ね上がった。
いつの間にか、私達のすぐ後ろ、ほんの数十フィートのところに、ノソリと大きな体を縮こまらせて、忍び寄ろうとしていたネコの姿があったからだった。
思わず全身が固まって、握っていたジャム瓶が床に落ちる。
ジャム瓶は私の履いていたブーツに当たって、割れずに床にゴトリと転がった。
「ロイ、後ろ!」
私はそう叫んで、思わずロイの方に後ずさった。背後で、ロイが息を飲む音が聞こえる。
次の瞬間、カキャンッとロイの発砲音が耳をつんざく。ズボッと籠った音とともに、ネコのそばに積まれていたセメントか何かの袋が破裂して煙が立ち上った。
「くっ!」
ロイが歯噛みする声が聞こえて、さらにカキャンッと発砲音。今度はネコがビクンとその身を跳ね上げて踵を返す。でも、すぐにその後ろから別のネコがヌッと姿を現した。
ロイが、さらに続けざまにショットガンを発射する。でも、ネコは何匹も詰めかけてきている様子で、次から次へと入れ替わるようにして私達に迫って来る。
私はその間に、床に転げたジャム瓶を拾い上げて火を着けた。炎が手に掛かって、一瞬の熱さを感じたけれど、そんなことを気にしている余裕なんてなかった。
私はそのまま瓶をネコに投げつけた。
瓶が宙を舞い、一瞬の間があって、ロイがカキャンッとショットガンを撃った。
ロイが放った散弾は空中の瓶を捉え、引火した炎が拡散してネコ達に降り注ぐ。
光と熱に驚いたネコ達が、呻くような声をあげて転げだした。
でも、そんな効果をしっかりと確かめる間もなく、ロイが私の肩をグイッと引っ張った。
「レイチェル、急いで」
「う、うん!」
炎に包まれたネコ達を飛び越えるようにして、あとからあとから別のネコ達が私達に迫っていた。
私はロイに促されてロイの前方に飛び出してガンショップの方へと走り、ロイは私の後ろでネコ達に発砲しながら私に着いてくる。
エクステリアの売り場の通路を二つ過ぎたとき、私の目の前に柵のようなものが見えてきた。
ガンショプの周囲を取り囲むようにして設けられている、セキュリティのためのセンサー柵が。
「ロイ、見えた!」
「中に入って、火炎瓶!」
私はロイの言葉を聞きながら、一気に柵を乗り越える。そして、地面に足が着くのと同時に、ビニールバッグからジャム瓶を取り出して電子ライターで火を着けた。
それを、ロイが柵を超えるのを待ってからネコ達に向かって投げつける。
ガシャン、と瓶が割れて、床一面に炎が広がった。ネコに直接当ててしまうより、ああして床を火で埋める方が効果があるらしい。
ネコ達はそれを見るや、一気に足を止めて、ゆらゆらと揺れる炎越しに私達に視線を送るだけになった。
「レイチェル!火炎瓶で、向こうの通路をふさいで!」
ロイは、柵を超えてくるなり私にそう叫んできた。
ロイが指さしていた方を見ると、ガンショップから伸びる通路が、今私達が走ってきたのとは別に三本ある。
「わかった!」
私はそう返事をして、残り3本の火炎瓶を一本ずつに火を着けて、それぞれの通路に放り投げた。
炎が通路を覆い、辺りが明るく照らし出される。
これで、ネコ達が近づいてくるのを防げる…
そう思った次の瞬間、ガシャガシャン、と激しい音がして、通路を形作っていた商品棚の一つが倒れこみ、その上に三匹のネコが姿を現した。
「レイチェル、カウンターの中に隠れて」
「ロイは⁉」
「大丈夫、念のためだよ」
まさか自分を犠牲にしてここを切り抜けるつもりなんじゃ、と一瞬不安になった私に、ロイは笑顔でそう言って、そばにあったガラスケースをショットガンのストックで叩き割った。
ケースの中には、色とりどりの箱がたくさん積み上げられている。あれは、弾だ…!
「ロイ!空いてるマガジン、頂戴!」
私は、カウンターの中に隠れたりせず、気が付けばそう言ってロイの元に駆け寄っていた。つぶさに私の意図を読み取ってくれたロイは、腰につけていたポーチをを外して私に手渡してくれる。
さらに、ガラスケースの中から無造作に箱を選び取ると、それも私の腕に押し付けた。
「狭いから、散弾が良い!あと、リュックサック置いて行って!」
「わかった!」
私はそう返事をしてロイの分のリュックサックを足元に置き、そのまま踵を返してカウンターの中に身を投げる。
そして、ロイから受け取ったポーチから空のマガジンを取り出して、12ゲージのバックショット・シェルをマガジンの装填口に押し付けた。マガジンリップが邪魔をしてなかなかうまく入って行かない。押し付けて少しスライドさせるものだと思っていたけど、慌てているせいもあるし、バネが強くて思い切り押し込まないと入って行ってくれなかった。
カウンターの向こうでは、カキャン、カキャンッと連続でロイが発砲している音が響き渡っている。これまでの発射数とは一転、ロイは残弾のことなんて気にする様子はなく撃ち続けている。
私は急いでマガジンに弾を込めるけれど、ロイが数発撃つ間になんとか一発を押し込むのでやっとだ。
でも、それでも私は何とか一本のマガジンに十発のバックショットを装填し終えた。
「ロイ、できた!」
「カウンターに置いて!」
ロイは、まだ装填してあるマガジンをベストから引き抜き、ショットガンに差し込んで、抜き取った方のマガジンをカウンターの中に投げてよこした。
私はそれを拾って、再び弾を押し込める。
「あぁ、もう!キリがないよっ!」
ロイがそう喚く声が聞こえた。
想像はしていたけれど、やっぱりここにはかなりの数のネコが居るようだ。ショットガンで対応できているうちはいいけれど、もし、私の給弾が間に合わなかったりして隙ができてしまえば、取り囲まれて襲われたっておかしくはないかも知れない…
きっとそうなったら、ロイは私だけをあのシェルターにテレポーテーションさせるだろう。その身を犠牲にして、だ。
そんなのはイヤだった。
一人になるのが怖いんじゃない。
私は…ロイと一緒にいたかった。
ロイに死んだりして欲しくなかった。
その一心で、私は弾をマガジンに込め続ける。二本目の途中からはようやく少しコツがつかめて、装填がスムーズになり始めた。
そして、二本目の装填を終え、カウンターに出してロイに声をかけようと思ったその時だった。
ボンッと大きな音がして、巨大な火柱が天井に向かって吹きあがり始めた。
「なに…あれ…」
ちょうどカウンターから顔を出していた私は、その火柱を見て言葉を失った。火炎瓶の炎が何かに引火したことは分かった。だけど、あの燃え方は普通じゃない。
まるで、もっと大きなオイル缶そのものに火を着けたような、そんな感じだ。
「あれ、エクステリアのあたりだね…」
吹きあがった炎に気を取られていたネコに数発発砲しながら、ロイはそう呟いて、次いで舌打ちをした。
「塗料だ…シンナー入りのやつ」
ロイの言葉に、私はハッとした。
そういえば、エクステリアの売り場には、たいてい外壁やなんかを塗るためのペンキがたくさん置かれている。その多くは嫌なにおいがする、燃えやすい原料が含まれているはずだ…
ボン、ボンボン、っと、再び音がして、今度はもっと大きな火柱が立ち上がり、天井を一気に炙り始めた。炎に飲まれた天井の鋼材が煙をあげ、ガタンゴトンと床に崩れ落ちる。
「あぁ、これ、まずい」
「うん、火事になるね」
私とロイは、一瞬、顔を見つめ合ってそう言っていた。
「レイチェル、出て来て!逃げないと!」
ロイの言葉を聞くまでもなく、私はカウンターを乗り越えて売り場の方へと飛び降りる。ロイは、ガラスケースの中からショットガンの弾を私が置いて行ったリュックサックの中に、投げ込んでいた。
フロアには煙と化学物質が焼け焦げる嫌な臭いが充満し始めている。それを吸い込んでしまって、思わずゴホゴホっと咳き込んでしまった。
ロイはガラスケースに収まっていた弾をかき集めるようにしてリュックサックに詰め込んでいる。
私は、約束通りにそんなロイの代わりに辺りに注意を配る。ネコ達は、爆発の音に驚いたのか、今はその姿は見えない。逃げ出すなら、早い方が良さそうだ。
そんなことを思っていたら、ふと、カウンターのレジのすぐ横にあった商品棚に目が留まった。とっさに自分のリュックサックを前に抱えて、それを流し込むようにして中に掻き入れる。
「行こう、レイチェル!」
「うん!」
ロイが弾を詰め終えるのと、私がリュックサックを背負いなおすのとでは、ほとんど同時だった。
私はショットガンを背負ったロイに手を引かれる。もう片方の腕で器用にショットガンを構えるロイは、足早に燃え上がる炎の脇を横切り、ネコ達の死体を飛び越えて、二階に出てきたときのドアの前へとたどり着いた。
ボンッ!と、ひときわ大きな音がして、フロアが一気に明るく照らされる。炎は一層勢いを増して、天井を舐めるようにして燃え上がっていた。
「酸素がなくなる…急がないと!」
ロイがそう言ったのを聞いて、私はハッとした。
火が燃えて、火事になることばかりを心配していたけれど…確かに、ロイの言う通りだ。こんな閉ざされた場所であれだけ勢いよく火が燃え上がっていたら、酸素が急激に消費されてしまう。
火の勢いが衰えるときは、燃料が燃え尽きたときじゃない。学校の実験でやった、キャンドルにガラスコップを被せたときのように、酸素がなくなったとき、だ。
私とロイは、そのままバックヤードに飛び出した。
必死に走って従業員用の廊下を走り、階段を駆け上がって四階に辿り着く。ファニチャーショップのバックヤードに飛び込んでお店の中に出て、そこからさらにモールの通路へと飛び出た。
四階は、すでに煙でもうもうとしている。
ロイがショットガンのライトを点灯して、両腕でショットガンを保持した。
「レイチェル。あのシェパードが近くにいるかもしれないから、出ても気を抜かないで」
ロイが鋭くそう言って、出口の屋上カフェテリアへのドアへと階段を上がっていく。私は、煙を吸わないように片手で口元を覆いながら、もう一方の手で拳銃を引っ張り出してしっかりと握りこみ、ロイの後へと続いた。
最後の階段を素早く上がると、その先にはうっすらと明かりが漏れているのが見えた。
あそこが、出口だ…
私はロイに言われたように、安堵するよりも先に、気持ちを緊張させる。出た瞬間、目の前にシェパードが居ても良いように、と覚悟を決めて、ロイの後に続いて階段を上がり、そして、ドアを蹴り開けて表に飛び出したロイの後に続いて、拳銃を突き出しながら駆け出した。
まぶしい光で一瞬、世界が真っ白になる。でも、それも束の間で、すぐさま視界が戻ってきた。見渡す限りの真っ白な雪景色。
そこにシェパードの姿はない。
「反対側も確認するよ」
「うん」
私とロイはそう確かめ合って、中へと続く階段のあった雪山をぐるっと一周するようにして歩き、周囲の状況を確かめた。
どの方向にも、シェパードの姿はない。
もちろん、ネコもいなかった。
ふぅ、と声が聞こえて、ロイがカシャリ、とショットガンを下ろす。それを確かめて、私もため息を吐いて、ようやく新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
ふと、クスクスっと、笑い声が聞こえるので見上げると、ロイは顔を煤で真っ黒にしながら笑っていた。
「なに?」
私が聞いたらロイはなんだかおかしそうに、
「顔、真っ黒だよ」
なんて言ってきた。
ジャケットの袖でほっぺたをぬぐったら、そこがくすんで黒くなっている。どうやら、私もロイとおんなじように煤まみれのようだ。
「ロイだって」
私が言ったら、ロイは一瞬キョトンとした表情になったけど、すぐさま自分のほっぺたをグレーの手袋で擦って、そこに煤が着いたのを見るや、あはは、と声をあげて笑い出した。私も、どうしてかおかしくなって、おんなじように笑い始めてしまう。
とにかく、無事に出てこれたみたいだ。
弾はそれなりに確保できた…食料は無理だったけど…弾があれば、少しだけなら無理が利く。またどこかのアパートをさがして、そこでストックのコンビニエンスフードを探せば、きっと大丈夫だ。
そんなことを考えたからってわけではなく、単純に私もロイも、緊張感から解放されて、こんなちょっとのことでも可笑しく感じられてしまってるんだろう。
私達は、そこでさんざんに笑ってから、ふと、お互いに我に返って、言葉を交わす。
「脚、大丈夫そう?」
「うん…家具屋さんで少し休んだし、荷物も重くないから、平気」
「良かった。それじゃぁ、今日のホテルを探さないとね」
「そうだね。コンビニエンスフードもあればいいね」
「うん。それ、大事だよね」
私の言葉に、ロイはなんだか少しうれしそうな顔をして相槌を打つ。ふと、私はそんなロイの背中に、抱えているのとは別のショットガンが背負われているのに気が付いた。思い返せば、ガンショップを出ようとしたときには、すでにあのショットガンを背負っていたような気がする。
「あれ、ロイ。そのショットガン…」
「あぁ、うん。ついでに持って来てみた。ポンプアクションだけど、どこかで工具でも見つけられたらソードオフにしようかと思って」
「ソードオフ?」
「ふふ、あとで教えてあげる。ほら、とにかく、行こう」
「もう、ロイってば、そればっかり」
「こんなところで立ち話してられないよ」
私達はそんなことを言い合ってから、どちらからともなく笑顔を見せて、ロイのコンピュータを頼りに、再び雪の上を歩き始めた。
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