第7話:真っ白な未来
「私の本当の名前は、ロイじゃないんだ。私は…レイチェル・オリビア・ヤング…私は、十年後の未来から来た、あなた自身なんだよ」
未来から…?
ロイ、何を言ってるの…?そんな、そんなの…ウソ、ウソに決まってるよ…
信じてられなかった。そんなの、信じられるはずがない…
タイ厶トラベルだなんて、そんなのは映画の中だけの話だ。現実にあるはずがない…
そうは思ってみるけれど、私が手にしている写真は、ロイが言っていることが嘘じゃないと示している証拠の一つだった。私は、二つの手帳のページを繰る。そして、私はさらに驚いた。
ロイが預けてくれてた手帳にも、日記が書いてあった。古くて、ところどころ文字が滲んでしまってはいるけれど…それは、間違いなく、私が書いた日記だった。
シェルターでの暮らしの間、寂しくて、誰かに話を聞いて欲しくて、母さんや父さんと話しているつもりになって書いたものだ。その内容は、もちろん私が持っていた手帳にも書いてある。一文字も、アルファベットのハネにさえ、違いがない。それどころか、スペルを間違えてグリグリと消してしまった跡さえ、おんなじだ。
私は、クラっとめまいを覚えて、その場に膝から崩れ落ちた。
まさか…本当に…ロイは、未来から来た…私、なの…?
ロイ…R.O.Y…も、もしかしてロイの名前は…レイチェル・オリビア・ヤングの…頭文字を読んでたってこと…?
でも、タイムトラベルだなんて、そんな…そんなことが、本当にそんなことが出来るの…?
私は、混乱している頭の中を必死に整理しようと思考を走らせる。ロイの話を嘘だと思い込もうとする意志と、目の前にある否定しがたい証拠を見た理性が衝突して、気持ちが嵐の海のように大きく荒れる。
だけど、そんな私のことを知ってか知らずか、ロイは続けた。
「私は…四人目の“ロイ”。私たちは、もう四度、十年後の未来からこの時代に戻って、レイチェルを助けて、サンフランシスコの研究所を目指した。でも、一人目のロイはあのトレジャー島の船で死んだ。二人目のロイは、ブラッドハウンドに襲われたときに。そして三人目の…私を助けに来てくれたロイは、今ここで、あのネコ達の襲撃で右腕を奪われ、左足をえぐられて…血が…血が止まらなかった…」
そう言ってロイは、雪面から飛び出ていた塔を手で撫でる。それはまるで…そこにかつていた誰かに触れているような雰囲気だった。
私が言葉に詰まっていると、ロイはが預かっていた手帳を指差す。
「それは、これまでのロイ達が残してくれた、いわば、道しるべ。何をしてうまく行ったか、何をして失敗したかが全て書き込んである。私はそれに従ってここまで来た。今ここでの戦いも、私は、あなたの立場で経験したんだ…ロイが傷ついて、それでも、ネコ達を倒してくれる、そのときまで一緒にいた。だから、私には分かってた。ネコが左右に分かれて、私が右を受け持って、あなたに左を任せるしかないってことも、知っていた…私は慌てて拳銃を撃って、ネコ達が左右に分かれたときにはマガジンを交換しなきゃいけなかった。交換を終えて、また焦って引き金を引いて…私は、ネコ達を足止め出来なくて…飛び掛かって来たあのトライカラーのやつから私を庇ったロイが、あんなケガを…」
ロイは、そう言って視線を塔へと向ける。
「ロイは、最期にここにいた。ここで、息を引き取ったんだと思う…ここが、私を助けてくれた“ロイ”のお墓なんだ…」
そしてロイは、再び塔の方に向き直り、まるでそこに“ロイ”がいるかのようにしなだれかかった。
「私、嬉しかった。シェルターにずっとずっと一人でいて、寂しかったんだ。怖かったんだ。ロイは、そんな私に会いに来てくれた。もう、一人にはしない、って。守ってくれる、って、そう約束してくれた。そばにいて、私を励ましてくれた…助けてくれた…。ロイが来てくれたから、私、生きてなきゃ、って思えたんだ…」
私には、分かった。それが、ロイがずっとずっと抱えていた気持ちなんだ、って。
未来から来たとか、そんなことは考えないにしても…ロイは、小さい頃に“ロイ”って人に助けてもらったんだ。守ってもらって、きっと一緒に雪道を歩いて、一緒にディナーを食べて、一緒に眠って…そうしてもらえて、安心したんだ。嬉しかったんだ。
私には、それが分かる。分からないはずがない…だって、だって私がそうなんだ。ロイと一緒にいて、嬉しかった。安心した。会ってたった数日しか経っていないけど、私はロイが大好きだし、誰よりも頼りにしているし、信じている。
だから…だから、ロイは…
「だから、私は時をさかのぼってきた。あなたに会うために…あなたを助けるために。一人で寂しい思いをさせないように。そのために、体を鍛えた。銃の練習もした。勉強もたくさんして、身を守るための知識も付けた。私がロイにしてもらったように、今度は私がロイになって、あなたを助けなきゃいけないって、助けたい、って思ったから」
そう言って、ロイは“ロイのお墓”に寄りかったまま、私に腕を伸ばしてきて、抱き寄せる。
「でも…ここから先へ行くのは、私達が初めて。これまでのロイとレイチェルが歩めなかった、真っ白な未来。今までのように安全にことを運ぶためのヒントはないんだ…」
そう言ってロイは、私の体をギュッと抱きしめた。
私は、ロイの腕の中に体を包まれながら、これまで同じようにロイにハグされたときのことを思い出していた。
もし…ロイが本当に私だったのなら…きっと、私の気持ちも分かっていたはずだ…だから、ロイは、私が求めていた物をくれたんだ。ときには、私の考えを読み取っているんじゃないか、って思うくらいに、私が何かを言う前に、私の質問や不安に答えてくれたことだってある。
そう、これまで私は、ずっとずっと、ロイに“してもらってばかり”だった。
でも、そんなロイが耳元で、今までになく力強い、静かな声で私に言った。
「だから…私は今までのロイがしてこなかったことをしようって決めたの。私の…私達のことを、全部話すよ…だから、レイチェル。力を貸して」
未来とか、ロイが誰か、とか、そういうことには、まだ頭が付いて行かない。でも、確かなのは、ロイが私を助けに来てくれたこと、ずっと私を支えてくれていたこと、そして何より、今まさに、ロイは私の目の前にいて…私を抱きしめてくれていってことだ。
それだけは、疑いようもない事実。そして、そんなロイが言っている。これからは、私にも手伝って欲しい、って。
助けられてばかりだった私が、ロイのそんな頼みを、断れるはずがない。
「うん…分かったよ、ロイ…まだいろいろ混乱しているけど…ここからは、力を合わせて進もう。これからは、私も頼ってばかりにはならない。私も、ロイのために頑張るよ」
気がつけば私は、ロイを抱きしめ返して、そんなことをロイに伝えていた。
* * *
それから私達は“ロイのお墓”だった場所を離れた。ラグーナから遠ざかるために斜面を行き、その先にあった小さな丘を掘り起こして、そこに現れた窓を破ってアパートの中に入り込んだ。
雪に埋まっていたからネコ達やイヌの侵入はない様子だったけど、私達は念入りにアパートの中を調べて回って、一番頑丈そうな作りドアをした部屋をその日の休憩場所と決めた。
あいにくその部屋にはコンビニエンスフードのストックはなかったけど、代わりにスパムやベイクドビーンズの缶詰めに、ツナの缶詰めなんかもあった。魚の缶詰めなんて、さすがは港町のサンフランシスコだ、なんて思ってしまったくらいだ。他にもソースの類の缶も幾つかあったので私達は、二人でああでもないこうでもない、と言いながら、創作料理を作り出した。その名も、スパムのデミグラススープ和えに、ツナとコーンのサラダに、デザートには部屋にあった冷凍のアップルパイを準備した。
冷蔵庫の電気は止まっていたけど、アップルパイはきちんと冷凍状態を保っているようだった。
それも当然、何しろ表は冷凍庫と同じくらい気温が低いんだから。
私達は、相変わらず美味しいディナーに思わず夢中になってしまって、話すのを忘れていた。
甘くてサクサクのアップルパイを食べ終え、雪を温めて溶かしたお湯で必要な食器だけをすすいでから、ようやくいろいろと話をしなきゃならないんだ、ってことを思い出す。
なので、今夜ばかりはベッドには横にならずに、ソファーに腰を据えて、私はロイと向かい合っていた。
まぁ、テーブルの上にはこれもまた部屋にあったポテトのスナックが置いてはあるんだけど。ソーダでもあったら良かったのに、なんて思うのは、ちょっと贅沢かな。
「さて…それじゃぁ、何から話そうかな…」
ロイが、スナックをパリポリ言わせながらそう呟く。
私は、といえば、おんなじようにスナックを齧りながら、ロイが持っていたを方の手帳を繰っていた。
そこには、確かにロイが言っていた通り、ここまでの道のりが事細かに書き込まれていた。どれも同じ人が書いたように思えるけど、インクの色があれこれ変わっている。一番古い書き込みは、黒いペン。次は、赤で、その後に書き込まれているのは青。そして、一番最後に書き足したと思える内容には、緑のペンが使われている。
順序が分かるのは、最初のページが特徴的だったからだ。黒のペンで、「アパートを出た直後に、ネコの襲撃。ドアのすぐ前に一匹、上に一匹、屋上に積もった雪の上に一匹」と書かれている。そして赤いペンで、「記述通り。配置は、こんな感じ」と、図が書き込まれている。さらに青いペンで、「三匹目、打ち損じの危険あり。雪の上のやつは、後回しで良い」とある。そして最後の緑のペンでは、「正面、ドアの上、雪の上の順で問題なし。雪の上のやつは、銃口を向けた直後に避けるので、焦らないよう注意」とある。
最初のアパートを出た直後に、ロイが三匹のネコを倒したときのことだ。この手帳の内容が本当なら…ロイは、あのとき、ネコ達がどれくらいの数で、どこにいたのかを知っていたことになる。
私は、さらにページを繰った。
黒ペンで「ベイブリッジは危険。凍結した海を行く」とあった。さらにそれに続いて、「トレジャー島に座礁している船を発見。一晩明かすこととする」とある。そしてそこに赤い文字で、「船にネコが複数いた。逃げ回るけど、ダメだった」と注意を促す文面が書かれている。そして赤い文字は次に、「コンビニエンスフードでネコをおびき出す。三匹を撃った。残り一匹が船内にいたので排除。515号室宿泊。安全。」と書き込んでいる。さらに、青いペンと緑のペンでもさらに細かい情報が書き込まれていた。
ページを繰ると、そこには黒い文字がない。ロイは、最初の“ロイ”があの船で死んでしまった、と言っていた。赤い文字でもそう書いてある。つまり、赤い文字を書いたのは、黒い文字を書いたロイが死んでしまったことを知っているロイだった、ということになる。
赤い文字のロイは、そのことを知っていたから、船に乗る前にネコを誘い出す方法を取って、それがうまく行って、無事にあの船で一晩を明かせたのだろう。
ロイ達は…そうやって失敗を繰り返しながら、生き残るための道を探して来ていた…
この手帳は、まさにそれを示しているものだった。
でも、と、私は思う。例えば…この黒い文字を書いたロイが死んでしまったあと、赤い文字のロイはどうなったんだろう?もちろん、船からは無事に抜け出せているはずだ。そうじゃなかったら、この赤い文字を書いている暇はないし、その次の、青い文字を書いたロイ…レイチェルを助けに行くことだって出来なかったはずだ。でも、一体どうやって…?
私のロイへの最初の質問は、そのことに付いてだった。
「どうして“ロイ”が死んじゃったあとに、“レイチェル”達は無事でいられたの…?」
するとロイはコクっと頷き
「そうだね…まずはそのことかな」
と口にして、左腕から外したコンピュータをテーブルの上に置いてみせた。
「これは、時空間転移装置、って言うらしい」
ロイの言葉に、私は目を耳を疑った。
それは…つまり、このコンピュータがタイムマシンだ、ってこと…?確かに見たことのないタイプのものだし、珍しいとは思っていたけど…方位や現在地を知ったり、電気ショックを与えるような機能だけじゃなかったんだ…
「これを使えば…タイプワープが出来る、ってこと?」
私が改めてそう聞くと、ロイはまた頷いてみせる。
「この機械は、時を移動するだけじゃなくて、空間転移も出来るんだよ。同じ時間軸別の場所に移動することが出来る…」
「テ、テレポーテーション、ってこと?」
「うん、そう言うのが一番近いかな」
ロイは、コンピューターを操作して何かをモニターに表示させる。そこには、何かの座標らしい数値が写し出されていた。
「この座標は、この機械が元々あった、あのシェルターの中の座標なんだ」
「これが、あのシェルターにあったの!?」
私は思わずそう声をあげてしまう。でも、ロイは、それも当然、って感じで話を続ける。
「うん、あなたや私がいたのとは別の区画で研究されていたものなんだ。これまでのロイは…みんな致命傷を負いながら、それでもレイチェルをこの座標転送した。一緒になってシェルターに戻って、そこで力尽きたロイもいたし…私みたいに、一人だけシェルターに送り返されることもあった」
そう言ったロイは、一瞬だけ悲しそうな表情を浮かべた。きっと、ロイを守ってくれたロイのことを思い出しているんだろうっていうのはすぐに分かる。でも、ロイはややあって話の続きに戻った。
「ただ…この時空間軸の座標計算っていうのはすごく複雑らしくて、このコンピュータに入ってるcpuなんかじゃとてもじゃないけど追いつかないんだって。だから、これには座標を検知する機能があるだけ」
「座標を検知する…?」
「そう。要するにこの機械は、座標を入力するか記録させて置かないと、目的の時間や場所には移動出来ないの。手入力するにはcpuでの計算が必要だから、実質、これで移動できる先は、この機械で座標記録…ログを取ったことのある時間と場所だけってことになるんだ」
「そ、そうなんだ…」
と返事はしてみたものの、正直、何がどうなっているのかはさっぱり分からない。ただ、とにかく、あのコンピュータがタイムマシンで、記録を取った場所と時間にしかワープ出来ないんだ、ということだけをなんとなく理解する。いや、それだって十分に理解の範囲を超えているけど…でも、“ロイ”が死んじゃったあとの“レイチェル”達がどうして無事だったのかは、それなら説明が付く…気がする。
一瞬、私は胸の内に湧き上がった疑念で、ロイのことを見つめてしまう。信じていない、ってわけじゃない…ただ、ロイが未来から来た私だ、って話そのものが、感覚的にまだしっくりと来ていない。心のどこかでは、そんなことはSFの世界だけの話だと思う気持ちが未だに残っている。
そんな私に、ロイは苦笑いを浮かべてみせる。
「もう、隠し事はしないよ」
そう言うロイの言葉を、やっぱり私は信じるしかなかった。
そう思い直して私は、改めて次の質問を考える。タイムトラベルが出来るとして…やっぱり問題になるのはパラドックスのことだ。これまでのレイチェル達がみんなシェルターに戻されたというんなら、問題はない。戻ったレイチェルがロイとして、またレイチェルを助けに行けるからだ。でも、もしこの先、私とロイの旅が上手く行って、父さんの研究所に到着したとしたら…そのとき、ロイはどうなってしまうんだろう?未来が変わってしまうから、フッと消えたりしてしまうのか…ううん、そうなれば今度は私がロイの手を借りて無事に父さんの研究所に辿り着けた、と言う事実が成り立たなくなる。私は、そう同じ思考を何度かループさせて、そのこと自体がタイムパラドックスなんだ、ということに思い至って、とにかくロイに聞いた。
「タイムパラドックスは、どうなるの?」
自分で聞いておきながら、ずいぶんと乱暴な質問だなと思う。でも、私にはそうとしか聞きようがない気がしたし…それに、ロイならきっと意味を汲み取ってくれると思った。
「あぁ、それね。私も理解するのにだいぶ時間が掛かったんだ…まぁその理解もぼんやりと、なんだけどね」
想像した通り、ロイはそれだけで私が何について聞きたいのかを理解してくれたようだった。
ロイは部屋の中を見回すと、何かのチラシのようなものを手に取り、その裏側の真っ白な面に、懐から取り出したペンで一本の線を引く。
「あ、このペンね、寒くてもインクがちゃんと出るんだよ」
ロイは、なぜだか得意げにそんなことを言ってみせた。いあや、まぁ、それはすごいのかも知れないけど…今はそうじゃなくって…
「この線、なに?」
私がそれに答えずに先を促すと、ロイはプクッと頬を膨らませて
「もう、私がこれをシェルターで見つけたときはもっと感動したのに」
なんて言ってから、それでも説明に戻ってくれる。
「時間の流れっていうのは…こう、一本の川の流れに似ている…んだと思う」
ロイは、そう説明をしながら線のすぐそばに、左から右へと向かう矢印を書き込む。それから
「それで、その川を流れている水が、私達、かな…」
と、水water=私達usとペンを走らせた。
「私が…ううん、これまでの“ロイ”達がして来たのは、下流で採取した一滴の水を、上流のある場所に戻すことに近いんだと思う」
ロイは今度は、線の右の方から弓形の矢印を左へと引っ張る。
下流が未来、上流が現在、ってことだろう。私はそう理解して、ロイに頷いてみせた。するとロイは、ほんの少し安心したような表情を浮かべる。
たぶん、さっき言っていたぼんやりと、というのは、ロイ自身もうまく説明できるか分からないようなことだからなんだろう。だから、とりあえず今のところまでは分かっている、というサインに安心してくれたんだ。
「…それで…その一滴の水を上流に加えたことで、川の流れが、ほんの少し変わったの」
ロイはそう続けて、まっすぐに伸びた線から分岐させた別の線を書き込む。これは…つまり、ロイ達がほんの少しずつ、研究所への道のりを攻略して行けたことを示している…はずだ。
「で、それまではほとんど同じところを流れていたから大きな問題にはならなかったけど…私達の最終的な目標は、まったく別の流れを作り出すこと。二人して父さんの研究所に辿り着いて、バイルスとワクチンの情報を拡散させる…って言うのは、表向きの理由でね…本当のことを言えば…あなたを一人にしないため」
でも、そう言ってロイは、首を横振った。
「…ううん、違うね…そのためだけなんかじゃない。私も、もう一人ぼっちはイヤだって、そう思う」
その言葉に、私はハッとしてロイを見やった。
そう…もしロイが…“ロイ”が死んで、シェルターにワープさせられた“レイチェル”がいたのだとしたら…その“レイチェル”は、“ロイ”になるために、ずっとあのシェルターで生活を送っていたってことになる。たった一人で…三ヶ月どころの騒ぎじゃない。ずっと長い間…ロイは、十年って言っていたけど、そんなにも長いことたった一人で準備をしていた…
ロイは、その十年間をどんな気持ちで過ごしたんだろう…たった三ヶ月でも寂しさ耐えられず、シェルターから飛び出してしまった私には想像も出来なかった。
そう考えれば、ロイが私一緒にいたい、って思ってくれている気持ちは痛いほどに良く分かる。でも、もしその生活を否定したとしたら…未来が変わって、さっき考えたループみたいになっちゃうんじゃないの…?
「…ずっと一緒にいてくれたとして…ロイは、消えちゃったりしないの?」
私の質問に、ロイの答えは単純だった。
「それは、問題ないんだ………たぶん、だけど」
言葉こそ自身が無さげだったけれど、ロイは笑顔でそう言い、線の上に新しい分岐を書き込むと、最初の線の分岐から右をペンでグリグリと塗りつぶす。
「未来が変わる、っていうのは、つまりこういうことなんだと思うんだけど…時間、って考えるとややこしいから、もっとシンプルに考えてみて。時間の流れは川で、水は私達。元々あった流れから、私っていう一滴は上流に戻された。その一滴が川の流れを本来在るはずだった場所から大きく変えたとして、加えられた一滴の水はどこを流れて行くと思う…?」
ロイの言葉に、私は一瞬混乱した。
でも、ロイに言われた通りに、頭の中で実際に考えてみる。
水が流れていて、下流から持って来た水を上流に加える。その影響で流れが変わる。そのとき、上流から持って来た水は…
「新しい川の流れに乗って流れて行く…?」
私の答えに、ロイは満面の笑みを浮かべて頷いた。そして
「たぶん、そう言うことなんだと思う」
と口にする。
「タイムトラベルって言うのは、時間の流れの外に飛び出すこと。一度飛び出して別のところ流れ着いたら、もう元いた時間軸との繋がりがなくなる…そういうものらしいの」
そう言えば、ふと、昔見た古いSF映画を思い出した。車を改造したタイムマシンで過去や未来へ行き、いろんなトラブルを解決しようとする話だ。確か第二作目で、主人公達が過去に行ったとき、何かの拍子に未来が変わってしまって、元いた時代に戻ったら、そこは自分が知っていた世界とは別の物だった、って筋書きだった。
ロイの説明はそれに似ている。あの物語では予期せず世界が変わっても、主人公達は元の世界を知ったままだった。もし、過去を変えたことで現在の世界のすべてが変わってしまうのなら、過去から元の時代に戻ったとたんに、変わる前の記憶やなんかも一緒になくなってしまっているだろうし、そもそもタイムマシンの開発が出来なかったことになる。
そうならなかったのは…ロイが言うように、タイムトラベルをしたことで、その時代の…川の流れの変化の影響を受けなかったから、と言える…気がする…そもそもあれは映画だし、一作目の方では過去が変わって主人公が消えかかる描写あったりするから、参考にするのはおかしいのかも知れないけど…
ただ、ロイがしてくれたタイムトラベルについての説明と、現実的にロイが未来から来て、躊躇なく流れを変えようとしているのが本当なら…その考え方を使えば納得できる………気がする…。
そんな私を見て、ロイはクスっと笑い声を漏らした。
「大丈夫。少なくとも私は消えないし、宇宙が爆発する、なんてことにもならないらしいから」
そんなロイの言葉に、私はなんだか良く分からないけど、とりあえず分かったと思うようした。いや、全然何にも分からないけれど…とにかく、ロイが消えたりなんかしないのなら、それでいい。
むしろ頭を悩ませなきゃいけないのは、これからどうするか、ってことの方だ。
ただ、私はその話をする前に、もう一つだけ、ロイに確かめておきたいことがあった。
もし本当にロイがレイチェルで、未来から来た自分に助けられて生き延びたのだとしたら…ブラッドハウンドに襲われた日の晩に言っていた約束って、何なのだろう…あの日、ロイが言った“あの人”っていうのは…もしかしたら…
私はそれを聞いてしまうのが怖かった。それは、私に取って希望だったはずだ。事実を確かめてしまえば…また、それが潰えてしまうかも知れない。
でも…私は、そのことを聞かずには居られなかった。受け止める準備も何も出来ていないし、きっと辛いんだろうけど…どちらかハッキリしないまま心の中に留めて置くことは出来なかった。
「ロイの言っていた約束って…誰としたの…?あのとき話してくれた“あの人”って、誰…?」
私の質問に、初めてロイの顔が歪んだ。悲しそうで、辛そうで…申し訳ないって、そう思っているような表情だった。
「ごめんね…」
ロイは、俯き、小さな声でそう謝る。そして、ギュッと唇を結んで顔をあげると、私を見詰めて、ハッキリと言った。
「“あの人”って言うのは、私を助けてくれたロイのことなんだ…私は…ロイと約束した。必ずあなたを守るって」
やっぱり、そうだったんだね…ロイが約束をした“あの人”ってうのは母さんのことなんかじゃない…ロイを助けに来てくれた私の知らない別の“ロイ”のことだったんだ。
思い返せばロイは、自分では一言も私の母さんだとは言わなかった。私が勝手にそう思い込んで…ロイは、それを正さなかっただけ…
私は…想像はしていたけど、やっぱりショックだった。ロイが母さんに会えていたのなら生きている可能性はあった。でも、そうじゃなかったというのなら、母さんがシェルター出ていった後のことは、分からないままなんだ。
ううん…ロイが未来から来た、って話を信じれば…母さんは、シェルターには戻って来なかったということになる。
私が…ロイの年齢になるまでの間は、だ。それが何を意味しているのか、分からないはずはなかった。
ポロポロっと、目から涙が溢れてくる。大きな穴が空いてしまったんじゃないかってほどに胸が痛んで、涙も、嗚咽止まらなくなった。
そんな私をロイはギュッと抱きしめてくれる。私はロイの体に腕を回して、その胸元に顔を埋めて泣いた。
ずっとずっと認めたくはなかった。信じられなかった。でも、きっとそれは確かなんだと思わざるを得ない。
母さんと父さんは、シェルターに戻らなかったんだ。だったらきっと…もう生きてないんだろう、って。
「まだ…分からないよ…研究所に行けば何か情報があるかも知れない…」
ロイはそう言って私を慰めてくれたけれど、それを聞いても私は、止めどなく溢れてくる気持ちを止めることは出来なかった。
* * *
どれくらい経ったのか、泣きつかれた私は、いつの間にかロイの腕の中でウトウト船を漕いでいた。
ロイがそんな私を抱きかかえる感覚があって、ほんの少しだけ意識が戻る。
ロイは、私をベッドに寝かせると、ウェットスーツを脱いで、もう一度私をギュッと抱きしめ直す。もちろん私もそんなロイにしがみついて、彼女の温もりを全身で受け止めていた。
散々泣いて、気持ちは幾分かすっきりしている。そのせいか、私はふと、気になることを思い出した。
「ねえ、ロイ?」
「…ん、なぁに?」
ロイの優しい声が聞こえる。
「どうしてロイは…これまでずっと黙っていたの…?どうして今になって、話してくれたの…?」
私の問い掛けに、途中まで少し強張ったような顔をしていたロイは、後半の質問を聞いて、やおらその表情を緩めた。
どうして黙っていたのか、なんて、私に責められるんじゃないか、ってそう思ってしまったんだろう。
そんな気持ちはこれほどもない。ロイは、もしかしたら…私の心が折れないように黙っていたとか、きっとそんなことを考えていてくれたに違いないって思えていたからだ。
「それは…二つ、意味があったんだ。一つは、あなたの心のバランスを維持するため…そして、もう一つは、これまでのロイ達が何も話さなかったから」
「…これまでのロイが…?」
「うん、そう。ここに到達するまでの行程は、あの手帳に事細かに書かれている。その通りに動けば、私達に訪れる事態はほとんど誤差なく予想が出来た。だから、言うべきじゃないって、そう思った。安全のために…あなたを守るためには、イレギュラーは排除しておく方が良いって考えたの。今日話をしたのは、これから先は私とあなたで作って行く必要があると思っているから…すべてを話して、協力してもらえるように、って…」
ロイは、そう言ってから私の頭を撫で
「ウソ吐いたみたいになって、ごめんね…」
と再び謝った。その言葉に、私はロイの腕の中で首を振る。
「ううん…ロイが私を守るためにしてくれたんなら、きっと必要なことだったんだと思う」
そう私が言ってあげると、ロイは腕にほんの少しだけ力を込めて
「…ありがとう」
なんてお礼を言った。
お礼を言わなきゃいけないのは、本当は私の方なんだけどね…
そんなことを思いながら、私はロイの温もりを感じつつ、目を閉じた。
ロイが何者なのか、とか、母さん達のことはやっぱりすぐに整理できることじゃない。でも、泣いてすっきりしている今なら、もう一度眠りに落ちられるだろう。
何がどうあったとしたって、私達は明日も、進むしかない。
「この先は…どうなるのかなぁ…」
私のそんな呟きを聞いて、ロイは、ほんの少し、苦い顔をした。
「明るくはないよ…この異常気象は三年続く…当初の数ヶ月なんて観測は甘すぎだったんだ。異常気象が終わって、雪が溶け切るまでに半年…その頃には、渡り鳥がバイルスを各地に運んで、動物の異常成長が南半球でも出現し始める。合衆国政府も、他のどの国の政府も、異常気象と避難民の対応で、詳しい調査が出来なかったみたい。私のいたシェルターにも、結局救助は来なかった。動物達の異常は、異常気象による副次的なものだって言われていたみたいだし。でも、そうしている間に、それこそ、一年も経たない内に、バイルスは変異して人間にも感染が広がった。気が付いたときにはもう、手の施しようがなかった…」
私は、思いもよらぬ言葉に驚いていた。初めて会ったときに、ロイは、可能性としてそのことを話してくれてはいた。でも、ロイのいた世界では、現実にそんなことが起こってしまっていたんだ…
「…こっちはついでなんだけどね、未来で、手遅れな状態になってから完成したワクチンと、そのデータを持って来てる。こっちに来てカラスの脳から原初状態のバイルスのサンプルも採取した。これをちゃんとした研究機関に…たぶん、オーストラリアか、その辺りになると思うけど…とにかく、研究所の通信機を使ってデータを送れば、対応してくれると思うんだ」
そう言ってロイは、脱ぎ捨てたウェットスーツに着いたポーチから、小さなデータスティックと、ガラスか何かとそれを厳重に保護するような金属で出来ている試験管のような物を取り出してみせた。試験管の方には、ベーコンのような色をした“なにか”が入っている。
その二つを私に見せながらロイは、
「だから、大丈夫だよ」
なんて言って笑った。
私は、そんなロイの反応が可笑しくって、違った意味で思わず笑い声を漏らしてしまっていた。
ここからは、真っ白な未来、か。
ロイの言葉が思い出される。私の気持ちを敏感に察してくれていたのは、ロイ自身が同じ体験をして来たからだ。でも、今のこのやり取りは、お互いにとって初めてのこと。だから、こんな勘違いも起こっちゃったんだろう。
「それも気になるけど、そうじゃなくて」
私は肩を竦めてロイに言った。
「明日とか明後日とか…聞きたかったのは、そっちの方」
ロイの話してくれたことも大事だけど、それは研究所に着いてから考えれば良いことだ。その前に、私達が越えなきゃいけない課題は少なくない。
私にしてみたら、対策が練ってある何年も先の出来事よりも、明日のブレックファストをどうしようか、ってことの方が重要だった。
私の言葉を聞いたロイは、一瞬、目をパチクリさせたけれど、少しして、プスッと吹き出し、クスクスッと静かに、でも、お腹を抱えて笑い出した。
「もう…小さい頃の自分とすれ違いだなんて、可笑しい」
ロイは、そう言いながらも、まだ小さな笑い声をあげながら、体を丸めて身悶えしている。
こんなことで可笑しいだなんて笑えるのは、きっと世界を探しても、ロイ私くらいなものだろう。それは、ロイがタイムトラベルをして来たから、なんてことじゃない。
こんな些細なことでも可笑しいって思えるくらいに、私達は、こんなやり取りに飢えていたんだ。
私は、三ヶ月。ロイは、十年も。
そんな私達は出会って初めて、隠し事も隔たりもない、ちょうどこのサンフランシスコを包み込んでいる雪のように真っ白で、でもディナーに食べたスパム入りハッシュドビーフと同じくらいに暖かで、二人して包まっている毛布のように心地良い、そんな関係になれたんだ。
気が付けば、私もロイと一緒になってクスクスッとお腹を抱えて笑い出してしまう。そして、そんな楽しい雰囲気のままに、私とロイは笑顔のまんま、ブランケットを二人で被って目を閉じていた。
そんなだったからか、ふと、頭の中に、ロイの昼間の言葉が思い浮かんでくる。
「ここから先は、真っ白な未来…」
思わずそう口に出してしまっていたら、ロイ私を優しく抱きしめて来た。
「必ず守るから…大丈夫だよ」
「うん、分かってる…でも、私だって協力するから、一緒に研究所に辿り着いてくれなきゃイヤだからね、ロイ」
「約束するよ…もう一人じゃない…これからは、ずっとね」
私達は、そんな言葉を交わしながら、程なくしてどちらからともなく、静かに寝息を立て始めていた。
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