第3話:約束

 ゴソゴソという布ずれの音。それに、微かに金属が触れ合う音も聞こえる。そんな音がするたびに、ベッドマットかわずかに揺れて、私の体を優しく揺さぶる。私はそんな気配を感じ取って、眠りから目覚めた。

 冷たい空気が肌に触れて冷たい。ぼんやりした意識の中で暖かなロイを探そうと手を伸ばすけど、どうやらロイはそばにいない。

 私は、ブランケットにギュッと身を包んで身を起こして、振動と音のする方を見やる。

 そこには、ベッドに腰掛けているロイがいて、ショットガンを念入りに点検していた。

「モーニン、ロイ」

私は、ブランケットの中で体を震わせながらロイにそう声を掛ける。室内だし、ベッドにブランケットを羽織ってはいても、やっぱり寒い。

 ロイはそんな私をチラッと見ると、

「朝だって、良く分かったね」

なんて言って、クスっと笑った。

「今、何時?」

「七時を少し過ぎたくらい」

ロイはそう言いながら、ショットガンの機関部にガシャン、と弾を装填して、安全装置らしいコックをパチっと動かし、ベッドに立てかけた。

 よく見ればロイは、すでにあのウェットスーツに身を包み、ポケットだらけのベストも着込んでいる。出発の準備は、もう整っているようだった。

 「ごめん…私、寝坊した?」

「ううん、平気。私は準備に時間掛かるから早起きしただけ」

私が聞いたらロイはそう答えて、それからすぐに

「ブレックファストにしよう」

と誘ってくれた。

「うん、そうだね」

私はロイに笑顔を作ってそう答え、手早く身支度を整えた。

 それからロイと少し話し合って、ブレックファストはロイの持っていたレーションをかじるだけに決める。なるべく、暖かいものはディナーに取って起きたい、って、ロイが主張したからだ。

 実際、ロイに貰ったチョコレートバーみたいなクッキーブロックは、ソイビーンに無理矢理チョコレートフレーバーを付け足したような味で、パサパサしているし、あんまり美味しくはなかった。コンビニエンスフードを食べきっちゃってディナーがこれになるのは、なんだか味気なさすぎてイヤだな、なんて思って、ロイが主張した理由を理解した。

 ブレックファストを終えた私達は、さらに外に出るための準備を始める。私は防水防寒のズボンを履き、ダウンジャケットを羽織って、靴下を三枚重ねて履いてから、スノーブーツに足を通す。リュックサックは相変わらず重いけど…でも、ロイと一緒ならそれも苦じゃない。

 ロイは早起きして準備をしていたせいか、身の回りのことはほとんど終わっていて、腰にバッグを巻き、ゴムのような素材の手袋を付けると、ソファーに腰掛けてボロボロになった手帳を、何かを確かめるようにして繰りながら、私の準備が終わるまで待ってくれていた。

 「ロイ、準備出来たよ」

私がそう声を掛けると、ロイは頷いて手帳をベストにしまい、ショットガンを抱えて立ち上がった。

「今日は、これからマリーナに向かうよ」

立ち上がって、ショットガンの安全装置を解除したロイは言った。その言葉に、私は驚いてしまう。普通、バークレーからサンフランシスコに向かうのなら、ベイブリッジを使う。私はずっとそのつもりだったし、ロイもそうするものだと思っていた。

「ベイブリッジじゃないの…?」

当然そう聞いた私に、ロイは静かに言った。

「あの橋で、もしネコに襲われたら、逃げ場がないよ」

「うっ…た、確かに…」

ロイの言うことはもっともだった。ベイブリッジは高いし、狭い。もしネコに前と後ろを塞がれたら、どうにもならなくなってしまう。でも、だからと言ってどうしてマリーナなんだろうか?まさか、船に乗るつもりなのかな…?

「マリーナに行くのは、どうして?」

私が聞くと、ロイはまた静かな声で、簡単に返事をする。

「海を渡るんだよ」

私はロイの言葉で気が付いた。そうか…この寒さだ…

「湾内が凍ってるの?」

「うん、そうなんだ」

ロイはそう言ってニコっと笑う。

「狭い橋の上より安全だから」

私はロイの言葉に頷いて返した。

 「じゃぁ、行こうか」

「うん」

私達はそう言葉を交わして、アパートの515号室を後にした。

 暗い廊下を歩き、屋上への階段の前へと戻る。ロイのショットガンの明かりだけを頼りに、一本一本進んで、踊り場に辿り着いた。

 そしてそこで、不意にロイが立ち止まった。不思議に思って見上げると、ロイは一度、静かに大きく深呼吸をして、小さな声で私に言う。

「静かに。少し、待ってて」

どうしたの、と口を付いて出しそうになった私を後ろ手で一本下がらせたロイは、静かにロッカーをドアの前から動かし、ショットガンが構える。その銃口は、外の雪の重みのせいか自然とゆっくりと開くドアの外に向けられていた。

 ずっと暗がりの中ににいたものだから、外の眩しさに一瞬、目が眩む。そんなまばゆい世界の中に、ひときわ黒く光る何かを、私は見た。

 次の瞬間、ドンッと低く重い発砲音が間近で聞こえて、その大きな黒い塊が数ヤードほど吹き飛んだ。それが何かを確かめるまでもなく、ロイは外に飛び出して行って、外から続けざまに、二発、さらに銃声が聞こえて静かになった。

 あまりに急な出来事で驚き立ちすくんでいると、ドアの向こうにロイがヒョイっと顔を出す。

「三匹いたよ」

ロイは、そんな簡単な言葉で私に事態を説明してくれる。

 私は手招きされてドアの外に恐る恐る足を踏み出した。そこには、あのネコ達が白い雪を真っ赤に染めて倒れている姿がある。黒いのと、べっこう色のと…グレーのタビー、アメリカンショートヘアみたいな柄をしたやつだ。

「たぶん、食事の匂いを嗅ぎつけてきたんだ。他のが来る前に行こう」

ロイは、落ち着いた様子でそう言い、私の手を取って歩き出した。屋上から飛び降り、その後に続いた私を抱きとめてくれる。

 私は、怯えるでもなく、ロイをすごいと思うでもなく、しばらくの間、ただただ、今起こったほんの数秒の出来事にあ然とする他になかった。


* * *


 アパートから離れた私達は、すぐ目の前にあった壁のような雪山に雪を掻き分けてなんとか登った。そこから見える景色は、やっぱり白銀の世界。でも、霧に霞んでいるような遠くの景色には、真っ白に雪を被ったベイブリッジの姿がぼんやりと見える。ここからじゃ、ネコがいるかどうかは分からないけれど…考えてみれば、これだけ雪が積もっているんだ。橋の上を歩くのは、滑り落ちたり、橋自体が崩れたりする危険もあるだろう。そう思えば思うほどに、ロイの判断が正しかったんだ、ってそう感じられて、一層頼もしさが増した。

 私達は、壁の上を雪を踏みしめながら歩く。周りを見下ろせるので、ネコが近くにいればすぐに気が付ける、という意味でも、この道は安全に思えた。

 でも、進むうちに雪山はほんの少しの下り始め、程なくして周囲との高さはそれほども変わりなくなってしまう。やがて、辺りと全く高さが変わらなくなり、真っ白な雪原の中に戻された私達は、前方にまるで筋のように伸びる段差を見て取った。

 その段差は、私達の立っている雪原から落ち込んでいるようだ。

 「あの先が海だよ」

ロイが、白い吐息を吐いて言い、それから胸の前に抱えていたショットガンに弾を込めなおして、ポーチからコードの付いた黒い布を取り出し、それを手首の機械のソケットに繋いでから、ショットガンの機関部に巻きつけた。たぶん、機関部を凍らせないようにする工夫だろう。そんな作業を終えると、ロイは今まで胸の前に抱えていたショットガンを背中に担ぎ直し、それから私を見下ろして言った。

「ちょうど、トレジャー島のあった辺りに嵐で漂流したクルーズ船がある。4マイルはあるから少し大変だけど、頑張ろう」

「うん」

私は、ロイの言葉に頷いた。

 休むところを確かめて奥には大切だ。昨日のように夜に嵐になったら、それだけでも命の危険に晒されかねない。4マイルくらいなら、きっと歩き抜けるはずだ。そこで、ロイが言った二番目の組み合わせのディナーを食べて、安全な場所で眠る…研究所に辿り着くために通らなきゃいけない、タスクの一つ、だ。

 ロイはボロボロの手帳を懐から取り出し、それを見ながら腕に付いた小さなコンピューターを操作し、ショットガンのマガジンに弾を込め直すと、再び私に差し出してくれる。それを私はギュッと握って、二人して段差の向こうにあだろうトレジャー島を目指して歩き始めた。

 昨日歩いた距離は1.5マイルほど。今日はその倍以上、と言われても、私は怖さを感じるどころか、気合いを入れていた。

 一歩一歩と足を進め、海氷った雪の上に降りた私は、陸に積もっていた雪とさして変わりがないことに気付いた。歩きにくさも、さらさらして脚が沈みこんでしまうのも変わらない。

 氷の上に降った雪と言うからには、もう少し固くて歩きやすいと思ったのに…

 そんなことを思いながらも、手を引かれて私はロイの後へと続く。そう言えば、こうして一緒に歩いていると、ロイが踏みしめてくれた足跡上は程よく踏み固められていて、他の場所より歩きやすいって事に気が付く。ロイは体力もありそうだから4マイルくらいならなんでもないだろう。でも雪道に慣れていない私にとっては、昨日の調子で歩いていたら、それこそ途中でまた膝から下が動かなくなったり、足が凍傷なってしまうかもしれない。

 だから、体力を温存するためにも、必要な限り、ロイの足跡を上を踏んで行くことにした。

 私も、ロイも、歩いている間はほとんど何も喋らなかった。私はとにかく雪に足を取られないように気をつけながらだったし、ロイは…元々口数も少ないけど、そういうこと以上に、周囲を警戒している様子だった。

 途中、何度か休憩をしつつ、ロイが腕に付けた小さなコンピュータで現在地と進行方向を確かめる、なんてことを繰り返しているうちに、南の方に真っ白なベイブリッジの姿が見えてくる。そしてそのベイブリッジが伸びる先に、これまでに見た中でもひときわ大きな雪の山があった。

 その山に近づくに連れて、それが山ではなくビルよりも高い大型のクルーザーだということに、私は気が付いた。それこそ、世界一周旅行とかそういうこと使われるような、いわゆる豪華客船だ。

 甲板までは雪に埋もれているし、その上にも大量の雪が降り積もっているけど、とこどころから客室らしい窓か何かが蜂の巣の穴のように無数に並んでいるのが見て取れる。

 「あれが、今日のホテル」

ロイがそう呟くので、私はその顔を見上げた。ロイは、安心なんてしていなかった。それどころか、今までにないくらいに表情を引き締めている。

「どうしたの、ロイ?」

少し心配になって、私はロイにそう尋ねるするとロイは、背負っていたショットガンを胸に抱えて言った。

「先客がいるみたい。それを先に排除しないと」

先客…それを聞いて、別の生存者がいる、なんて思えるほど、私はお気楽ではなかった。ロイがこんな表情で居て、ショットガンを構えるんだ。それを使わなければならない相手が見えたに違いない。私の目には、遠すぎて分からなかったけど…

 「ロイ、私はどうしたら良い?」

「大丈夫、プランはあるんだ」

私の言葉にロイは静かに応えて船に向かって足を踏み出した。私も周囲と船を警戒しながらロイから離れずに着いて行く。

 やがて、モヤの中の船の輪郭がはっきりし始める。それは遠くから見て想像していた以上に大きい。まるで、ビルが一本、まるまる横倒しになっているような大きさだ。

 そんなことにほんの少しだけ圧倒されていたら、不意にロイがその足を留めた。

「んぶっ」

それがあまりにも急だったので、前を歩いていたロイにぶつかって、思わずそんな間の抜けた声が漏れる。

 そんな私を気遣ってか、ロイはチラッと私を振り返り、クシャっとニットの帽子の上から私の頭を撫で付けた。

「ここくらいがちょうど良い」

ロイはそう言いながらその場にしゃがみ込んだ。そして、ポーチから茶色い紙に包まれたブロックほどの大きさの何かを取り出してみせる。慣れない様子で紙を剥がすと、そこには、白いチーズの塊のような物が姿を表した。

 「ロイ、それって…」

私が恐る恐る聞いたら、ロイも引きつった表情で

「C4爆薬…ってやつ」

と応える。

 ロイは爆薬を包から取り出し、雪の上にそっと置くと、今度は細いケーブルが巻かれたリールを取り出した。

 「ちょっと離れてて」

ロイは、緊張した面持ちでそう言う。私は、さすがに素直に頷いてロイから距離を取って身をかがめた。

 ロイはコンピュータの電源を切り、着ていたウェットスーツの腰からバッテリーを引き抜くと自分から少し離れた場所に放って、一旦ショットガンの銃身を両手で触れてから、リールに巻いてあったケーブルの先を、慎重にチーズのブロックに差し込んだ。

 そして、ため息を吐き、私手を振って合図をくれた。

 私は、昨日と同じように疲労で震え始めていた膝を奮い立たせて立ち上がり、ロイの元へと戻る。ロイは爆薬を雪の中に埋めているところだった。

 「ここに、ネコをおびき出すの?」

私は一部始終の作業を見ていて脳裏に思い浮かんだことを尋ねてみる。私が想像した通りだったらしく、ロイは頷き、そしてポーチからビニールの真空パックに包まれた真っ赤な何かを取り出した。

「ロイ、それは…?」

「ビーフの腐ったやつ」

ロイは私の問いに、まるでしかめっ面で答えてくれる。そして、それを爆薬を埋めた上に置くと、ショットガンの機関部をくるんでいた布をナイフで切り裂いて、電熱線を露出させた。ロイは電熱線が飛び出たその布でビーフの入ったビニールバッグを包み込むと、最後に、さっき放り投げたバッテリーに布から伸びたコードを繋いだ。

 たぶん、電熱線であのビニールバッグは溶けて、中から腐った肉の匂いが漂う…それであのネコ達をおびき寄せるつもりなんだ。

 ロイはバッテリーを静かに雪の上に置くとリールを手にして立ち上がった。

 「急いで船まで行こう。あいつらに見つからないようにしながら、適当な船室に隠れる」

「うん」

私はそう返事をした私に、ロイはリールを掲げて見せた。

 私がそれに手を伸ばすと、ロイはニコっと笑ってリールを手放し、ショットガンを構えて表情を引き締めた。

「お願いね」

「任せて」

私達はそう言葉を交わして、ロイはショットガンで周囲を警戒しながら、私はリールからコードを伸ばしながら、足早に船へと急いだ。

 辿り着いた船は、デッキよりも高く雪が積もっていて、私達が踏みしめている雪の面と同じ高さに客室の窓があった。丸い船室の窓なんかじゃなく、高層アパートのバルコニーみたいになっていて、柵まで付いている。

 いくつも並ぶバルコニーの中からロイは、カーテンの引かれた部屋の柵を乗り越えて、サッシとガラスの隙間にナイフを突き立てた。ミシッと鈍い音がして、ガラスに三角のヒビが入る。ロイがナイフのグリップのお尻でその部分を軽く叩くと、パキッとその部分だけが中に抜けた。

 ロックを外したロイは静かに窓を開ける。はためくカーテンをショットガンの銃身で除けて、一歩中に踏み込み様子を伺った。

「…大丈夫。入ってきて」

ロイの合図が聞こえたので、私も柵を乗り越えてバルコニーの内側に入り、ロイに着いて部屋の中に踏み込んだ。

 中は、それほど広くはないけれど、大きなベッドにバスルームなんかがあって、まるでホテルの一室みたいだった。

 ロイは私が部屋の中に入ったのを確かめると、そっとサッシを閉めた。でも、リールから伸びるコードがサッシに挟まって、完全には閉まらない。

 ただ、ロイには、それは想定していたことの様だった。

「あいつらをうまく排除したら、別の部屋に移動するから」

そう言ったロイはふぅ、と一息吐いて、ベッドに腰を下ろした。私も、ベッドの脇にあったテーブルにリュックサックを降ろしてロイの隣に腰掛ける。

 「足、冷たくない?」

不意に、ロイがそう心配してくれる。

「うん。靴下三枚履いたから、大丈夫」

私が応えると、ロイは

「そう」

なんて笑った。

 私達は、ベッドに座って、ジッとバルコニーの遥か向こうを見つめていた。まだ、外に動きはない。私はネコの姿は見えなかったけど、ロイには居るという確信があるようだった。

 それは、今もショットガンを両腕で抱えていることからも感じられる。もしかしたら、目で見なくても何かを感じ取れるのかも知れない。例えば音とか唸り声とか、臭いとか…兵隊の中でもスカウトっていう役割を担っている人達は、偵察のために戦場のいろんな気配を感じ取る訓練をしている、なんて話を聞いたことがある。確か、二軒隣に住んでた海兵隊員のお父さんがいるケビンからだったかな…

 そう考えたら、ロイは銃の扱いや爆薬の扱いにも慣れているようだし、こんな状況でも必要以上に緊張したりしていない。もしかしたら、ロイも軍人さんなのだろうか?

「ねぇ、ロイ?」

「ん、なぁに?」

「ロイは軍人さんなの?」

私はロイに素直に聞いてみる。するとロイは少しハッとしたような表情を見せて、それからなんだか可笑しそうに頬を緩めた。

「…そっか、なるほど、そりゃぁ、そうなるね」

そんな独り言を漏らしたロイは、ふぅ、と息を吐き、ふわりと視線を宙に泳がせて言った。

「私は、どこにでもいる普通の女の子だよ」

「そうなの…?」

普通の女の子が、銃の扱いに長けていたり、爆薬を扱えたりするものだろうか?そもそも、ショットガンは街のホームセンターに行けば売っているけれど…爆薬なんてものは簡単に手に入るものじゃない。少なくとも、普通の女の子が持っているはずのないものだ。

「そうだよ…でもね、私には約束があるんだ。ずっとそのために訓練をしたり、勉強したりしてきた。だから、軍人さんに見えるのかも知れないね」

「約束…?」

私はさらにそう尋ねる。するとロイは、なおもニコニコ笑顔を讃えて

「うん、そう。約束」

と、言葉を濁した。

 あんまり、言いたくないことなのかな…?だったら、悪いことを聞いちゃってるのかも…

 急にそんなことが不安になった私は、思わずロイに謝ってしまっていた。

「ごめんなさい、ロイ。言いたくないこと聞いちゃったかも」

「ううん、そんなことないよ…ただ、ちょっと説明が難しいから、また今度、ゆっくり時間のあるときに、ね」

私の言葉にそう言ってくれたロイは、ふと、私が抱えていたコードリールを手にして、そこにベストのポケットから取り出した何かを接続させた。それは、ちょうど拳銃のグリップの様で、赤いボタンみたいなトリガーと、グリップの上にも同じ赤のパーツが付いている。正直、見慣れない物だった。

 それを私に押し付けてきたロイは、静かに言った。

「上の赤いカバーを押し上げると、その下にボタンがあるの。そのボタンを押しながらトリガーを引くと通電して着火できるから、合図をしたらすぐにお願いね」

私が何かを言う前にロイはベッドから立ち上がると、バルコニーとを隔てるガラス戸の前に備え付けのクローゼットを引き倒し、その上に肘を置いてしっかりとショットガン構えた。

 次の瞬間、ドサッと湿った音がした。重いものがいくつも、雪の上に落ちたんだ、ということに気が付くまでに、ほとんど時間は掛からなかった。

 やがてバルコニーの遥か向こうに、トライカラーのや、アメリカショートヘアみたいな柄、べっこう柄のネコ達がのそりのそりと姿を現した。その数、六匹…あんなにたくさん、この船に乗っていた、っていうの…ううん、そもそも船に、ネコなんて載せて良いの…?

 そんな疑問を抱きつつ、私はロイに言われた通りにグリップの上のフタを開け、中にあった赤いボタンを押す。あとはトリガー引けば爆発が起こる…ロイの合図を待つだけだ。

 私はロイの背中をジッと見据えて、それを待つ。

 外に現れたネコ達は、ゆっくり、ゆっくりと腐った肉を置いた場所へと近付き、やがてひとかたまりなって、ロイが肉を包んだ布を前足で転がし始める。

 まだ…まだなの、ロイ?今なら、いっぺんに全部爆発に巻き込めそうだけど…

 少し慌てて、私は視線をロイの背中に戻す。その背中で私の気配を感じたのかロイは静かに

「まだだよ…まだ…」

と相変わらずバルコニーの外へ視線を向けながら言う。

 ロイがまだ、と言うからにはまだなんだ。私は焦る気持ちを堪えてジッと待つ。

 そんなときだった。バササっと、ガラス戸のすぐ向こうに雪の塊が落ちてきて、それと一緒になって、トライカラーのネコがズシッと降りてきた。

 「ひゃっ!」

と、思わず悲鳴を上げてしまった。次の瞬間、ネコは私の悲鳴を聞き取ったのか、素早くこっちに顔を向けた。

 その刹那。

「今!押して!」

と言うロイの叫び声とともに、けたたましい銃声が狭い室内に響いた。正直言って、ロイの合図が聞こえたからじゃない。ただただその銃声にびっくりして、私は握っていたグリップにビクっと力を込めていた。

 ガシャン、とガラスが崩れる音とともに空気を震わせるような爆発音と衝撃が辺りを揺さぶる。

 私は思わずベッドから飛び降りて、いつでも逃げ出せるようにと部屋の外に続いているだろうドアの方へと足を向けて、ロイの背中を見つめた。でも、ロイは身じろぎ一つせず、そのままの姿勢で外を眺めている。ロイの肩越しに、ロイに撃たれて動かなくなっているネコと、さらにその向こうにもうもうと雪煙が舞っているのが見えた。

 どれほどの時間が経ったか、その雪煙が収まると、そこには真っ赤に飛び散ったネコ達の破片が散らばっていた。とても、生きている状態には見えない。

 どうやら、ロイのプランは成功した様だった。

 姿勢を崩さず、視界に入っていたすべてのネコが動かなくなっているのを確かめたロイは、ふう、とため息を吐いて、立ち上がった。

 「とりあえず…これで大丈夫」

そう言ったロイは、ようやく肩の力を抜いて、ショットガンを降ろして私に安心感に満ちた笑顔を見せてくれた。

 私は思わずホッとして、ロイに駆け寄り抱きつく。ロイはそんな私をそっと受け止めてくれた。

 「良いタイミングだったよ」

「ううん…びっくりして押しちゃっただけだよ…」

ロイがせっかく褒めてくれたけど私はさっきの一瞬のことを正直に話す。するとロイは

「それでも」

と短く言って笑った。


* * *


 それから、私達は、部屋のドアから船内へと出た。真っ暗な廊下を少し歩いて、さっきネコ達をおびき寄せたのとは反対側にある船室のドアをロイが蹴り開ける。部屋の作りはさっきとほとんど変わりない。中に入り、二人で昨日アパートでそうしたように家具をバリケードにしてドアを固定した。

 その部屋の窓はすっぽり雪に埋もれていて外が見えず真っ暗だ。でも、私にはそれが、外からの攻撃を防ぐ意味を持っているんだというのが、さっきのロイの立ち振る舞いで理解できていた。

 私達はアパートでしたように荷物を置き、服を着替えてくっつき合い暖を取る。体が暖まったら、そこからは食事の仕度だ。

 私の荷物からガスボンベとバーナー、お鍋に昨日のアパートから借りて来てしまった食器なんかを出す。

 私が昨日ロイが二番目に美味しい、と教えてくれた組み合わせのコンビニエンスフードを手渡すと、ロイは嬉々として料理を買って出てくれる。

 ほどなくして出来上がった二種類のミックスリゾットは、昨日のリゾットヌードルほどとは行かなかったけど、それでも美味しくて、心も体もポカポカにあたためてくれた。

 すっかり安心した気持ちになって昼間の疲れもどっと襲って来たのか、ほどなくして私はベッドに横になって、うつらうつらとまぶたが重くなってくるまどろみに身を委ね始めた。

 ぼんやりとする視界に、ウェットスーツを脱ぎ、古い手帳を繰っているロイの後ろ姿が見える。

「ロイ、寝ないの…?」

ふわふわとする心地で、私はロイにそう聞いてみた。するとロイは私を振り返り

「ああ、うん、ごめんね。もう寝るよ…その前に、明日の予定を確かめておきたいんだ」

なんて言って、私の髪を撫で付ける。

 そういえばロイは、ここに来るまでもあの手帳をしきりに覗き込んで、何かを確認しているようだった。

「それ、何が書いてあるの?」

私が尋ねるとロイは、履いていたブーツを脱ぎ、私に寄り添うようにそばに来てくれる。それから、あの静かな声で

「うん、いろいろ。この辺り情報とか、道順とか、そういうのが」

と教えてくれる。

「ふぅん…」

眠いせいで、あれこれとは考えられないけど、きっとここに来る前に調べたことなんかを書き留めてあるんだろうな。何が書いてあるのか聞いてはみたけど、正直それほど興味があるわけではなかった。

 ロイはそんな私の様子を見て手帳を閉じ、ベッドの脇に脱いであったベストのポケットに押し込むと、ドサッと私の横に寝転んだ。

 私がそっと手を伸ばすと、ロイは応えるようにして私をその腕の中に引き寄せてくれる。

 暖かい…とっても…

 私は、ロイの体温感じながらそっと目を閉じた。

「明日は、どれくらい歩くのかな…?」

それでも、私はなんとかロイ聞く。眠たいけれど、おしゃべりはしていたいんだ。

「明日は、今日ほどにはならないよ。ノースビーチを目指すから」

「市街じゃないんだ?」

「うん…市街は、動物が多くて危険なんだ」

ロイの言葉はちょっと意外だった。

「…サンフランシスコなのに?」

 サンフランシスコには、野良犬や野良猫はほとんど居ない。行政やボランティア活動が活発で、そういう動物は片っ端から保護さる。保護された動物は、収容所のような冷たく暗い場所じゃなく、快適なホテルのようなところできちんとケアされ、最終的には責任を持って飼育出来る人の手に譲られる。

 バークレーも似たようなことをしていたから、そもそも野良犬や野良猫を見る方が珍しかったけど…それでも居ないってわけじゃなかったし、何より現実に、私は大きくなったネコ達に三度も襲われ、ロイに助けてもらっている。

 私の質問に、ロイは答えてくれた。

「うん、サンフランシスコは動物に優しいところだった。だから…ネコもイヌもたくさん居る。もともと飼われてた動物達が、たくさん…」

そっか…逃げ遅れた動物達が居た、ってことなんだ…動物に優しい街だったから、その分、家族として暮らしていた動物が多かった、というのは分かる。こんな状況で、連れ出せない動物達を残さなきゃいけない人達がいてもおかしくはない。そんなイヌやネコが…あんな姿になってしまっている…

 私はふと、ここに来るまでに見たネコ達の中でも、アメリカンショートヘアに良く似た毛並みをしているのが居たのを思い出していた。あれはもしかしたら、野良ではなく飼われていたネコだったのかも知れない。ううん、他のネコだって、純粋な血統種じゃなくっても飼われていた可能性がある。バークレーを始め、この辺りの街はサンフランシスコと同じように整った動物保護プログラムを持っているから、むしろ、そう考える方が自然かも知れない。

 でも、もしそれなら…

「ネコは分からないけど…イヌだったら、人間のこと、覚えていてくれないかな…?」

私はそう聞いてみた。

 だってイヌは、例えば人間の家族に赤ちゃんが生まれると人間と一緒に大事に守ろうとしたりするって聞いたことがある。もしイヌが大きくなっていたら、今の私達はきっと、赤ちゃんくらいの大きさのはずだ。守ってもらえるかはなんとも言えないけど、襲われることはないんじゃないだろうか。

 でも、ロイの声色は冴えなかった。

「可能性はなくはない、と思う。でも、あのバイルスに感染した動物は急速な成長するために、今まで以上に食事を必要とする。ただでさえこんな状況で食べるものが少ないのに、私達を獲物と認識しない、って考えるのは危険だと思う。空腹の動物ってのは、人間も同じだけど、攻撃的になるからね…」

 ロイはそんな物騒な言葉とは裏腹に、優しく私の頭を撫で始めた。

 早く寝なさい、ってそう促されているような気がして、私は一層、とろんとまどろみに落ちていく。

 薄れ行く意識の中で、私は静かなロイの声を確かに聞いていた。

「一人になんてしない…約束するよ…」

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