トゥルーブルーロジック(5)

 バーナビー卿は表情を変えないよう努める人の表情で読み、ペンを求めた。

『男か女か?』

『息子です』

『爵位継承権を錯綜させうる問題なり。当人を呼び寄せ弁護士を頼み書類を作るよし、ついては』

 横から紙が引っぱられ、筆跡がくにゃくにゃと歪む。ペンもレオニーが奪った。

『嘘です。作り話です。未婚の母はむかし相部屋をした女友達です』

『そなたと同じくメイドか?』

『電話局の交換手。話を戻しませんか』

『本意である。子がいるなどと、なにゆえ嘘を?』

『諦めてくださるかと』

『そうまで愚息を嫌うのであろうか』

 そうまで驚くことでしょうか。レオニーは勢いのまま書きかけてやめた。あまりきれいにやり返すとまた機転を賞賛されてしまう。この手でこれまで幾多のメイドたちが毒気を抜かれ、いいように首を切られてきたはずだった。

 それぞれの不品行に見合ったお手当てと厄介払い先を世話されたであろう彼女らと違い、レオニーは中でも一番安く上がる方法を探られているような気がしてならなかった。

 結局何も書かず、バーナビー卿がペンを引き取った。

『もはや情熱冷め果てたり、火にかけて再び旨し』

 パチパチと瞬きしていると、卿が肘でチョイとキッシュの皿を押した。冷めたので温め直せということだと分かり、からかわれていることも分かって、レオニーは勢いをつけて立った。

 卿は成功した冗談に満足の息を吐いてから、またせっせと書いた。

『しょっぱい財政が判明せしのちも去らざりしは、そなたにも幾ばくか感情あらばこそと期待した。余の思い違いであろうか』

「分かりません……、分かりません」

『愚息は贈与など約しおろうか?』

 レオニーはストーブの前で力なく首を振り続けた。

『天晴れ身持ち堅きそなた、没落旦那の小銭を色仕掛けにて引き出すをよしとせず』

「褒められてる……?」

 紳士的泥棒精神、みたいに持ち上げられても困る。何しろダイヤの存在を知ったのがつい先週、すぐに旅行準備が忙しくなり、ひとりきりのメイドは色仕掛けに割く暇がなかっただけなのだ。

 レオニーは冷めた切れ端をナイフですくった。ストーブに大皿がかけてあり、ペタンと落とす。皿にはまだたっぷりあった。

 大皿にたくさん作るじゃがいものキッシュはデレクの好物だ。今日この日にどうしてデレクの好きなものを作って待っていたかといえば、単にじゃがいもが安いからで深い意味などない。

 レオニーはのろのろと椅子を探って座った。

 食費の限られたバーナビー家では豆と芋が交互に食卓にのぼるのだから、当たりを引くのは簡単だ。そしてデレクは豆のスープだって大抵お代わりする。

「ちょっと……、待ってよ」

 紹介状のために慎ましく振舞えば花嫁扱いが止まらないし、かといって「じっくり焦らして巻き上げるつもりだったのさ」などと居直り、そのまま警察を呼ばれでもしたらどうする。いや、このツギハギ詩人の手にかかれば、そんな拒絶さえドラマチック寄りに字面を整えられるかも。

 保身の方向が全く分からなかった。一家の留守中、洗濯屋仕事を手伝いながら、オグデンの女房には「あの人種の言うこたまともに取らないがいいよ」とさんざん言われたものだが、まさかこういう意味ではなかったろう。

 レオニーは落ち着きなく立ち、温まった一切れを皿に移した。さっき使ったのではなくきれいな新しい皿に載せてしまったと気づき、手が止まる。皿を二人分用意していたわけで、当然デレクと食卓を共にするつもりでいたのだ。

 色仕掛けの成り行きであれば拒む気はなかった。ぼんくら若さまが「好機到来」とやってくるなら利用してやればいい。ただあまりにも筋書きがあからさまで、いくつも職場を転々とした“脛に傷持つ身”としては、警戒を解ける段階ではなかった。人の目ほどあとあと厄介の種になるものはないのだ。

 滞在費の代わりに洗濯屋仕事を手伝うという約束だったにもかかわらず、大量のアイロンかけを終えると、オグデンの女房は働き分の賃金を払うと言ってきかなかった。そして言った。「のっぴきならない事んなったら、頼れるのはちょっとした蓄えだよ。あんたみたいのは気をつけな。ほら、こう……」

 レオニーの身なりを上から下まで眺め、「男の気を引こうってんでチャラついてると」が言えないと踏んだ彼女は、「その気もないのに男がまとわりついてくんだよね」に切り替えた。打ち明け話を期待されているのは分かったが、ガッチリ固太りのおかみさんに「あたしの若い頃そっくりだ」と言われては、その気も失せた。

 とにかく、手元に現金があった。どこにだって行ける。おかしな軽口に乗せられて溝にひっくり返るようなことになる前に、河岸を変えてしまえということなのだと、レオニーには思えた。

 キッシュをテーブルに置くと、ちょうど書き終えた卿がホイと差し出した。

『雇い人との交渉に金品を用いるは殿さまのやり口。金回りよき時代は過ぎにけり』

「また言ったわね。金はない」

 ドンと床を蹴った。泥棒メイドにも誇りというものがある。

「それ言わなきゃ話ができないわけ?」

 レオニーは憤然とペンを取った。

『財布に余裕がないときは、妻にしちゃえば安く済む。これあなたの意見? デレクも同意?』

 端折った言い回しに辞書や二重線が動員される。注釈整った一文を読み下し、卿はニヤリと笑った。

「予防線を張るのをやめたな。これで話ができる」

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