トゥルーブルーロジック(6)

「何かひとつ、青いもの……」

 バーナビー卿夫人は呟いた。火灯りが赤くひらめく。

 ホテルの談話室は閑散としていた。本当におしゃべりがしたい人間はもっと洒落ていて金の要るバーフロアへ繰り出す。ウィングチェアで一日中うとうとしていた年寄り連も引き上げ、大きな暖炉は彼女と息子が占領していた。


 火は盛大に燃えているものの炉床の世話はぞんざいで、灰が山になっている。火影のチラチラしない一角に深いくぼみがあり、ダイヤモンドに立ち込める青灰色を思わせた。

 夫人はうっとり繰り返した。

「サムシング・ブルー。バーナビーではずっとあれがそうだったのよ」

「古い家宝だからサムシング・オールドでもあるでしょう」

 デレクが言った。足載せ台にひょいとまたがり、指折り数え始める。

「もう他人のものだから、借りてサムシング・ボロウにもできるし、新しい形にカットされたからサムシング・ニューでもありますね」

「意味が重なるからって兼用させてしまったら、それって一体サムシング・フォーかしら?」

 夫人は語調を強めたが、混ぜっ返すのをやめさせたいわけではなかった。

 調子よく並べたサムシングが節を整え、舞曲のように巡り始める。

 何かひとつ古いもの、何かひとつ新しいもの、何かひとつ借りたもの、何かひとつ青いもの。婚礼で身に付けると花嫁に幸せをもたらすとされる、四つの何か。

 縁起かつぎを整えた娘の日には想像もしなかった変転を経て、夫人の幸運は指のあいだをすり抜けた。そのことで愚痴を言っても始まらず、とはいえ「アフリカの鉱山からの出物でして」などまことしやかな逸話を添えて披露された青ダイヤにお上手を言うしかなかった客分としては、終始飲み込んでいた「うちのサムシング・ブルー」が喉のあたりでムズムズした。

 客室にこもったのでは物足りない。大声でできる話でもない。

 公共の場所で「王様の耳はロバの耳」をやれるギリギリの妥協点が、この談話室なのだった。

「腕のいい職人が削ってくれたようでしたね」

 デレクは優しく言って火かき棒を取った。ならした灰に輪を描き、銀鎖のフリンジをなびかせて、ペンダントトップを描き入れる。胡桃大の石は、よく光が入る現代的なカットを施されていた。

「長く大事にしてもらえるわ。泣く泣く手放した子馬みたいに言うけど」

 炉床の落書きに馬の首が描き足され、夫人はくすくす笑った。

 石は記憶にあるよりカラリと青かったが、ふとした角度で煙るようなグレーが覆った。「どの闇商人から買いました?」と尋ねることはしなくても、バーナビーの目にはあの青灰色が何より確かに来歴を語った。間違いなくストームクラウドだった。

「伝来の宝飾品はオールドとみなすことのほうが多いようね。私のときは母のレースをオールドにしたわ。こういうことは娘の母親がやりたがるものよ。あの子、親御さんはいるの? つまり連絡は取れるのかしら?」

 子馬より速く駆け去る話題を追って、デレクは目をパチパチさせた。

「まあどこかにはいるでしょう」

 投げっぱなしで言いやめた息子に、夫人は手振りで詳細を求めた。デレクは宣誓して証言台に立った。

「家族はフランスにいて音信不通だと、本人は言っておりました。でもあれは大西洋を渡ってきたのじゃないですね。一度かまをかけたけど大陸間航船のことを何も知らなかった」

「意地悪しないの」

 なんともバツが悪くてデレクは背中を向けた。かまでもかけて手がかりを探ろうというならまだ人がましいところがある。かまもかけずに何もかも分かってしまうというのは、ほとんど魔術の領域じゃないか。

 日中のあれこれを思い返せば、電話ブースにいるところを見られたような気はしていた。にしてもひとり乗り込んだ汽車で父親に出っくわし、いきなり客車から蹴り出され、呆然としながらホテルへ戻ると万事飲み込んだ顔の母親がいるなんて、誰が考えるだろう。まるで立て続けに何かに巻き込まれる安手のスパイ小説だ。この分だとすべての黒幕は初めから誰も疑わなかった人物……誰だろう、実の両親がすでに裏切っているというのに。

 芝居がかってみて気持ちが落ち着き、デレクは頭を振った。裏切り者の母親が、ぽんとクッションを叩いた。

「何ですよ。ニヤニヤして」

「いや、ダイヤの出自もかまをかければ崩れたかなってね」

 ストームクラウドの新たな持ち主は、アフリカ渡りの線を譲らなかった。鉱山につてがあるのを自慢したいのか、単に来歴をごまかして売りつけられたのか、いずれにせよハラハラする手柄話になりそうだった。マネキン代わりに呼ばれた令嬢が首飾りを付けてみせ、「せっかくだから正装で」という夕食の誘いも筋書通りで、デレクはつまらなそうに断った。

「たまたま都合が悪くて」と残念がってやることもせず、そのときはおさまりかえって息子の判断を支持した夫人だったが、今は異議を唱える態度だ。どうかまをかけるかという話。

「どっちへほのめかすというの? 純粋に手段についてだけど」

「ふむ」

 デレクは宙をにらんだ。

「確かその近辺は内戦で人足が入れなくて、どの掘削坑も稼働してないんじゃなかったでしたっけ、とか?」

 夫人は批判的に片手を払った。

「詳しいところを見せるのはかえって分が悪いわ。その方面でだいぶ損をかぶられたんですな、なんて同情されるのが落ちよ。我が家の投資が行きづまった過程をわざわざ披露してやることもないでしょう」

 当てこすりと腹芸の専門家が言うことなので、デレクは素直に受け入れた。

 絨毯をふかふか歩いて暖炉から離れる。

 距離を取って見上げると、マントルピースの大額いっぱいに広がっていたのはホテル王の投資先のひとつなのであろうカナダ西部の開拓図だった。

「アフリカのあのあたりでも開拓が進んでいるのかもしれませんね。案外彼氏の話が本当かもしれない。あれはストームクラウドなんかじゃなく、僕らの思い込みに過ぎなかった」

「サムシング・ニューね。あの大きさの原石が出て、ロンドンでニュースにならないとは思えないけれど。私のときはサテンの手袋だったわ。レオニーは何がいいかしら」

 三段飛ばしで移っていく夫人の興味は、再び花嫁のサムシングに戻った。

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