トゥルーブルーロジック(7)

「きれいで新しい真っ白な……何かしらねえ」

 新生活を象徴させるサムシング・ニューは何か新調したもの。婚礼衣裳に使える手袋や上靴など、白いものがよいとされる。

「エプロン?」

「……もうひとつね」

 冗談としての評価が下され、割と本気だったデレクはどすんと椅子に座った。メイドだからエプロン。どこかいけませんかね。

 サテンの長手袋というと本来夜会の正装で、そういうものが合いそうなのはレオニーではなく、例えば新興ホテル王の令嬢だった。

 豪華な宝石を当てた姿を、デレクは思い返した。金をかけてよく磨いた上等のマネキンではあったが、しとやかで型どおりで面白味がなく、そもそもこちらに向けて面白いことを言ってくれる気がないというあたり、好みじゃなかった。実のところクレアに似ていた。

 記憶の中のクレア・モウブリーは十五歳で、顔かたちも通じるところはないはずだった。似ているのは例えば、とりすました会話で距離を取る呼吸。「愛想よくするのはここまで。ここから先はあんたなんかに足を踏み入れさせない領域がありますことよ」と、自分ひとりのモノローグを呟いている手合いだ。英語が通じる相手なのに考えていることは分からない、そんなのは御免だとデレクは思った。恋の歌が鳴り止まないでいる頭の中を洗いざらい、魔術のように把握されてしまうのだって困りものだけれども。

「デレク。訊いているのよ」

「はい、何でした?」

 デレクは形ばかり中腰を上げ、夫人が呆れ顔で座らせる。

「レオニーは教会じゃなく、書類手続きで済ませたがるかしらって訊いたの」

「フランス人はそうするって話ですね」

 何の参考にもならない返事で、夫人は片手で突っ返した。

「私は嫌ですよ。介添えも招待客もなしで済ますのだから、せめて儀式めいたことをしましょうよ。フランスと言えばあの子カトリック? 村の教会について来るのを嫌がらなかったけど」

「息抜きのおしゃべりができりゃ、どこでもよかったんじゃないかな」

 村にひとつしかない教会はスコットランド系長老派だった。信徒連が大らかで、イングランド国教会信徒であるバーナビー一家もお題目の唱和などはそっと遠慮しつつ会衆席に座らせてもらっている。献金皿が回されないすみっこには、大陸系カトリックらしき人々もいたはずだ。酒の匂いをさせない限り、事情を抱えた流れ者を進んで受け入れ、目の届くところに置くのが土地柄らしい。

「私だって気にしないわ。カトリックでもメソジストでも。細かいこだわりをやめると気持ちがいいわね」

「あれえ。何の資格もない人が気軽に典礼を入れ替えるのはぎょっとさせられたとか何とか、おっしゃっていませんでしたっけ」

 夫人は負けじとすましてみせた。

「お互いに譲り合うってこと。この辺境じゃ、通える距離に自派の教会があるとは限らないのですもの。クリスチャン同士で何派だの何主義だの、言わなくてもいいでしょう」

「近しい者ほど喧嘩のタネはあるものですよ。言うじゃないですか。漁師と牛飼いは争わないが、牛飼いと牛飼いは孫子の代まで喧嘩する」

「それって孫子の代まで同じ村に住んでいるのよ。平和だわ」

「……聞く人の数だけ解釈があるもんだ。格言って」

 デレクはくすくす笑って頬杖をついた。

 安心して喧嘩ができるのは、互いに古い馴染みだからだ。共有する歴史が何もない移民同士でそれをやれば、旧世界史の血みどろのページを一からなぞることになるだけだろう。同席者への知らん顔は衝突を避けるうまい方法だったが、似たもの同士の角突き合いが、ときどき無性に懐かしくもあった。

 かつての喧嘩仲間を、母親も懐かしく思い返すのかもしれない。不甲斐ない息子でこんな場所まで連れてきてしまった。デレクは少しの自責とともに、牛飼い連盟からはぐれた孤独をにわかに感じた。

 夫人がどこか上の方を見つめた。

「ま、トロントの市街ならどの宗派でも揃っているわね」

 ずるっと椅子に沈み込まないようデレクは足を踏ん張った。教会云々の話はここへ収束するわけだ。うっかり感傷に浸っている場合ではなかった。

 謀略図によれば、かねてからデレクが臨時の仕事を請け負っていた博物館の、常勤の職が当てにされているらしかった。

 そのために辺境の田舎家は引き払い、トロント市街で安い住まいを探す。汽車で華麗なだまし討ちを見せた父親も、その点すでに承認済みだという。

 トロントに部屋を借り、レオニーをこっそり住まわせるという自分の筋書きが見透かされていたようで、デレクにはそれが何とも気恥ずかしいのだった。発想の幅はしょせん三文小説の枠内だろうと言われているみたいだ。実際その通りなので困っている。

 ロイヤルオンタリオ博物館は開館したばかりで、デレクのような目利きの助言を取り入れ、所蔵品の充実をはかっているところだった。豪壮な外観にふさわしくトロント観光の目玉となれば常勤の職員も多く求められるだろう。だがデレクは、ごみごみした都会で勤め人になるという考えに馴染めなかった。「そこまで金に困っていない」と思ってしまう。ダイヤを売ればいいのだもの。デレクはポケットの包みをそっと探った。

 貸し金庫に寄り道したのが間違いだったかもしれない。バラ色の期待にふわふわと浮かれていたせいで年寄りの尾行を許し、駅で見事に追いつかれたのだ。

「……お父さんは大丈夫かな」

 呟くと、夫人がさてねと肩をすくめた。デレクは書き物机の新聞の束から一部引き抜いた。フランス語だ。

「筆談ができるなんて知らなかったなあ。書棚にはフランス語の本もあったけど、まさか読めたなんて」

「格好だけ並べてると思ってた?」

「ああいうものってそうでしょう。フランス語に堪能な人みたいに普段から引用するでもなかったし」

「発音できないのだから引用しようがないの」

「そんな片言で大丈夫ですかね」

「ロマン派の出番だって張り切っていたわ。ロマンチックな文句なら当人同士が言えばいいのにと思うけど」

 デレクは「いやいや」と眉間をこすった。

「現代とは意味合いが違うんですよ。もとは公式ラテン語でない俗語という意味で、フランス語で“ロマン”と言えば通俗小説なんかを指しますし」

「それなら意味が通るわね」

「そうですか?」

 語の意味を正しただけのつもりでいるデレクはぽかんとしたが、母親のほうは確信ありげに指を振った。

「これからは特権階級じゃなく世俗感覚でということでしょう? 全くあの人の言うことは時間を置いて分かるんだから」

 もうやだ、何でも上手に深読みされる……。デレクはウィングチェアにずるずると沈んだ。

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