トゥルーブルーロジック(9)

「てっきりデレクだと……、父親に尻拭いさせて……」

 互いに目をぱちくりさせていても話は進まない。レオニーはあたふたと書いた。

『この種の処置の全権は、いつもあなたに任されたとか。一体どんな理由で?』

 はて、と卿が両手を広げる。レオニーはもう一語加えた。

『懲罰として?』

 卿は澄ましてペンを取った。

『懲罰とは何ほどの関わり、余にありやなしや。現在、愚息の話をするなりや』

「どうなさったの、お得意の修辞がガタガタよ」

 レオニーは意地悪く用箋をかき回した。塗りつぶしのあるページを引っぱり出す。

『この種の処置はいつも』

 別紙の端に書いたのは、インク痕から盗み読んだ一文だ。青く塗られた部分に合わせると――、幅も字数もぴたりと合った。

「雇い人との問題を起こす常習犯がいるというように読めるわ。これがぼんくら息子でないのなら、じゃあ誰よ?」

 卿は紙をにらんで黙ってしまった。

 単なる筆の誤り、慣れない外国語を言い間違えたという顔で済ますこともできた。“雇い人”とはメイドに限らず女優に歌手にダンスの相手、パーティで雇う各種芸術家を含むのさととぼけることも。どう来る……、レオニーが身構えていると、卿は、むんと唸ってペンをつかんだ。

『余も若ければ色々あった』

 付け足し条項を乗っけることはせず、旦那さまは素直に認めた。

『いわく、懲罰にあらず、悔悛の行。紹介状や一時金など雑事に頭を絞ることで、のぼせが冷める』

「ああそう」

 レオニーは呆れていいのか感心していいのか分からず、結局感心した。

「お仕置きとしちゃ陰湿だけど、効果あるかもね」

「えい、くそ。わしも予防線を諦めねばならんようだ」

 卿は罵りながらサラサラ書いた。

『いかにも余が自らの始末事として問題メイドと会見を持った。余の知らぬうちにメイドのほうを追い出すなどしては、悲恋のお膳立てばかり整う。逆効果』

『賢い工夫だわ。誰の考え?』

『雇用人事を本来担う、女中頭の進言による』

「プロの意見てわけ。カッカ来てる女同士やり合うよりは、ロスの少ないボイラー構造ではあるけど」

 レオニーはすうっと目を細めた。

『もうご自分でなさればってプロが投げ出したくなるくらい、たびたびあったのでは? その始末の御用』

「そうだよ。いかんか」

 卿は粗末な丸椅子でふんぞり返った。

『おかげでメイドの首切りなれば、慰撫口止め買収泣き落とし、諸事全般お手の物である。こたびも奥より全幅の信頼を寄せられた。今こそ名手の腕の見せどころなりと』

「名手、何それ」

 呟きだけで疑義の意図は伝わり、卿はすぐさま書き足した。

『女を、めそめそ考えているのが馬鹿らしいような気持ちにさせる名手』

 不覚にも吹き出してから、レオニーは儀式めかして頭を垂れた。恭しくペンを受ける。

『確かに名手のお手並と認めますわ。もうちょっとで私もすがすがしく出て行ってしまえそう』

「そりゃいかん」

『乙女よ、本題に戻るべし』

『本題、何でしたっけ』

『考えなしの模倣に走った馬鹿者についてなり』

「あら、違うわよ」

 おしゃべりの延長のように調子よく書き、気軽にペンがやり取りされる。

『どうしてあなたがしゃしゃり出てきたかってことじゃなかった?』

「そう。馬鹿者に言いたいことがあるわけさ。あれはわしのやり方を見て育ち……」

 作文する小学生のように呟きながら、卿は綴った。

『愚息は余のやり方を見て育ち、雇い人とこそこそする人種なりと、常々小馬鹿にしてくれた。今こそやーいと笑ってやるつもり』

 読みながらレオニーが息を震わせているあいだ、喝采を受けた気でいるバーナビー卿はにんまりとおさまり返ったが、レオニーが笑ったのは冗談口を気に入ったからではなかった。

「ふっ、ふふ」

 ようやく分かったのだ。女優だの歌手だのの話を聞かされているのに、気持ちが浮き立っているのはどうしてか。

 よく似た表現を最近聞いた。

 ――自分は雇い人とこそこそするような人種じゃないと思っていたのにな。

 話すと書くの違いはあれ、構文に特徴があった。不器用な翻訳の、元は同じ英語表現だ。“雇い人とこそこそする人種”。

 発言の裏が取れたのかもしれない。名探偵による証拠がためのように、二方向から。

 片言暮らしのレオニーにとって、それはどんな宝石より確かなものに思えた。

「ダイヤモンドより。……やめてよ」

 レオニーは手でそこらをあおいだ。

 うまく行くはずがない。デレクがひとつ本当を言ったというだけで、こう簡単に幸せになれるようでは。

 結局のところ、だまされたと言って騒ぐのは信じていたと認めることだった。

 レオニーは信じたかった。

 お調子男のひねり出す一言一句まで。

「降参。聞くわ。いいえ聞かせて」

 肺の底でひくひくする笑いを抑えながら、レオニーはペンを取った。

「どうだったのよ、ねえ」

「何が」

「やーいと言われて、デレクは何て答えたの」

「……知らん」

「はい?」

 ぽかんとしてからレオニーは座り直した。既出語を指さして間に合わせる省略文はやめ、きっちりと文法を整える。

『ぼんくらには何も言わせんとか、威勢のいい啖呵を切ったんでしょう。ぼんくらはきっとその前に、何かぼんくらなことを言ったんでしょう。それを聞きたいの』

「あー、あやつとは何も話しとらん」

 卿は明快に綴った。縦にしても横にしても他の解釈はできそうにない。レオニーはペンを取って、眉をしかめ、首を振り、しゃべりながら書いた。書き出しをいくつもやり直す。

『私にお手当てを付けて、囲うつもりがあるとかないとか? 結婚したほうが節約になるとかどうとか?』

 卿は首を振り続けた。ペンに手を伸ばしもしない。

『じゃ、デレクがどうするつもりかって、別に本人から聞いたことじゃないわけ?』

「まあそう」

『何度もした質問だけど、あなた本当に、何がしたくて来たんです?』

「さてなあ」

 レオニーがパタンとペンを放り出し、卿はあたふたと受け止めた。

「衝撃には弱いんだ、投げんでくれ」

 見ると調理台の木肌に点々と青い染みが飛んでいる。

「インク染みにはワックスだっけ、石灰だっけ、もう!」

 レオニーは椅子を蹴って立ち、棚から溶剤をかき集めた。

 卿がキッシュの皿を避難させる。

 磨き剤がぶちまけられ、ごしごし擦るレオニーの隣で、卿はつっぷして書いた。

「多分あやつの態度のせいなんだ。ホテルの電話室からすたこら逃げ出すところを見たんだが、一瞬にして陰謀気分にさせられたのさ。しょうもない雑誌小説の影響かもしらん。善良な男が悪辣な組織につけ狙われたりするというと大抵序章にいる誰かが黒幕で、ホラ、物置部屋に積んどるあれな」

 レオニーは横目で読み、染み抜きを置いてペンをつかんだ。殴り書く。

『知ってます』

「おや、英語が読めたかね」

『米国雑誌の嘆かわしい低俗さについてなら、雑貨屋の奥さんが教えてくれますから』

「ほお」

『あんなクズ誌を購読するより先に、きちんとツケを払うべきだそうですよ』

「んんっ、まだツケが効くのはそのせいか。ああいうものを買う小銭はあると思ってくれたのだな。ありゃあ社主が好意で送って寄こすんだよ。出版事業を始めるとき業界に口を利いてやったのでね。わしの趣味じゃない」

 書きながらよくしゃべる卿は身振りに注目したほうが理解が早く、レオニーは染み落としを諦めて正面に座った。

『熱心にお読みのようですけど』

「初めのうちはあそこも意欲的な編集をしとったんだ。近頃は稿料をけちるようになってなあ。本物の作家は居つかず、アメリカ語の若造ばかりさ。悪ぶって言うことが可愛らしいんだ。子供がお昼寝で見たような怖い夢のたぐい。笑ってしまうよ。誰だって食べていかなきゃならんのだろうが」

 レオニーはあーあと片肘をついた。

「夫婦してあんな雑誌を肴に何をキャッキャ盛り上がってるのかと思ったら……、悪口か」

「まあ楽しくこき下ろしとるうちに、いつの間にか毒されとったんだから世話はない」

 レオニーはペンを受け取り、よろよろと書いた。

『この陰謀、奥さまも加担しておいでなのは確かですか? もしかしてそこも直感だけ?』

「いやいや。我ら夫婦、序章の黒幕として謀略の打ち合わせに抜かりはないぞ」

『じゃ、デレクには奥さまが言い聞かせてくださってるとか?』

「おそらく一足飛びに婚礼の計画を聞かせとるだろうね。露見に至る過程には一切触れず。あの子にはそういうのが効くんだ」

『丸め込まれちゃうのね。自分の意見がないのかしら』

「あっても引っ込めちまうのさ。バーナビーだから」

『意味分かりませんけど』

「あーつまり、親に負い目があるのだろうよ。八百長競馬でヘタを打ったのがこたえとる。金策として悪くはなかったが、本国にいられなくなるのでは失うものが大きすぎた」

「八百長、ってあの八百長? ヤクザ者なんかが胴元をやる?」

 男たちがわめき合う草競馬を思い浮かべたレオニーは、こともなげに顎をかいているバーナビー卿を畏怖のまなざしで見た。

「話に乗って来そうなジョッキーを見つくろうのがデレクの役目だったがね。人の懐具合を量るのは得意だから」

「……」

 レオニーはそろそろと書いた。

『聞いていたよりずっと難しいお家みたいで』

 そっとペンを返す。平然と口にされていた「競馬のゴタゴタ」にそんな意味があったとすると、普段の会話もどんな裏が含まれているか知れない。

「頼むよ、もー」

 卿は用箋に取りすがった。

『この通りはるばる追放されて来たからは、悪事ともきっぱり足を洗えり。あとひと押しで愚息も勤め人なれば』

「勤め人?」

『美術館職員の口あり。八百長参入を口外せずにやったかつてのヤクザ仲間が、恩義に感じて寄こした要らぬ世話。形ばかり受け、がっつくことはせなんだが、富豪の娘をもらう見込みもついえたこの上は』

「おっとっと」

「塗りつぶしたって駄目よ。もう読みました」

 レオニーは二本指で両目を指し、同じ二本指で紙面を指した。卿は小さくなってペンを置き、レオニーは盛大にため息を吐いた。

「あたしは次善の策だったって、最初からぶちまけなさいっての。ずいぶん遠回りしてくれちゃって」

 散らかった用箋をズラリと示す。親としての気苦労は知らないが、暮らしが立たない不安ならレオニーにも分かった。そのへんの心配はつまるところ同じだ。旦那さまも泥棒もヤクザも。

 ペンを取り、もてあそんでから、レオニーは書いた。

『こういうのはどう。余計な茶々を控えてくれたら、彼をまともな勤め人にしてあげる』

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