第6話 白色の交流
魔法使いになった。
言葉にするのは簡単だが、普通の人とは異なってしまった。一般人とは呼べない。魔力を使い、人間に悪い影響を与える精霊を倒すことができる。知らない誰かを、多くの人を守るための魔法使いとしての使命である。
他の世界のマスターたちがやってきたことをやる。
やり残したことを、残ってしまったことをやり遂げる。
それは自分が選んだこと。
魔法使いになっている時間は、こっちの時間とは違う流れ方をしている。感覚としての数時間程度では一秒も経っていない。つまり、普段どおりに過ごしていけるということだ。時間の問題はない。
「となると」
今後の課題となるのは、体力の方だった。いくら時間が経たないとはいえ、疲労はそのまま持ち帰ることになる。夕方のときのことを思い返してみると、体はこっちに残っていて、「魂」というべきか「心」というべきかわからないが、そのようなものが結界の中へと入っていけたようだ。
けれど、肉体的にも疲労していたのは間違いない。湯船に浸かりながら、入念に体のあちこちをマッサージしたが、ましろにはまだ少し疲労感が残っていた。
「ふむぅ……。やっぱり向こうに派遣されてるのは『心』なのかなぁ」
『さっきからなにをやっているのですか?』
「今日のことをまとめてるんだよ」
『それは殊勝なことですが、今日はもう休まれた方がいいと思います』
「うん。そうだね」
ベッドの枕元に置かれている目覚まし時計を見ると、すでに午後十一時を回っていた。普段なら眠っている時間だ。特別なことがない限り、こんな時間まで起きていることは稀だった。
セレナを外そうとしたが、それはできないらしい。入浴のために外そうとしたが、鎖には着脱用の金具が付いていなかった。何度か頭の方から通そうとしたが、うまい具合にどこかに引っかかって外せなかった。一心同体というのは、こういうところにも表れているみたいだった。
『マスターの先ほどの疑問の答えは、「心」で間違いないですよ』
「やっぱりそうなんだ」
『向こうの器に、マスターの心を宿している。といった感じですね』
「向こうの器?」ましろは椅子から立ち上がり、ベッドに移動した。
『あちらでの、「マスターの体」ということです。あの世界では、すべてが模造品です。空も大地も、建物も草木も。そしてマスターの体も』
「たしかこっちの世界に影響が出ないように、だっけ?」
『そうです。たとえば、今日の試し打ちでマスターが傷ついてしまった――より具体的に、腕の骨を折ってしまったとしましょう。もしこのときのマスターの体が本物だった場合、マスターはこちらの世界に戻ってきても腕の骨が折れた状態です』
「わぁ……、かなり痛そうだね」
『そういったことを防ぐために、マスターの魔法使いとしての体が向こうに用意されているというわけです』
「いい仕事してるね」
『ただ問題がありまして』
「おっと、いい仕事してないの?」
『向こうでの死は、こちらでの死を意味しています。向こう側の体でどんなに傷を負ってもこちらではなんの影響もありません。向こうで痛みを感じるだけです。しかし、向こうでの死は、心の死に繋がります』
「向こうで怪我をすると痛い。だけどこっちでは影響がないってことだよね」
『そうです。心の疲労によるもの、魔力の消費によるものですから、こちらで疲労を感じるのは仕方のないことです』
「ふむふむ」ましろは頭の中で整理していく。「心の死っていうのは?」
『存在を失うことです。「心」と言っていますが、そこには精神や魂なども含まれています。つまりは、目に見えない内側のエネルギーのことなんですが、わかってもらえるでしょうか?』
「大丈夫」
『では続けさせてもらいます。向こうの体――つまり、器に入るのはマスターの本当の心なんです。そうでなければ魔法は使えません。私と繋がっているのは、マスターの心であって、マスターの体ではありませんから。心の死というのは、こちらでは感情を失うことです。しかし、向こうでは、先ほども言った通り、魂、精神なども失うことです』
「よくわかんないけど、向こうで死んじゃったら、こっちでも死んじゃうってことでいいんだよね?」
『そうです。変に説明し過ぎたみたいですね』
「そこがセレナのいいところなんだよ」ましろは微笑んだ。「もう一つ、質問いい?」
『構いませんよ』
「存在を失ったらどうなっちゃうの? なんか死んじゃうっていうのとは少し違ったニュアンスだと思うんだけど」
『存在を失うというのは、簡単に言うならば「存在しなかったことになる」ということです。たとえば、マスターが存在を失った場合、この家にマスターが生まれなかったということになります』
「それは……、辛いね」
そうなってしまえば、ましろが両親と過ごした十数年は失われてしまう。楽しかったことも、辛かったこともすべてなかったことになる。誰の記憶に留まることもない。それは普通に命を落とすより、ましろにとっては辛いことに思えた。
そしてそれはましろだけでなく、誰もがそうだろう。
『誰の記憶に留まらないわけではありません』
「そうなの?」
『少なくとも、私はマスターのことを憶えています。ですから、そうならないためにも、魔力を制御できるようになりましょう。魔力の暴走が、マスターを危険にさらす可能性が一番高いですから』
「だね」
ましろは目覚まし時計の横にあるリモコンに手を伸ばし、部屋の明かりを消した。暗くなった部屋では、赤い宝石も輝きを失っていた。
布団の中に入るとすぐに眠気がやってきた。
いい気分で眠ることができそうだった。
『それにしても、マスターはいい体をしていますね』
「ちょっと!」ましろは上半身を起き上がらせた。「今、寝ようとしてたのに!」
『あ、いえ、独り言です。気にしないでください』
「駄々漏れだよ!」
『すいません。つい本音が』
「もう……、思うのは自由だけど、口にして欲しくはないよ」
『以後気をつけます』
改めて、横になる。ただし今回はすんなりと寝付けそうになかった。セレナの一言がましろの中で滞留していた。
「……あのぉ」
『はい』
「本当に? ちゃんと……こう、なんていうか、いい体してる?」ましろは自分の言葉に赤面した。「な、なんかいやらしい……」
自分の容姿が小学校を卒業したころとなに一つ変わっていないような気がしていた。周りの友人たちの成長が顕著な中で、自分だけ成長していない、あるいは成長が止まってしまっているんじゃないかとさえ思っていた。
母親である舞子に相談してみたが、これからだと言われるだけだった。ましろはあらゆる面で舞子を尊敬している。だからこそ、いつか自分が舞子のようになれるかどうか不安だった。
『なにも問題ないと思います。まだ大きく括れているというわけではありませんが、充分スタイルはいいと、私は思います』
「そう、かな。お母さんのようになれるかなぁ?」
『なれると思いますよ。少なくともその希望を捨てない限りは、目標へと近づくことができます』
「ありがと。なんか私、今日はお礼言ってばかりだね」
『数えておけばよかったですね』
「それはどうなんだろう?」ましろは苦笑した。
そんな他愛のない会話をしている内に、ましろは眠りについた。
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