第2話 白色の選択
気が付くと、横になり眠っていたようだった。
不思議な夢を見ていた。なにも書かれていない洋封筒の中に、金属のような白い板が入っており、それを指で撫でると文字が浮かび上がる。それから文字が宙に浮き、光り輝いていた。ましろは憶えていることを確認した。
「そっか……、夢だったんだ」
正直、現実だったらどうしようかと悩んでいた。それこそイジメのように誰にも言うことができなかっただろう。相談したところで、難色を示されるだけだ。しかし夢だというのなら話は別だ。笑い話で終わらせることができる。誰にでも話すことができるし、変な夢だと同意されるに違いない。
『おはようございます。マスター』
ふと、誰かに話しかけられたような気がした。まだ夢を見ているのだろうか。それとも、まだ頭がきちんと働いていないのだろう。幻聴が聞こえてくるほど、疲れているのかもしれない。今日の英語の小テストのせいだ。ましろはそう思い、再び横になった。
正確には、横になろうとして失敗した。
ましろはすでに横になっていた。目を覚ましてから、起き上がっていないことを思い出す。だが、たしかに起き上がっているような感じはしていた。でなければ、もう一度横になろうとは思わないはずだ。
今は本当に横になっているのか?
今が起き上がっているのではないか?
ましろはわけがわからなくなっていた。自分が今、どんな状態でいるのかわからない。横になっているのか、起き上がっているのか、はたまた立ち上がっているのか。なにもわからない。
「これは、もしかして、埋められちゃった……?」
『いえ、マスター。埋められてはいません』
また、声が聞こえてきた。ましろの些細な呟きに返答してきているということは、幻聴ではなさそうだった。もちろん、今が夢を見ている状態でないならの話だが。それに幻聴とは妄想の声であるため、ましろが求めているのだったら、今みたいな返答があってもおかしくはない。むしろ、自然である。
「えっと……、あなたは、誰? どこにいるの?」
『私はマスターの守護を務める者です。どこにいるのかという問いには、答えるのが難しいです。今は、マスターの体内でしょうか』
声は女性のようだった。
「体内? どこ? なんで? いつから?」
『体内と言っても、心の中です。臓器の中にいるのではありません。理由は、あなたがマスターで、私が守護を務める者だからです。私も今し方気が付いたので、おそらくマスターがここに来てからでしょう』
「ここって……」
ましろは周囲を見渡した。自分が今どんな状態でいるのかわからないのに、なぜだか首を動かすことができた。上下などがわからないほど真っ暗だ。本当に目を開いているのか疑ってしまいたくなるほどだった。
「ここってなんなの?」
『ここはマスターの心の中です』
「心の中? ……私の心の中、真っ黒じゃん!」
『暗闇になっているのは、マスターがここを認めていないからです。初めて来るのだから仕方ないでしょうけれど、少し落ち着かれるのがいいかと思います』
言われてみれば、目を覚ましたときから、あるいはあの手紙を見てから、ずっと心を揺らされているばかりだった。
ましろは深呼吸をして、心を落ち着かせる。ハッキリ言ってしまえば、あんなことがあって、こんな現状で落ち着いていられるほうが、おかしな話である。
白いと思ったら虹色で、光り出したと思ったら黒だ。一日に世界に存在する色をすべて見たような気がした。
そして続いて謎の声。誰の声なのかもわからないだけじゃなく、ましろがいる場所を心の中だと言っている。通常では信じきれない言葉だ。だがしかし、今のましろは現状の把握、対応ができていない。なにもできないのだ。本来ならば怪しむべき声に従うしか手はなかった。
まずは相手を信用しよう、とましろは思った。
『落ち着きましたか?』
「全然」ましろは首を振った。
『マスターは今、自分自身がどの状態でいるのか把握できていませんね?』
「うん、不思議な感じ」
『まずは地面を想像してください。詳細などはいりませんから、そう、自分の立っている姿を想像してください』
「でも、さっき立とうとしてできなかったよ?」
『立とうとするのではなく、今の状態が立っている姿だと思えばいいのです。マスターはおそらく最初の段階で勘違いをしているのだと思います。眠っていたと思ったから、自分が横になっていたと思い込んでしまった。そこが違うのです』
「眠ってたんじゃなくて、目を瞑っていただけってこと?」
『そういうことです』
「わかった。ちょっとやってみるね」
ましろは自分の立っている姿を、目を瞑って想像した。この暗闇の中で立っている自分。光がないせいで、上も下もわからなくなっている。ならば、できることなら足元だけでも光っていて欲しい。
自分は今立っている。
足元には少しでもいいから光を。
ましろは思い描く。
すると、今までとは違った感覚に出会った。しかしそれは懐かしくもある感覚。この暗闇に来る前の、現実で普通だと思っていた感覚だ。
『マスター、成功したようです』
ましろが目を開くと、周りはまだ黒一色だったが、足元だけは薄く光っていた。地面には、水面にできるような波紋が浮かび上がっている。軽く足踏みをしてみると、波紋が生じ、その波紋から光が放たれていることがわかった。
「なんか綺麗だね。水がないのに、こんなのができるなんて凄いよ」
『マスターが望んだからです。これからマスターはこのようなことを何度か経験することになると思います』
「そうだよ!」ましろは声をあげる。「私はこれからどうなるの? それに心の中にいるってどういうこと? 家の前にいた私はどうなっちゃってるの?」
『マスターは家の前に立ったままです』
「それって大丈夫じゃないよね! お母さんが帰ってきたら驚いちゃうよ。救急車呼んじゃうかも……。それにご近所さんにも変な子だと思われない?」
『大丈夫です。心配は無用です。向こうの時間は止まっていますから、そのようなことを考える必要はありません』
「時間が……、止まってる?」
『はい。正確に言うのならば、止まっていないのですが、説明するのは困難だと思われます。これはマスターに非があるのではなく、私に説明をするだけの能力がないため。申し訳ありません』
「いや、いいよ」ましろは、どこにいるのかわからない話し相手に向けて手を振る。「私ってバカだから、説明されてもきっとわからないよ」
『そのお心遣い感謝します』
ましろは周囲を見渡すが、相変わらずなにも見えなかった。足元が照らされているだけではどうにもならないようだ。
「ここから出るにはどうしたらいいの?」
『出口を想像すればいい、と言いたいところですが、それはもう叶いません。ここはすでにマスターの心であって、マスターの心でない』
「どういうこと? できればなんだけど、私にもわかるように説明してもらえると嬉しいかも」
『説明したいところですが、時間のようです』
「時間?」
突然、制服のポケットが光り始めた。なにも入れていないはずなのに、とましろは不思議に思った。
光は周囲を照らし出すように拡散していたが、次第に一点に集中していく。一本の細い光になったそれは、ましろの正面に伸びて行く。そして十五メートルほど離れた場所で、光の線は上下に分かれ、下の光はそのまま地面まで、上はある程度の高さからアーチを描いた。ましろにはそれが扉のように見えた。
ポケットの中を確かめてみると、あの洋封筒が入っていた。白い光を放っている。
「あそこに行けばいいの?」
『そうです。あれがマスターの進むべき道です』
ましろは扉に向かって歩き出す。波紋が広がり、他の波紋とぶつかり合うと、金属を叩いたときのような高い音が鳴った。短く、そして高いその音を聞いて、ましろは風鈴を思い浮かべた。音自体は手に持っている、洋封筒の中にある白い金属のようなものを指で弾いたときと同じだった。
十五メートルほどしか離れていないと思っていたが、それは歩いてみると相当な距離だった。そこに扉があるのに、いつまで歩いても近づけない。そんな気分にさせられていた。
扉の前に着くと、ましろは目を丸くした。思っていた以上に扉が大きかったのだ。高さは、十メートル以上はあるだろう。幅は二メートルほど。かなり細長い白い扉だった。際立った装飾はなく、ましろの遥か上の方に、レバータイプの金色のドアノブがあった。
「ねえ、これ、どうやって開けるの?」ましろは扉を見上げながら言った。
《――― あなたには権利があります ―――》
聞き覚えのある声がした。それは、あの謎の文字が浮かび上がったときに聞こえたものと同じだった。抑揚のない、しかし優しさのある声。
「権利? 私になんの権利があるの?」
《――― 願いを叶える権利 ―――》
その声は空間に響き渡る。
《――― 願いのために生きる権利 ―――》
《――― 願いを選ぶ権利 ―――》
《――― けれど、進めば戻れなくなる ―――》
《――― 戻ることも、進むことだから ―――》
《――― 選ぶのは、あなた自身 ―――》
ましろの前に一枚の白いカードが現れる。なにも書かれていないカード。それは洋封筒の中にあった白い金属のようなものだった。ましろの目にはそれが同じものだと判断できた。
そして、それを手に取ることは、進むことを選んだことになる。どこへ進むのか、どこへ到達するのかわからない。
わかることは、ましろには選ぶ権利があるということ。
目の前に現れたカードを取るか、取らないか。
考えれば考えるほど困惑する。こんなわけのわからない場所に連れて来られ、姿の見えない相手に説明され、しまいには、願いを叶える権利があると言われてしまった。
どこからおかしくなってしまったのか。今朝はいつも通りだった。学校生活も滞りなかった。帰宅してからだ。おかしくなったのはそう、帰宅して郵便受けの中を確認したせいだ。習慣にはないことをしたから、おかしくなったのだ。
では、なぜ習慣にないことをした?
変わりたかったから?
ただの気まぐれ?
なにかを感じ取っていた?
ましろは自然と手が挙がり始めた。そのカードを手に取るために、両手をカードに添える。ましろはそのとき、なにも考えていなかった。考えることを止め、感覚にすべてを委ねた。それが、自分のやりたいことを見つける本当の方法だと知っていたから。
一番尊敬している人に、そう教わったから。
だから、ましろはカードを掴んだ。
《――― 生きるとは、戦うこと ―――》
《――― 戦うとは、生きること ―――》
「願いを叶えることは?」ましろは訊いた。
《――― その答えが扉の先に、あなたの選んだ先にあります ―――》
巨大な扉がゆっくりと開かれる。この先になにがあるのかはわからない。自分がどうなってしまうのかも不明である。しかし、ましろは進むことを決めた。進むことを選んだのだ。迷いなどない。
ましろは、手にしたカードを両手でしっかりと抱き、一歩目を踏み出した。
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