第八話 朝
「姉ちゃん!いい加減起きろって、母ちゃん怒ってんぞ!」
私はゆっくりと目を開ける。天井には、星型をしたシールのような物が貼られている。白く濁った色合いからして、蛍光シールのようだ。夜になると薄く光るのだろう、簡易的なプラネタリウムというわけだ。
「俺起こしたからな、後で文句言うなよ」
そう言うと、私を起こしに来た中学生くらいの少年は、ため息交じりに部屋を出ていった。
私はゆっくりと体を起き上がらせた。足には花の模様が散りばめられた淡いピンク色をした薄手のブランケットがかかっていた。
カーテンや絨毯、座椅子にひざ掛けなど、全体的にピンク色を基調にした部屋のつくりで、電子機器は、部屋の中央に置かれた一人用の小さなテーブルの上に、ノートパソコンが一台あるだけだった。
勉強机と見られるものは無く、その代わりといっては何だけれど、大きな三面鏡の前に、多種多彩なメイク道具が並べられた化粧机が設置されている。
意外にも私の頭は冷静で、この状況をすんなりと受け入れてはいるのだけど、やはり一応確認しておく必要がある。
私はそっとベッドをおり三面鏡の前に向かった。
鏡に映る私の姿は、予想していた通り、30年間慣れ親しんだ成人男性の私の姿ではなく、桜葉女子高校の2年3組に通う女子高生『橘レイカ』の姿であった。
やはり夢ではなかったようだ。私の咄嗟に出たこのヘンテコな願いは、なぜだが神の力によって叶えられてしまった。
「あーあーあー」
私は声を出してみた。自分の耳に聞き覚えのない若い女性の声が反響する。耳がくすぐったく、何とも表しがたい気分だ。
さてここからどうしたものか、私は鏡の前で、自分の姿を見つめながら思考を巡らせる。
「とりあえず自分のおっぱいとか触ってみればいいんじゃない?」
突然、鏡越しにニヤついた中年男性が現れた。
「おおっビックリした!なんだよ突然?ていうかどっから入ってきたんだよ?」
「どっからって、君まだそんなこと言ってるの?僕天使なんだよ、思ったところに出現できるに決まってるじゃない」
「そうか、そう言われればそうだな………」
「なあ、この状況ってやっぱり俺の願いが通ったってことだよなあ?」
「うん、まあそうだね、時間ギリギリだったけどねえ~」
私は改めて自分の姿を見返す。私は『橘レイカ』になったのだ。
これからは、30歳、男、坂本英樹ではなく。高校2年生、女、橘レイカとして生きていくことになる。
人生何が起こるか分からないもんだな、まさかこんな将来が待っていようとは、過去の自分には想像すらつかないだろう。
「まあでもあれだな、いざなったみると感慨深いもんがあるな……、冴えない男だったけど、別に自分の事それほど嫌いでもなかったし。あんな俺でももう戻れないと思うと寂しいもんだな」
今までの人生を思い返し、私は感傷にふける。
「えっ何言ってんの?戻れるよ、つかこれ10日間だけだよ」
「へっ?10日?」
「うん、10日。そりゃそうでしょ君がこの子になっちゃたらこの子どうするのよ?一生このままな訳無いでしょ」
「そりゃそうだけどさあ、いやいやいや、でも10日ってなんだよ、短すぎるだろ!10日で一体何ができるっていうんだよ!」
「知らないよそんなの、10日も若い女の子の体験できるんだから十分じゃん。ていうか本当はこの願い叶えるかどうかすら微妙だったんだからね、倫理的観点から見てもギリギリって感じで。でもまあいきなりこんなアホみたいな『お願い』されちゃって、ちょっと面白そうかも~なんて思って、つい許可しちゃった。だから僕に感謝してよね」
「アホみたいな『お願い』って……それはそうだけど、ひどいなあ」
「あっ、一応言っとくけど犯罪とかはしちゃあダメだよ、そういうことしたら僕の判断で強制終了するからね~」
今までの人生とは決別し、心新たに、これからの人生をスタートさせる決意をした瞬間、いきなり出鼻を挫かれてしまった。
10日間、そんな短い時間で私は一体何ができるのだろうか。
せっかく神に叶えてもらった願いだ、決して無駄にしてはいけない。この10日間、後悔の無いように、できる限りのことをしなければ。
と、そんなことを考えていると、部屋の扉が開き、おそらくレイカの母親と思われる女性が顔を出した。
「レイカいつまで寝て――――って起きてるじゃないの、なにやってんの?早くご飯食べに来なさい、遅れるわよ」
「あ、ごめんごめん、すぐ行く」
「まったく、また遅刻して学校に呼び出しくらうのは勘弁してよね、恥ずかしいんだから」
「あっ、ねえお母さん」
「お母さん?なんで急にそんな呼び方するのよ」
「えっ、あれ俺――――っと、私っていつもなんて呼んでたっけ?」
「はあ?どうしたのよ一体?ずっと”ママ”って呼んでるでしょ」
「ああそうだったね、ママ」
「なによあんた、今日なんか変よ」
「えっ、やっぱりなんか変かな?見た目とかおかしいところある?」
「見た目?……見た目は別に変じゃないけど」
「ホントに?いつもと違うってことない?」
「いつもと?うーん別にないけどねえ……ていうか何?あんた、まだ寝ぼけてるの?顔洗って来なさい、それで早くご飯食べなさい、冷めちゃうから」
「あっ、うん、わかった、すぐ行く」
会話が終わると母親は階段を下りていった。たぶん食卓に向かったのだろう。私の部屋はどうやら二階にあるようだ。
ふと後ろを振り向くと、天使は当たり前のようにまだそこに立っていた。
「お前なに普通に突っ立ってんのよ、母親にバレなかったのか?」
「ああ、僕の姿は、君にしか見えないようにしてあるから大丈夫よん」
「ふーん、そうか、で?いつまでいるんだ?」
「いつまでって、まあ出たり消えたりはするけど、基本的にずっと君のこと観察してるよ、僕もう開き直っちゃってさあ、休暇と思うことにしたんだよ。残してきた仕事も、もう知ったこっちゃないしねえ~、まあ同僚からは非難轟々かもしれないけど、それもこれも、元々こんな時期にダーツやろうって言い出した”ジジイ”のせいだしさあ」
「ずっと?ずっとって、十日間ずっとか?」
「うんそうだよ、まあさすがに君が寝ている間は僕も寝るけどねえ~」
「ちょっと待てよ、俺のプライバシーはどうすんだよ?」
「”俺”じゃなくて”私”でしょ、今は女の子なんだから、っていうか『のぞき』が趣味の君がプライバシーって、うふふっ笑っちゃうねえ」
「うるせえよ、俺は別に校内をのぞいてただけで、人の家とかはのぞいてないだろ?……やっぱり人には一人になりたい時間ってもんがあるだろ?四六時中監視されるってのはちょっとなあ」
「なんでよ、別にいいじゃない。それともなんか困ることあるわけ?僕が目を離してる間になんか犯罪するつもりとか?」
「いや、そうじゃないけどさあ、ほらやっぱさあ、いろいろとねえ」
「何よもう、はっきり言いなよ気持ち悪いなあ」
「じゃあはっきり言ってやるよ!エロいことしたいんだよ!せっかくこんな若くて可愛い女になってんだから!」
「……何ホントにはっきり言ってんのよ、気持ち悪い。ていうか別に構わないよそんなの、何回も言ってるけど僕天使だよ?そういう人間の汚いところって死ぬほど見てきてるから、今更なんとも思わないって」
「いやお前が思わなくてもこっちが思うんだよ、それに百歩譲って自分一人でいやらしいことしてる時はいいけどさあ……その、相手が居て”そういう感じ”になったら、その子に悪いだろ?」
「なによ相手って?なんのこと言ってるの?」
「だからもし橋本京子とうまくいって、キスとか……それ以上の事とかする時だよ」
「えっ?なに君、まだ諦めてなかったの?」
「悪いかよ、別にこの姿なら構わないだろ?女子高生二人がイチャついてキスするくらい、何も犯罪じゃないだろ?」
「うん、まあ構わないけど……えっじゃあ何?君はこれから10日間かけて橋本ちゃんと仲良くなろうとするの?」
「そうだよ、おっさんの頃なら絶望的だったけど、今ならかなりの確率で上手くいく気がする、なんせ今の俺は相当可愛いからな。女の子だろうが何だろうがイチコロだよ」
私は自信満々に微笑む。
鏡に映る笑顔の私も半端じゃなく可愛い。
自分自身の美貌に酔ってしまいそうだ。
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