6. 誤解

 それからひと月ほどたった、とある昼下がりのことです。

 少女がいつものように白雪姫をうっとり眺めていると、不意にドアをノックする音が鳴りました。


「なんですかね?」


 せっかくの「白雪姫タイム」を邪魔されて、少女はご機嫌ななめです。

 苛立ちながら扉を開けると、妙に派手な恰好をした青年が立っていました。動きやすそうな服装ではあるのですが、いたるところがカラフルな布地や金の糸で飾られて、しかもマントという無駄なものまで羽織っています。森で役立ちそうなものは、腰のサーベルぐらいでしょう。青年のそばには、真っ白な馬が停められていました。


「ちょっと道に迷ってしまって。よかったら水を一杯もらえないかな」


 青年は爽やかな笑顔を浮かべていましたが、額には汗がにじみ、息も切れ気味で、かなり疲れているようです。少女は機嫌が悪いなりにも気遣いを忘れず、青年を家へと招き入れました。

 そして家へ入った直後、青年の目の色が変わりました。

 少女はコップに水を注いだところで振り返り、しまった、と焦りました。いくら血色がいいとはいえ、棺におさまった死体を部屋に放置していたのです。


 ――また、化け物だと思われてしまう。


 一瞬、少女の心がすうっと冷えていきました。しかし直後に青年が発した言葉は、少女がまったく予想もしないものでした。


「この姫君を、僕に譲ってくれないか?」

「は?」


 少女はコップを持ったまま、ぽかんと口を開けて青年を見つめました。少女はなにも答えませんでしたが、青年は勝手にしゃべり始めます。

 いわく、彼は森の西方にある国の王子で、今日は、以前白雪姫が住んでいた国へ赴いて、行事に参列する予定だったのですが、それが嫌で脱走してきたのだ、というのです。

 ひととおり語り終えて、王子は少女の手からコップをもぎ取り、「悪いね」と言って一気に飲み干しました。


「それで話を戻すけど、僕にその姫君を譲ってくれないか?」

「嫌です」


 少女は即答しました。


「姫はもう死んでいるのですよ。彼女を手に入れて、いったいなにをするつもりなのですか?」

「観る」


 王子もまた即答しました。


「確かに彼女は死んでいる。だが逆に考えろ。彼女は、死んでいるのに美しい。死してなお美貌を失うことのない女性が、果たしてこの世に二人と存在するのか!?」


 王子は朗々と語り上げます。その語り口は滑稽なほどにおおげさでしたが、少女は彼の言葉に引き込まれました。なぜなら少女もまた、「死んでいるのに美しい」白雪姫に魅了された者の一人だったからです。王子の熱弁はさらに続きます。


「僕は今まで色々な国の姫君たちと会ってきた。だがその中で、彼女を超える者はただ一人もいなかった! 彼女は間違いなく、世界で一番美しい!」

「そのとおりです!」


 少女は思わず王子の言葉にうなずいていました。


「というわけで彼女を僕に譲ってくれ!」

「絶対嫌です!」


 お互い一歩も退かず、おなかの底から叫び合いました。


「だいたい、あなたは彼女のなにを知っているというのですか? 結局顔だけじゃないですか?」


 少女の言葉に、王子はうめき声をあげてひるみました。今度は少女が反撃する番です。


「いいですか? 彼女はどうしようもなく非常識で、一人で着替えもできなかったのですよ。それに掃除をやらせると部屋じゅう水浸しにしてしまいますし、食材を採ってきてもらうと毎回変なものを拾ってくるのです。

 ……でも、ちゃんと教えたらなんでもできるようになりましたよ。それに、この家での暮らしも楽しい、って言ってくれましたし……」


 すこしずつ少女の声がしぼんでいきます。思い出したら、また訳が分からなくなって泣いてしまいそうでした。だから少女はそこで話を切り上げます。


「とにかく、彼女は絶対に渡しません!」


 しかし王子も諦めません。


「無理だ! とてもじゃないが僕はもう彼女の顔を忘れられない。お願いだ!! 僕に彼女をください!」

「絶っ対にお断りです!!」


 少女も王子も顔を真っ赤にして、息を荒くしていました。

 叫び合って、二人とも消耗し切ったのでしょう。しばらくの間、無言で息をついていました。


「そもそも、どうして彼女はこんな姿になってしまったんだ?」


 ようやく落ち着いた王子が尋ねます。しかしその質問は、少女にとっては触れられたくないところでした。


 ――わたしがしっかり白雪姫を見守っていれば、ちゃんと白雪姫に寄り添っていれば、もっと白雪姫と話をしていれば……。


 白雪姫にたいしてやっておくべきだったこと、一緒にしたかったこと、そんなもろもろが、ひと月たった今でも思い出されて、少女はときおり後悔に打ちひしがれるのです。


「……悪い魔女に、たぶらかされたのです」


 そんな後ろめたさに、少女はすっと王子から視線をそらして答えました。

 しかしそのしぐさを見て、王子は目を細めて少女を睨みつけました。


「もしかして、きみがその悪い魔女なんじゃないか?」

「……え?」

「よく考えたら、最初からおかしかった。どうしてこんな森の奥に一軒だけ家があるのか。どうしてきみのような女の子が一人で暮らしていられるのか。

 きみが魔女だからだ。そうじゃないのか?」


 王子は顔を引き締めて、少女を問い詰めます。もちろんその問は、あまりにも的外れな誤解でした。ですが、少女は笑い飛ばすことができません。憎しみと、怒りと、それにわずかな怯えが混じったまなざしを受け止めながら、少女は、猟師が迷い込んできたときのことを思い出しました。

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