5. 今日も白雪姫はあたたかい
声も涙腺も枯れたところで、少女はようやく身体を起こしました。目だけが真っ赤で、あとは感情を全部吐き出したかのように無表情でした。
少女は立ち上がって本棚を眺めます。
数学の本にも、物理学の本にも、生物学の本にも、今この瞬間にやるべきことは書いてありません。
魔術の本には、死人を生き返らせる術が載っています。ですが少女は、すでにその術を死んだ小鳥で実験したことがありました。結果は無残なもので、ただ肉が腐っていくだけでした。
文学では、人の死が色々と語られていました。いわく「誰も死からは逃れられない」、いわく「死んだら終わり」、いわく「人は親しい相手の死を乗り越えて生きていく」、いわく「生も死も人間の勝手な判断でしかない」……。
少女には意味のない言葉ばかりでした。
「……もういいです」
つぶやいて、少女は持てるだけの本を棚から引き出しました。まずはリュックに詰めて、入らない分はかごに積んで、それでも足りない分は水汲み用の桶に入れました。それでも本棚には半分以上が残っていました。
少女は引っ張り出した本を必死に抱えて、ふらふらと家の外へ出ました。
少女の叫びで異変に気づいたのでしょう。外では動物たちが心配そうに少女を見つめていました。
「……みなさん」
少女は本を地面に落としてから、誰にも目を合わせずに声を上げます。
「なにも言わずに、この本を運ぶのを手伝ってください」
少女は、うめくようにして動物たちに頼みました。
「街まで」
****************
いつもの行商人に本を見せると、彼女は顔色を変えて少女を見つめました。少女が持ってきた本は、どれもこれも貴重なもので、全部合わせると貴族のお屋敷にも匹敵する価値があるのです。
「この本を、それぞれ一番高値で買ってくれる人を教えてください」
少女は行商人に助けてもらいながら三日三晩方々を巡って、途方もないほどのお金を稼ぎました。
「では、このお金で優秀なガラス職人をかき集めてください」
少女は行商人の手を借りながら、名だたるガラス職人を国中から集めて、ガラスの棺を作らせました。輝くほどに透明で、絶対に割れない、一国の姫君にふさわしい棺です。
完成した棺を荷車に載せて、少女は街を出ました。森の入り口では、行きに手伝ってくれた動物たちが待っていて、少女を助けてくれました。
森から少女の家まで、棺に傷がつかないようにゆっくりと歩いていきます。その行進はまるで葬列のようで、ただ亡き骸だけがありませんでした。
家に着くころには日が沈みかかっていました。葬列の末、少女は淡々と動物たちにお礼を告げて、棺を家のなかに運び込みます。しばらく家を空けていたせいで部屋全体に薄っすらとホコリが積もっていましたが、白雪姫だけは変わらずに綺麗でした。
「自分だけじゃなくて、ちゃんと部屋も全部掃除してくださいよ……」
顔色ひとつ変えずにつぶやいてから、少女はベッドから布団をはぎ取って棺の底に敷き詰めました。それから横たわる白雪姫の両脇に腕を回して、彼女の上体を持ち上げて、棺のなかへと寝かせました。
ガラスの棺におさまった白雪姫は、夕陽を受けて、燃えるように輝いていました。その様子を見たとたん、少女にどっと疲れが押し寄せてきました。
ひもが切れたようにその場でへたり込んだ少女は、心の底から眠たそうにベッドを見やりました。しかしそこに布団はなく、木の骨組みがあるだけです。
そのまま白雪姫の方に向き直ると、ふかふかの布団が敷き詰められています。
――ここがいい。
少女は半ば無意識のまま棺にもぐり込み、白雪姫の隣で目を閉じました。
夢は見ませんでした。
目が覚めたとき、少女は自分が白雪姫の手を握りしめているのに気づきました。
翌日から、少女は以前と変わらない生活を送るようになりました。以前、といっても「白雪姫がやってくる以前」です。一人で料理や掃除や食料採集や水汲みなどをこなして、ときどき動物たちと世間話をする、これまでどおりです。
変わったところは、本を読む代わりに白雪姫を眺めるようになったことと、毎晩棺に入って白雪姫の隣で眠るようになったことぐらいです。
――今日も白雪姫はあたたかい。
そのことを確かめながら眠りにつくのが少女の習慣になりました。
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