4. 喪失

 ある日、少女は森へ食材探しに出かけました。

 青い鳥と世間話をしながら木の実をもいだりきのこを採ったりして、リュックに詰めていきます。


「ところで、白雪姫のことはどう思いますか?」


 白雪姫がちゃんと動物たちに受け入れられているのか、さりげなく確認してみます。


『ああ、あの新入りか? けっこう危なっかしいけど、なかなか綺麗な子じゃないか』

「綺麗、ですか」

『おう、オレは人間の美人なんかにゃ興味ねぇけど、それでも目を引かれるぜ』

「そうですか」

『あんまりにも美しすぎるってんで、国王の后様から妬まれてたって噂もあるぐらいだからな』

「……母親が娘を妬むのですか?」

『いや、継母ってやつだ』

「そうだったのですか」


 しゃべっていると、茂みの陰から鹿が現れました。少女がいつもお世話になっている彼です。


『さっき妙な人間を見かけたんだけど、小人さんの知り合い?』

「白雪姫のことですか?」

『いや、紫のローブを着たおばさん』

「知り合いじゃなさそうです」


 少女が出会ったことのある人間といえば、白雪姫のほかは行商人と、一度だけ迷い込んできた猟師ぐらいのものでした。


『狩られねぇように気をつけろよ』

『それは大丈夫だと思う。かごにリンゴ入れてるだけだったから』

『リンゴ売りか? こんなところで?』


 そうだとすると余計に不思議です。森に入らなければならない仕事はあまり多くありません。猟師か木こりでもないかぎり森には出入りしませんし、森に用のある人でも、こんなに奥まで立ち入ることはまれです。ましてやリンゴ売りが来るはずはないのです。お客さんなんて、少女か白雪姫くらいしかいないのですから。


「……帰りましょう」


 本当はもうすこし木の実を集めるつもりでしたが、少女は妙な胸騒ぎを覚えたのです。


「よければ家まで乗せていってくれませんか」

『大した距離じゃないと思うけど』

「急いだ方が良いような気がするのです」


 少女の不安げな顔を見て、鹿は彼女の頼みを引き受けました。その場で青い鳥に別れを告げて、少女は鹿に飛び乗って帰宅を急ぎます。

 不安の理由は分かりません。ただ胸の奥から、早く早くと追い立てられるのです。少女は感じるままに鹿を急かします。ただならぬ様子が伝わったのか、鹿はいつも以上にスピードを上げます。

 茂みも小枝も無視して駆け抜けながら、それでも少女の不安はおさまりませんでした。

 家の前に着いてから、少女は鹿に深くお礼をして扉を開けました。


「……どうしたのですか?」


 白雪姫が床で仰向けに寝そべっていました。いつかのように水がこぼれているわけではありません。いつもと変わらない部屋のなかで、白雪姫は寝息一つ立てずに横たわっていました。


「こんなところで寝ていると、風邪をひいてしまいますよ」


 少女は姫に歩み寄って、肩を揺さぶりました。


「起きてください、起きてください白雪姫」


 少女は、初めて白雪姫に会ったときのことを思い出しました。あのときと違って、今はドレスではなく庶民的な服ですが、それでも彼女は同じように白くはかなかったのです。

 だから、今回もちゃんと目覚めてくれると思っていました。


「……白雪姫?」


 しかし彼女はぴくりとも動きません。


「白雪姫!?」


 少女はもう一度呼びかけます。「おなかすいた」とだけでもいいから、なにか返事をしてください、と願いながら。


「あ……」


 ですが、少女は気づいてしまいました。

 白雪姫が息をしていないということに。


 少女は崩れ落ちるように白雪姫の上へ倒れ込みました。そしてそのとき、部屋の奥にリンゴが転がっていることに気づきました。けれど少女は立ち上がれませんでした。なにも考えられませんでした。少女の下に横たわる白雪姫はまだあたたかくて、彼女がもう二度と目覚めないというのが信じられませんでした。

 少女は白雪姫の白いうなじを茫然と見つめていましたが、そのうちハッと身体を起こしました。

 よろよろと部屋の奥へ歩いて、いつの間にか現れていたリンゴを拾い上げました。かじられた跡が二つあって、片方は真っ白で新鮮なリンゴの色でしたが、もう片方はどす黒くよどんでいました。


 ――リンゴ売りの、魔女!!


 気づかないうちに、少女はツメが割れるほどにリンゴを握りしめていました。しばらく立ち尽くして、少女は毒リンゴを壁に投げつけて姫の隣に座り込みます。


「バカなお姫さま……」


 指先から血がしたたるのも気にせず、少女は白雪姫の服の裾をぎゅっと握りしめます。


「自分が命を狙われてたことぐらい、分かっていたでしょうに……」


 じわり、と血がにじんでいきます。


「どうして……っ」


 少女はそのまま意識を失って、白雪姫の上に倒れ伏したのでした。


  ****************


 少女が目を覚ましたときには、彼女の手は紫色になっていました。眠っている間もずっと握り込んでいたのです。

 しびれる右手を左手でもみほぐしながら、少女は立ち上がって白雪姫を見下ろします。

 窓から差し込む朝日が、白雪姫の顔を輝かせていました。外から鳥のさえずりが聞こえてきます。あまりにもいつもどおりで、あまりにも爽やかな朝で、だから少女は白雪姫が目を覚ますのを待っていました。

 もちろん、彼女は眠ったままです。

 首が痛くなって、脚が震えるまで立ちすくんで、ようやく少女は朝食の用意に台所へ向かいました。作り置きをしてぱさぱさになったパンがありました。ワインはありませんが、汲み置きしてある水はあります。少女はその二つを持って白雪姫の横に腰を下ろしました。


「おなかはすいていませんか?」


 白雪姫の顔のそばに、お皿とコップを近づけます。返事はありません。少女は自分のパンを水でふやかして、見せつけるように食べます。


「すごく美味しいですよ?」


 焼きたてでもないパンは、それほど美味しくはありません。それでも少女は自慢するようにして、むりやり笑顔を作って、パンを飲み込みました。

その瞬間、少女のなかでなにかが崩れました。

 突然、涙があふれてきました。少女自身も驚くほどに止めどなく涙がこぼれて、訳が分からなくなりました。

 少女にとって初めての、人が死ぬ、という経験でした。

 訳が分からないまま、涙だけでなくしゃっくりも止められなくなります。そうやって感情があふれ出して、少女はそのまま声を上げて白雪姫の身体に泣き伏せってしまいました。

 絶叫、としか言いようのない声が、嗚咽で途切れ途切れになって漏れ出します。「白雪姫」という呼びかけと、言葉にならない思いとが、ぐちゃぐちゃになって家じゅうに響きます。

 そうやって少女が触れている白雪姫は、息もしていないというのに変わらずぬくもりを宿していました。

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