3. 人のぬくもり
食糧を取りに行かせると、怪しげな色のキノコをたっぷり持って帰ります。しかたがないので夕飯を作らせると、そもそも火の起こし方すら知らないのですから、なにもできません。そのくせ少女の作った料理に対して「お肉はないの?」と文句をつけるのです……。
「この家では肉料理は作りませんよ」
「ベジタリアンなの?」
「まあ、そんな感じです」
動物たちと話せる少女にとって、肉を食べるというのはとても恐ろしいことでした。それに、少女がこの森で生きていけるのは、動物たちの助けがあるからこそなのです。動物たちに危害を加えるようなことをすれば、たちまち生活に困ってしまうことでしょう。
「この家で暮らすからには、肉が食べたいなんてことは絶対に言わないでくださいね」
「……えー」
「『えー』じゃないです。それから、動物たちとは仲良くやってくださいね」
「それは大丈夫よ」
「仲良くしないと死にますからね」
「死ぬの……?」
「死にますね」
目を点にしている白雪姫に、少女はこんこんと語ります。
たまに街まで行くときには鹿に乗せてもらったり、森に異変が起きた時には鳥たちに知らせてもらったり、きのこを探すときにイノシシに手伝ってもらったり……。毎日の生活でどれだけ動物たちに助けてもらっているか、切々と説きました。
「というわけで、うちでは肉食禁止です」
「はーい」
それでも不満混じりな様子の白雪姫を見て、少女は薄っすらと不安になるのでした。
****************
白雪姫を優秀なメイドに仕立て上げるべく、少女の苦悩は続きます。
朝食のあと、少女は白雪姫に部屋の掃除をしておくよう指示して、家を出ました。
イチゴやザクロ、それにきのこなど、森の新鮮な食材をリュックに詰めて、少女は鹿に乗って街へ行きます。白雪姫の普段着を手に入れるためです。街の入り口辺りにある市場に向かい、行商人のおばさまと交渉して、大きめのチュニックと肌着を二着ずつ手に入れました。
少女の家から街までは、徒歩だと大変な時間がかかりますが、鹿の背中に乗せてもらえばあっという間です。明け方に出発して、行商人との取引を済ませても、昼過ぎまでには帰ることができます。もちろん鹿に無理はさせず、ちゃんと休憩をとることも忘れません。
家の前に到着し、鹿にお礼を告げてから扉を開けました。
「……あの、」
予想だにしない光景に、少女は二の句が継げませんでした。
部屋中が水浸しになっているなか、白雪姫が手足を伸ばした状態で本棚の前に横たわっていたのです。少女に気づいた白雪姫は、満面の笑みで言いました。
「小人さん! 本棚だけは死守してるよ!」
身を挺して本棚を水責めから守っていたようです。
「バカなんですか?」
「言いつけは守ったのに!?」
「誰が水まきをしろと言いましたか」
ここまで愉快な人でしたか……と少女は頭を抱えました。第一印象で感じたはかなさが嘘のようです。
少女はリュックをテーブルに置いてから雑巾を取ってきて、さしあたって本棚周りをぬぐいました。
「あとは責任もって片付けてくださいね」
絞った雑巾を白雪姫に渡そうとすると、白雪姫は「ぐごごっ」とにごったうめき声を上げました。
「身体が、固まってるっ」
「……いつからその姿勢だったのですか?」
「窓の日差しがもうちょっと長かったころから」
ゆっくりと起き上った白雪姫が、窓辺の床を指さしました。水たまりが太陽を受けて輝いています。
「……自業自得です」
少女は白雪姫に雑巾を押し付けて、キッチンに向かいました。基本的には一日二食なのですが、今日は遠出したので特別です。水が片付いたらおやつにしようと、少々のパンと干しぶどうをお皿にのせて、テーブルに運ぼうとしました。
「くしゅんっ」
そのとき、拭き掃除をしていた白雪姫が、くしゃみとともに身体を震わせました。 少女はお皿を置いて白雪姫のそばに戻り、雑巾を取り上げます。
「先に着替えてください」
少女はテーブルのリュックを指さしてから、雑巾がけに移りました。
「あ、ありがとう」
「風邪をひかれても困るだけです」
白雪姫の方を振り返らないまま、少女は雑巾を水たまりにひたし続けました。
水を吸った雑巾を桶に絞って、また床を拭いて、と何度かくり返して、だいたい片付いたところで、少女は腰を下ろしてふと一息つきました。顔を上げると視線の先には、ドレスを脱ぐのに悪戦苦闘する白雪姫の姿がありました。
「小人さん、ちょっと手伝って」
白雪姫の声を聞き流しながら、少女は観察を続けます。
言うまでもなく、白雪姫のスタイルの良さは「姫」の地位にふさわしいものです。ですが少女にとってそんなことは興味がありませんでした。
――背が高くて、うらやましい。
なにしろ森の暮らしに美貌は必要ありません。ただ、高いところの木の実が取りやすそうだなぁとか、本棚の管理が楽そうだなぁとか、そんなことを思うばかりです。
「……どうすれば背が伸びるのでしょうか」
「それより手伝ってくれないかな!?」
助けを求める白雪姫は、ドレスを無理やり身体から引き抜こうともがいていました。
「なにをやっているのですか」
「一人で着替えたことがないのよー」
上半身をドレスに包まれたままわめく白雪姫は、まるでドレスの化け物に食べられているかのようです。いよいよ気の毒に思えてきたので、少女はドレスの紐をほどいてあげました。
「ぷはっ、ありがとう」
肌着姿になった白雪姫から濡れたドレスを受け取り、一度外へ出てから家の横にある木の枝に干してきました。少女が部屋に戻ってみると、白雪姫は庶民用の服を着るのにさえ苦戦していました。
「助けて」
「それぐらい自分で着てください」
****************
宮廷育ちでひどく世間知らずな白雪姫でしたが、家事を覚えるのはなかなか早く、住み着いてから二週間ほどでたいていの作業がこなせるようになっていました。
ただし食材採集は苦手なようで、何度行かせても不思議な物体を持ち帰ってくるのでした。あまりにもひどいので、動物と話ができないというだけの問題ではなさそうです。しかたがないので食材調達だけは少女の専業となりました。
「なにを読んでるの?」
掃除を終えた白雪姫が、少女の隣から本を覗き込みます。
「……何語?」
「東洋の古い本です」
「どんな話なの?」
「物語ではないですけど……たとえば……」
少女はページをそっとめくって、一つの短編を白雪姫に見せました。
「いや、見せられても分からないんだけど」
「善いと悪いとか、綺麗と醜いとか、生と死とか、そういうのは全部人間の勝手な判断にすぎないんだ、という話です」
「そうなの?」
「知りません。この本ではそういうことになっているのです」
少女はいつも異国の本を読んでいます。どこで手に入れたのか分からない、難しげな本ばかりです。もちろん白雪姫には理解できません。ですが、少女自身もすべてを完璧に理解できているわけではないのです。
「……わたしは、ここでの暮らしが好きです。動物たちに助けてもらって、ごはんにも困らなくて、ときどき市場で物々交換すれば必要なものも手に入ります。
でも白雪姫は、きっと王宮での暮らしの方が楽しかったですよね」
少女はため息とともに手元の本を閉じました。
「そんな話です」
「そうなのかな」
「そうでしょう」
「ここも楽しいよ?」
少女は思わず白雪姫の方を振り返りました。姫の微笑む顔が、目の前にありました。
「……意外と近くにいたのですね」
「気づいてなかったの!?」
微笑みが一転して驚いたような面持ちに変わりました。白雪姫はかなり表情が豊かなので、少女はいつも新鮮な気持ちになります。
「まあ、あなたが良いと思うのなら……」
同居人の気持ちを考える、という慣れない感覚とともに、少女はほっと気持ちを緩めるのでした。
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