第五章 冥土の土産とスマホと悪女
黒く濁った空から、雫が落ちた。
一つ、二つと雫は数を増やし、やがてそれは、雨となって降り注ぐ。
雨雲の下の人工の林の中は、薄気味悪いほど、暗く沈んでいた。
まるで冗談のように、この場はクライマックスに相応しい場に飾り立てられていた。
銃を構えたまま微動だにしない倉崎は、真里奈の方を見ると、「銃を捨てろ、メイド」と短く言い、真里奈は素直にそれに従う。
「私を……殺すのね」
「ええ。それが主人の命ですので」
彼にとっての主人とは、即ち私の父。
――黒幕は、やはりあの男だった。
それは、非常に得心いく答えでありながら、少しばかり寒い物を感じざるを得ない。
だが、私はそんな感情はおくびにも出さず、したり顔で目前の敵に向かって言い返す。
「ずいぶんと手の込んだ子殺しだことで。最初からあなたが私をこっそり殺せば終わりだったと思うのだけれど」
「可能な限りの絶望を与えて殺すよう、言い付かっておりました」
「アホらしい……」
おそらくそれは、あの男の趣味だろう。
普段は金に汚いくせに、こういう変なところで様式美にこだわる所はあの男らしい。
「それに、私一人殺すのにいったい何人の罪なき人間を巻き込んだのかしら?」
「問題ありません。アレらは全てご主人様の敵ですよ」
「……敵?」
「ええ。内部文書や研究結果を売り渡そうとした、会社の資金を横領しようとした――その他にも色々とやらかした人々が集められています」
――もし可能ならば父上に伝えておいてください。――もう、貴様は終わりだ、とね
――許してくれ!!
――裏切り者を処分するつもりだったのだろう!?
思い出されるのは、そんな彼らの言葉。
……なるほど。『黒田家が裏切り者を処分』という、その推理はあながち間違いではなかったというわけね。
違っていたのは、その裏切り者の中に、『穀潰しの娘』が入っていたという事実のみ。
「はっ――笑わせてくれるわ。そんなの、裁判にかければいいじゃない……それとも、自分で手を下さなければ納得しないのかしら、あの男は」
「私からは、なんとも言いかねます」
「どうせ実行犯もあんた一人じゃないんでしょう? ……案外、館の主人あたりがグルだったりしてね」
「おや、よく気づきましたね。これも何かのお約束でしょうか?」
「――頭がない死体は基本的に入れ替わりの可能性を疑え……と言いたいところだけれど――本当に気づいたのは、声よ」
「声?」
「そう。主人の声――名前は忘れたけれど、先週ウチに来ていたでしょう。彼」
「――!? なぜ、そんな事を――」
「人の声を覚えるのは、わけあって得意でね……なるほど、アレがあんたの共犯ならこれ以上にない入れ替わりの理由になるわね」
主人が館の目から逃れて自由になる。それは、使用人の指揮に集中できるということだ。
館の監視カメラを集中管理できるような警備室などに、十分な通信装備を備えて引きこもっていれば、立派な前線指揮官の出来上がりというわけだ。
「……まさか気づかれていたとは」
「あんなハイペースで手の込んだ殺人も、主人を筆頭に、殺し屋みたいな人間や館中の使用人をフル稼働してやってのけていたのでしょう?」
そして、それだけの人数が口裏を合わせて迅速に連携を取れば、不可能は簡単に可能となる。
どれだけ探偵があがいても犯人が見つかるはずなどなかったのだ。
言ってしまえば、この館自身が、犯人だったのだから。
「それでも、結局この結論に至るまで、あんたが端から敵だった可能性を考えもしなかったのだけれどね……あの男が自分の執事の一人を私に付けた時点で疑うべきだったのに」
「ですが、お嬢様は最後まで主人や私の予想を裏切り続けましたよ――これだけ人が死んでいるというのに平然とゲームに興じるわ、殺し屋の襲撃を逃れ、あまつさえあの館の爆破からまで逃れるとは」
「あらあら。意外と奮闘していたのね私。――褒めていい?」
茶化すも倉崎は気分よさげに無視し、
「予想外といえば……探偵は哀れでしたね。ショーアップの道具として招かれたというのに――お嬢様のせいであんなにも早く退場することになるとは」
「私のせい?」
「ええ。お嬢様が主人の入れ替わり殺人の当時に廊下を出歩いていたから……危うく探偵の判断で、犯人として軟禁されるところだったのですよ」
そう言えば。
あの当時に出歩いていたということは主人殺しの犯人にされてもおかしくなかったのだ。
というか状況証拠はなかなかバッチリだったんじゃないだろうか。大声で雑談してたし。
「だから、殺したと?」
「ええ。この大仕掛は、お嬢様に、いつ自分が殺されるかという恐怖を味わってもらうためのものでしたからね――結果として、まるで意味がなかったのですが」
「まあゲームばっかしてたしね。そこは素直にザマーミロと返しておこうかしら」
「ふ……まあ、その減らず口もここまでですよ」
倉崎はもう一度銃を構え直し、私を狙う。
「ミステリーの答え合わせはここまでです。このままここで死んでいただきましょう」
ここまでか。
だが、効果は抜群だった。
上手く誘導し、いわゆる『冥土の土産』的なものをノリノリでいい感じに自分に酔った感じにペラペラしゃべらせることができた。お膳立ては十分。
目前に居るのはもはや冷徹な主人の道具たる執事ではなく、調子よく自分の勝利に酔う一人の男の姿。
……勝負はここから。
イチかバチかの、一発勝負!
私は、事前に決めておいた合図――小指をニ回小さく折りまげる仕草を真里奈に向けて送る。
すると、
「待ってください!!」
「……どうしたメイド? まさか主人の前に自分を殺してくれなどと、殊勝なことを言い出すのではないだろうな?」
……あー、完全にイッちゃったパターンだわこの男。
などと思うぐらい、普段の倉崎ではなくなっていた。正直ちょっとキモかった。
いや、それはともかく。
「これを、見てください」
そう言って、彼女は、左手に予め持っておいたスマートフォンを倉崎に提示する。
「何ですか? スマートフォン?」
「そこに表示されているデータを、よく見てください」
「これは――」
倉崎は、初めは警戒していたが、やがて端末を手に取り、データを閲覧し始めた。
最初は訳の分からないといった顔だったのが、徐々に蒼白なものへと変わっていく。
「お嬢様の趣味はなんだか知っていますか? 倉崎さん」
「何を――」
「アニメ漫画デイトレードの次くらいにハッキングが趣味なんですよ」
「貴様――!!」
さて。……反撃開始と行きましょうか。
「そういう事なのよ……悪いわね倉崎」
そう言うと、私は自分の思いつく限りの『悪女っぽい』笑みを浮かべ、倉崎を見る。
「まさか……こんなモノ、いつの間に……ッ!?」
倉崎を慌てさせている、それ。
そのデータは、私が趣味で収集した、
「いつの間に、こんなデータを……!?」
――あの男の会社に関わる、機密情報だった。
それも、賄賂とか汚職とか癒着とかソッチ系の。あとおまけで会社役員たちの法に触れそうなスキャンダラスな趣味とかプライベートとか。
「このニート生活を始めてからね……ニートしてたらあの男にいつ追い出されるか分かったもんじゃないから、取引材料として先んじて確保してあったのだけれど、どうやら正解だったようね」
「く――ッ!!」
倉崎はいらだち紛れに手にしたスマートフォンを地面に叩きつけ銃で撃ちぬく。だが、
「無駄ですよ、倉崎さん。そのデータはほんの一部ですし、そもそも自宅にもマスターデータはありますし」
そう言いながら、「私のスマホ……」と真理奈は微妙に涙目になるが、それは置いといて。
「なら、それらも破壊するだけだ。こちらには衛星携帯電話がある。すぐに連絡して――」
「残念ながら、それも無駄な努力、ですよ」
「何だと……!?」
「実はこれらのデータ全てのコピーを、とある欧米の企業告発を専門としたとあるNGOに管理してもらっていまして」
「な……っ!?」
「帰宅予定時刻より二十四時間以内にこちらから連絡が為されなかった場合、海外メディア含むテレビ新聞の各マスコミその他――黒田家のダメージとなる場所にばら撒くようお願いしてある次第なのです」
「ぐ……貴様らァ!!」
歯ぎしりにしながら、もはや顔芸レベル達した形相で真理奈を睨みつける倉崎。
「現代の武器は、剣よりペン。銃より情報――情報を制したものが、最後は勝つのよ」
「それぐらい……黒崎の財力と権力を持ってすれば――」
「常識で考えてみなさいよ。海外のNGO、しかも企業の不正告発を理念に掲げて活動してるのを、日本の企業が潰せるわけがないじゃない」
「く――」
「そりゃあ? 時間を掛けて、冤罪でもでっち上げてメンバー全員ブタ箱行きぐらいならできないこともないでしょうけど……情報がばらまかれるまでには、とてもじゃないけど間に合わないわね?」
「…………くそったれが……!」
「もう迷ってる時間はないわよ? ……もっとも、拙速な貴方の判断ミスが、黒田家を滅ぼすことになるかもしれないけれどね」
そして――先程までの勝利確実の油断から一気に叩き落されることで、彼は冷静さを失っていた。
基本的に、自分の専門外の出来事に出くわした場合は、速やかに専門家に尋ね、その指示を仰ぐのが鉄則だ。
冷静な人間ならば、十中八九、そうするだろう。
だが……感情に惑わされ、冷静さを失った今の倉崎には、それができない。
「く――そ――っ!」
「さぁ主人の命のままに私を殺してみなさい、倉崎。そして主人もろとも滅びるがいいんだわ――あははっ……あははははは!」
倉崎はもう、繰り返し自信満々に告げられる私の言葉に、完全に呑まれていた。
彼の眼前に居るのは、もはやただの殺害目標ではない。
銃口を突きつけられてもなお怖気付かず、高笑いをしながら、自らの死は黒田家の破滅と嘲笑う魔女。
……みたいに見えてたらいいなあ、と言う感じの演出なんですが。どうなんでしょう。
本人の反応を見る限りは、倉崎は、完全にこちらの思惑通りの反応を返している。
……あと、もう一息!
「どうしたのかしら? ……ただ、主人のスキャンダルが世界中に駄々漏れになるだけじゃない。何をためらっているの?」
挑発的な私の言葉に、倉崎が苦悩の表情に歪みながらこちらを睨めつける。
それに対し、私は可能な限り悪女っぽく、不敵な笑みを浮かべながらその顔を正面から見据える。
しばらくの間……正確にどれくらい経ったのかはわからないが、静寂が続き、
「お前を生かせば……そのデータはバラまかれないんだな?」
ぽつり、と、倉崎がこぼした。
……よし!
「ええもちろん。……そうしなければ取引にならないものね」
そして彼は――完全に、私が黒田家に対する切り札を持っていると――そして、それに対し打つ手はないと、信じ込み、
「……わかった。……そのデータをネットにバラまかないのであれば、お前たちの身柄の安全は、以後保障しよう」
こちらの要求を、全面的に飲んだのだった。
「そう……賢明な判断だと思うわ」
私は冷静に微笑を浮かべながら、……しかし私は思わず心中で盛大にガッツポーズをしていた。
そうして私たちは、何とかギリギリの綱渡りを経て、命を繋ぐことができたのだった。
*
で。
「あははははっ 見なさい駄メイド。愚か者どもが今頃寄ってたかって売りに走ってるわ!」
「さっすがですお嬢様! その予知能力! 先見の明! 素晴らしすぎますっ!」
今日も私たちは平和的に豪邸の一室を占拠しています。
……あの後。
私が父に対し、確保した裏情報の正しさを証明したことで、正式に身の安全が保証されることになった。
その後は、一切の会話はない。
いや、一度手持ちの人質である情報を引き渡すよう、使用人経由で迫られたが。もちろん無視した。
「さって、次はどの銘柄が上がりそうかなーっと」
それと、あの事件の結末を語るならば、館は、失火による館の全焼により参加者が全員死亡したと小さく報じられただけ。
主犯だった父の腹心を始めとして実行犯の使用人たちも、すべて偽装戸籍が用意された上で、その場で死んだことになっていた。(ついでに私たちは名簿からきれいに消されていた)
警察の処分としては、館の主人として用意されたダミー会社の架空の社長が、被疑者死亡のまま業務上過失致死・消防法違反などで形ばかりの書類送検をされただけ。
派手な事件のわりには、綺麗に隠蔽されたものだと妙に感心する。
……まあ隠蔽できる自信がなくては、あんな派手な事件は起こさなかっただろうけれど。
現在、あの男と私との間では水面下での攻防が続いている。
うちの家のネットはすぐに二十四時間態勢で父の雇った技術者に監視されるようになったし、頼りにしていたNGOも解散の危機へと追い込まれつつある。
対するこちらは、株式投資の利益を何とかセキュリティの増築に積極的に回すようにしているし、携帯電話で有線以外の連絡手段を確保しつつ、動きを読まれないようにとあの手この手で情報のやり取りを行い、と味方を増やすようにしている。
まあ、今のところは少なくとも――
「よっし……溜まったアニメでも見ますかねー」
「今日は何ですか?」
「そうね、昨日が木曜日だったから――」
ゲーム、アニメに株、時々ハッキングと、しばらくは私の優雅な日々は続きそうです。
それはいわゆる死亡フラグというものでして。 夕凪 @yu_nag
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます