◆少女が忘れた話


 【花押あかりの記憶】


 この町の人々は、なにかのせいにして生活している。


 災害も事件も「神様のイタズラだ」なんて言って誤魔化す。

 それだけならまだ可愛いものだが、テストで悪い点を取ったり、楽器を何度練習してもうまくならなかったりするときも「運が悪かった」「才能がなかった」なんて自分の努力不足を認めない人たちが多い。

 子供でも見苦しいけれど、大人でも時々いるものだ。

 商店街の人々もおつりを数え間違えると「商売の神様がとちったか」なんて、神様のせいにする。

 挙句の果てに、炊飯器の蓋を閉め忘れやすい母親なんて「また、しゃもじの妖怪のしわざだ」って言って謝りもしないことが日常茶飯事だ。


 忘来町。

 幽霊が多い町なんて騒がれてるけど、わたしはそんなものに興味はない。

 いるのだろう、ということだけは分かっている。

 住んでれば嫌でも分かるぐらい心霊現象はこの町には多い。

 わたしだけが見ることができた紫色の尻尾の猫や、窓が何度も叩かれるポルターガイスト現象――そんなものにも出くわした。

 だけど、それで人生を狂わされる話は信じられない。

 怪異のせいでわたしの人生はめちゃくちゃになりました……なんていう人の気が知れなかった。

 だから、人がおかしくなった話も、誰かがいなくなってしまった話も。

 わたしにとっては全てが他人事だった。


 眩しくない夕日に背を向けて、私は古い石橋を渡っていた。

 五時になったのだろう。辺り一面にトロイメライが流れはじめる。

 橋を渡っていると、反対方向から、たん、たんと規則的な足音で歩いてきた。

 聞き覚えのある、よく聞いたことがある洗練された足音だった。

 わたしと違う高校の学ラン。切れ長の瞳に、すらりとした首。

 

「舞沢」


 わたしは手を軽く挙げようとした――が、舞沢の隣に歩いている女子学生の姿を横切る瞬間に目撃した。

 ひらりと振るはずだった手を、わたしは髪を耳にかきあげるために使った。


 わたしより綺麗で優しそうな子を見つけた目はさすがじゃない。

 独り言つように、わたしは内心でそう呟いてみた。

 それにしたって、足音でアイツだって分かるの。自分でもちょっと気持ち悪いな。


「でも、しょうがないじゃない。覚えてしまった足音なんだから」


 わたしは、かつて踊り子だった。

 五歳の頃から髪を一つのおだんごにまとめ、バレエ教室に足しげく姉と共に通っていた。つま先でやるものではなく、全身を使って神経を張り巡らせて踊る感覚は理屈では説明できない、子供のわたしにとって『楽しい』と思えるものだった。

 それは、ライフワークになるものだと中学まで信じていた。

 今となっては非現実的すぎる話なのだけれど、わたしは本気で踊り続けた。


 舞沢信一郎まいざわしんいちろう――彼もわたしと同じバレエ教室に通う同い年の踊り子だった。

 彼はわたしよりも三カ月後に教室に入ってきた。当初の舞沢はパッとしなかったが、小学校高学年にかけての成長は目覚ましいものだった。

 成熟し始めの肉体で刻まれるしなやかなステップ。

 軽々と跳躍する足腰の伸びにわたしは目が釘付けになったものだ。

 自慢ではないが、わたしはピルエット――ターンは得意で、軸がブレることがない、足が絶対に曲がらないと先生に褒められていた。


「それでいて柔らかさを感じる。だからアカリに、すっ、と目がいくんだ。あのピルエットはアカリにしかできないと思う。やっぱり男と女ってこういうところに違いがあるんだなって思い知らされるよ」


 舞沢に言われた時、わたしにも「武器」があったと胸を躍らせた――。

 わたしは、彼のライバルになれる。

 彼にも勝てる、追いつける。そう、信じた。

 だから、わたしは踊り続け、舞沢もひたすらに踊り続けた。

 わたしたちは時間も忘れて、バレエの道を舞い渡った。


 やがて、スポットライトを浴びたのは舞沢だった。

 わたしたちが中学一年の時、舞沢は大きなコンクールで優秀な賞を取った。

 彼は地元だけでなく一部の全国紙にも密やかながら名前が載った。

 忘来も有名人が出たと持て囃して舞沢に明かりを当てる。

 舞沢は一躍して、「忘来から生まれたダンサーの卵」になった。


 そして、わたしは、「舞沢が通っているバレエ教室の生徒」へと変わった。

 舞沢はバレエ一本に専念しはじめ、小さなバレエ教室を後にした。

 電車賃は高いがもっとレベルの高い教室に通うことになった。

 残されたわたしは小さなバレエ教室で小学校低学年ぐらいの子供たちと一緒くたにされるようになる。


 それでも、わたしはまだ跳べると信じていた。

 舞沢が浴びたスポットライトの場所に立てるはずだと。


 そんなある日、わたしが14歳になった頃。

 姉はわたしの発表会の写真を見て「ほんっと、いいなあ」と溜息を吐いた。


「アカリちゃんがこんなに上手くなっちゃうなんて。私が惨めになっちゃうなあ」


 それは突然だった。

 突然、姉はわたしのせいにした。

 わたしの姉は体が丈夫ではないのに、バレエに通い「アカリちゃんがやるなら」ってノコノコついてきた。わたしの姉は不気味な趣味を持っていて、具合が悪いと言っているのにパソコンでチャットを始めたり、オカルト仲間とメールしているのを見かけているぐらいのオカルト好きだった。

 当然、すぐに姉は一ヶ月も経たずに教室を辞めて、わたしのことなど我関せずでオカルトに熱中していた。


 だというのに、この時、姉はわたしが上手すぎると匂わせた口ぶりでさめざめと泣き始めたのだ。


「ねえ、どうしてお姉ちゃんが泣くワケ?」


 いつもは母親に「口答えしないの」と言わるが、さすがに姉に強く抗議した。

 お姉ちゃんがバレエができないのは、惨めになっているのは、お姉ちゃんが体が弱いせいであって、わたしのせいじゃない。妹が強く言ったことに驚いたのか、また姉は「そうだよね、うん、そうだよね」とぐずぐずと鼻を啜った。

 しかし、体が丈夫ではない姉に母は弱かった。

 わたしに呆れたような目を向けて、ついに「今まで言いたかったであろうこと」を母は口にしたのだ。


「アンタも、もう子供のオケイコは終わりにしたらどう? だって舞沢くんが有名になっちゃったでしょ?」


 おけいこ、そう母はやんわりと言った。

 「この町には舞沢くんがいるでしょ」「アカリちゃんのせいで惨めよ」

 ここから出したわたしの結論は一つだった。

 町に踊り子は二人もいらなかったんだ。

 そしてわたしは、中学二年の夏にバレエ教室を辞めた。


 わたしがバレエを辞めると聞いて最初に残念がったのは従姉妹の梨穂だった。


「うっそ。アカリ、マジで? 辞めちゃったの?」


 梨穂に忘来のお祭りの時に辞めたことを明かすと目を丸くして驚かれた。

 今でこそわたしを慰める時は、からから笑って寄り添い「かわいい妹分の新たな道に乾杯」なんて言って一杯ひっかけるのだろうが、この頃の梨穂は高校生でちょっと若かった。わたし目線で、わたしのことを心配してくれた。

 祭りではわたしの好きなアイスキャンディーをおごり、人形すくいで「ウチとおそろい」と言って『人面魚くん』というゆるキャラのキーホルダーをプレゼントしてくれた。


「いつかはまた踊り見せてよ。正月の時でもいいからさ。ウチ、アカリの踊り好きだからさ」

「バレエはかくし芸じゃないし」


 そうぶっきらぼうに言って、わたしはアイスキャンディーを齧った。

 歯に沁みたメロン味のアイスの感触はいまでも忘れられない。


 あれから、二、三カ月、一年経っても、わたしは変わらなかった。

 

 そうだ。あれから、なんにも変わらなかった。

 ただ、ぽっかり穴が空いて、時だけがすうすうと穴から流れていくだけ。

 バレエ以外にもたくさんやれることはある、みんな言った。


「バレエはなかったことにして、次のことを頑張りなさいよ」


 母はそう言ってわたしを励ました……わたしは今でも思う。

 なかったことにできたら、どれだけ幸せか。

 今さらバレエをなかったことにしたら、わたしはゼロだ。

 なにもなくなってしまうじゃないか。

 

 全てを無くしたわたしは高校に入っても空っぽだった。


 そんなわたしがオカルト研究部に入ったのは、高校デビュー……ではない。

 しつこい勧誘にわたしが折れたから。

 出会うや否や、二葉先輩という傍若無人かつ破天荒な学生に振り回され、無理矢理、部室に引きずり込まれた。わたしが怪談やこっくりさん、肝試しにも物怖じしなかったことで余計に気に入られてしまった。


 何故、幽霊部員を選ばなかったのか……。

 それはある意味、姉への仕返しもあるかもしれない。

 わたしのものを無自覚な悪意で奪ったお姉ちゃんの大切なものを奪いたい。

 多少は、そんな気持ちもあったのかもしれない。


 でも、それも今となってはどうでもいいことだ。

 わたしは欠けてしまったものを埋め合わせるためのなにかが必要だった。

 それが、偶然、誘われたオカルト研究部だったというだけだ。

 ……それでも、満たされてはいないけれど。 

 ああ、この町も、私自身も。


 「ぜんぶぜんぶバカみたい」


 橋を渡り終え、わたしは歩いてきた道を振り返る。

 石橋に伸びた影がつま先立ちでくるくると回っている――ように見えた。

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