共同体 -八戸豊の話-

        * * * * *


        オカルト研究装本 語り手

        FILE No.6: 八戸はちのへゆたか

        逢ヶ君神社宮司

        忘来歴:不明


        * * * * *


 八戸豊はちのへゆたか――これはとても特殊な出会いだった。


 わたしは、語り手の三人目を見つけられないまま途方に暮れていた。

 トモダチは他のことで忙しいのか、なかなか連絡がなかった。

 高校一年生で、こんなにきな臭い仕事をしているのは、わたしだけだろう。

 ほんとうに、幸先悪いスタートを切ってしまったようだ。


 憂鬱な気分で、わたしは気晴らしにわたしは小学校の裏山を散歩していていた。

 忘来小学校の裏山は『樹海』と言われている。

 学校の裏山は標高も高くなく、道路は舗装はされているところはあるが、木々が鬱蒼としている自然地帯で昼でも薄暗いので不気味がられている。それでも心を休めたいとき、わたしはこの裏山でジョギングをする。気持ちを落ち着かせるためにはうってつけの静かな場所だからだ。

 そんな裏山散策をしていると、見慣れない石段の階段を見つけたのだ。

 不審感も大きかったが興味本位で、辺りを確認しながら階段を上がってみた。そこには錆びれた小さな神社が建っていたのだ。煤けた石柱には『逢ヶ君おうがきみ神社』と刻まれていた。わたしは数十年住んでいるのに、こんなところがあったなんて知らずに、驚きを隠せなかった。


「参拝者とは、珍しいこともあるものだ」


 賽銭箱に小銭を入れて「話し相手が見つかるように」とお願いしていると、わたしは、宮司の男性に話しかけられた。

 男性は古風な雰囲気を漂わせた切れ長の瞳の中年だった。

 箒を片手に首を傾げる屈強な宮司は八戸という名前だった。

 どうしてここに祈願しに来たのかと尋ねられて、わたしは正直に、怪談を話してくれる相手を見つけたかったことを伝えてしまった。変なことを言ったと後悔していると、彼は驚いたことを言ってきたのだ。


「どうせ神社は暇だ。暇つぶしに話をしてあげよう」


 ダメ元だった願いは、神様に届いたようだ。

 わたしはポケットにしまっていたボイスレコーダーを取り出した。

 八戸という名の宮司は、一息入れて口を開いた。


「それでは一つ。こんな話をしよう」



 * * * * * *


 201×年 5月29日(土) PM 15:44


 私の名前は、八戸豊はちのへゆたか

 逢ヶ君おうがぎみ神社の宮司だ。


 そうだな……まずは、この神社について話をしようか。

 お前はこの神社に来るのは初めてのようだからな。

 逢ヶ君神社の名前は聞いたことがあっただろうか……聞いたことがない?

 いや、気にする必要はないさ。

 このような山奥にあるのだから知らなくて当然だろう。


 逢ヶ君神社は、一度離れ離れになってしまった者たちが、再び巡り合えると言われる祈願の神社。もっと言えば、待ち合わせの神社とも言えるだろうか。この地域では有名のはずだが、もう何百年も前のしきたりだから町では廃れてしまっているのかもしれない。


 さて……アカリと言ったかな。

 前置きが長くなってしまったが、話を始めようか。

 

 いまから話すのは、忘来が町になる前の時代の話だ。

 かつて、この山の麓には数個の村があったのは知っているだろうか。

 その中のある村で、黒目がない盲目の子供が生まれたんだ。名は「キズナ」と呼ばれていた。盲目というのはもっとも神に近い存在と呼ばれていてな……北国では目が見えない女子はイタコとして山に修行させていたと聞いたことがあるぐらいだ。黒目がないことも相まって、村から村を超えて、風の噂になるぐらいに奇妙がられていたのさ。


 だが、そうは言えども盲目で、しかも男の子だ。

 本来は口減らしにされる運命だったのだろうな。

 それでも、母親の方は盲目の男の子でも待望の子供だったそうだ。

 白目で気味悪がれていても、お腹を痛めて産み落とした愛しき子。そんな幼い我が子を見殺しにすることはできなかったのだろう。母親は自分の村から夜な夜な逃げ、村を転々としたそうだ。ついには、二人は山奥に隠れ、母は息子を可愛がったという。

 だが、母は生活に慣れず……いや、元々病弱だったが故か病にかかってしまった。

 為すすべもなく幼く愛しい我が子を先に亡くなってしまったのだ。それはキズナが八つのときだった。山に放り出された盲目の我が子は野垂れ死ぬしか道はない……母親もそれを大層、悔やんでいたことだろう。


 ところが、奇妙なことにキズナは助かったんだ。

 同じくして山奥で修行をしていた初老の男に運よく拾われたんだ。

 男は「ホダシ」といって、彼は耳が聞こえない聾唖ろうあだった。

 幼い盲目の子供を拾ったホダシは彼を養い、時には盲目の彼の目となり、キズナのことを助けたんだ。そしてキズナも耳が聞こえないホダシのために川のせせらぎを聞きとり水を確保をしたり、猪の唸り声を瞬時に教えたり、何度もホダシを救ったという。そうして山中で、不自由なく彼らは共に生きていたそうだ。


 その頃、彼らが生きている時代は混乱のさなかといっても過言ではなかった。

 ある者たちは数々の徴兵で男を喪い。

 あるいは男が都から戻って来たとしても、女が病気で亡くなり。

 はたまた村が災害に襲われ身元も分からぬまま、愛する者たちと出会えずして、命を落とした人々が数多くいた時代があったということは知っているだろう?


 ホダシには耳が聞こえぬが、その者たちが彷徨う姿が見えたそうだ。

 そして、キズナには彷徨える者たちの声が聞こえた。

 二人とも、失ったものを補うための不思議な力を身につけていたのだろうな。


「私が耳を澄ませ、導き寄せるために呼びかけよう。彼らに手を差しのべることができれば、命を落とし愛する者を探すために現世に留まり嘆く者どもの悲しみを救えるだろう」


 キズナはホダシの力を借りて彷徨える者たちと邂逅した。

 そして、キズナたちは彷徨える者たちとも共に生き、彼らが求める者たちと結び合わせ、多くの魂を救ったそうだ。


 彼らのことは、気がつくと噂となって麓の村々に広まっていった。

 村人たちは……彼らを恐れ始めたんだ。

 山の中で音を立てて歩み続けている光景は異様で奇怪だ。

 白目の男ということも相まって、遠目で見たら妖怪の影としか見えないだろう。

 もしかしたら、忘来に残っている妖怪の伝説の正体は彼らなのかもしれないな。

 村人たちも怪異からどんどん想像を膨らませて、次第には悪しき物の怪だと考えるようになった。ここの山は山菜や筍も豊富なものだから、村人たちにとっても大切な資源の山だった。だから、怪異退治と言って武器を持って村の若い男たちが山に押し入ってきたんだ。


 キズナはこの様子を知って、大層戸惑ったそうだ。

 「なにゆえに彼らは自分たちを退治しようとするのだろう」と。

 キズナは山菜を食い散らかす猪でも、山を歩く旅人を殺して財を得る山賊でもなかったのだからな。


「私には彼らのことが分からない。どうすれば、彼らと分かりあえるだろうか」

 

 そうしてキズナが考えて選んだ道は、彼らと共に生きる道だった。

 家族、修行、村――どの共同体だってそうだ。


「相手のことが理解できなくても、同じ人間、同じ場で集まってしまった者同士。互いを補いながら生きなければいけない」


 ホダシもキズナの言葉を聞いて「それがよい」と賛同をした。

 キズナは山に押し掛けた男たちを、誘き寄せて住処へと連れて行ったのだ。運よくキズナが男たちに出会った時、雨が降り始めていたからな。キズナは笠をかぶって目元を隠して雨宿りを提案する。そして誘い出された男たちを、キズナは自らが住む小屋に泊めたんだ。

 キズナはそのようなことを、雨が降るたびに続けたそうだ。

 招き入れた男たちを小屋に一晩泊めさせる……そして翌朝になって帰ろうとする男たちに向かって呼び止めるんだ。


「まだ、此方におりなさい。此方に。私のもとにおられなさい」


 このような文句で男たちが留まるはずがない……と思うだろう?

 ところが不思議なものでな。誘き寄せられた者たちは誰一人、村に帰ることはなかったそうだ。まるで幻術にかかったようにな。

 そのようなことが数年も続き、山に出向いた村人はたちまちに消えてしまったんだ。



 村の人々が恐れた現象――もといキズナの共同生活が終わったのは神隠しが始まってから十年後だった。雨降りの頃合いで山に入っても、人々が何事もなく帰れるようになった時期だ。長い年月の間、夫を、父を、子供を山に奪われた村民たちは怪異の正体を晴らすべく捜索を始めた。

「せめて我らの手で弔ってやりたい。願わくは生きていることを」

 木々や草を掻きわけて、村の人々は消えてしまった者たちの行方を追ったんだ。


 村の者たちが、山の中を探して数日経ったある日のことだった。

 水無月の昼下がり、ある村の青年が大きな岩に腰をかけて暫しの休息を取っていたときだった。彼が水筒の茶で喉の渇きを潤していると、笠を被った八つほどの子どもが道なりにとぼとぼと歩いてきたのだ。

「はて、あれは村の子どもだろうか」

 青年が首を傾げていると、子どもは笠に手をあてて彼の前に立ち止まった。


「あんちゃん。さがしものかい」


 子どもの声は爺のようにひどくしゃがれていた。青年は子どもの言葉に頷いて、探している人がいると返した。彼は五年前に山に出かけて雨に降られた日から戻って来ない父を探していたんだ。気休めということも含めて、そのようなことを青年は目の前の子どもにぽろりと話した。すると子どもは淡々と「ああ」と軽く息を吐いた。


「お前の言っているのは、ミヤ村のズイジのことか?」


 青年は茶を零しそうになったほど驚いた。言い当てられたものは間違いなく父の名前だったからだ。亡骸を見つけてやれたらと願っていたが、まさか父は生きているのか。青年は「その名を。何故」と尋ねた。

 子どもは返事をせず、笠を深く被りなおして道を駆け出してしまった。

 いきなりのことに、青年も慌てて立ちあがり子どもの跡を追いかけた。

 もしかしたら、あれこそが山の怪異で自分を騙しているのかもしれない……。

 それでも青年は父に一目会いたいという一心で走ったのだろう。


 青年は奇妙な子どもを追いかけ木々を駆け抜けていると、やがて、木々もない開けた場所に辿り着いた。そこには一軒の小屋がぽつんとあった。扉の近くにはちいさな笠が捨てられていたから、「子どもがこのなかにいるのだな」と青年は感づいた。

 笠を足でそっと退けながら、青年は山小屋の中へと踏み入れた。


 ……そう。それがまさしく先ほど話したキズナが住んでいた小屋だった。

 煤けた埃だらけの壁に古い藁が敷きつめられた床。藁の隙間には大きな蜘蛛や御器噛が這っていて、小屋の中一面に動物を食したときの吐瀉物の匂いが漂っていた。そしてなによりも、一部屋しかない小さな小さな空間だったんだ。

 強烈な匂いに悶絶しながら、青年は小屋の奥を見据えた。

 そこには、青年に話しかけた子どもがなにかを抱きかかえて座り込んでいた。

 茫然と立ちすくむ青年を見るなり、子どもは再びしわがれた声で呟いたんだ。


「この御方はキズナさま。お前の探し求めていた者を引き寄せてくれたのだ」


 壊れた櫛のように歯が欠けた口で子どもはそう言ったんだ。

 子どもが抱きついている男は白目で着物もない真っ裸だった。

 そしてなによりも……体は赤い潰瘍まみれの屍だったのさ。


 その光景を一目見た青年は恐ろしくなったんだ。

 恐らく父親に会いたいという願いも吹き飛ぶぐらいに。

 青年は叫びながら水筒を投げつけて、一目散に村へと逃げだしてしまったのさ。


 あれから青年の父親をはじめとして山に消えてしまった男たちは見つからなかった。笠を被ったキズナの姿も現れることはなく、山に入っても、足を挫く者はいても一向に帰ってこれない者はいなくなった。

 「だが、かの山には、まだ物の怪はいるのだろう」

 安心する村の人々の中で、奇妙な子どもに導かれた青年だけは、死ぬまでこの山のことを恐れ、自身の体験を噺として語り継いだとさ。

 これで、この話自体は終わりだ。



 ……さて、アカリ。お前は不服な顔をしているな。


 山の中でキズナとホダシが協力して彷徨う魂を引き合わせていたことも。

 キズナが山へ押し入ってきた者たちと共に暮らしたことも。

 ある時期に村の者たちが、山に行ったきり、二度と帰ってこなかったことも。

 不思議なことはどこにもない。この話は破たんはしていないんだ。


 それでも、お前は首を傾げている。

 「キズナに連れられた男たちはどうしたのか」とでも言いたいのだろう。

 もしやキズナは男たちを殺したのか……だが、私の言ったことに偽りはない。

 キズナが選んだ道は、……と。

 彼を助けてくれたホダシと同じような道を、男たちにも捧げたまでだ。

 

 その、肝心のホダシはどうしたか、だって?

 何度も語った通りだよ。彼らは共に生きていた……それが答えだ。

 キズナが彼の耳となっている……比喩などではない。そのままの意味だ。

 ホダシはキズナの声を聞くことができたんだよ。

 なぜなら、ホダシはキズナと共に生きているのだから。


 招かれた村の男たちも、そうだったんだ。

 一人ずつ、一人ずつ。

 ホダシと同じように。キズナは彼らと同じ血を通わせようとした。

 一人ずつ、一人ずつ、一人ずつ。

 骨も残さずに。血が詰まった若い肉を。

 硬い喉仏をむしゃぶり、あられを食べるときに似た音で指や爪を噛み砕いて。

 

 一人ずつ、一人ずつ、一人も逃すことなく丁寧にたいらげたんだ。

 

「まだ、此方におりなさい。此方に。私のもとにおられなさい」


 彼らは村に帰ることなどできるはずがない。

 キズナと同じ体の中に、生きるしか術がないのだから。

 ホダシと共にキズナは彷徨う者たちを救ったと言っただろう。キズナにはそのような力があったんだ。離れ離れになった者たちを再び巡り会わせ、彼らを癒すことができる力がな――キズナの体には、多くの魂が『待ち続けていた』のだから。

 

 なにゆえ、キズナが見るも絶えない屍となってしまったのかは語られていない。

 そして、青年を導いた子どもが何者で、どうなってしまったのかということも。

 それでも、人のこころというのは怪異よりも奇妙なものなのかもしれない。離れ離れになった者たちを巡り合わせたい、大事な人と共に在りたい、逢わせたいという思いを大切にしたかった彼らの思惑を――だれが汲み取ったのだろうな。それがだれかは私にも分からない。

 人神として彼を『オキズナさま』と祀ったのは。

 待ち合わせの神として信仰し始めたのは……一体、いつからだったのだろうな?



 ……話が長くなってしまったな。

 私の話はこれで終わりだ。これ以上、話すと怪談ではなくなってしまう。

 さて。お前は、この後、帰路に戻るのだろう?

 それなら、神社の巫女が山の麓まで案内してあげよう。

 

* * * * * * * *


 【白目の神様】 語り部:八戸豊

 山に取り残された盲目の男が神に祀り上げられるまでの話。

 「まだ、此方におりなさい」――母に取り残された男は、人々を食した。

 自分を助けてくれた男も、自分を退治しようとする者も。

 もう二度と、誰も一人で取り残されずに彷徨い疲れることがないように……。

 無礼な話だが、怪と神は紙一重なのやもしれない。


 長いこと忘来に住んでいるのに、私は逢ヶ君神社というのを初めて聞いた。

 もしかして化かされたのだろうか?

 あれから、もう一度、山に入って道を探すとすぐに件の神社を発見できた。

「私たちは隠れているつもりはないのだがな」

 彼は肩を竦めて言っていたが、樹海だから隠れていてもありえなくない話であまり笑えなかった。

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