【花押あかりの記録】
舞台の魔物 -真壁梨穂の話-
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オカルト研究装本 語り手
FILE No.4:
劇団『サラバ』の劇団員
忘来歴:19年(中高6年間は隣町に在住)
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正確にはわたしの母親の兄の妹……いわゆる、わたしにとっての『いとこのおねえさん』ってヤツだ。
いまは劇団員をしていて、売れない役者の真っ最中らしい。
彼女は昔からオカルト話が好きと言っていたことを思い出して、無理を覚悟に電話をして頼んでみたのだ。最初こそは戸惑われてしまったけど、「カワイイ妹分の願いならしゃーないね」と言って一肌脱いでくれることになった。
水曜の夜、久しぶりに会った梨穂は長い髪をばっさり切ってボブに近いショートヘアにしていた。赤色のジャケットを羽織ったパンツスタイルで薄桃色のチークにオレンジ色のアイシャドウも塗って、オシャレも気を遣っていてちょっとだけ安心した。
売れてなくて困っていたとは聞いていたけど、くっきりとした女性的なプロポーションは健在だったので褒めてあげた。
「ありがと。アカリこそスレンダーじゃんか。でも発育はまだまだだねぇ」
折角褒めたのに、からかわれてしまった。本当のことだが悔しいものだ。
アパート二階の1Kの梨穂の部屋は小ざっぱりしていた。
一人暮らしの独身女性の部屋は見るに堪えないものだろうと思っていたが、簡素な部屋で少しだけ安心した。節電なのか雰囲気作りなのか、梨穂は電気は消して代わりにキャンドル型のランプが部屋を灯した。
わたしはボイスレコーダーをポケットから取り出してボタンを押す。梨穂は呑気にあぐらをかいて、わたしのことをじっと見つめてた……。
「話していいよ」
わたしがそう言ったけど、梨穂はしばらくぼんやりわたしの様子を眺めていた。
劇団帰りで疲れているのだろうか。
わたしが急かすと、間抜けな返事が戻ってきた。
「はいはい。それじゃ、幕開けといきますか」
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201×年 5月19日(水) PM 19:11
最初に名前とか言っておく?
真壁梨穂。『劇団サラバ』に所属する劇団員でーす……これでいい?
もしかしてさ、これって宣伝活動になったりするかな。
別にステマみたいなことはしないって。
それじゃ、なに話そうかな……決めてなかったのかって?
いいじゃん、おしゃべりぐらいこっちのペースでやらせてよ。
おしゃべりじゃなくて取材だって? へいへい、分かりましたよっと。
そうだなあ……じゃあ、アカリにもちょっと関係のある舞台の話でもしようか。
ウチが劇団にいることは知ってるよね?
昔から演劇に興味を持っていて、高校から演劇部に入ったわけだけど……。
演劇に惹きこまれた一番最初のきっかけをあげるなら、小学校五年の時。
六年生を送る会っていうのアカリもやったことない?
それで、ウチらのクラスは演劇をやることになったんだよね。内容は干支の十二支がどうして選ばれたかっていう話で、ウチはトリの役だった。なんでその役になったかっていう経緯は忘れちゃったけど。そのトリの役が意外とハマった……これがきっかけ。
というよりも、舞台から見た世界に一目惚れしちゃったんだよね。
「ウチはトリだ」っていうことも忘れたぐらいに、トリにのめりこんだ瞬間があってさ。その時に、ビビッとキちゃったワケ。ここにいたいって直感的に思ったんだ。
アカリもちょっとは分かるんじゃないの。バレエやってたんでしょ。
自分が白鳥であることも人間であることも忘れる瞬間とか、あるでしょ?
……不服そうな顔だね。でも、ちょっとは分かってくれた?
でもさ、ウチは演じた快感だけじゃなくて、舞台に立つことの恐ろしさも知ったんだ。
いまでも覚えてるよ、主人公のネズミの役を演じた子のこと。
その子は、クラスでも一番声が大きいやんちゃな男子で、練習の時もハキハキとしていて主役にふさわしい演技の子だった。
だけどね、その子、本番になって突然がらりと変わっちゃった。台詞もつっかえたり、うっかり忘れちゃったり、嘘みたいにぎくしゃくしているの……最後は本当に顔真っ赤で小声。彼が練習不足だったってワケじゃないよ? ちゃんと練習してたのに、そんな結果だったんだ。
舞台には『魔物』がいる――。
舞台人にとっては常套句かもしれないけどさ。まさにその通りだっていまでも思うんだ。どんなに練習していても、台詞がハッと抜けたり、自分がなにをしていいか分からなくなる一瞬。「ウチ」は観客たちに見つめられてる……って知ってしまった瞬間に自分の存在を思い知らされた時のどうしようもなさ。舞台に潜んでいる魔物がウチらの努力をぺろりと喰っているんじゃないかってぐらい、この一瞬は練習の時以上にゾッとさせられるものがあるよね。
魔物のせいにするなって? いや、そんなことは思ってないよ?
ウチは魔物のせいじゃなくて、魔物に勝てなかった自分が悪いって思っているからね。それにプロは魔物がいたとしても食ってやるっていう勢いで挑んでるしさ。
でも小学校のお楽しみ会の演劇は、プロ目指してるワケじゃないからね。魔物のせいって思えても仕方ないような気がするよ。
魔物に食い散らかされ無残な姿にひんむかれる人もいるけど、魔物を飼いならす人もいる。そもそも舞台に立つプロは魔物に襲われても、猛獣使いのように手籠めにしなきゃいけないのさ。
それに魔物は決して悪くない――むしろヤツらがいるからこそ舞台は背筋が張りつめるほど楽しいものになるからね。
……前置きが長すぎた? 顔に出てるよ、アカリ。
まあ、ウチも長すぎたって思ったからいいよ。話始めるね。
ねえ、アカリ。ウチが中高は女子校だったの覚えてる?
そうそう、隣町の超オジョーサマガッコーね。
ウチが所属していた演劇部に
彼女は身長が百五十センチぐらいで子供みたいな体型なんだけど、手足は細くてすらりとしていて大人びた雰囲気も感じさせられる不思議な先輩だった。
整った短い髪と中性的な顔立ちが特徴的だから、『キンポウゲの君』なんて言われてたよ。尊敬と嫌味は半々ぐらいのネーミングなんだけどね。
彼女はキンポウゲの君だけじゃなくてね、キメラっていうあだ名もついていた。
生意気な少女からあどけない欲無き童女、男に振り回されるOLに、男を振り回す悪女、卑しい老婆から優しい老婦人まで――演じられないものはないほど、彼女は変幻自在だったのよ。
いや、演じるって言う言葉も変かな?
舞台に立つと、キンポウゲの君という存在は跡形もなくいなくなってしまうっていう表現が正しいかもね。
あの人は舞台の一部、物語に溶け込んで擬態してしまうんだ。今までずっと「物語の町に在住していました」って言わんばかりの自然体で軽々と舞台に立って縦横無尽に話を彩るの。どちらかといえば、キメラというよりカメレオンだった。
キンポウゲの君は名の通り気高い人だったよ。
「美人ですね」とか「感動しました」なんて褒めても「そうじゃない」って言って突っぱねるの。性格は難ありだったよ。自他にもストイックすぎるからね。
それにエキセントリックでね。彼女の伝説に一年生の時に文化祭で白いペンキを頭からかぶったりした、って言うのがあったぐらい変人なの。
その時、彼女は「こうすれば、自分が自分でなくなる」って平気で言いきったぐらいのおかしい行動をしてきたんだ。
っていうか、ここまでいけば電波だよね。
もちろん彼女の才能は本物だよ。
彼女の演技や指導のおかげでウチの時代の演劇部は何度も賞を取ったんだから。
ただ、あんまり部内の雰囲気はよくなかったかな。
みんな何も言えなかったり、「彼女がいうなら間違いはない」って思って意見を飲みこんだりしてたからね。
それでさ、ウチの演劇部は校外の大会だけじゃなくて、文化祭に校内で公演をやるんだよね。それが先輩たちの引退公演ってヤツになるのかな。主役はいつもなら部長なんだけど、その時はキンポウゲの君だったんだ。部長も「キンポウゲの君でいいよ」って譲ってとんとん拍子で決まった。
それで劇の内容なんだけど、『クリスマス・キャロル』――アカリは知ってる?
元は英国の小説なんだけど、簡単に言えば、強欲な資産家のスクルージっていう男が、クリスマスの日に三人の亡霊に会うんだ。亡霊たちによって、彼自身の浅ましい過去や現在、そして誰からも愛されないまま死ぬ未来を見せられるんだ。そして目を覚ましてクリスマスを迎えたスクルージは自分の未来を変えるために、優しい慈善者になって、心豊かな人生を送ることになった……っていう話。
脚本は二年生が考えて、台詞回しは変えたりカットしたりして完成したよ。
キンポウゲの君が演じる主役のスクルージは、かつては清らかな青年だったけど、欲望に塗れて金の亡者となってしまった男なんだ。性別も違うし、経験豊富な年齢だから、キンポウゲの君でも大変だったんじゃないのかな。
それでも彼女の存在は舞台にあがれば跡形もなく消えていたよ。
練習でもリハーサルでもスクルージは悠々と歩いて、苛立たしさへの怒り、亡霊や自らの末路への恐怖、未来を変えるための優しく心からの笑顔を見せていたんだ。
これはきっと素晴らしい劇になる――その時は、みんな確信していた。
本番当日……舞台は幕を開けた。
キンポウゲの君――いいや、スクルージは絶好調。
貧しい人たちを見下す視線、金を絶対に渡さないと言わんばかりのギラギラとした野望が冒頭では惜しみなく披露されたよ。クリスマスイブの夜の場面では、かつて彼の仲間だった霊がやって来て「三人の亡霊が訪れる」とスクルージに警告するんだ。最初こそスクルージは意地を張っていたけど……仲間の言う通りに本当にやってきたんだ。過去を見せる亡霊がね。
ウチは今回裏方に回ってたから、舞台袖で張りつめた空気で見つめてた。
でも、面白いぐらいに舞台上の住人たちは的確な動きをしてくれたよ。過去を見せる亡霊も優しい言葉で淡々とスクルージに自らの過去を見せていた。
「あなたは家族も、友人も、恋人も失ってしまいました。どの人たちもあなたにとっての宝だったというのに。そして、自分の心も失ってしまったのですね」
かつての自分を見たスクルージは居たたまれなさと悔恨に苛まれていた……。
そして、過去の亡霊は慈悲深い目で彼に囁いた。
「そう、お前と一緒だ。大切な人たちに見てもらいたかった、認めてもらいたかった。ただそれだけの理由で、自分自身を忘れてしまうなんて滑稽なものだな」
過去の亡霊はスクルージにそう語りかけた。
…………そう、本当にそう言ったんだよ。
でも、舞台袖にいるウチは首を傾げた。
『お前と一緒』? 『人に見てもらいたかった』? 『自らを忘れてしまう』?
このシーンの過去の亡霊はかつてのスクルージの良心に語りかけるはずなのに。
「お前の願いは叶ったのか? 自己満足を積み重ねて、たくさんの人格を作った結果がこれか? これがお前の求めた世界か?」
なにかがおかしい。慌てて舞台袖でウチらは脚本を確認した。
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スクルージ『私は、間違っていたというのか?』
亡霊(過去)『その答えはあなたにしかわかりません』
スクルージ『(首を振り)ならば、私は、どうすればよかったんだ?』
亡霊(過去)『あなたは先ほどから後悔ばかりですね』
と、スクルージの両肩に手を置く。
亡霊(過去)『だけど過去は過去にすぎないのです。
あなたが一生涯をかけても時間の針は戻すことはできません。
あなたは過去を振り返ることはできても、
過去のためにしてあげられることは、なにもないのです』
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これが本来の過去の亡霊シーンラスト。
台本通りなら亡霊は「なにもないのです」って繰り返しながら
ウチら裏方は茫然としていた。
でも、客席のみんなはそんなこと知らない。この物語の原作を読んでいる人は少ない。たとえ読んでいても、舞台なら演出が違うのかもって思ってみんな観ていたからね。
「黙れッ! 私は間違っていないッ! 私は間違っていないんだッ!」
舞台のスクルージは半ば金切り声で叫んでいた。
この舞台ではスクルージは舞台袖に戻ってくることは皆無に等しかった。
主役のスクルージは出ずっぱり。戻って来た時に「これは違うでしょ」という指摘もできない。舞台上のスクルージは過去の亡霊の言葉に戸惑いながら、次にやって来る二人目の亡霊を恐れてベッドに腰をかけていた。
裏方の部員は、過去の亡霊の役者に問いただそうとしたよ。
どうして、あんなことを言ったのか……彼らはそれしか言えなかった。
アドリブともいえない「なにか」を見た気分だっただろうね……指摘するはずの部員たちも強く言えなくて尻すぼみしていた。
そんな中、脚本を書いた子だけは、静かにこう言い切ったんだ。
「キンポウゲの君なら、きっと大丈夫。だから見届けよう」
そう言って、現在の亡霊の役者を送り出したんだ。
豪快な性格の現在の時間を見せる亡霊は滔々とスクルージに今の街の姿を見せて語った。チキンもケーキもプレゼントも買えない貧困の家族や、クリスマスでも低賃金で働く人々――このシーンはウチも一緒に街の人々を演じたよ、短い時間だけど舞台にあがると、さっきまでの心配は全部吹き飛んじゃった。
ウチらを含めた街の人々の役者は出番を終えて舞台袖に戻った。
そして、スクルージと現在の亡霊はお互いに向き合ったんだ。自分の元で働く職員を減給した男の息子が病気で命が間もないことを目の当たりにして、スクルージは焦っていた。
「私は、なんてことをしてしまったんだ……ああ、どうやれば、あの子を助けてやれるだろうか」
「なにを言っているのだね。あの子が死ねば、邪魔な人口が減ってちょうどいいだろう」
現在の亡霊は荒々し気にスクルージに言い聞かせた。
ウチは、そろそろこの話も終盤だ――って咄嗟に思っていた。ウチらも観客も、みんなそう思っていたんじゃないのかな。
「この街の人々を助けたいか?」
「ああ、もちろん! 私はこの街のためなら、いくらでも金を積んでやろう!」
「この街のためなら……ああ、愚かしい。全知全能の神にでもなったつもりか? たった一つの小さな町のために命をかけるというのか? そんな小さな町の住人の一人として――こんな小さな世界で、スクルージとして演じるのがお前の幸せなのか?」
そう、さっきの場面と同じような話がまた出てきたよ……スクルージとして、なんて台詞、脚本にはなかったのに。
しかも、ウチはちょっとだけ気づいちゃったんだよ。亡霊が言った「お前」って言葉――それはキンポウゲの君のことを言っているんじゃないかなあって。
お前自身を忘れた、お前の幸せは演じることか。
それは、まるでキンポウゲの君を試しているような台詞だったよ。
スクルージは悲鳴に似た「違う」を喚いて崩れ落ちた。
その悲鳴の中、現在の亡霊は立ち去って行ったワケだけど……。
「さすがに、これダメじゃないの?」
「どうする。ヤバイじゃん……サイコ入ってるって」
演出も舞台監督の子も顔が真っ青でさ、スクルージを演じているキンポウゲの君を呼び出そうってことになった。
でも、それを止めたのは脚本の子だった。
三人とも同学年の二年生だったからもめたけどね……脚本の子は言ったんだ。
「キンポウゲの君なら、なんとかしてくれる。彼女は天才だから」……ってね。
結局、スクルージ演じるキンポウゲの君ならなんとかしてくれるってことになった。そしてウチらは最後の未来の亡霊を送り出したんだ。舞台演出の子は「なにがなんでも脚本通りに言うこと」って口酸っぱく言った。過去の亡霊、現在の亡霊の役者も、身に覚えのないことと言いながらも、この空気で察したのか、何度も謝って舞台の成功を願っていたよ。
とはいうもの、脚本は大破綻はしていなかったからね。
未来の亡霊のシーンさえ決まれば、後はハッピーエンド――脚本の終わりに辿り着いて舞台の幕を降ろせるはずだったから。
そして――舞台上で、ついに未来の亡霊とスクルージが出会った。
「誰からも愛されず死ぬ――誰の言葉も聞かず、すべて自分のことしか考えられな憐れな男の行く末だ」
現れた未来の亡霊とスクルージは寄り添うように歩いていた。
大道具が作った錆びれた墓――スクルージは自身の未来を見せられて、彼は呆然自失になってしまうんだ。
危なっかしいところはあったけど……このシーンはちゃんと脚本通りだったよ。スクルージは薄暗い光のせいか、痩せこけて見えた。目玉も大きくきょろきょろとさせて朽ち果てた屍が動いているようだった。
「最後に聞こう。お前はこれからどうしたいんだ?」
禍々しい声で未来の亡霊は尋ねた。
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スクルージ『私は、この未来から逃れたい。
悲しい過去も、浅ましい現在も変えられないのなら、
せめて、未来だけは報われたいんだ
私はこんな終わり方をしたくない! 頼む!』
スクルージ、亡霊(未来)の足に縋りつくように跪く。
亡霊(未来)『ならば、しかと見届けろ!
そして、自らの道へと向かえ』
亡霊、客席に指をさす。
スクルージ、客席を見て立ち上がる。
亡霊(未来)『ここが、お前の未来だ』
スクルージ、客席をつかむように右手をゆっくりと伸ばす。
* * * * * * * * * *
これが本来の台本の流れ。
手を伸ばしたスクルージ、そして暗転してクリスマスの朝。
目覚めたスクルージは改心して、物語もラストへと向かっていく……っていう展開。
舞台に立つスクルージは一息吐いた。
練習中でもなかった、一筋の涙を流しながらね――。
「どうしたいだって? 私は……何者にもなりたくない。なにかになるためには――"私"なんていらない。欲しいのはこの世界だけ。金? 愛情? 違う――"私"が手に入れたいのはこの世界だ。この"舞台"が欲しい」
ウチは思わず舞台袖で眩暈を起こしかけた。
スクルージが選んだ結末は停滞だったんだ……でも、そうかもしれない。今までの展開から踏まえればスクルージが輝かしい未来なんか選ばない。だからスクルージの答え自体は正しかったんだよ。
未来の亡霊は静かに頷いて指をさした――指先は向こう側だった。
それは、役者にとって行ってはならない場所だったのかもしれない……。
「ならば、しかと見届けろ! そして、自らの道へと向かえ」
未来の亡霊は震えた低い声でスクルージに向かって囁いた。
スクルージはふらふらと瀬戸際まで歩き出していたんだ。
そして、"こちら側の世界"を覗き込んでいる"誰か"をじっと指さした。
こちら側の世界を見ていた"誰か"も、固唾を飲んでいるのがスクルージにも分かったんだろうね。
未来の亡霊は――静かに言い放った。
「ここが、お前の墓場だ」
そしてスクルージの横顔は、右足は――観客席へと踏み出していた。
未来の幽霊が言い終わる前に、スクルージは――いや、金田さんは舞台からいなくなっていた。
金田さんは後頭部から落下して床に叩きつけられた。舞台下で右足が何度も打ち上げられた魚のように痙攣した後に……動かなくなっちゃった。
しばらく、観客も先生も……ウチら演劇部員すら、見入ってしまったんだ。
これも全部台本通りと言わんばかりにね。
かれこれ五分ぐらい経って、おかしいって気づいて先生たちがようやく動き出したよ。騒然とした中、担架で金田さんは運ばれていった。
観客も、三人の亡霊たちを演じた子も、ウチら演劇部員も茫然としたまま。
クリスマス・キャロルの悲劇。
学園の女優が舞台から飛び降りた……いやあ、大スクープだったな。
文化祭でこんなことになっちゃって、事故どころか、ちょっとした事件だよ。
もちろん、当時のウチら演劇部一同は大パニックだった。
休部はもちろん、危うく廃部の危機になっちゃったんだから。
考えてみれば、舞台から飛び降りたスクルージ……いや、金田さんだけでなく亡霊も飛んだ台本泣かせだよ。
突然とんでもない台詞や展開を持ってきちゃったワケだからね。
「キンポウゲの君を陥れる策略だった?」なんてウワサされちゃって。
でもさ、策略だとしてもまどろっこしすぎないかな。陥れると言っても、彼女のホームでもある舞台でやろうなんてよっぽどの度胸じゃないとできないでしょ。実際、亡霊を演じた子たちはなんにも覚えていなかったんだ。それに彼女たちの台本も書きこみはあったけど、あの本番で放たれた場違いの台詞なんて一つもなかったんだ。
全部、金田さんを含めた大胆なアドリブだったんだろうね。
『舞台の魔物』が金田さんたちを誑かしたっていうほうが正しいのかな?
まっ、そんなこと当時、言えるわけないけどさ。
それにしても、台本を書いた子は、どんな気持ちだったんだろう?
頑固に「見届けよう」って言ってたけど……。
彼女はもしかして舞台に『魔物』がいるって分かっていたのかもしれない。
それとも、舞台の魔物が自分の台本を――いや、キンポウゲの君になにをしでかすのかを見届けたかったのかな?
あれ以降、その子、台本を書くの辞めちゃったし……彼女の真意は聞けないね。
あ、そうそう、言い方が悪かったけど、金田さんは生きてるからね。
足を怪我して三週間ぐらい学校を休んじゃったけど、残る支障はなく普通に学校に通ってたよ。
金田さんに後遺症はなかったけど、変わったことはあった。
あれから金田さんは、二度と舞台にあがらなくなっちゃったんだ。
劇団に入るって意気込んでいたのに、憑き物が取れたように短大に入学する準備を始めちゃったんだ。彼女の止まっていた時が動き出したかのように、身長も年相応に伸びていって卒業式の時には一六五センチぐらいに伸びちゃったのさ……高校生の女子ってそうそう身長伸びないのにね。
そんな今の金田さんは、友達の話によれば、結婚して一児の母にもなるみたいなんだよね。何年か前に聞いた話だから、もうお母さんになっているかもしれない。
高嶺だったキンポウゲの君は、いなくなっちゃった。
舞台の魔物どもの息にキンポウゲは散らさた挙句、鋭い牙で食い荒らされちゃったんだろうね。あの三人の霊のせいで、キンポウゲの君の人生は変わっちゃった。まさしく、あの物語のスクルージのように……。
いや、「おかげ」っていう言葉のほうが正しいかな?
ウチらから見たら天才だったよ、キンポウゲの君は。
でも、この広い演劇界では端の名もない女優の一人になっていたのかもしれない。
キンポウゲの君は自己顕示欲ってヤツが昔から強かったらしいからね。幼稚園の聖劇もマリアさまがやりたいが故に、毎日先生の見ているところでお祈りを始めたぐらいだって、誰かウワサしてた。目立ちたがりをこじらせてる……って部長にも陰口で言われていたぐらいだった。
プライドも高くてエキセントリックな性格と来たら、なおさら大きな世間に放り出された時に悲惨な目に遭ってたかもね。
それだったら旦那や子供に恵まれた円満な生活を送ったほうが、堅実で幸せな道にも思えるでしょ?
……でもね、これだけは確実に言える。
キンポウゲの君は――天才だった。
それはウチの中ではいまでも揺るがない事実でもあるんだ。
スクルージが金を稼ぐ裕福な商人から、心優しい慈善者になったように。
キンポウゲの君が、演劇の世界で羽ばたくであろう天才的な女優から、平穏無事な花嫁になったことは――ハッピーエンドなのかな?
どっちの選択が正しいのかは、ウチには分からない。
原作の亡霊が見せた話も、過去以外は正しいかどうかも分からないしさ。
金田さんは生きている。
でもね、あの時、舞台から彼女が飛び降りた瞬間。
キンポウゲの君は死んでしまったんだ。
あるいは、キンポウゲの君が金田鳳香を演じる道を選んだのかな。
ねえ、アカリ……アンタは、この結末が正しかったと思う?
これで、キンポウゲの君の物語はおしまい。
でも、散々言っちゃったわけだけどさ。
なんだかんだ、今も魔物に取りつかれているのはウチ自身なのかもね。
* * * *
【金鳳花の悲劇】 語り部:真壁梨穂
演じる天才の女優が演じきれなかったことは他でもない『自分自身』であった。
自分自身を演じられなかったキンポウゲの君は、三人の亡霊に唆されて舞台で死ぬことになってしまった。それは舞台の魔物のせいなのだろうか?
女優・金鳳花は死んだ。
だが一人の少女『金田鳳香』として生まれ変わることはできたのだろう。
そして、女優であったことを忘れて彼女は今も生き続けるのだろう。
そう言えば、何年か前にクリスマスを題材に脚本を書くと高校時代の梨穂が言っていたことを思い出した。
もしも、あの脚本を梨穂が書いたものだとしたら、今回の話は?
……梨穂の話に踏み込む勇気はなかった。
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