はびこり   -藤川章の話-

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        オカルト研究装本 語り手

        FILE No.3:藤川ふじかわ あきら

        レグルス古書店のオーナー

        忘来歴:本人曰く歳がバレるから内緒

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 藤川章ふじかわあきら――。

 本当は同居しているじいちゃんから怪談を聞きたかった。

 いつも暇で、年の功ということもあり、話はたくさん知っているだろうと思った。

 だけど「俺は話すのがきらいなんだい」の一点張りで交渉失敗に終わった。

 なので、「せめて、じいちゃんの知り合いで、怪談をたくさん知っている暇そうなおしゃべりの人を教えてよ」と言って勧めてくれたのが、藤川さんだった。

 じいちゃん曰く、最近この近くに越してきた「おれに似た色男」らしく、じいちゃんの麻雀仲間の一人だそうだ。古書店のオーナーと言うことで、じいちゃんのツテで、話をしてもらえることになった。


 古書店の定休日の火曜日で、学校帰りに訪れることになった。

 商店街の裏通りに、ぽつんと建った『レグルス古書店』は外から見ると木造の小さな教会のように見えた。

 中は綺麗に整っていてアンティーク調のお洒落な店だった。鼻がむずむずしてしまったが、古書ならではということで仕方ないのかもしれない。

 出迎えてくれた店主の藤川さんは切れ長の瞳で、微笑みを絶やさない男性だった。

 じいちゃんからは三十五は当に越しているだろうと聞いていたが、まったくもってそうに見えなかった。

 「コーヒーも飲んでいいからね」といいながら、藤川さんはレジのカウンター越しにゆっくりと微笑んでくれた。



「じゃあ、こんなお話をしようか――?」




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 201×年 5月18日(火) PM 15:49


 俺の名前は藤川章ふじかわあきら。よろしくね。


 ところでさ、陽一くん。

 もしかして、古書店に来るのは初めてかな?

 さっきから目が泳いでいるからね……はははっ、謝らないでいいんだよ。


 こんなに狭苦しいところ物珍しいよね、埃は大丈夫かな?

 客の中には、クシャミが止まらなくなるっていう人もいるからさ。


 ここのレグルス古書店は、その名の通り、いろんな古書を取り扱っているんだ。

 俺の年齢は内緒だけど、忘来に居住していたのは小学校から高校まで。そんでもって高校卒業してから十年以上は母親の故郷のほうに住んでいたんだ。んで、今から三年前ぐらいにまたここに戻って来たってわけだよ……ああ、計算はしないでね?「以上」とか「ぐらい」は誤差大きいから正確な年齢は出ないと思うけれど。

 元々、この古書店は亡くなった伯父さんのものだったんだけど、伯父さんが譲ってくれたんだ。だから、古書もほとんどは彼のものだったりするんだよね。

 ええと、俺の略歴はこれでいいかな?

 どうして年齢を明かさないかって?

 古書店のオーナーっていうのは、ミステリアスって相場が決まっているからさ。

 あはは……なーんてね。

 

 そうだなあ、後、なにを話せばいいかな? 古本の特徴でも話そうか?

 普通の本と異なるところを挙げるとすれば、「誰かしらが以前もっていた」っていうことかな。

 怖い話でいくと、曰く付きとかそういうのが連想させられそうかな?

 でも今回は不思議な本というより、少し別の視点で話を進めさせてもらうね。


 まずは質問からしていいかな。

 陽一くんは本を貸してもらった経験ってあるかい?

 

 ――そうか、あるんだね。

 若い子にとっても、本を貸し借りすることは珍しいことではないのかな?

 たしかに学生さんが月一度ぐらいの大切なおこづかいを本に使うっていうのは、躊躇われるものがあるよね。それだったら、店先の立ち読みで済ませたり、友達の間での貸し借りしたほうがコストはかからないもんな。


 それに人から貸してもらった本って、新品の本を買って読むときと違って特別な思いが湧くからね。

 「その人も同じ本を読んでいたんだ」っていう親近感やときめき。

 そんな感慨が少しはあるんじゃないのかな。なかなか気づきにくいものだけどさ。だって、嫌いな人に本ってなかなか貸せないものでしょ? 思いを寄せている人から貸してもらった本だったら折り曲げないように大切にめくったり……そういう思いを侍らせながら読んだ経験――ないかな?

 それに人から借りた本……特に好きな人から貸してもらった本にはなにか挟まってないかなって確認しないかな。俺が学生の頃は、本に手紙をはさんで文通するっていうのが流行りだったんだけど、今はあんまり流行ってない?

 ……っはは、時代感じるね。

 

 そんな感じで古本にもなにかが挟まっているってことって、少なくないんだよね。

 いまから話すのも、そんな古本に挟まっているものに纏わるお話さ。


 いまから、ちょうど一年前のことだったかな。

 鳥原とりはらさんっていう、うちのお得様がいたんだ。

 鳥原さんっていうのは、隣町の大学で研究をしているちょっと白髪まじりのおにいちゃんでさ……まあ、おにいちゃんって言っても三十路近かったんだけどさ。

 苦労を重ねてていつも目に隈を作ってるけど、とても温和な人でね。引っ越してきて勝手が分からない俺にも親身になってくれたんだ。

 彼はしょっちゅう、ここで妖怪に関する古本を注文して購入してきたんだ。

 専攻が人文系だったのかな? それとも史学? そこまでは聞き出せてなかったんだけど、そういう勉強をしていたんだろうね。

 ちなみにこの古書店、昔の人がまとめた怪異や妖怪の古本の取り扱いには、すごく強いことで有名なんだ。覚えておいて損はないよ?


 まあ、それはさておきだ。

 ある日、鳥原さんは本の引き取りの際に「大した用ではないんですが」って前置きをしてから、こんな話を持ち出してきたんだ。


「実は先日購入したものに、こんなものが挟まっていたんです」


 そう言って鳥原さんが俺に見せてくれたのは正方形の薄い和紙だった。

 そこには、たった四文字の言葉が、掠れた墨で書かれていたんだよ。


 『 はびこり  』


 もちろん、こんなもの俺は見覚えがなかったよ。

 古い紙幣や写真が入ってましたよ、っていうことは時々あるんだけどね。もちろんメモ書きも少なくはないんだけど……和紙で、しかもたった四文字っていうのが妙に気になったって鳥原さんは言っててね。俺もそれに同意して、「面白いね」って言って、その時は他愛もない談笑で終わったんだ。

 この日も古本の引き渡しだったから、彼に古本を売ったんだ。


 その一週間後、また、鳥原さんが俺の元にやって来たんだ。

 注文票を受け取っていたから、今度も本を渡す予定だったんだけど、彼は困ったように頭を掻いていた。


「またこんなものが……ええ、ありましてね」


 そう言って、鳥原さんはカウンターに小さな紙を置いたんだ。

 一週間前に見たほとんどおんなじ形に色の和紙だったよ……。


『はびこり します』


 今度は文字が増えていたんだ。

 前回の『はびこり』って書かれた和紙は破いて捨てたはずだから、二枚目ってことになるのかな?

 はびこりって文字は「蔓延り」……つまり草木が生い茂る様とか、広まるっていう意味を持っていることを鳥原さんに話してみたんだ。


「『カビが蔓延る』という悪いイメージしか湧きませんがねぇ」


 首を傾げながら鳥原さんは溜息を吐いた。

 研究が行きづまっていたのか、彼の顔は浅黒く少しやつれていたよ……それに、なんだか声が一段と高かった気がするんだよね。

 疲れると声って普通は低くなるのに、風邪だったのかなってその時は思ったんだ。

 でも、今考えれば、これが予兆だったのかなあ……注文していた本を俺は引き渡して鳥原さんは帰って行ったよ。


 あれから、そうだな。一ヶ月後ぐらいに、鳥原さんは再度やって来た。

 雨が降りしきって雷も遠くで聞こえていた嫌な天気だったよ。

 客足も少ないから静かに作業をしていると、鳥原さんは転がるように店に駆けこんできて「おいっ」って怒鳴りこんできたんだ。


「どうしたの、鳥原さん?」


 注文は受けていないはずなのに、訪れた鳥原さんに俺は驚きを隠せなかった。でも鳥原さんは俺の声も聞こえていなかったのか……なにも答えてくれなかった。彼の足取りはふらふらしていて、日に焼けたように肌が黒かったんだ。

 彼はレジカウンターに歩み寄ってきて、カウンターに注文票と一つの紙を置いた。


『「神社と氏神の歴史 -国食郡-」』


『はびこり してます』


 注文票はともかくとして、俺はまたあの和紙を見せられて目を丸くした。

 俺は和紙から目を離して鳥原さんの顔を見ようとしたけど、彼は本が陳列している棚を物色して背を向けていた。


「こ、この紙があったんだ……まただよ、また……ああ、お前、よくも。よくも。ふざけるな、だれかに言うな」


 って、鳥原さんは背を向けながらブツブツと話を勝手にしていた。

 もしかして万引きするつもりなのかなって心配になったけど、彼は一冊の本を棚から取り出した。


「ここだ、ここだ。これだ。この本だ。ここに私がいる」


 黒い目玉を爛々とさせながら、彼は骨が浮き出た手で本をカウンターに置いた。

 本はたしか、国食郡の妖怪についての論文集だったかな……。


「なあ、鳥原さん。時間がかかるけどページ確認しようか?」


 俺は恐る恐るだけど鳥原さんに提案してみたよ。

 また、そういう紙が挟まっていないか、一緒にね。

 鳥原さんは頷いた――だから、俺もアイコンタクトを取ってカウンターに置かれた本のページをめくろうとした。

 だけど、それは鳥原さんの手によって阻まれてしまったんだ。彼は俺の手首を掴み取って本にすら触れさせてくれなかった。


「……あの、鳥原さん? ページの確認は?」

「しなくていい。いらない。必要ない」


 そう言いながら、なんども彼はうんうんと頷いていた。

 まるで言葉と意志が食い違っているようだったよ……。

 正直、俺は気になったからページをめくって確かめたかったけれど……手を強く掴まれてしまってね。

 それに彼と話している最中、俺はずっと耳の調子がおかしくてね。ぱち、ぱちぱち、って耳の奥でなにかが弾けているような……そんな感覚と音が終始、鳴り続けているんだ。雨の気圧で耳をおかしくしたのかなって思いながらも、その音は不快でね……彼と堂々巡りしても俺も苛立つだけだって思ってしまった。


「じゃあ、確認は無しだね。お会計するから。手を離してもらってもいいかな?」


 俺がそう言うと、すぐに鳥原さんは俺の手首を解放してくれた。

 会計を済ませて、鳥原さんは本を鷲掴んで、ぎゅっと強く抱きしめていた。


「やっと手に入れた。後は最後だけ。最後の。さいごの」


 そうぶっきらぼうに吐いて、彼は乱暴な足取りでいなくなっちゃった。

 不思議なことに、彼が店から出ると、俺の耳鳴りがぴたっと止んだ。

 

 研究で頭いかれたのかなって、当時の俺は心配になっちゃった。

 もしかして彼の狂言かとも思ったけど、そんなことをする人には思えなかった。

 それに……ここは忘来だろう?

 もしかしたら鳥原さんの購入する本は曰く付きなんじゃないか、って思ったんだ。

 だから、鳥原さんは気にしなくていい。もし、気になるようだったらいい神社を紹介するし、ここの本屋にも神主を呼んでお祓いしてもらうよ……そういうつもりだった。


 でもね、俺はそれを伝えられなかった。

 あの一週間後に、鳥原さんは川で発見されちゃったから……そう、命を落とした状態で。

 争った跡もなくて、自分から川に入ったんだって鳥原さんのおかあさまは言ってたよ。その後、河原に放り出されてたらしい鳥原さんの鞄に入っていた本を特別に買い取らせてもらったよ。

 嫌な予感を胸に俺は頁をぱらぱらと捲ってみた。そしたら――。



 『はびこり しました』



 滲んだ墨で書かれた小さな和紙が入ってたよ。

 恐る恐る手で押すように触れてみると和紙に書かれた文字は溶けるように消えてしまった。文字が消えたと同時に、自分の指を見ると黒い小さな虫の死骸がこびりついてたのさ……。


 鳥原さんは結局、自殺だったのかな?

 俺も鳥原さんのおかあさまと話す機会はあったけど、これといったことは分からなかった。彼のおかあさまも、最愛の一人息子に先立たれちゃって衰弱してしまってね……詳しい話は、これから先も聞けそうにないのは悔やまれるよ。


 だけど、あの『はびこり』と書かれた紙――。

 それに最後に見た鳥原さんの態度からして、あの紙の切れ端は鳥原さんの死になにか関係しているんじゃないのかなって思うんだ。

 『はびこり』の文字と、俺の指先についていた虫……カビのように鳥原さんの体は虫に蔓延られていた……ってことなのかな? 虫に意識も侵食されてしまっていたのかもしれない。古本には紙魚っていう虫もつきやすいぐらいには虫の温床でもあるからね。


 あれ以来、『はびこり』の紙の話は他のお客さんからは出てこない。

 鳥原さんが最後に注文してくれた本も取り寄せたんだけど……今は厳重にして人目のつかないところに保管してあるよ。

 その中身は……まだ確認できていない。

 あの本を購入したいっていう人が現れたら……ふふ、どうしようかな。


 これで、俺の話はおしまい。

 コーヒー温くなった? 煎れなおしてあげるよ。



* * * * * * * * * * *



「ところでさ……陽一くんって、どうしてオカルト研究部に入ってるの?」


 話を終えた藤川さんはコーヒーを差し出しながら僕にそう尋ねてきた。

 軽く一礼をして、僕はコーヒーを口に含んで唇を潤した。


「先輩に勧誘されたんです。入ってほしいって」

「ふうん……元々、オカルトには興味なかったの?」

「ええ、あんまり……」

「じゃあ、先輩が魅力的だったってワケか」

「い、いえ……最初の方は勧誘されても断っていて」


 僕は二葉先輩に勧誘された……というか、帰宅部を貫こうとした矢先に引っこ抜かれた。

 正直なところ、父は地方に単身赴任、母も土日出勤もザラのキャリアウーマンだ。母親の父……ぼくのじいちゃんもしょっちゅう旅に出かける自由人という家庭で、僕は小学生の妹の夕飯とかの関係で、早く帰ってあげたかった。

 それを伝えると、一時は二葉先輩も諦めてくれた。

 ただし「一度、おじいちゃんと話して。おじいちゃんが言ってくれた言葉、後でアタシにちゃんと教えること」という条件付きだった。


 その後、旅帰りのじいちゃんに、僕が部活に入りたいというと、あっさり「いいじゃないか」と言ってくれた。

 慌てて僕が妹の面倒のことも言うと、じいちゃんは真面目な顔で答えてくれた。


「なら三年間、旅は控えようじゃないか。老い先は短いが心が広くて優しい俺の願いだ。青春を満喫するといい」


 翌日、二葉先輩にこの言葉を一言一句伝えた。

 こうして、僕はオカルト研究部に入ることになってしまった。


 このことを藤川さんに話すと肩を震わせながらくつくつと息を潜めて笑った。

 ツボにハマったらしい藤川さんは目頭を抑えながら息を吐く。


「ははは……河太郎かわたろうさんらしいなあ。しかし、陽一くんもオカ研に律儀に入っちゃうなんてなあ」

「約束は約束でしたし……なんとなく、面白いかなあって思って」


 入ることになってしまった、とは言えども、特段辛いことはなかった。

 墓参りツアーとか、こっくりさん実演で、僕ら以外の一年生はこっそりと辞めていったのは事実だ。しかし、なによりじいちゃんが大好きな旅を少なくしてまで僕に託してくれた青春だった。いいところはなるべく見つけて楽しむしか僕にはないのだ。

 ある種の洗礼を通過した僕は、なんやかんや先輩に気に入られた。

 もちろん二葉先輩には疲れることはあるけど、他の先輩は優しい人もいて勉強も教えてくれるのでくつろいでいる。

 

「河太郎さんの孫なだけあって話甲斐があるね。怪談のことに限らず遊びにおいでよ」

「僕、そこまで面白くありませんけど……」

「いや、先輩が勧誘する気持ちわかるよ。陽一くん、なんか持ってるよ」

「なんかって……なんですか?」

「なんだろうね? ふふ……」


 藤川さんは息を吹きかけるように笑いながらコーヒーを啜った。

 青春――らしくはないけれど、こういう空気は嫌いじゃなかった。


 オカ研に入ったことで出会った、お姫さまのような出で立ちの百目鬼先輩。

 親友の弟で少し勝気な小学生の黒柳くん。 

 そして、年齢不詳で古書店のオーナーの藤川さんから聞く怪談話。


 僕の『人と違う青春』はまだ始まったばかりのようだ――。



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 【はびこり】 語り部:藤川 章

 古書に紛れ込んでいた『はびこり』と書かれた謎の和紙の話。

 紙を探すように本を買い取った男の最期は蝕まれた屍として終わってしまった。

 

 藤川さんは優しくゆったりとした言葉遣いだが気さくな人だった。 

 「河太郎さんによろしく」と言われたので、じいちゃんに、そのことを伝えると「章はいいヤツだぜ。麻雀も下手だから良いカモだ」と悪そうに笑った。

 このことは藤川さんに伝えないことにしよう。

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