語り手たち --皐月--
【実無陽一の記録】
惜別のピアノ -百目鬼寧々の話-
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オカルト研究装本 語り手
FILE No.1:
忘来学園 音楽科 3年生
忘来歴:6年(12歳まで他県に在住)
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彼女はこの企画に最初に乗り出してくれた先輩だった。
なんでも部長の二葉先輩の知り合いらしく、「面白そう」という理由で乗ってくれたと紹介してくれたのだ。
「かわいい男の子を紹介してくれるなら話してあげる」
嘘か本当かは分からない話があったらしいが、そんな経緯で僕は彼女の話の聞き役に選ばれたのだった。
百目鬼さんは、名前に似合わず黒髪ストレートで前髪もぱっつん切り。
くっきりとした目鼻立ちに薄い瞼に張りのある唇。赤みのある頬。
「東洋のお姫さまです」と言われても信じてしまう出で立ちだった。
初めて出会ったときは僕の息が少しだけ止まったのは内緒だ。
僕は百目鬼さんの話を、音楽室の個室で話を聞くことになった。
彼女は「ふふ」と綺麗な発音で笑うのが癖のようだ。
ボイスレコーダーのボタンを押す指も震えている僕にからかうようにころころと笑った。
事あるごとに「ヨウイチくん」と愛らしい声で言ってくれるのが、こそばゆい。
一旦、落ち着いて僕はボイスレコーダーのボタンを押し、お願いしますと呟く。
百目鬼さんはにっこりと頷き、薄桃色を帯びた唇をゆっくり開いた。
「それでは、お話を始めるわね。ヨウイチくん」
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201×年 5月7日(金) PM 16:33
始めていいかしら。
まずは、改めて自己紹介しましょう。
私の名前は百目鬼寧々。音楽科の三年生よ。
音楽科というのは、ヨウイチくんも知っていると思うけど一応説明しましょうか?
忘来学園の学科は、普通科と音楽科の二つに分かれているの。
普通科とは少し離れた北側の校舎で、私たち音学科生は授業を行っているわ。
普通科の人たちにとっては、授業以外は訪れることはないから、地味な場所かもしれないわね。
それでも耳を澄ませば、私たちの奏でる音が聞こえてくるはずよ。
意外かもしれないけどね、ここの学校で専攻できる楽器の種類は豊富なの。
私の専攻しているピアノ。フルートやヴァイオリンはもちろんのこと。
チェロやサックス、ハープ……それにティンパニとかの打楽器も習っている方もいるわ。楽器の演奏だけじゃなく作曲も専攻できるのよ。
だから、校内では地味だと思われがちだけれど、音楽の道に精通している人達には、有名な音楽学科として知られているわ。
今も界隈で活動なさっている音楽家は、この学校出身だったっていうことが少なくないのだから。
でもね、普通科の人たちも他校に比べれば音楽にはかなり強いほうよ。
中等部から在籍している子たちは、音楽の授業でも合唱部さながらの声を習得させられたからかなりレベルは高いわ。
ヨウイチくんは高校から入学した外部生よね?
うふふ……じゃあ、入学式で朗々と歌う内部生には驚いたんじゃないのかしら?
中等部から別の高校に上がる人もいるから、中等部でも卒業式は行っているの……そこでも歌をたくさん歌うから、さながらコンサートよ。
だから今日は春の話……中等部の卒業式に纏わるお話をしましょう。
いまから二十年ぐらい前の話なのだけれどね。
音楽科の中等部に
専攻は私と同じピアノ。深層のお嬢様だったそうよ。
いつも綺麗に結われた三つ編みをしていて、性格はちょっとシャイではにかみやさんで、大人しい生徒だったわ。
彼女は努力家だったけれど、コンクールでは県内二位か三位どまり……もちろんすごいことなのだけれど、当時のピアノ専攻の中では平凡な演奏者だったわ。
そんな彼女は特に冬頃から熱心に音楽室でピアノを弾いていたのよ。
コンクールのため……ではなくて、卒業式の最初に行われる独奏の演奏者に選ばれるために――何故だと思う?
彼女はね、大切な人のためにピアノを弾こうとしたの。
お相手は中学三年の
普通科だけど音楽が好きな管弦楽部の先輩で、見た目はとてもスラッとした好青年だったそうよ。たしかパートはトランペットだったかしら?
なんでも二人はここの教室で知り合ったんですって。
部活の練習のために入ってきた笹塚くんと、時間を忘れてピアノを弾いていた高川さんがばったりと出会ってしまったのよ。
お互いに、さぞかし驚いたでしょうね。
でも不思議なことに、これがきっかけで二人は仲良くなったそうよ。音楽好きとして気が合ったのでしょうね。
そうして春先に出会ってから、一ヶ月に二回程度。
この部屋で二人はデートをしていたの……と言っても、他愛もないお話して、笹塚くんのトランペットの練習を聞いて、というデートだったけれどね。
でも、二人は毎月欠かさず、この部屋で会っていたそうよ。
そうそう、二人は連弾が好きだったみたい。
連弾っていうのは、一台のピアノで二人が演奏することなのだけれどね。
笹塚くんも幼い頃にピアノを弾いていたことがあったから、高川さんと二人でブラームスとかモーツァルトを弾いていたんですって。
ねえ、それにしたって、なかなかロマンチックな光景でしょう?
二人で肩を寄せ合って同じ曲を奏でるなんて……ヨウイチくんも今度やりましょうよ。
……あら、ピアノは弾けない?
大丈夫、私が教えてあげるわ。手取り、足取りね。
……それより、先の話が知りたいの?
ヨウイチくんったら、顔に出てるわよ。せっかちさんなんだから。
それじゃあ、話を戻しましょうか。
高川さんと笹塚くんは、このまま二人一緒に寄り添って、高校も共に進学して……なんて言いたいところだったのだけれど、そうはいかない事情ができてしまったわ。
笹塚くんは親の都合で、都内の高校に転入することが決まってしまったの。
今でこそ携帯電話で一繋ぎの時代だけれど、二十年ぐらい前の話だから、手紙や電話でしか話せない時代。
きっと高川さん、ピアノの線が切れたような喪失感を味わったことでしょうね。
……ちょっと分かりづらい表現だったかしら?
ピアノ線ってね、切れると悲しくなってしまうよ。
ああ、ごめんなさい……話を戻すわね。
その時に、笹塚くんは高川さんに言ったの。
「キミのピアノを卒業式で聞かせてほしいんだ」
十一月の半ば、二人は肩を並べて連弾をしながら……高川さんは胸が張り裂ける思いだったんじゃないかしら。高川さんにとっては初めての恋、それに彼女はとってもナイーブな子だったもの。
卒業式が始まる前に奏でる独奏の弾き手に選ばれたい。
笹塚くんのためにピアノを弾きたい。
だから、高川さんは独奏の弾き手に選ばれるためにめいいっぱい練習したの。
冬休みでも学校に訪れて何時間も弾き続けたそうよ。家でも寝る間も惜しんで身が焦げるほど何度も何度も弾き続けたわ。校内で高川さんの繊細なピアノの音が聞こえない日はなかった。
「卒業式の後は自分の指が千切れてしまってもいい。だからどうか、私に卒業式のピアノを弾かせてください」
そのぐらいの覚悟で高川さんはピアノにずうっと没頭したそうなの。
結果? もちろん見事、独奏者に選ばれたわよ。
この頃は十五名中、十名がピアノ専攻だったの。選ばれるのは単純な運だけではなく実力も必要になってくる。そんな中で、高川さんは勝ち取ったのよ。お金が出るわけでもない、成績に評価するわけでもないのにね。
それでも高川さんが選ばれた時、音楽科のみんなは素直に喜んでくれたわ。この頃の音楽科は大人しくて一種の女子校みたいなものだったから、みんなささやかに高川さんを賞賛して応援してくれたそうよ。だから彼女にとっての卒業式は、笹塚くんに惜別と焦がれる思いを託す満ちたりた美しい式になったでしょうね。
卒業式の一週間前に彼がトラックに撥ねられなければの話だけど――。
運命の歯車って、いつ狂うか分からないものよね。
笹塚くんは意識が覚めることはなかったわ。
事故に遭った瞬間に、「高川さん、ピアノ、を」ってうわごとを言ったなんていう噂はあるけれど、本当かしら?
それにね。高川さんが笹塚くんのご両親に挨拶に行ったときに、彼女はこんな言葉を聞いてしまったのよ。
「亮もあなたみたいなお友達がいて幸せだわ。さきほど、素敵な仲良しさんもいらして……なんて感謝すればいいのか……」
私たちのお母さんぐらいの年の忘来の方ってね、「仲良しくん、仲良しちゃん」っていう言葉が流行っていたのよね。
意味は今でいう恋人って意味なの、ささやかな隠語みたいなものかしらね?
どういうことだか、わかるかしら?
笹塚くんにとって、高川さんは「ピアノを弾くだけの仲」にすぎなかったのよ。
いいえ、もしかしたら、それ以下の存在だったかもしれないわ。
そもそも、管弦楽部の一生徒が音楽科の個室を使おうとするわけがないのよ。
吹奏楽にしろ管弦楽にしろ、そういう集まりの音楽の練習はパートという集まりでやるのだから、一人だけ個室に入って練習なんて、ありえないわ。
なのに、何故、笹塚くんがあの部屋に入ったのか――。
実は笹塚くんは大会に演奏するソロのための練習場所を探していたみたいなのよ。
普通科の教室よりも音楽科の使う個室なら音が取りやすいし、一人でフレーズを練習するにはうってつけだったから、ここの教室を使おうと思ってこっそり入ったのでしょうね。
でも、そこには、ピアノを練習していた高川さんがいたのよ。
もちろん、「間違えました」で閉めれば、怪しまれることはなく終われる。
でも、笹塚くんは、この部屋を使いたかったのでしょうね。
彼女さえ丸め込めれば、このこじんまりとした練習部屋は便利な空間だって、笹塚くんは考えた……だから、練習場所として使うために、控えめな彼女にすり寄ったのでしょうね。連弾やおしゃべりで気を引きながらね……。
笹塚くんと「仲良しさん」は普通科の子。それに「仲良しさん」は帰宅部だったものだから、一緒に下校っていうことがほとんどなかったわ。
普通科の様子なんて、音楽科の生徒も知らなかったのよ。
だから、笹塚くんにお相手がいたってことに気付けなかったのでしょうね。
まるで笹塚くんが浮気者みたいな言い方だって?
でも、高川さんに勘違いさせたのは、事実じゃないかしら?
高川さん、卒業式の前日はしくしくと泣いていたそうよ。
卒業式のために設置されたピアノの前で……想像すると痛ましい光景よね。
それでも、高川さんは涙をぽろぽろ零しながら、震える手でピアノを弾いていたというわ。一体、誰のために弾いていたのかしらね。
そして、卒業式当日……冷たい雨の日だったわ。
冷え込む体育館の中、中学の生徒たちがお利巧そうに椅子にひしめき合っていた。
そんな中、ふらふらと高川さんは壇上にあがっていったわ。
体育館の舞台に設置されたピアノには眩しいスポットライトが当たっていたのでしょうね。「あなたたちじゃなくて、アタシが主役なのよ」って言いそうなぐらい、光に当たったグランドピアノって威圧感があるのよ。
その時、ほんの一部の人が見た話によるとね……壇上の高川さんには影がなかったらしいのよ。きっと錯覚だと思うけれどね。
危なっかしい足取りだったものだから、音楽科の先輩たちも心配そうに見つめていたけれど、彼女はしっとりと弾きあげたわ。ショパンのノクターン第二番を……。
独奏は拍手もなく、静かに終わらせたわ……そのまま高川さんは鍵盤の蓋を閉めてお辞儀もせずに袖へと
袖は真っ暗闇――だから、傍から見れば、彼女の体は闇に飲みこまれたようだったんじゃないかしら。
そうして、卒業式は始まったわ。
厳かな雰囲気で校長先生や理事長先生のお話、感動的な答辞も行われて、式は終盤を迎えたの。そして恒例の『仰げば尊し』を奏でられる時がやってきた。
壇上にあがった、あどけない一年生の女子生徒が蓋を開けたの。
その時だったわ――突き抜けるほどの悲鳴があがったというのは。
女子生徒は目を白黒させて椅子を蹴って崩れ落ちてしまったの。
厳かな卒業式が、サスペンスへと変わったわ。卒業生も在校生も涙の代わりに冷たい汗を流してね……何事かと急いで駆け寄る先生に騒然とする来賓の方々。たった一つの悲鳴で大パニックよ。
女子生徒が悲鳴をあげた理由はすぐにわかったわ。
彼女が弾こうとしていたピアノの白鍵も黒鍵も真っ赤に染まっていたから。
静かな緊張感から解き放たれてしまった卒業式は騒然よ。
混乱でなにがなんだかわからず、泣きだしてしまう生徒も出てしまった。
本来なら、感動の涙のはずだったのにね……。
もちろん、先生が問いただそうとするために、元凶の高川さんを追ったわ。
でもね、高川さんは学校のどこにもいなかった。
何故なら、高川さんは自室の部屋のベッドの上で眠るように亡くなっていたもの……それも卒業式が始まる前にね。
高川さんのお母さまは動かない彼女に動揺してしまって、家の方も学校にも連絡ができなかったそうなのよ。お医者様はみんな無理が祟ったとやら、心労とやらおっしゃったわ。独奏に選ばれるために、前からずっと病弱な体を奮い立たせて無理をなさったらしいから。きっと夜も眠れていなかったのでしょうね。
ねえ、ヨウイチくん。
だったら、卒業式に現れた高川さんは何者だったのかしらね?
高川さんの幽霊――そうね、私もそう思うわ。
笹塚くんが「キミのピアノを卒業式で聞きたい」なんて、言わなければこんなことにならなかったのかしら?
こんな悲劇が起こってしまったのは、たくさんの勘違いをさせてしまった笹塚くんのせい?
それとも、そんな男の子に恋い焦がれた高川さんのせい?
はたまた、このような巡り合わせになってしまった運命のせいなのかしら?
今となっては……いいえ、理由は誰にも分からないんでしょうね。
なにを責めても二人は返ってこないもの。
笹塚くんも卒業式の次の日に、容態が悪化して眠るように亡くなってしまったから……。
それからは、中学の卒業式ではピアノの独奏は弾かれなくなったわ。
今は、残念なことに音楽科が卒業式の音楽に携わることはなくなってしまった。
でもね、三月になると、体育館からピアノの音が聞こえてくるの。
体育館にはピアノがないのにね。
あの日の卒業式の練習をしているかのように……高川さんが弾いているのかもしれないわ。それとも、一緒に連弾してくれる男の子を待ち詫びているのかしら。
だから高川さんのためにも、連弾を――ヨウイチくんにも、教えてあげる。
……なんてね……うふふ、これで私のお話はおしまい。
* * * *
【惜別のピアノ】 語り部:百目鬼寧々
忘来の卒業式の時期には、一人の少女の悲しい恋路が密やかな語られる。
それは連弾を待ち望むピアノの音色を背にして紡がれるのだ。
この後、僕は百目鬼さんと一緒に帰宅した。
夕日に彼女の黒髪はとても映えて隣で歩くのは恥ずかしかった。
楽しくおしゃべりする彼女は、怪談よりものどかな話のほうが好きみたいだ。
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