第36話 Ever, Recreate Forever World.

    †


 冥府は一時混乱に陥った。

 地上へと出場していた王たる男が、何があったか女性になって戻ってきたのだ。

 それでも、その混乱は一時的なものに収まった。

 世界の根幹が変容したことに比べれば、冥府の王の性別が変わったことなど瑣事に過ぎなかった。


『――……と、まぁそういうわけなので、皆さん、以後よろしくお願い致しますね』


 いや、どういうわけなんだ……――冥府の官吏たちは思ったが、この王が突飛なことは今に始まったことではないので、然程動揺しなかったことも、混乱が長引かなかった要因だろう。


『ところで、タナトスかヒュプノスは戻ってきていませんか? 彼らに会わねばならないのですが』


 官吏たちはお互いに顔を見合わせ、誰か見ていないか確認し合うが、その行いは背後からの声に留められる。


「僕なら此処だよ、ハーデス」


 両手で黒衣の少女を抱きかかえ、白いローブの青年が道を開ける官吏たちの間を歩む。


「……ハーデス、でいいんだよね?」


 確認するように首を傾げ、目の前にいる女性が何者かを問い質す。


『ええ。私は私です、ヒュプノス。……タナトスは、どうするのですか?』


「今は、僕の代わりに眠ってもらってる。タナトスに事情を説明するまでは、このままだよ。それから後は……かな」


『そうですか。ではそちらの件は貴方に一任しましょう』


「ああ。……で、肝心のタナトスは? 帰ってきた?」


 官吏たちは再びお互いに顔を見合わせ、誰か見ていないか確認し合い、そして皆で首を左右に振った。


「まだ帰ってきてない、か。迎えはやったんだろ? そっちはどうなってる?」


 ヒュプノスが問うと、その背後でカツン、と足音がひとつ響いた。


「――お話中に、失礼いたします」


 ヒュプノスが振り向くと、そこには黒の燕尾を着込んだ青年、零が一礼から顔を上げるところだった。


「やぁ、君か。の様子はどうだい?」


「……ご存知なのですか」


「見ての通り、兄弟タナトスとのつながりが復活したからね」


 零はひとつ肯きを返し、視線をヒュプノスからハーデスへと移してから告げる。


「ご報告申し上げます。“魔女”様は現在、我々の屋敷にてお休み頂いております。目覚め次第、我が主が面会し、今後について相談する席を設けたいと考えております。つきましては、冥王様、死神様にもご同席頂きたいと申しております」


『分かりました。その際には我々も参上する旨、彼女にお伝えください』


「承知致しました」


『それで、タナトスのほうは』


「はぁ、その、死神様なのですが……」


 言い淀む零に代わり、ヒュプノスが感知を使って言葉を紡ぐ。


「ふぅん……どうやらまだ人間界に用があるらしいね。……なんか、すごい怒ってるみたいだけど。君、何かしたの?」


「い、いえ、わたくしは何も……教会へお迎えに上がったときには、既にその場にはおられませんでしたので」


「ふぅん、そう」


 ヒュプノスは曖昧に肯くと、黒衣の少女を抱きかかえたまま踵を返した。その背に向かってハーデスが声を掛ける。


『タナトスの元へ向かうのですか?』


「いいや。僕が迎えに行かなくても、兄弟はそのうち帰ってくるでしょ。待つよ」


『……そうですか』


 足を止め、首だけを振り返り、ヒュプノスは問い返す。


「君はどうするの? ハーデス」


『私にはやるべきことがあります』


 きっぱりと言い切るその言葉は、姿や声音が変わってもやはりハーデスだった。


「……そう。それじゃ、兄弟が帰ってきたら、僕のところに来るよう伝えてくれる? 話したいこと、話さなきゃならないことがたくさんあるから」


『分かりました、伝えておきます』


 ヒュプノスは立ち去り、零もまた一礼と共に去った。

 残されたハーデスは官吏たちに向き直り、その手に黄金の小槌を握る。


『さぁ、私がいない間に滞ってしまった業務を再開致しましょう。皆さん、宜しくお願い致しますね』


 官吏たちはその言葉に唖然と立ち尽くしたが、ハーデスが小槌を掌にパン、と打ちつける音で我に返り、皆散り散りに執務室を後にした。


『やれやれ……こちらの世界でも、忙しくなりそうですね』


 ハーデスは頬に手を当て、ほぅ、と息を吐いた。



    †



 時刻は深夜を過ぎていた。日付が変わる頃、夜闇の中を動くものがあった。

 足音の間隔がえらく長い。

 低空を滑るように、方向を調整しながら移動していく。


「――――」


 右から左、左から右へ銀光が走る度、その歩みを阻害するものが音もなく両断されて道を開ける。

 道もなく、壁もなく、影は闇の中を自在に泳ぐ。


「――見つけた」


 両手で構えた銀光を下から上へ走らせる。虚空を切り裂いたその光の軌跡の中へ、影はその身を滑り込ませた。



    †



 臣也は思案していた。現在の心配ごとはふたつある。

 ひとつは、もちろんキヨの身の安全のことだ。連絡手段を絶たれている今、直接探し出すしか安否を確かめる方法がない。

 もうひとつは、トーヤのことだ。『家』に連絡を入れたところ、ショウが出て、トーヤもまたいなくなっていることを知らされた。

 携帯に掛けたが、通じない。電波の届かないところにいるか、電源を切っているのだろう。ショウによれば、いつも護身用に持ち歩いている装備一式は部屋にあるので、買い物にでも出かけているのだろう、とのことだった。


『晩飯までには戻るって、書置きもあったからよ。そんなに心配することねェんじゃねーの?』


「そうか、分かった。じゃあ、お嬢が帰ってきたら、キヨさんのことを伝えておいてくれ。多分、探しに行こうとするだろうから、俺が帰るか、連絡を入れるまで待つように説得してほしい」


『オレがかァ? そりゃ骨が折れるなァ……わァった、なんとかしとくよ』


「頼む。それじゃ、また後で」


 携帯をポケットに仕舞い、振り返る。


「すみません、お待たせしました」


「もうよろしいので?」


 眠る黒猫を抱いていた下駄に羽織の男から、黒猫を受け取りながら、臣也は肯く。


    †


「はい、一応。すみませんが、人を探さなきゃならないので……このお礼はまた何れ。助けて頂いてありがとうございました」


「いえいえ、お気になさらず。私は通りがかっただけですので」


「それじゃ!」


 黒猫を抱いて、振り返ることなく走り去る青年の背を、手を振って見送る。


「はて……“また何れ”、ですか……?」


 疑問に首を傾げていると、正面に裂け目が現れた。


「おや、あなたは―――」


 声を掛けようとした矢先、銀の一閃がこちらに向かって突き込まれてきたので、杖で受け、いなす。


「―――御快復されたのですね、死神様」


「チッ」


 明らかにはっきりと舌打ちして、不意の一撃をいなされた死神は大鎌を引き、ポケットから黒い巻紙の煙草を取り出して口に咥えた。


「どうぞ」


 それに合わせて、こちらもまた懐から着火具ライターを取り出し、火を点して差し出す。死神は差し出された火とこちらの顔を見てから、自分のポケットから着火具ライターを取り出して煙草に火を点けたので、こちらは差し出していた着火具ライターを懐に仕舞う。


「……で、何してるの?」


 紫煙を吐き出しながら、死神が問うてくる。


「冥王様からお聞きになられたのでは?」


「まだ会ってない。権能を戻したんだ、「そのまま仕事しろ」ってことでしょ」


「成る程、そうでしたか」


「で、何してるの?」


 死神の問いに対し、こちらは懐から資料の束を取り出して見せる。


「これは?」


「“行方不明者”のリストです。彼らを探して冥王様の下へ届けるのが私の役目でして」


「ふぅん、そう。ならこれは任せるよ。僕は別のほうを追う」


「別の?」


 差し返された資料を受け取り、懐に収めながら死神を見やる。彼は己の背後を見据えていた。即ち、黒猫を抱えた青年が走り去った先を。


「僕が眠ってる間に、また何かがちょっかいを出してきたみたいだね」


「そうなのですか」


とやり合ったんだろ? 何か分かった?」


「いいえ、特には。どうやら“生き物に取り憑いて意のままに操れる”というようなことしか」


「……十分分かってるじゃない」


 ため息と共に紫煙を吐き出し、死神は再び大鎌を出し、目の前の空間を切り裂く。


「向こうはそっちを敵と認識したはずだ。何が起きるか分からない、精々気をつけて」


「おや、私を心配して下さるので?」


「君じゃない。……そっちの二人に言ったの」


 死神の言葉に振り返ると、唖然、呆然とした顔の男女が身を寄せ合っていた。


「嗚呼……」


 そういえば、黒猫に手を咬まれていたのだったか。すっかり忘れていた。


、女の子は普通の人間でしょ。君に関ったことでかもね」


「いやぁ、ははは―――」


 と振り返ると、死神は既にいなくなっていた。


「―――はぁ」


 責任感じて守れ、と、そういうことだろう。


「仕方ありませんかね……」


 改めて二人に向き直り、手をひとつ打って彼らを正気に戻す。


「い、いいい、今消えなかった? 消えたよね!?」


「いやもう何がなんだか私にはさっぱり……」


 目の前で起きたいくつもの不可思議に、今更ながら目を白黒させている。これがなのだなぁ、と改めて思う。


「はい、ではその辺り、歩きながら説明いたしましょう」


 二人の背を押して、広い通りへと出る。消防や警察が来ており、ちょっとした騒ぎになっているようだ。見つかると面倒なので、そちらとは反対の方向へと歩いていく。

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