第29話 EXotically Ogre./2
†
臣也は、ひたすらに家路を急いでいた。
やはりというか案の定というか、帰りも帰りで渋滞に巻き込まれたのだ。
仕方がないのでタクシーでの帰宅は早々にあきらめ、徒歩で向かっている。
「…………」
心配なのは、やはりキヨの安否だ。
確認しようにも、彼女の携帯は自分のポケットの中にある。
他の家人に連絡を取ろうかとも思ったが、そちらはそちらで連絡がつかない状況だった。
もしかしたら、既に皆状況を知り動いているのかもしれない。
「…………」
とにかく、今は家に向かう。考えていても、状況は動かないのだ。
車の詰まった道路脇の人ごみを、足早に掻き分けていく。
「うひゃー。すっごい人ごみ」
「本当ですね……何かあったんでしょうか?」
すれ違う男女が、車列の先を覗き込みながらそんなことを言っている。確かに、この渋滞は気になる。原因は何なのだろうか。
ふと気になって、彼らと同じほうを見る。
「――――」
臣也はすぐに目を逸らし、視線を下げて足を早める。
人ごみを掻き分けるというよりも、もはや体当たりのような勢いで道を押し開き、周囲のざわめきを余所に転ぶように駆け出した。
背後で、ゴドン、という鈍い音がした。
「……っ!」
振り向くことなく、臣也は駆ける。
†
『……見つケタ……ァ……』
口角が吊り上っていくのが分かる。うれしい。これは“うれしい”という感情の顕れだと、彼は教えてくれた。
『アハ……♪』
うれしいときは笑ってもいい。彼女はそう教えてくれた。
『逃げルノ……? なラ、追いかけチャウ……!』
獲物はときに逃げ出すこともある。そんなときは、その背を追えばいい。相手が疲れ、足を止めるまで。彼が教えてくれた。
『教えハ、守らなイト……ネ?』
追った。
◆
「おや……?」
妙な物音がこちらに近づいてくる。
遠く、何かを強く踏みしめ、跳躍を繰り返す足音が聞こえる。
それに追われているのだろう、駆ける音、荒い吐息も。
「ふむ……」
手がかりが向こうから転がり込んでくるなら好都合だ。
さり気なく割って入ることは可能だろうか。
そんな思案をしていたら黒尽くめの青年がこちらの胸へ飛び込んできた。(言い訳)
†
「え―――ぶっ!?」
気づいたときにはもう遅かった。
臣也は勢いのまま、突然現れたその男に突っ込んで行った。
「おっとっと。大丈夫ですか?」
ゆるく抱きとめられ、慌てた様子で数歩を下がる臣也を、男は見下ろすように観察した。
「す、すいません! あの―――」
言葉は、ゴドン、という踏み音で途切れた。
臣也は、おそるおそる後ろを振り返った。そして見た。自分を追ってくるもの。
黒いロングコートを着た、何か。
「っ……く、」
喉が変な音を出す。それは両脚を拡げ、両腕をぶらりと下げてゆらゆらと揺れていた。
コートの裾から見えるものはなく、手足と思われるものは黒い霧状の何かであった。
とにかく、それは形容しづらい何かとしか言いようのないものだった。
「な、なんなんだ……あれは……」
震えた声が出るのを、情けないとは思わない。あんなものが明確に自分を狙って追ってきたら、誰だって声くらい震える。
しかし、彼は違った。
「どれ、少し下がっていてください」
こちらの肩をぽんと叩き、下駄を鳴らして前に進み出る。背に「黄」と描かれた羽織を着たその男は、その手に持った杖をひねるように撫でながら得体の知れない何かに近づいていった。
「――――」
臣也は、何も言えなかった。飲み込んだ息が、飲み込みきれずに喉に詰まった。
場違い、という言葉が、彼の思考を支配していた。
†
『あは―――はハハはハ……!』
からだが震えた。震えたから、それに任せて声を出した。
それに、そう、確か彼はこうやって敵を倒してた。
『は……!』
左の拳に雷を纏って、それを目の前の男目掛けて振るった。
◆
青白い閃光を纏った拳が、こちらに振るわれるのは見えていた。
だが避けることはしなかった。避ければ、後ろにいる青年に当たってしまうと分かっていたから。
「―――ほう」
私はその拳を右の掌で受け、それが目の前で弾けるのを見届けてから、ゆっくりとその手を払った。
バチバチバチ!!、と激しい音を立てて、拳を象っていた閃光が散っていく。
こちらの掌には、焼け跡のひとつもない。
「……その程度ですか?」
左腕を伸ばし、こちらに後頭部を見せているそれに向かって、私は声を掛けた。
ぴくり、と震え、それはゆっくりとこちらを見上げた。
紫色の閃光が、こちらを見上げた。
†
『アは……♪』
思考が迸る。
こちらの拳を振り払った男に全ての意識が集中する。
目的を忘れ、この男と戯れることを愉しもう。
『あはハ……!』
身体の震えは喜びの笑いとなって響き震える。
『ぁア―――#$%&!』
迸った。
◆
それは、一頻り笑いを溢すと、全身を紫の閃光に変えてこちらを囲んだ。
「ふむ―――」
それを、先ほどと同じように、右の掌で受け、流す。
背後にいる青年に当たらぬよう配慮をし、全てを正面方向へと流すと、紫の閃光は来た道を戻るように滑走し、人ごみの中で弾け飛んだ。
「あっ」
しまった、と思ったときにはもう遅かった。背後の青年を庇う余り、他への被害を軽視していた。ここでは流さずに打ち消したほうがよかっただろうか。
そんなことを若干悔いていると、人ごみの中で閃光の弾け飛びをひとりで受けた男がブンブンと両腕を振ってぴょんぴょん飛び跳ねていた。
「いっったぁぁぁぁ―――!!! ったったったったたった―――!!」
どうやら両腕で受け、その衝撃に悶絶しているらしかった。
†
「だ、大丈夫ですか、キリンさん……?」
突然始まった何事かに巻き込まれ、そしてそれから皆を庇うために前に出てくれたその人を、少女は衝撃で尻餅をついたまま心配そうに見上げた。
その人はしきりに「た」を発音しながら両腕を振って受けた衝撃を逃がそうとしているようだった。
「あ、あの―――」
「だ、大丈夫大丈夫! こいつが中々離れてくれなくて……いたた!」
見れば、彼の右手に紫色の光が纏わり付いている。しかもその光は、彼の腕の振りに合わせてぷらんぷらんと揺れているように見えた。
「こんの……離れろって!」
彼が左手に青い火花を散らして、紫色の光を掴んで投げた。
それはバチンバチンと弾ける音を立てて地面を転がるように移動し、ゆっくりと停まった。
「だ、大丈夫ですか?」
私はようやく立ち上がって、右手を摩りながら光を見つめる彼に寄り添った。
「おーいて……ありゃ、見てよこれ。こーんなくっきり歯型ついちった」
「え……」
見れば、彼の右手には確かに咬まれたような痕があった。
流血はしていないようだが、真っ赤な痕が痛々しい。
「あれなに? 猫か何か?」
「さ、さぁ……?」
彼と顔を見合わせていると、正面、紫の光を挟み込むように、下駄の音がからりころりと近づいてきた。
「今度は何だ?」
彼が呼びかけると、向こうからやってきた人は両手を掲げて「まぁまぁ」と言いながら、紫の光を間に置いて私たちと対峙した。
◆
「さて、さて……」
何を言ったものだろうか。だがまずはこの謎の物体の正体を見極めるのが先か。
紫色の閃光の塊は、徐々にその光を失い、元の黒い霧状の何かへとその姿を変えつつあった。恐らく、あの黄色い髪の男に投げつけられて気を失ったのだろう。
「どれどれ……」
「あっおい、触ったらあぶないんじゃないの?」
男が心配そうに言ってくれるが、こちらが手を伸ばして摘み上げる頃には、紫色の閃光は小さく音を立てて霧散していた。
両腕で軽く抱き上げてやると、それを覆っていた黒い霧状の何かも、砂が零れるように落ち、さらさらと音を立てて闇の中へと散っていった。
後に残ったのは、艶やかな黒いふわふわとした体毛で覆われた、
「ね、猫ぉ……? え、なにそれホントに猫だったの……?」
†
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