第28話 EXotically Ogre./1
†
夕闇のなかを歩くことが、どれほどの意味を持つことになるのか、そのときの彼女には分かっていなかった。
短パンにタンクトップ、ブーツにジャケットと、季節という概念をとことん無視した奇抜なファッションで家を出てきたことを、トーヤは少し後悔していた。
「せめてシャツくらい着るんだったなぁ……」
震える指で煙草を口元に運び、紫煙を大きく吸って、ゆっくりと吐き出す。
“長柄谷組若頭失踪事件”をひとり追う彼女は、もちろん行く当てなどあるわけがないので、今までてきとうに街をブラついていただけだった。
目に付いた小さい路地に所構わず入り込み、何かないかと闇雲に探す。正直無駄なことをしているという自覚も多少あるのだが、他にどうしようもないのが現状だ。
「チッ……なんでもいいから手がかりはないもんかねぇ」
相手は、人目のない路地とはいえ、街中で銃をブッ放した若者だ。まだ高校生とはいえ、立場を考えれば初めてのことではないだろう。おそらくは“証拠の消し方”も多少の心得くらいはあるはずだ。
しかし逆に言えば、そういう“消し方”のクセが分かれば、そこから足取りを追うこともできる。
ところが、今回の場合だと相手は証拠を一切消していない。現場にそのまま丸残りになっていた。
「―――というより、現場にしか証拠が残ってないんだよな……」
姿を眩ませた以上、“移動した痕跡”がなければおかしいが、それが何処にもない。
まるでその場から飛んだか、瞬間移動でもしたように、そこにいたことは分かっても、そこから何処へ行ったのかが掴めない。
「それにしてもなぁ……」
それはそれとして、気になっていることがいくつかある。
まず、今日はオフのはずだったということだ。
「なーんで金にもならないボランティアに参加しちゃったんだ私……」
これは長柄谷組から下りてきた正式な依頼ではない。「人探しを手伝う」という無償ボランティアなのだ。おそらく、無事に見つけても報奨金はそれほど出ない。
「まぁ、リスクもリミットもないからいーんだけど……」
長柄谷に恩を売っておけるというのも、後々うま味に変わるかもしれない。変わらないなら変わらないで、「あの時あれがどうした」という脅しに使える。
人間関係はビジネスライクだ。役に立たない繋がりなどない。……相手が紫緒のような小児やショウのような脳みそ筋肉バカでない限りは。
「はぁ~ぁ、あいつらは今頃何してるんかねぇ……晩ご飯ちゃんと準備してくれてんのかな」
そもそも晩ご飯の時間までに帰れるんだろうか。
一抹の不安に背筋を震わせながら、トーヤは小路へと身を滑り込ませた。
日も大分傾いて、街灯のない路地は薄闇が立ち込めている。銜えた煙草から紫煙を燻らせながら、トーヤは足音を立てることなく、静かに進んでいった。
しばらく進むと、小路は三方に枝分かれする十字路がいくつか重なる形となった。この辺りはブロック割りにされた区画となっていて、建物と建物の間にこういった細い道が生まれやすい。
人も通れる程度の隙間ではあるが、殆ど通るものはいない。排水や排気を大通り方面ではなくこちらに向けているため、澱んだ空気があるからだ。
壁に備え付けられた換気扇からは様々なにおいの空気が排出され、狭い小道の間で攪拌される。大通りと違うのは、屋内の暖かい空気を排気しているおかげで、ある程度暖かさが保たれているというところだ。
「……ん?」
十字路を三つほど跨いだところで、トーヤは異変を感知した。
換気扇の駆動するモーター音のほかに、聞き慣れない音が響いてきた。
雑音に紛れ込むようなその音を、集中力で聞き分けて、音のするほうへと足を早める。
やがて聞こえていた音が、カラリ、コロリ、という下駄の音だと気づいたとき、角を曲がろうとしたトーヤの目の前が闇に覆われた。
◆
「ぶっ!?」
何か黒いものがすごい勢いで角から飛び出してきたと思ったときにはこちらに当たっていた。(言い訳)
「おや―――大丈夫ですか? 申し訳ない、まさか人が飛び出てくるとは」
「あぁ……いや、こっちも不注意だった。すまん」
尻餅を付くことなく堪えたその人は、鼻の辺りを押さえてこちらを仰ぎ見た。しこたま打ち付けたようなので、痛むのだろう。
「おやおや、顔を打たれましたか。どれ、少し見せてください」
「あー、いいって。大丈夫だから……」
「いえいえ、女性の顔に怪我をさせたとあっては責任問題になりますからね。さぁ、お顔を拝見致します」
「お、おい、ちょっと―――」
手首を取り上げ、顔を上げさせる。鼻頭が赤くなっているが、流血はしていないようだ。
「……なんだよ。どうにもなってないだろ、もういいから放してくれ」
振り払われ、距離を開けられる。鼻を擦るその手が、微かに震えていた。どうやら寒さによるもののようだ。見れば、彼女の格好は季節感がちぐはぐと言えた。
「ふむ……。貴女は、どうやら違うようですね」
冥王様に頂いた資料の内容と、彼女の容姿を照らし合わせ、合致するものがいないことを確認する。
「は? どういう意味だよ、それ」
「嗚呼、いえ。少し人を探していましてね。もしやと思ったのですが、違いました。気にしないでください」
「なんだ、あんたも人探しか? お互い大変だな」
「おや、そういう貴女も?」
彼女は頷き、ポケットから携帯電話を取り出して、その画面をこちらに向けてくる。そこには学生服の若者が写っていた。
「こいつなんだけど、どっかで見てない?」
「えぇ……そうですね、見ていないと思います」
「そ。ならいいや。ぶつかって悪かったな」
「いえいえ、お気になさらず」
じゃな、と手を振り、その女性はこちらをすり抜けて小路を歩いていった。
その背を見送りながら、私は彼女が見せてくれた若者のことを思う。
「…………」
間違いない。彼はこのリストにいる。
「―――さて」
資料を懐に収め、私もまた歩き出す。
†
「……なんだったんだ、今の奴は?」
トーヤは抜け出た小路の薄闇を振り返りながら、先ほどのことを思い出す。
まず、あんなところで人に出会うというのがすでにおかしい。
「妖怪とかじゃないだろうな……」
だとすればおっかないことこの上ないが、そう考えたほうが気が楽になるような気もする。
だってどう考えても人間の発する気配じゃないのだ。妖気とか、殺気と言い換えてもいいかもしれない。
「私、死んでないよな……?」
己の足元が不覚になるほどだったが、大通りを吹き抜ける冷たい夜風がそれを振り払ってくれる。
「うぅ~っ、さむ! どーしよ、一回帰ろうかな……」
あんなものと出遭ってしまった以上、ひとりでいるのを避けたい気持ちが強い。オフだから何も装備してきてないし、もう夜も更ける。
「……しょうがない。シンにも手伝ってもらうか」
できれば一人で解決したかったが、そうも言っていられないかもしれない。予定は変更しなければならなくなった。
とはいえ、彼を前線に出すのはリスクが大きいから、行き当たりばったりの徘徊作戦ではダメだろう。策を練らなければならない。
「こういうのも、向こうのが得意だし」
方針は決まった。そうと決まれば、あとは行動だ。
ポケットに冷える手を突っ込んで、足早に家路を急いだ。
†
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