第30話 EXtreme Administrator/1

―――リィ――――ン…………


『……またこの音』


 甲高い、鈴の音を長く伸ばしたような、耳に響く音。

 この白亜の廃墟に近づくと、この音が聴こえてくる。

 恐らくは、鳴り子のようなものだろう。この建物に近づくものがいると反応し、音が鳴る仕掛けだ。


『で、彼女が出てくる、と……』


 大鎌を肩に担いで、建物を見上げる。その天辺に、黒い人影がひとつ。

 赤い瞳が、冷たくこちらを見下ろしている。



    †


 赤い瞳が、爛々とこちらを見上げている。

 昼間にも見た子だ。刃を交わし、退けた。

 何が目的なのか、再び正面から乗り込んできたわけだ。


『…………』


 言葉を交わす必要はなかった。

 あちらの目的が何であれ、わたしはそれを阻止する。

 それは向こうも承知しているのだろう。だからああして、わたしが突っかけていくのを待ち構えている。


―――リィ――――ン…………


 警報が鳴っている。


『――――』


 障害は、排除しなければならない。



    †


『来るか』


 彼女が、ゆらりとその手に大鋏を展開した。

 両腕を広げ、刃を全開にして、ふらりと倒れるように前へ。

 下へ、地面へと向かう。


『こっちも行くよ』


 肩に担いでいた大鎌を、足元に振り、両脚を広げ低く構える。


『さぁ、始めよう』


 彼女が地面に落ちるのにタイミングを合わせて、構えた大鎌を前へと振り上げる。

 ギャリィン! と、鋭く火花を散らせて、大鋏を広げて突っかけてきた彼女がそこにいた。



    †


『…………』


 見切られた。否、この相手はそれくらいはしてくる。できる相手だ。

 身を翻し、後方に宙返りを打って距離を取る。開いた鋏を一度閉じ、右手に引っ掛けて大きく振り回す。

 ガァン! と強く音が響き、わたしの読みが正しいことを証明してくれる。

 こちらの着地を狙って先回りした相手の鎌を弾いて、わたしはもう一度ホップしてから改めて身を回して着地する。


『―――っとと。ふぅん、中々やるね』


 崩された体勢を持ち直しながら、相手の子は笑った。


『…………』


 わたしは答えない。鋏を左手に持ち替えて、その切っ先を相手に向ける。



    †


『は―――』


 大きく息を吐き、そして吸う。向こうのやる気が昼間よりも上がっている。

 こっちも少し本気を出していく必要がありそうだ。


『―――よし』


 大鎌を軽く回し、曲刃を上に向け、柄を背に負うように構える。

 左手で柄尻を、右手で刃の根を持ち、全身を柄に沿わせるようにする。


『行こう』


 行った。



    †


 低い構えのまま、相手の子が突撃を掛けてくる。

 こちらは鋏を手元に引き寄せ、迎撃の用意をする。


『よっ』


 軽い掛け声をつけて、相手の身体が低空を舞った。

 背に負った鎌を支えに、全身で振り回すように回る。


『くっ……!』


 柄尻が叩きつけるように突きこまれるが、これはフェイントだと分かっている。

 受けずに、一歩を下がることで避ける。

 本命が頭上から降りかかる。両腕を柄に絡めて身を回すことで、小さい身体をフルに使い、巨大な鎌をコンパクトに回す。

 それは鎌に速度を与え、速度は威力となって発揮された。


『っ!』


 これまで以上の快音が響き、わたしは大きく後ろに弾き飛ばされた。



    †


『よいしょっと』


 振り抜き、弾けて戻る衝撃を、腕の拘束を解いて大鎌を振り回すことで逃がす。

 肩に担ぎ直して正面を見れば、大鋏を盾に攻撃を防いだ彼女が苦悶の表情でこちらを睨んでいた。


『うーん……やっぱり今のボクじゃ“破戒”の力は引き出せないか』


 大鎌が本来持つ“破戒”の力は、やはり真の持ち主にしか発揮できないようだ。


『まぁ、それならそれでやりようはあるさ』


 大鎌を肩から下ろし、柄頭を地面に突き立てる。

 曲刃に足を掛けて改めて正面を見ると、彼女の構えが変わっていた。


『お……?』


 大鋏が、している。両の手に、それぞれ内側に刃を持つ剣のように、切っ先を下に向けてゆるく構えられている。



    †


『ふ―――』


 息を吐き、全身から力を抜く。双の刃となった鋏を広げ、頭を後ろに傾け、身を大きく反らす。

 目を開けると、そこには蒼い月が見えた。


『―――レイ……ヴェルン―――』


 わたしは呼びかける。わたしの持つ力に。わたしが持つ刃へ。

 胸が高鳴る。両手から伝わりくる脈動が、わたし自身を滾らせる。


『……行くよ』



    †


『―――ッ!?』


 彼女の身体が、ゆらりと揺れたと見えたときには、すでにその刃は振り切られていた。

 ガァン! という音が、後から付いてきた。


『ふふ―――』


 こちらが盾として構えた大鎌の柄を蹴り、小さく身を回して再び攻めてくる。

 こちらが大鎌を構えなおすよりも早く、彼女の二つの刃が左右から振り抜かれる。

 そこからは連打となった。


『あはは―――』


 笑いながら、彼女の刃は止まらない。

 左の刃が外から内へ振られ、返す刃で右の刃が外から内へ振るわれる。

 交叉した刃を瞬間手放し、左右を持ち替えて同時に内から外へ振り払う。

 片側にしか刃のない双の剣を、彼女は器用に持ち替え、使い分ける。

 更には持ち替えた先で刃を背後へ振り、拳甲となる打点を突き込んでくる。


 大鎌という動作に振りかぶりを要する得物では到底不利な相手と言えた。


『くっ、……この!』


 彼女が突っかけてくるのに合わせて、盾としていた柄を引く。

 柄頭を支点に、鎌刃が跳ね上がる。

 下方からの急襲となるそれを、彼女は両の刃を交叉させることで防ぎ、受け止めて後方へと飛び下がる。


―――リィ――――ン…………


 鈴の高鳴りが木霊する。


『……そっちが、その気なら―――』


 大鎌を振りかざし、その刃を背に負うように振りかぶる。

 そして突撃のために身を低くしたとき、自分と彼女との間に割って入ってくる影があることに気づいた。


―――カァ――――ン…………!


 鐘の音がひとつ響き、まさに空からゆっくりと降りてきたその人物の登場を演出する。

 ガシャ、と重く足音を鳴らし、地面に降り立ったその人物は、両腕を高らかに振り上げ、バサァ!と音を立てて黄金の外套を翻した。


『ハーデス……? どうして、ここに……』


 白銀の甲冑を身に纏った、冥府の王が降臨したのだった。



    ◇


「―――ふぅむ」


 天上から降りかかる一条の白光をその身に受け、両腕を高らかに掲げてポーズを決めていた冥府の王ハーデスは、一向に舞台が湧き立つ気配がないのを察して腰に手を当ててポーズを変えた。


「どうした? 王の降臨だぞ。拍手で迎えるのが礼儀というものだろうが」


 両の手に片刃の剣を持った黒い外套の少女が正面にいるが、その表情は無かった。

 少女は沈黙したまま、小首を傾げるようにして、白く眩い王を見上げた。


「おっと、いかんいかん。我としたことが、名乗り口上を忘れていたではないか!」


 冥府の王ハーデスが手を叩くと、天上から降りてきていた白光が一旦消え、数瞬の後に再び灯った。

 天上から降りかかる一条の白光をその身に受け、両腕を高らかに掲げてポーズを決めた冥府の王ハーデスは、暫しそのまま沈黙を保っていたが、やがて再び腰に手を当て、


「はて、何と言うべきか忘れてしまったな」


 白光が消え、沈黙が代わりに降りた。



    †


 わたしは、笑い出しそうになるのを堪えるので必死だった。

 急に上から降ってきたこの面白い人は、どうやら相手の子の知り合いらしかった。

 鎌を肩に担いで、ほとんど呆れた口調で、相手の子が背後から話しかけている。


『ハーデス。どうしてここへ? タナトスは見つかったの?』


「ん? おぉ、ヒュプノスか。タナトスのことなら心配するな。今の従者を迎えに寄越している」


『従者? あぁ、零のこと。そうなんだ、じゃあ兄弟は無事なんだね』


「ああ、まぁな……それより、お前はこんなところで何をしているのだ?」


『タナトスを見つけたんだよ』


「ん? ……どういうことだ?」


 相手の子が、こちらを指差す。その指先を追って、甲冑の彼もこちらをもう一度視界に収める。


『……なに?』


 注目を受けて、わたしは首を傾げてみせる。

 甲冑の彼はじっくりとこちらを観察したあと、相手の子を振り返ってみるが、相手の子が肯いたのでもう一度こちらを見た。


「お前……タナトスか?」


『そうだよ』


 肩を竦めるように肯いて見せ、左の刃を相手に差し向けて言う。


『おじさんは、だれ?』



    †


「おじさん……だと……!?」


 ハーデスが愕然と呟くのを、僕は思わず噴出しながら聞いていた。

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