第24話 Ghost Later On./3

    †


 夕闇。橙と紫の境界を、閃光が抜けていく。

 遠く、空の彼方で、雷が踊っていた。


    †


 人通りもまばらとなった、日暮れの駅前繁華街。

 人々は雨の気配濃厚な湿り気を帯びた鬱々とした空気から逃げるように、それぞれの家路を急いでいた。

 その雑踏の中、足を止めている少女がいる。

 近所ではあまり見かけない学生服。桐生きりゅう あやねだ。

 今日も誰かと待ち合わせなのか、足元にバッグを置いて、時折右手首の時計を気にしている。

 だが、その顔には先日のような憂いはない。むしろどこか楽しげであり、それが落ち着きのなさとして表出しているようにも見えた。


「おーい、桐生さーん」


 彼女に向かって声を掛けながら、男が一人やってくる。黄色い髪をあちらこちらへ撥ねさせた、黄色いパーカーの男。


「キリンさん!」


 その男を視界に認め、少女はスキップでもしそうな勢いで跳ね、手を振った。それから足元の荷物を拾い上げ、足早に男に近寄る。


「やー、ごめんごめん。なんか、落雷?かなんかの影響で電車が遅れちゃってたみたいでさぁ」


「そうだったんですか? でも、来てくれてありがとうございます」


 少女は男に頭を下げる。男はそんな少女に両手を突き出して振り、


「いやいや、そんな! ボクなんかでほんとによかったの?」


「はい。父も、キリンさんとまた会えるのを楽しみにしているみたいですよ?」


「あ、そう……いや、嫌ってわけじゃないんだけどね!? ボクなんかで役に立つならいくらでも呼んでもらって構わないんだけども!」


 その後も「いえいえ」「いやいや」とやり取りをし、男は少女の促しを受けて、二人並んで歩き出す。


「でも桐生さん、その格好のまま行くの?」


「いえいえ、まさか。一旦家に寄って着替えますよ?」


 だよねー! と受け答え、二人は雑踏と明かりを避けるように、暗がりとなる小路へと歩みを進める。線路沿いの道を行くと、見えてくるのが“Ortensia Zhuang”―――少女が住む木造二階建てのアパートだ。


「上がって行きますか?」


「いや、外で待ってるよ、うん」


「そうですか? それじゃあ、手早く着替えてきちゃいますね」


 男を入り口に残し、少女はひとりスチール製の階段を上がり、一番奥となる部屋の鍵を開けて、中に入っていく。

 ひとり佇む男は、ふと視線を感じて振り返る。


「ん……?」


 そこに居たのは、闇に沈むように立つ、黒いロングコートを着た人物だった。両手を強く握り締め、鋭い視線を、少女が消えていった部屋の明かりに向けている。

 そちらを見る鬼麟には気がついていないようだった。首に架かる小さな鈴が、チリン、と鳴った。


「おーい―――」


 鬼麟がその人物の肩を叩こうと手を伸ばしたとき、ハッとした表情でその人物が振り向くのと同時、伸ばした鬼麟の手と、その人物の鼻先との間で、青白い閃光がバチン! と鋭い音を付けて弾けた。


「痛った!?」

『ぎゃん!?』


 男は驚いて手を引き、その人物は悲鳴を上げて転げるように跳び下がった。


『ふしゃー!』


 その人物は、まるで猫のように低い姿勢で一声を上げ、そのまま夜闇へと飛び込み消えてしまった。チリンチリンと鈴の鳴る音が遠ざかっていく。


「な、なんだったんだ……?」


 鬼麟は弾かれた手を振り払いながら、その人物が消えていった闇の先を見つめた。



    †



『うーん、やっぱり此処かぁ……』


 町外れの草原に鬱蒼と佇む白亜の塔。明かりの一切灯らないその廃墟は、夜に見上げると余計に怖ろしさが増す感じだ。恐怖の大王とやらが居座るとしたらきっとこんな建物だろう。

 僕が知ってる恐怖の大王は、とも絢爛豪華な感じが好きそうだけど。


『タナトスは心配だけど、も放ってはおけないんだよな』


 昼間は何の準備もなく正面から堂々と入ったら迎撃されたので、今は少し遠巻きに建物を眺めている。向こうがこっちをどこまで捕捉できているか分からないが、今のところ動きはない。

 あるいは“こっちのタナトスとの同調”が強まって、こちらを感知できなくなったのかもしれない。少なくとも、僕のほうでは完全にあれがタナトスだと確定されてしまった感じだ。

 今のこの姿は、きっと鏡写しヒュプノスとして再現されたものなのだろう。


『でも、僕にはキミが居てくれるからね』


 肩に担いだ大鎌がを寄越してくれる。この大鎌がある限り、僕の兄弟はだけなのだ。

 それに、とこの大鎌を作ったのはだ。その鏡写しヒュプノスである自分もまた、作製物ものだ。


『余計なものは、片付けないとね』


 例えば、タナトスの変調もあれらの影響なら、あれらを滅ぼせば兄弟も元に戻るし、僕の体も元に戻るだろう?


『やらない道理は、ないよね』


 大鎌がを寄越してくれる。これはこれで、あの贋物の存在には我慢ならないらしい。少なくとも、僕に対するものよりも強い拒絶を感じた。


『じゃあ、いこうか―――』


 回り道はしない。正面から堂々と行く。どうせ対峙することになるんだから、面倒は省いていかないとね。



    †



『―――あの子、また……』


 突然立ち止まり、何事か小さく呟いたタナトスを、俺は振り返る。


「どうした? 何かあったのか」


 タナトスは、けれどこちらを見ない。視線を何処かへ飛ばしたまま、焦点の定かではない瞳が、明らかに人間のそれを無視した蠢動を行う。


『マスターがあぶないの』


 タナトスは感情のない声でそれだけを言うと、何処からともなく大鋏を振り抜いて跳躍した。


「お、おい! 俺を置いて行くなって! ……くそ!」


 タナトスは一切こちらを振り向かない。街灯を蹴り、壁を駆け、屋根を飛び越えて行ってしまう。

 俺は松葉杖をガッチャンガッチャン言わせながら、精一杯の速度で黒い外套の翻りを追うしかなかった。



    ‡



 見つけた。


 見つけた、見つけた、見つけた―――。


 見つけたのに。


 見つけたのに!!!



    ‡

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