第25話 Who Restricted Those?
◇
雷雲がとぐろを巻き、空を覆い尽くす。
五つある月は全てその姿を隠し、時折に閃く紫電が暗黒を切り裂く。
荒れ狂う空の下、白亜の宮殿は異様なまでの静けさに包まれていた。
ここは死者の魂が集う、渾沌と秩序の狭間。顕界と冥界を分かつ臓腑。
たったひとつの存在が、全てを支える世界樹の、その根元である。
「――――」
その冥府への入り口に、佇む男が、一人。
浅葱の羽織の背には「黄」と描かれた丸印があり、手には漆塗りの杖を持ち、黒足袋に駒下駄という出で立ちは、白亜の宮殿には全く似つかわしくないと言えた。
しかし彼は、見上げていた視線を下ろし、徐に歩を進めた。
からりころりと下駄を鳴らし、進み入る彼を、留めるものはいなかった。
◇
「―――来たか」
彼が、誰に出会うこともなく奥へと進んでいくと、それを待っていたかのように、大柄な男が大理石の執務机から立ち上がるところだった。
白銀の甲冑を身にまとい、手には黄金で出来た鎚を持って、男は机を回り込んでやってきた彼と対峙した。
「お待たせ致しました、冥王様」
彼が一礼すると、男――冥王は右手を軽く上げて応えた。
「よい。此度はこのようなところに呼びつけてすまなかったな、礼を言うぞ
彼――黄桜が顔を上げると、己のすぐ横にカツン、と足音を立てて誰かが並び立った。
「お前もな、従者」
「いえ―――私は、我が主の代理で寄越されただけですので」
無駄のない所作で一礼する、執事服の若者が、つと黄桜に視線を寄越し、そちらにもまた一礼する。
黄桜も軽く一礼して応え、視線を冥王へと戻した。
「お前たちを呼びつけたのは、ほかでもない。現世で今起こっている、あらゆる事象についてだ」
冥王は厳しい顔で告げ、手の中の小鎚を手のひらで一度パン、と鳴らす。
「タナトスが冥府を離れていることは知っているな?」
「存じております。我が主も、大層心を痛めているご様子でした」
従者の若者が答えるが、黄桜はどちらかといえば驚いているような様子だった。冥王は頷き、
「やつが
“だが”が多いな、と冥王は苦い顔をしている。言葉に詰まる彼に代わって、黄桜が続きを引き継ぐ。
「何か“問題”が起きたのですね? 我々が動かなければいけないような」
「まぁ、そういうことだ」
「私たちは、どう動けばよろしいので?」
詳しい事情を尋ねることはしない。わざわざ呼集を掛けられている時点で、そのような暇はないと判断されたのだ。
今は急を要し、迅速な対応が求められている。それは冥王自らが、御身で以て解決に動くという時点で明らかなことだった。
「お前にはタナトスの元へ向かってもらう。今、あやつはその存在が消えるかどうかの瀬戸際だ。そのようなとき、“お前の主ならどうするか”を考え、行動しろ」
「ですが、死神様の居所はまだ掴めていないのでは?」
黄桜の問いに、冥王は顎に手を当てて思案顔を浮かべる。
「それなんだが―――どうやら奴は、《魔女》と共にいるらしい」
その言葉に、従者の若者は軽く目を見開くと、その瞳を紫に煌かせて、しかし目を伏せて一礼する。
「―――仔細、承知致しました。是よりは、“我が主”の代理として、其方の助けに馳せ参じます」
「任せたぞ」
冥王が肯くと、従者の若者は、現れたときと同様、足音ひとつで姿を消した。
「さて、次はお前だが」
冥王は小槌をパン、とひとつ打ち、残された黄桜へと向き直る。
「はい、冥王様。私は如何様に?」
「お前には別の件を任せたい」
「と、言いますと?」
冥王は書類の一切なくなった執務机から、数枚の紙切れを取り上げ、黄桜へと差し出した。
「これは……?」
「今現在、地上を席巻していると思われる死者たちだ」
「死者の魂が、現世を彷徨っていると?」
資料には、名前や顔写真といったプロフィールに、出生から死に到るまでの細やかなデータが詰め込まれているが、その上に大判で「魂魄不在」の印が捺されていた。
本来、死を迎えた魂を迎え、此方へ誘うのは、死神と呼ばれる冥界の従事者の仕事だ。であるならば、このようなことは死神たちが執行するのが常である。しかし、
「いや、どうやらそやつらはまだ生きているらしい。或いは再び生きていると言ったほうがいいのか。とにかく、死神を向かわせても回収できんようなのだ」
「死者が、生きている……。なんとも不思議な話ですねぇ」
「そうなのだ。だからそのものたちを、全てひっ捕らえて此処に突き出してもらいたいのだ。このようなことを頼めるのは、タナトスの使えない今、お前しかいない。頼まれてくれるか」
「それは、構いませんが……。私のやり方ですと、無事に送り届けられるかは分かりませんよ?」
「よい。どうせ一度は死んでいる連中だ、もう二、三度死んでも構わんだろう」
吐き捨てるような台詞に、黄桜は珍しく目の前の人物がひどく苛立っていることを感じた。この人物をここまで苛立たせるとは、何者か知らないが随分と不遜なことをしでかしたものだと、感心と寒心を半々で覚える。
「畏まりました。必ずやこの者たちを貴方の前に引っ立てて参りましょう。生死を問わずに、ね」
「うむ。どうせこちらには死者しか来られぬ。何も構うことはないだろうさ」
「冥王様は、どちらへ?」
彼もまた、出立の準備を整えているのだから、何処かへ出かけるのだろう。冥府が静かになっているのも、彼がその権限のあらゆるを尽くして留めているからに他ならない。
普段は停まってしまうものを、自ら留めるということが、どれほどのことなのか、恐らく冥府のものたちも分かっているのだろう。宮殿内において誰も姿を見せないのはそういうことなのだ。
そして出立の準備を整えつつある冥府の王は、その表情を一層険しいものとしながら、しかし笑みを浮かべて、
「決まっている。この事態の元凶となるものを、我自らが直接裁きに行くのだ」
空が荒れている。まるで彼の内なる激情を体現するように。
黄桜は何も言わず、一礼し、手にした杖で振り向きながら背後を穿った。
「さて」
何もないはずのその空間に、彼はその身を滑り込ませた。
◇
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