第23話 Ghost Later On./2
†
「月代、恭也……だって……?」
思い出すのは、三年前のこと。
この場所がまだ港として十分な機能を持つ以前、雨の日の夜。
闇の中で暗くぬめるコートを、時折閃く稲光が赤く照らし出していた。
彼の手には拳銃が握られていて、銃口はこちらに向いていた。
自分はそれを、見上げるようにして見ていた。
撃たれたのだ。
『臣也……臣也! しっかりして、臣也……!』
倒れた自分を抱きかかえた人が、震える声で自分の名を呼んでいる。
撃たれたのは左脇で、致命傷には至らなかった。
『
彼はそう言って、背を向けて去っていった。
それが、最後に彼を見た記憶だ。消息も足取りも、何も掴めてはいなかった。
そんな兄の名が、こんなところで出てくるなど。
「有り得ない……」
そもそも、恭也が姿を消した理由を、自分は知らされていない。
何故自分が撃たれなければならなかったのか、それすら答えてはくれなかった。
「月代 恭也は、この町にいるのか……?」
「そう聞いてる。今は“
「
聞き覚えのある響きだった。
「確か……豪蘭会の直参にそんな名前があったな……」
「ふむ、豪蘭会……ああ、それはきっと
「そうか……」
ジャケットの男はこちらに歩み寄り、下から覗き込むようにしてこちらの貌を窺う。
「ふーん……? その様子だと、それ以上のことは何も知らないって感じだな。月代 恭也がこの町にいたことも知らなかったみたいだし。実の弟なら何かしら繋がりがあると踏んでたんだが……俺の見込み違いだったか」
「おいおいマジかよ」
「丸一日潰しといて収穫なしとか、超ウケるんですけどぉ」
「ボスになんと釈明したらいいのかしらねぇ」
少女たちが口々に不満を漏らすが、ジャケットの男は飄々と受け流す。
「まぁ、こんなときもあるさ。次の手がないわけじゃない」
「次の手……何をするつもりだ?」
「初めに言っただろ? 最初は月代 キヨに聞こうとしたって。―――もう一度、彼女に当たってみるまでさ」
「待ってくれ、キヨさんも同じだ! 彼女は何も知らない!」
背を向けて歩き去るジャケットの男の肩を掴んで留めさせる。こいつをここで行かせるわけにはいかなかった。
男はこちらに振り返ると、こちらが伸ばした右手を右手で掴み、握手をするように軽く振った。
「ご協力ありがとう、臣也くん。あとはこっちで調べてみるから、君はもう行っていいよ」
「そゆことー、じゃねっ」
「次からはあまり人を待たせないことだ」
「またね、坊や」
歩き去る男を追って、三人の少女たちが立ち尽くすこちらをすり抜けていく。沈みゆく日の光を受けて赤、青、緑の瞳が妖しく輝いていた。
「くそ……!」
キヨに連絡を取ろうにも、彼女の携帯はこの手の中にある。誘拐が起きていないなら家に帰っていることも考えられるが、確かめようがない。
キヨの安否も気がかりだが、それとは別に気になることもある。
「恭也……兄さんが、この町に……?」
いろんなことがありすぎて頭が混乱している気がする。今は何よりも、キヨの身を案じるべきだろう。
「くっ……」
顔を上げたときには、男たちはすでに見えなくなっていた。
タクシーは待たせてある。すぐに来た道を戻り、家に向かわねばならない。
†
「なんだ、こりゃぁ……?」
現場を見たトーヤの最初の感想は、そんなところだった。
そこは線路沿いの小路で、建物の間を縫って通りへ抜ける道が何本も接続された狭い道だ。線路側はコンクリート塀が積まれ、その上には進入防止のフェンスがある。
そして、その壁側から、通りへ抜ける路地のひとつに向かって、血痕が広がっていた。つまり、壁に追い込まれた人間が、自分を追い込んだ人間に反撃したことを、この血痕は示していた。
それ自体は、特に不思議なことではない。大口径の改造銃を真正面からまともに食らえば、これくらいは出血するだろう。もちろん、撃たれた相手はその場に倒れ伏し、即死だ。
だが、ここで撃たれた奴は、少なくとも即死ではなかったようだった。
「これ、足跡……だよな」
血溜りから、壁側に向かう、血でできた足跡があった。
撃たれたやつが立ち上がったのでなければ、後から来た別の人間が、血溜りを踏み越えて、撃った方へ歩み寄ったのだろうか。
「どう見ても普通の殺しの現場じゃないな……」
足跡を目で追うと、その先の地面に何かを突き立てたような跡があるのが見えた。細身の、おそらく金属製の何か。
「ドス……じゃぁないよな……」
小太刀ではどんなに勢いよく振り下ろしても地面に当たることなどない。また、投げつけたところでこんな跡はつかないだろう。それに、襲われたと思われる長柄谷の若坊ちゃんが銃以外の得物を持っていたとも聞いていない。
「となると、これをやったのは相手側か……?」
つまり、血溜りを踏み越えてやってきた人間が、何かしら長物を持って若坊ちゃんを追い詰めたということだろうか?
「クサいな……ヤクザの抗争にしちゃぁ、変な状況だ」
立ち上がり、腕を組んで顎に手を当て、考える。相手は明らかに若坊ちゃんを執拗に狙って追い詰めている。無差別な殺戮が目的ではないとすると、狙われた理由が何かしらあるはずだ。
「
後ろ向きに、ゆっくりと現場を俯瞰しながら下がっていく。その背が、誰かに当たった。
「あ、悪い―――ん?」
振り返り、見上げると、そこには見知った顔があった。
「げぇっ、
「
髭の生えた厳つい顔が、半目でこちらを見下ろしていた。
「ははは、あんたのその鬼みたいな顔が急に出てきたら誰だって言うさ」
「こんなところで何やってんだ? ここは立ち入り禁止にしといたはずなんだがなぁ」
「捜査だよ、捜査。丁度いい、会いにいく手間が省けた。あんたが持ってる情報、こっちにもちょうだいな」
「あのなぁ……一般人であるお前に警察の情報流せるわけないだろが。ガキが出張ってきていい状況じゃねんだぞ。さっさと帰んな、見逃してやるから」
「ちぇー、なんだよー。教えてくれてもいいじゃねぇかよー。トーヤさんの頼みが聞けねぇのかよー?」
「かわいこぶってもお前にゃ似合わねぇよ……そら、さっさと出てってくれ。こっちは忙しいんだ」
背中を押され、手で払われて、トーヤは規制線の外へと追いやられてしまった。
「チッ、相変わらず融通の利かないオッサンだぜ……ったく」
「
同じように追い払われた長柄谷のザ・チンピラが、歩き出すトーヤを追いながら尋ねる。
「うーん、若頭の坊ちゃん探す手がかりはここにはなさそうだったなぁ。相手が誰かも分からないんじゃ、手出しのしようがない」
「そうっすよね……」
「人探しなら、私よりもシンのほうが詳しい。私は一旦家に帰ってシンに話してみるから、あんたも一回組に戻って、長柄谷の組長さんとどうするか相談しておいで」
「へ、へい、分かりやした! それじゃあ、どうかお気をつけて!」
「あいあい」
頭を下げて去っていくザ・チンピラにてきとうに手を振って、トーヤは家に向かって歩き出すが、途中で立ち止まり、踵を返して逆方向へと歩き始める。
「こんなキナくさい案件、シンに持ちかけるわけねーじゃんよ……」
今頃は買い物も終わって、向こうも帰宅しているだろう。自分が残した書置きには気づいてくれただろうか。臣也のことだから、必ず気づいてくれるだろうと信じている。
「こんなことなら「遅くなるかも」じゃなくて「遅くなる」って書いとくんだったなぁ……」
後悔していても事実は変わらない。「かも」で終わらせられるように、急がねばならない。
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