第18話 Go Straight On./1

    †


 午前、11時。昼休みには、少し早い時刻。

 駅前の繁華街は人通りも多く、特にビジネススーツに身を包んだ者が多く散見された。

 そんな「働き者たち」の行列を外れて、地下へ続く階段の縁に背を預けて立っている、華やかな人物がいる。

 足元には近くの量販店の紙袋を2,3置き、横にはラッピングされた細長い箱が立てかけてある。すらりとした手足をオフホワイトのバイクスーツに収め、腕を組み、やや俯き加減で、赤いハンチング帽子から煌びやかな銀髪が腰の辺りまでストンと伸びている。薄いブルーのサングラスの奥で、その瞳は閉じられていた。

 周囲の者たちとは、極めて対照的な容姿と言える。


「――――」


 繁華街の喧騒も、その人物の周囲だけ鳴りを鎮め、眠っているのか休んでいるのか、ともかくそれを邪魔しないようにと努めているようだった。

 張り詰めている、というわけではないが、何物も寄せ付けない緊張感のようなものが、その人物をさらに集団から孤立させていた。


「いいね。実に画になっているよ」


 誰もが近寄りがたく感じているその人物に、ふらりと歩み寄っていくものがいる。

 ブルーのジーンズに革のジャケットを着た青年。その手には湯気立つコーヒーのカップを二つ持っている。片方がブラックで、片方がカフェオレだった。


「ほら。シュガーとミルクは多めにしてもらったよ。小さな女の子にあげるんだ、って言ってね」


「……誰が小さな女の子だ」


 フウ、と息をつき、腕組みを解いてカフェオレのカップを受け取る。

 その鈴を転がしたような凜とした声音に、周囲の喧騒がさらに縮こまるようだった。周りを行きかう「働き者たち」は、誰もが気にしない素振りをしながら、誰もがこの異彩を放つ人物に傾注していた。


「相変わらず、やりにくいな、この街は……」


「君は変に気を張りすぎなんだよ。もっと自然体で居られないのか?」


「悪かったな……私にとってはこれが自然体だ」


 カフェオレのカップを、くっと一呷りする。顔を顰めて一息をつき、


「……苦いな」


「いやいや、それ以上は甘くできないだろうよ。まったく、子ども舌というかなんというか」


「うるさい、コーヒーが飲みたいと言い出したのはお前だろう」


「君はいちごミルクにしておいたほうがいいんじゃないか、と提案したよ僕は」


「チッ……!」


 鋭く舌打ちして、カフェオレのカップを男に突き返すと、再び腕を組んで壁に背を預けてしまった。


「行かないのか? 待たせているんだろう」


 男は自分のブラックコーヒーを傾けながら、足元の紙袋を見て言うが、赤いハンチング帽子で表情を隠した人物は男の手元を指差し


「カップを両手に持っていたんじゃ、荷物持ちとして役に立たないだろう? 飲み終わるまで待っていてやるから、さっさと飲んでしまいなよ」


「そうか? なら、少しゆっくりしていくか」


 そう言うと、男は数歩後ろに下がり、壁に寄りかかるその人物を改めてまじまじと眺めた。


「……なんだよ?」


「いや、改めて思ったんだよ。そうしてると、君も年頃の女の子なんだなぁ、って」


「……褒めているのか? それは」


「もちろん」


 男の即答に、その人物はハァー、と深く息を吐き、赤いハンチング帽子とを外し、をわしわしと掻き広げた。

 何とはなく二人に注目していた周囲から、驚きと愕然のどよめきが小波のように広がった。


「言っておくけどな。は女の子になんてなったつもりはないからな」


「嗚呼、せっかく似合っていたのに。目的を達成する前に変装を解いたら「変装していた意味」がなくなるだろう?」


「ハン。そんなもの、アイツからこっちに来られてちゃ同じことだろ」


「なんだって?」


 顎で指し示された先、背後を振り返る。人ごみの中、ふたつの人影がやってくるところだった。

 ひとりは、オフホワイトのバイクスーツに、赤いハンチング帽子から煌びやかな銀髪を腰の辺りまで覗かせる女性。それが一目でと分かるのは、バイクスーツの下からでも存在を強調する豊かな胸があったからだ。

 もうひとりは、黒を基調としたエプロンドレスを身に纏った少女。ラズベリーの髪をツインテールにしており、歩調に合わせてふわりふわりと揺れていた。


「何勝手に出てきてんだよ。俺らが行くまで出てこないんじゃなかったのか?」


「もう、済んだのかい?」


 二人の問いかけに、バイクスーツの女性は手を上げて応えとし、壁に寄りかかり腕を組んでこちらを見る自分と同じ格好をした人物を、顎に手を当ててまじまじと見つめた。


「……なんだよ?」


 この反応は二度目なので、その人物はややうんざりした調子で再度問うた。女性はひとつ肯き


「自分がもう一人いる、というのは何とも不思議なものだなぁと思ってね」


 黒髪を曝した人物はハァー、と深く息を吐き、腕組みを解いて壁から離れると、右手を腰に当て、左人差し指を女性の鼻先に突きつけて、うんざりした調子で返した。


「あのなぁ、だけだろうが。見比べられたらすぐバレるっつーの。なぁ?」


 話を振られたジャケットの男は、改めて二人を見比べ


「いやいや、僕から見たら瓜二つレベルでそっくりだよ君たちは。いやぁー、見分けが付かないなぁー。どっちがどっちなのかなぁー」


「ケッ! 芝居がクサすぎんだよ、お前はよ」


 吐き捨てるように言い、また腕を組んで壁に寄りかかる。ジャケットの男は空になったカップを重ねて片手に持ち、もう一方の手でその人物の足元に置かれていた紙袋を纏めて持つと、女性たちに振り返り尋ねる。


「で、首尾はどうだった?」


よ。お小遣いまで貰ってしまったわ。ふふふ」


 その細い指先には、いつの間にかピン札が数枚手挟まれている。それを扇のように口元にあて、女性は目を弓にして笑んだ。


「こっちも、まぁ、ねー」


 エプロンドレスの少女も、その指先でひらひらと数枚札を翳して見せた。

 ジャケットの男はそれらの札を彼女たちから受け取ると、自分の財布に入れ


「おぉ、結構な稼ぎになったね。上出来上出来。さて、じゃあこのお金で、何か美味しいものでも食べに行こうか?」


「さんせーい。私お腹空いちゃった。の後はやっぱり甘いものが食べたいよねー」


 エプロンドレスの少女が手を上げて賛同する。バイクスーツの女性も目を弓にし


「ふふ、そうね。私はトロトロに蕩けたアツアツのチーズが食べたい気分だわ」


「ケッ、たった今んじゃないのかよ? その上まだ食うのか」


 黒髪を曝した人物は、足元に残る荷物と壁に立てかけておいた細長の箱を手に取り、肩に引っ掛けるようにして抱えて、うんざりした調子で言った。

 エプロンドレスの少女はふふーんと胸を張り


とは別腹なのよー。ねー鬼蝶キチョウー」


 バイクスーツの女性――鬼蝶は両手を己の下腹部に当て、擦るようにして、困ったような、からかうような笑みを浮かべて


「そうね、鬼香キキョウでも満たされるものはあるけれど、やはり空腹はでないとね」


「あーそーかよ。俺には分からん感覚だぜ、ったくよ……」


 うんざりした調子で吐き捨てる黒髪の人物に、エプロンドレスの少女――鬼香はいたずらな笑みを浮かべ


「ねー今度は鬼喇キラちゃんも一緒にやろうよー。きっとたのしいよー?」


「それはい案ね。どうかしら? お望みなら、私が手取り足取り教えてあげるけど?」


「遠慮しておくよ……俺はに興味ないんでな」


 黒髪の人物――鬼喇は相も変わらず、うんざりとした顔で吐き捨てる。鬼香は可愛らしく頬を膨らませてむくれて見せ


「むー。ノリが悪いなー。愉しいのになー」


「まぁまぁ。人には向き不向きというものがあるんだよ、鬼香。嫌がってるのを無理矢理やらせるのはいけないよ」


「えー。もいるよー?」


「あらあら、今は鬼喇の話をしているのよ、鬼香。の話ではないわ」


 鬼蝶にもやんわりと嗜められて、鬼香はむー、と口を尖らせながらも、それ以上食い下がることはしなかった。

 ジャケットの男はぱん、とひとつ手を打つと


「さ、じゃあ行こうか。熱々チーズと甘いものなら、でいいかな? 鬼喇も、それでいいかい?」


「いいよ。俺も腹が減ってきたところだ」


「じゃー行こー」


 鬼香が先頭となって、一団は人混みの中へと紛れていく。いや、正確に言えば、人混みを割り開いて進んでいった。彼らの侵入を、人混みは認めなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る