夜闇(よやみ)の薄明かり
由海(ゆうみ)
黒竜と炎の精霊
雲間から地上を見下ろしていた黒竜は、夜の闇の中にゆらゆらと揺らめく光に魅入られた。赤く燃える、炎の光に。
「ラスエル、あの光は何でしょう? とても美しい」
黒竜の側でうつらうつらと眠りに落ちかけていた青竜は、面倒臭そうに答えた。
「あれは、欲深い人間たちに閉じ込められた哀れな精霊だ」
「でも、とても美しく輝いています」
「レンオアムよ、お前は不思議なものを好む。だがあれは駄目だ」
「何故ですか?」
「あれに触れれば、お前の身体など燃え尽きてしまう。愛する弟よ、もう眠れ。地上にあるものは地上を這う人間達のものだということを忘れるでない」
ゆらゆら、ゆらり。ふわふわ、ふわり。
私はここよ、聴こえるでしょう?
地上の炎は、
レンオアムは、その炎が美しい乙女の姿になることを知っていた。ゆらゆらと揺れる緋色の豊かな髪に触れてみたいと思った。その乙女が、欲深い人間の手で足枷につながれていることも知っていた。
人の子の分際で、己の欲望のために
ある夜、レンオアムは兄竜が眠っている間に地上に降り立った。
人間達は、突然地上に現れた黒い天竜に恐れをなし、なすすべもなくひれ伏した。
「天竜さま、何故その様にお怒りなのでしょうか」
人間の長は震えながら尋ねた。
「精霊を捕らえているだろう。あれを我に渡せ。人の子ごときが触れて良いものではない」
「しかし、あれを取り上げられては、地上の夜は一切の暗闇に覆い尽くされてしまいます」
「ならば我の片翼をやろう。この翼で夜の闇など
「片翼だけでは足りません。暗闇の魔物に食べられてしまいます」
「ならばもう片方の翼もやろう。さあ、精霊を渡せ」
欲深い人間達は、翼をもがれ天に戻ることが出来なくなった黒竜を洞窟に閉じ込め、鎖で繋いだ。
「愚かな天竜だ。たかが精霊などのためにその身を地上に堕とすとは」
洞窟の中は暗く足元もおぼつかなかったので、人間達は精霊を連れていた。
ゆらゆら、ゆらり。ふわふわ、ふわり。
私はここよ、聴こえるでしょう?
黒竜は炎の精霊の姿を認めると鎖を断ち切り、ゆらゆらと揺れる美しい緋色の髪を鋭い鉤爪でがしりと掴んだ。炎の乙女は人間の手をするりと抜け出して、黒竜の腕の中にしっかりと
その途端、黒竜の身体を赤い炎が包み、鉤爪の一本まで残らず燃やし尽くした。
黒竜と精霊の乙女は、燃え盛る炎の中で永遠を誓った。
その燃えかすから、翼の代わりに赤い炎をまとった美しい竜が生まれ出た。
***
「結局、このお話の教訓って、何なのですか?」
剣の手入れをしている黒髪の男の
「さて。全ての伝承に教訓があるとは限りませんからね。今のは『
語り部は柔らかい微笑みを浮かべたまま。そう言って、黒髪の男の方に目を向けた。
剣を磨く手を止めもせずに、シグリドは「さあな」と答えた。
逃亡奴隷達が大陸の西の果てに築き上げた砦に起源を持つ「火竜の谷」の伝承は、その歴史が示す通り血塗られたものが多い。数少ない恋物語の一つで「火竜」の名の由来と言われる『黒竜と炎の精霊』でさえ、許されぬ身分違いの恋に命を散らした剣奴と高貴な姫の悲話が大本なのだから、全く救われない……心の中で、そうつぶやいた。
「今夜はこれくらいにしておきましょう」
パルヴィーズは伝承を書き留めた羊皮から目を上げると、面白そうにシグリドの方を見て微笑んだ。
「黒竜殿、あなたの背中で眠っている炎の精霊を何とかしてあげなさい。今にも長椅子から落ちそうですよ」
シグリドが身体を少しひねって後ろを見ると、すやすやと寝息をたてて眠っている娘が目に入った。
警戒心の
生まれ変わっても、俺はもう一度この娘に恋するんだろうな……
愛しそうに娘に口づけし、ふわりと揺れる炎の色した巻毛に顔を
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます